ポケットに『MOTHER』。
〜『MOTHER1+2』プレイ日記〜

7月10日 テレポーテーション!


『MOTHER』といえば、あれだろう?
『MOTHER』といえば、あれですよ。

一部の『MOTHER』ファンのあいだで
そんなやり取りがされているとかいないとか。
それが何かと無理に自問して無理に自答するならば、
愉快な能力、テレポーテーションのことである。
なかなかできるようにならないなあ、
いつできるようになるんだろうなあ、と、
地味にやきもきしていたテレポーテーションを
ついに僕は、いや、主人公は修得した。

ゲームをご存じない方のために説明すると、
テレポーテーションは、行ったことのある街へ
自由に戻れる移動能力のことで、
ビューーーっと走るとギュワーーーっと消えて
シュパーーっと行きたい街へ着くのである。
しかしながら、途中に障害物などがあると、
ビューーーっと走ったあとに
ガツーーーンとぶち当たって
ドカーーーンと真っ黒焦げになるのである。
なにがなんだかわからんわい。

やや冷静になって説明すると、
移動能力であるテレポーテーションは
一定距離の助走を必要とする。
たとえば、すごーく広い場所や、
まーっすぐの道があったとする。
テレポーテーションをコマンドすると、
主人公とその友だちは、ビューーーっと走り出す。
走りながら、どんどん速度を上げる。
その速度が一定を超えたとき、
つまり、一定の距離を走ったとき、
主人公たちは空間の向こうへ消える。
まったくの偶然だと思うが
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の
タイムトリップの演出がよく似ているので
それを思い浮かべてもらうといいかもしれない。
そのようになるとテレポーテーションは成功で、
コマンドした目的地へ着くのである。

ところが、一定距離を走るあいだ、
木とか家とか通行人とかに接触してしまうと
なぜかはよくわからないがドカーーンと大爆発してしまう。
だから、テレポーテーションを成功させたいときは、
まず、真っ直ぐに走れる道を見つけなければならない。
これがテレポーテーションの基本である。

むろん、基本があるなら応用もある。
それが何かと無理に自問して無理に自答するならば、
走行中の方向転換ということになる。
つまり、ビューーーっと走っているあいだにも、
十字ボタンで操作することによって
走る方向を転じることが可能なのである。
すなわち、真っ直ぐな道などがなくとも、
巧みに十字ボタンを押しさばくことにより
テレポーテーションは可能となるのである。

以上をもってテレポーテーションの概要とし、
以下はその楽しみについて述べたい。
なんだかテンションが高すぎではないだろうか。

まずもって、その楽しみの源は
ロールプレイングゲームという、
いわば「静」の楽しみのなかに
瞬時のコマンド入力という
「動」の喜びが組み込まれる新鮮さにある。

やや堅い言い回しをあらためるならば、
ちくちく敵を倒してちょっとずつ進むなかで
ビューー、ギュワーー、シュパーーは
非常に爽快で楽しいのである。

しかも『MOTHER』の世界は広い。

ゲームボーイアドバンス用ソフトとして
移植されるにあたって
移動速度を速める機能(Rボタン)がついたが、
それにしたってフィールドは広く、
テレポーテーション修得以前は素敵なママの待つ
自分の家へ帰ることすら一苦労だった。

ところがいまやビューー(略)でOKである。
すっかり実家に入り浸る僕である。
元来、僕はゲームをやるとき
かなりの貧乏性となってしまうため、
ホテルに泊まるお金すら惜しくてしかたがない。
なにかにつけて地元へ帰省し、
メシ食って一泊して帰ってくる。
セーブはもっぱら黒電話である。

というわけで、テレポーテーションは楽しい、
というお話でした。めでたしめでたし。

否。

以上の説明ではテレポーテーションの魅力を
半分しか伝えたことにならない。

テレポーテーションの魅力とは、
テレポーテーションの神髄とは、
やはり、ドカーーーンにある。

ここなら、テレポーテーションできるんじゃないかな、
というところを慎重に探し出し、
まるで歩数をたしかめるがごとく
その領域の端まで歩いていく。
方向をたしかめ、いよいよ目的地をコマンド。
ピストルの破裂音を得た
スタートラインのアスリートのごとく
全身の筋肉を解放する主人公。
走る、走る、走る、走る走る走る走るドカーーーーン!

この脱力こそ、テレポーテーションであろう。

初めて電車のなかでテレポーテーションをためしたとき、
案の定、距離感がつかめなくて
ドカーーーンとなってしまい
思いっきりニヤついてしまった。
三十代なかばの分別を持つ僕だからこそ
ニヤつくぐらいで済んだけど、
もしも僕が小二の児童だったら、
ドカーーーンだけで半日くらいは
腹を抱えてひいひい笑い続ける自信がある。

しかしながら、ドカーーーンそのものは
やはり行為として失敗であるから、
それだけを楽しみ続けるというわけにはいかない。

とくに、やや混み気味の電車などで
ドカーーーンドカーーーンやっていると
「周囲の人が画面を盗み見て、
 失笑しているのではないか?」
と心配になってくることがある。

あと、絶対の自信を持って走り出したのに、
街の住人が予期せぬ動きによって進路を阻まれ
ドカーーーンとなってしまったときは
「チョロチョロすんなよ!」とツッコミたくなる。

あるいは、見かけ上、真っ直ぐ走れそうなのに
ビルの角などに微妙に引っかかって
ドカーーーンとなってしまった場合、
「その判定はどうなの?」と
にわかサッカーファンのようなこともつぶやいてしまう。

さらにどうでもいい話でいえば、
テレポーテーションを何度も試しているとき
まちがってテレパシーをコマンドしてしまい
「なにも おこらない。」と表示されて
ガッカリすることもしばしばである。

そういった困難さを踏まえたうえで、
せまい場所などで見事にテレポーテーションを
成功させたときの喜びこそが格別なのである。

ちなみに僕がもっとも誇りに思っているのは
海辺に立つ展望台の屋上での
テレポーテーションである。
奥行きのないそのスペースで、
屋上の左端からスタートして反対側まで走り、
壁にぶつかるという刹那に「上、左」とコマンド。
屋上の柵をすり抜けて目的地へ消える主人公たち。
無事にたどり着いた目的地では、
思わずウイニングランよろしく
そのまま惰性で歩き続けたりする。
「どうよ?」と得意気に振り返ってみたくなるが、
あいにくそこには誰もいない。
いったいひとりで何をやっているのやら。

と、いったわけで、
テレポーテーションを満喫している僕でした。
まだまだその喜びをつづっていきたいけれど、
呆れるほど書き散らかしてしまったのでやめておきます。
でも、斜め移動のテレポーテーションとかも、
気持ちいいんだよな。

長々、失礼いたしました。

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2003-07-11-FRI


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