『MOTHER』の気持ち。
いちばん近くで、
この不思議なゲームの話を聞く。

第3回
「自分がそれだけものを入れてきたから」


── 糸井さんが生み出すもののなかには、
当然、そのときの思いや時代の空気、
自分の根っこに近いものなんかが
込められていると思うんですけど、
『MOTHER』のように、
一個のパッケージにぎゅうぎゅうと
詰まっているものは特殊ですか?
糸井 特殊ですね。純粋に、書いた分量や考えた分量が
圧倒的に多いですからねぇ・・・。
ゲームって、すぐにできあがるものじゃないから
我慢が要るんですよ。
それは、子育てもそうだし、スポーツのチームとか、
バンドとか、会社やっていくのもそうなんだけど。
もともと、
ぼくのコピーライターという職業というのは、
「みじかいことばの仕事」が多いんですね。
考える時間とかは長かったりするんだけど、
いざ最後の大仕事というのは、
瞬間のひらめきが重要だったんです。
結論にあたる部分だけが空欄になった企画書の、
最後のその空欄を埋めるような仕事ですから。
ゲームはそうじゃないですよね。
ひらめきをもとにしながらも、我慢して、
すべてのレンガを積み上げていかないとできない。
そういうタイプの仕事は、
あとにも先にも『MOTHER』だけです。
小説でもこんなことはなかったです。
── たくさんのひらめきとたくさんの我慢が
積み重なっているんですね。
糸井 うん。だから、
「あのゲームを遊んだ人がよろこんでくれている」
ということに対して、ぼくが感じるよろこびは、
ほかの誰も想像できないだろうなぁってほど、
すっごい大きいものなんです。
だから、「ぼく、『MOTHER』やったんです」
って言われただけで、もう、ぼくはうれしい。
── くり返し何度もプレイする人も多いですよね。
糸井 それはね、ぼくはわかる気がしてるんです。
なぜ、その人が何度もくり返し遊ぶのかという
理由をぼくはとてもよくわかる気がする。
自分がそれだけものを入れてきたからなんですよ。
当時は、実はな、なんて誰にも言わなかったけど、
自分がそれだけのものを入れてきたということが、
スープのかくし味みたいに
なっていると思うんです。
── そのタネ明かしをせがむつもりはありませんが、
なにか、わかりやすいものはありますか。
糸井 たとえば『MOTHER2』では、
ゲイの人が出てきますよね。
あの、イギリスみたいなところにいる、
アツい友情を交わす友だち。
あれはゲイの子どもとして描いてるんです。
ふつうに社会に生きていたら、ゲイの子はいるし、
ぼくも、ともだちにいっぱいいるし、
そういう子がいたほうがいいと思って、
紛れこませてます。
あと、どせいさんっていうのは、
「イノセント」の象徴なんです。
社会の普通の場面では、うまく適応できないけど、
実は人並みはずれた力をじつは持っていたりする。
そういう「無垢の力」みたいなものを、
ぼくは、すっごく好きなんですね。
『情熱のペンギンごはん』のペンギンにも、
そういう役割をさせていたりしたし。
あ、『フォレスト・ガンプ』なんかもそうでしょう。
ああいう「イノセント」な登場人物を、
みんなにも好きになってもらいたいし、
ちゃんと見てほしいと思ったから
ゲームのなかに入れておいたんです。
最初は、「どせいさん」って
呼んでなかったんですけど、
開発中に、そういう名前を獲得しましたね、
あの人たち。
── エイプリルフールのときの
ほぼ日に、ちらっと書かれてましたけど、
『MOTHER2』には、
じわじわくる怖さなんかも入れたつもりだ、と。
糸井 ああ。あの、モノクロになった画面で、
自分の家で自分が生まれるところの会話を見る
っていうところがあったでしょ。
あれなんかは、ぼくにとっては
ものすごく思い入れのある場面ですね。
つまり、「なんて名前つけようか?」って、
両親が話してるところを自分で見るわけですよね。
やっぱり、愛されて生まれたっていうことを
入れたかったんですよ。
子どもっていうのは、愛されて生まれてくる。
それを入れたかったんです。
まあ、それは中身の話で、
じわじわくる怖さとはべつのものですけど。
── なんというか、
よくわからなくて怖い、というものが
『MOTHER』にはたくさん入ってる気がします。
糸井 たとえばね、ちっちゃいころに、
工事現場に落ちてるエロ雑誌を
見つけちゃうことってあるじゃないですか。
ガキの時分は、「やった!」という気持ちがあって、
興奮したりもするんだけれど、
あれを実は「怖い」と感じる気持ちが
混じるんですよ。
なにか、犯罪とエロが隣り合っているというか
暗いもののなかにエロがちょっとだけ入って
生々しくなるというか。
そういう気分は、ゲームのなかに入ってますよ。
あ、エロを入れてるわけじゃないけどさ(笑)
生理的な「感触」みたいなものを、
けっこういじわるに近いくらいに入れてますよね。
だから、
「なんだか怖くないはずの場面が怖かった」と、
よく言われたりもしました。
── 不思議なゲームですねえ。
糸井 あの、ゲームって若い人が作ることが多いでしょ。
若い人って、すごく熱心に調べるんですよ。
伝記とか、神話とか、小説とか、資料として。
それはわるいことじゃないんだけど、
少なくとも、調べてわかっていくようなことって、
ぼくはあんまり得意じゃないんです。
それよりは、いろんなことを経験して、そこから、
みんなが味わう「ある感覚」のようなものを
すくい取っていくほうがしっくりくるんです。
それは親子の話もそうだし、
怖さっていうものもそうだし、
無垢っていうものもそうだし。
── よくわかります。
糸井 そういうふうにつくることこそが、
「大人になってからゲームの作者になった、オレ」
がつくる意味なんだろうと思う。
無理して大人なつくりかたを
しようとしたわけではまったくなくて、
ぼくはそれで勝負しようと思ったので、
ああいうものをたくさん入れてるんです。
だから、ゲームのなかには
怖いものや、楽しいものや、無垢なものが
たくさん入っていて、
それがスープのかくし味になっているんで、
子供にも、その妙な味が
わかっちゃったんでしょうね。

2003-04-18-FRI

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