KANA
カナ式ラテン生活。
スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。

『咳をしても、アジア人』


 スペインも、花粉症の季節である。
 しかもでっかいイベリア半島の真ん中の、
 マドリードの今日の湿度は24%。
 これが大阪だと、同じく天気は晴れながら、
 湿度は78%にもなる。
 なぜ大阪と比べたかというと、
「湿気」はスペイン語で"humedad"
(発音は「ウメダー」=梅田)だから。
 とかなんとか。

 とにかく、ここはいま、
 花粉が舞ううえに空気がすごく乾燥している。
 いきおい、咳がでる。
 と、すれ違うスペイン人が、
 こちらを不安そうに伺うのがわかる。
 そう、SARSを心配しているのだった。

 自分の発言や態度が
 どれほど差別的なものであるかについて
 こちらが無力感に思わず天を仰いでしまうほどに
 圧倒的に無関心なひとの多いスペインらしく、
 ここではこの病気、
 "SARS"などという
 イメージのとんと湧かない略語なんかじゃなく、
 "neumonia asiatica"=『アジア肺炎』という
 なんとも想像力を掻き立てられる名前で浸透している。
 むろん、新聞でもニュースでもそう言っているのだ。
 となると、この呼び名が
 自分の発言や態度がどれほど差別的な……
(以下略)スペイン人に、どういう印象を与えるか。
 答えは、呆れるくらい短絡的に、
「アジア人=病原菌」なのだった。がっくり。

 もちろん、みんながみんなそうではない。
 でも残念ながら、傾向的にそうなってしまっている。
 実際にスペインでは
 チャイニーズ・レストランへの客数が
 激減している。半減どころの騒ぎじゃないらしい。
 イギリスやドイツではそういうことはないそうだ。
(イタリアはスペインと同じ状況らしいが)
 しばらく前、
 スペインに寄港した日本のマグロ漁船の乗組員にも
 大騒ぎのなかでチェックが行われ、
 テレビのレポーターは近くの住民に
「こうやって船が来るの、怖くないですか?」
 などと深刻そうに質問していたという。
 ニュースでは、
 マスクで通学する中国の子どもたちの姿を
 連日のように放送している。

 だもんで、私がうっかり咳なんぞすると、
 まわりにサッと緊張が走るのがわかる。
 ……というのは少し極端かもしれないが、
 注目を浴びるのは、ひしひし感じる。
 だから、買い物に出ても
 バスを待っているときや、
 とくに生鮮食料品売り場にいるときなんかに
 不用意に咳をしないように、
 飴をたっぷり用意して注意するようにしている。
 いたずらに、周囲の不安を煽りたくはないから。


 日本では、SARSの患者は発生していないという。
 とすると、日本人の私としては
 ちょっと気にしすぎかなぁ、と思わなくもない。
 でもこの事実、
「日本では現在『アジア肺炎』の死者はいない」
 ということをスペインで説明したところで、
 どうもちゃんと伝わってくれるとは思われないのだ。
 というか、やってみたけど、ダメだった。

 だいたい
 日本は中国大陸の一部だろう、とか
 日本の首都は香港だ、とか
 なんとなく思い込んでいるひとも
 少なくはないのだ。
 あれほど毎日のように中国の映像が出ているなかで
「日本は違うよ」
 と言っても、なかなか信じてはもらえない。

 たとえばスペインで新型の感染病が
 すごい勢いで広がっていたとして、
 あなたはポルトガルは大丈夫、と思うだろうか?
 ノルウェーとスウェーデンとか、
 オーストラリアとニュージーランドとか、
 カリフォルニア州とネバダ州とかでもいい。
 やっぱり不安になると思うのだ。
 旅行の予定があったら、中止するかもしれない。
 ちょうど、キリンカップへの参加をやめた国のように。

 そして、私がスペイン人とイタリア人と
 ぱっと見分けがつかないように、
 スペイン人にだって、
 中国人と日本人を見分けることは難しいというのも
 大きな理由となっている。
 そもそも同じアジア系である私だって、
 日本人と中国人と韓国人とを
 ぴったり見分けるようなことはできないのだから、
 まぁそりゃそうだろうと思う。

 こうなりゃアジア系、一蓮托生である。

 こうしてアジア系がひとくりりにされている実感は
 なにかの事件をきっかけに
 すっ、と、具体的な恐怖に変わる。

 まぁアジア系だからというだけで、
 バカにするひともいるけれども、
 バカはどの国にでもいるのだから仕方ないのさ。
(スペインは、陰湿な差別は少ないと思うけど、
 差別とも思ってない差別は多いかな。
 たとえば、軽いセクハラみたいなかんじ)

 ワールドカップの直後には、
 スペインが対戦して敗れた相手の韓国人だと思われて、
 タクシーに乗車拒否されたり、
 子どもたちに取り囲まれて
「犬食う、犬食う」とはやし立てられたりした。

 スペインを元宗主国とするペルーのフジモリ元大統領が
 日本にいるというニュースが流れたあとは
「日本人はなに考えてんだ! やっぱり金か!?」
 と、日本人を代表して怒られた。
 とばっちりをくった他のアジア系のひともいただろう。

 そしていま、『アジア肺炎』。

 アジア系は、マイノリティだ。
 ―よく思っていないひともいる。
 ―よく思っていないわけじゃないけれども、
  目を細めてみせるジェスチャーを
  愛嬌のつもりでやってくるひとは多い。
 ―日本人ならいい、というひともいる。
  中国人なら追い出すところだよ、
  あいつらときたら……、と
  目の前でひとが変わったように
  言い出すひともいる。
  もしそれが日本の経済力のおかげならば、
  中国が経済力で日本を抜いたときに
  彼らはすかさず日本人の悪口を言い出すのだろう。
 ……

 差別されるのは、辛い。
 切ない。
 悔しい。
 やりきれない。

 でもおかげで、少しは想像できるようになった、
 たぶん。
 いままで、知らなかったから、想像できなかったから
 自分が無意識にしていたであろう差別的言動を、
 できるだけしないようにしていくつもりだ。
 咳ひとつ自由にできない辛さが
 身にしみてわかるようになったということは、
 とても貴重なことのような気がする。

 と思っていたら、友人が教えてくれた。
「メキシコ人って、
 自分のことを南米人ってひとくくりにされるの、
 すごく嫌なんだって。
 だってメキシコは、中米だから、って」

 世界は、広い!
 学ぶことは、まだまだたくさんある。


  カナ






『カナ式ラテン生活』
湯川カナ著
朝日出版社刊
定価 \700
ISBN:4-255-00126-X



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2003-06-01-SUN

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