大貫妙子、『愛のテーマ』を歌う。 『MOTHER3+』発売記念対談




+ 第2回 何回かの失敗は、させてあげてもいいんじゃないかな
糸井 仮歌を入れたあとで話したときに、
「ロックが好きでロックをやりたかったけど、
 私は声が綺麗すぎたのよ」
って言ってたでしょう?
大貫 そうなんです。
だって私は、ジャニス(・ジョップリン)が好きで
ああいうふうに歌いたかったんだもの。
糸井 それは、いい話だよねえ(笑)。
大貫 でも、その道は選択できないんですよ。
だから、一時期は、自分の声が潰れないかなと思って、
お酒を飲んで「わーーーっ」て
叫んだりもしてたんだけど(笑)。
で、ちょっとガラガラ声になって
「よーし、この調子で!」
って思うんだけど、一週間くらいすると、
すぐに「ラーーー」って
綺麗な声になっちゃって(笑)。
糸井 (笑)
大貫 そんなことをいろいろやっているうちに、
声ってやっぱり授かったもので、
ある意味では楽器の音色のようなものだから、
それをわざわざ壊すのは違うかなというふうに
だんだん感じはじめて。
いまあるこの声をいちばん活かせるように、
そういう音楽を、自分のスタイルにしていこうと。
変わっていきましたけれど。
ジャニス以外にも
選択できる道はあったわけですから。
でも、そういうことがよくわかっていないころは
たくさん失敗しましたね。
糸井 自分では失敗だと思っているような曲が
昔のアルバムには入っているっていうこと?
大貫 はい。いっぱい失敗しました。
もう、穴に埋めたいくらい(笑)。
糸井 へええ、おもしろいもんだね。
自分でしか言えないね、それは。
大貫 そう。だから、昔のアルバムの、
いくつかの曲をかけられると、
耳をふさぎたくなることがあります。
糸井 それは、間違ったことをしてるっていう気持ち?
大貫 歌については、間違ったことをしてるんです。
つまり「曲を書いている自分」がいて、
つぎに「サウンドを考えている自分」がいて、
最後には「歌う自分」がいるんですけど、
曲を書いているときに考えている声は、
自分のこの声じゃないんですよ。
たとえば、すごくソウルっぽい曲を書いたときに、
こういう曲になるんだっていう考えが、
書きながらどんどんふくらんじゃうのね。
で、サウンドまでその路線で考えて作っちゃう。
で、いざ自分で「ラーーー」と歌ってみたら、
もう、ぜんぜん乗っからないんです。
声だけ、浮いちゃって、浮いちゃって。
そういう失敗を何度もして、懲りればいいのに、
また同じようなことをして(笑)。
糸井 今度こそできると思うわけ?
大貫 いや、忘れちゃうんです。
あと、自分の力量に合わないほどの、
2オクターブくらい振り幅のある
曲を書いてしまったりね。
つくってるときは歌えてるんですよ。
実際その声も出ないわけじゃないんだけど、
本当に歌うとなると‥‥歌えないんですよね。
そういう曲が、過去のアルバムには、
いくつかあるんですよ。
糸井 作曲するときと、歌うときが、
ほんとうに「違う人」なんだね。
大貫 そう。
糸井 コンポーザーと、アレンジャーと、シンガーと。
大貫 そう。それぞれ別の人間がいて、
3つがひとつ合わさったときに
「あー」って(笑)。
糸井 だれかが泣きを見るわけだ。
大貫 「歌う私」ですよね。
だから、そういう失敗を徐々に減らしながら、
どんなにやりたくても
自分には合わないものっていうのを見極めていって、
自分の声にいちばん合うサウンドづくりをして、
落ち着いてきたのは80年代になってからかな?
もちろん、初期のアルバムにも、
好きな曲はたくさんあるんですけど、
全編を通して聴くと、失敗したなっていうものも
入っている。2曲くらい(笑)。
糸井 でも、それは、
「100パーセントやらないほうがよかった」
というものじゃないわけでしょう?
大貫 そうですね。
できないことをまったくやろうとしなかったら、
たぶん、もっともっと、ちっちゃいちゃっちゃい、
自分になってしまったのかもしれない。
糸井 うん。そういうことなんでしょうね。
大貫 昔は失敗を許してくれた時代だった
という言い方もできるけど‥‥。
でも、その失敗の山のなかから、
だんだん自分ができていったんだから、
何回かの失敗は、
させてあげてもいいんじゃないかな、
といまは思えますね。
糸井 ちなみに、ですけど、その失敗というのは
ほかの人にはぜんぜんわからないんでしょう?
大貫 うん。
私が「この曲、かけないで」って言うと
「どうして?」ってみんな言う(笑)。
糸井 なるほどなあ(笑)。
おもしろいね。


(続きます)

2006-10-31-TUE


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