KANA
カナ式ラテン生活。
スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。

 
『母が、来た。』


「死ぬなら30時間待って」
そう、母に言ったことがある。

勝手言ってはじめた海外生活、
親の死に目に会えないことも含めて
親不孝は覚悟している、つもりだ。

だけど、親がこの世に別れを告げるときには、
できるならやっぱりその場にいたい。
そして、屁の足しにもならないけれど、
この頭をちゃんと下げたい。

スペインから日本まで、直行便はない。
欧州内で乗り継ぎ、日本で長崎まで乗り継ぐとすると
フライトだけの時間を合計しても、最低16時間。
なんやかや考えると、
危篤の連絡から最低30時間は必要だと計算したのだ。


そして6月の終わり、母がスペインへやってきた。
長崎→関空(1泊)→パリ→マドリード。
34時間かけてやってきた。
「死ぬなら34時間待って」
今度から、そう言い直さねば。


さて、こちとら在住3年目。
スペイン語もちったぁ喋れるようになった。
たとえばグルメガイドも出している
タイヤメーカーのMICHELINは「ミチェリン」、
おフランスの高級ブランドCHANELは「チャネル」と、
難易度の高い固有名詞も、もうちゃんと発音できる。

ここはいっぱつ格好良いところを見せるチャンスだ。
3年分、いや28年分まとめて親孝行しようと
テグスネを引いたりしながら待ちかまえた。


到着翌日は、あいにく久々の雨。
天気は、私の都合を考えてくれないらしい。

その翌日は、あいにく8年振りの大規模なゼネスト。
市内の交通機関はストップ、商店はお休み。
どこにも行けずにまた家の中にいた。
労働団体は、私の都合を考えてくれないらしい。

次の日、ようやくはじめての観光に、王宮へ。
あいにくワールドカップ、韓国対スペイン戦の前日。
修学旅行中の小学生たちにぐるりと囲まれた。
「韓国人?韓国人?犬、食べるの?
明日は俺らが勝つぜー!」
波のように押し寄せるチビッコたち。
ワールドカップは、私の都合を考えてくれない。

(※)スペインでは少なくないひとが、
韓国のひとは犬を食べ、
日本のひとは魚を生で丸のままかじり、
中国のひとはゴキブリを食べると思っている。
悪気はあんまりないのが、これまた哀しき。

マドリーはゲンが悪い。
そういうことにして、
南国アンダルシアのセビージャへ出かけた。


青池保子の漫画『アルカサル』でも有名な
ドン・ペドロ残酷王の建てたイスラム趣味の王城、
世界で3番目に大きなカテドラルと、スロープの搭。
夜はタブラオで食事しながらフラメンコ。

うまくいったかなと思った矢先、タクシーでぼられた。
300円のところ、500円だと言う。
いろいろ交渉したりしたのだけど、
こちとら在住歴3年、あちとらぼったくり歴30年。
かなうはずもなく、すっかりへこんだ。
2千円、いや5千円分くらいはへこんだ。
ぼったくりの運ちゃんは、私の都合を考えてくれない。
日本人な私は、彼にとって好都合だったみたいだけど。

帰る直前、カードの磁気がやられて現金が引き出せず、
タクシーに乗れなくて、新幹線に乗り遅れた。
べこべこにへこんだ。ぺちゃんこになった。
カードの磁気まで、私の都合を考えてくれやしない。

こうして格好良いところは全く見せられないまま、
10日間ほどの滞在はあっという間に過ぎた。


あれもしたかった、これも見せたかった、
あんなこと言わなきゃ良かった、悔いばかりが残る。
でもそれはこの10日間のことじゃなくて、
28年の間に感じ続けてきたことかもしれない。
返せる恩じゃないとは思いつつ、
少しは返してみたかったのだけど、
わかったのは
やっぱりちっとも返せやしないってことだけだった。

よく考えると、
命からはじまっていろんなものをもらっている。
10日間の親孝行の真似事なんかじゃ、
母も神様も自分も、騙されてくれなくて当然だ。


スペインの私と日本の親との間、34時間。
親、あるいは、私の死に目には
互いが立ち会えないかもしれない。

だからせめて、頭をちゃんと下げたい。
でも久々に会ったスペインで、そうできなかった。

ごめんね、そんなかんじなんよ、私。
出来が悪くて、すまん。
なのにさ、
愛してくれて、ありがとう。


カナ http://www.kanasol.jp






『カナ式ラテン生活』
湯川カナ著
朝日出版社刊
定価 \700
ISBN:4-255-00126-X



ほぼ日ブックスでも
お楽しみいただけます。

もれなく絵はがきが届きますよ。

2002-07-21-SUN

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