KANA
カナ式ラテン生活。
スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。

 
『スペインの、ニッポンさん』


「日本」は、スペイン語で「ハポン」という。
つづりは"Japon"で、
正確には"o"の上に点を打つ。
発音のアクセントもここの「ポ」にある。
はい、ご一緒に。「ハ・ポォ・ン」

ところで、
スペインはアンダルシア州のセビージャという
近年世界陸上があった都市から12kmのところに、
コリア・デル・リオという町がある。
もしこの町で「日本」、すなわち「ハポン」と叫べば
きっと何人かが「なあに?」と振り向くだろう。

というのも、人口約2万のこの小さな町には、
「ハポン」という苗字を持つひとが
600人以上もいるからだ。


スペインのなかでもっともスペインっぽい
コテコテのアンダルシアに生まれながら、
なぜか「よう、ニッポンさん!」と呼ばれる彼ら。
その歴史は約400年前に遡るらしい。

1613年、江戸時代の最初のほうの頃。
仙台藩主である伊達政宗の命によって
支倉常長率いる慶長遣欧使節が日本を出発、
翌年スペインのサン・ルーカルに到着する。
ここはカディスという街に近い、大西洋に面した港町。
一行はここからグアダルキビル川を遡って、
地方の大都市セビージャのちょっと手前
コリア・デル・リオという町で船を下りる。
つまりこの町は、一行のスペイン上陸の地なのだ。

たとえば異人さん一行が東京に船でやって来たとして
東京湾から隅田川に入り、ゆらゆら川を上り、
千住大橋あたりで船を下りた、
というかんじだろうか?

支倉常長一行はさらにそこから陸路、
マドリードを経由してバルセロナまで
だいたい1年間かけてまわっている。
千住大橋で船を下りたとして、
そこから京都・大阪を経て1年間で福岡まで移動した、
ってな勘定になる。
んでもって、バルセロナの近くから再び船に乗り、
法王おわしますローマへと旅立った。


ところがところが
一行26人(資料によって異なる)のうち6〜9人は、
どうやら最初に上陸したコリア・デル・リオに留まり、
そのまま永住しちゃったらしい。
うわ、全体の3、4割だよ。かなりの大人数。
しかも、旅はこれからってときに。

はてさて
いざこれからローマ法王にも謁見しようという
おそらく使命感に溢れた誇り高きサムライたちに、
17世紀、いったいなにがあったのか?

もはやすべては想像のうち。
たとえば「一行のうちカトリック信者だった従者は
もともとスペインに永住するつもりで同行した」
などと推測されているものの、
私が信者ならローマ法王に謁見するチャンスを逃さず
そのあとにゆっくり永住先を探すなぁ。

なんせ「気がする」だけなのだけど、
つまりは結局やっぱり、
スペインの魅力的なセニョリータたちに
スペインに上陸したその小さな町で、
すっかりクラッとまいっちまったのではなかろうか。
という気がするのだ。

そりゃあんた、サムライとて男の子やけん!


というわけで、いまとなっては真実はわからねど、
現実として、コリア・デル・リオの町には
「日本さん」というひとがたくさん住んでいる。

町役場の公式サイトには、ハポン姓のルーツとして
支倉常長一行のことが書いてある。
川沿いには、支倉常長像も建てられている。

しかもハポンさんたちは
幼少時に、蒙古斑が出ることが多いという。
「ふつうの」スペイン人ではあまり聞かない話だ。
これはモンゴル系の血を引く証か?

さらに、稲作の盛んなスペインでは
主流はモミをばらばらと撒き散らす方法なのだけど、
この地域は伝統的に苗床を作る日本式の方法である。
これは誰か日本から伝えたひとがいることの証か?

それよりなにより、当のハポンさんたちが
「私の先祖はサムライだ」と
この苗字をとても誇りに思ってくれているという。

よかねー。
これぞ国際交流。国際友好。国際愛。
っていうか、愛!


ちなみに1996年のミス・スペインも
そんな「ハポンさん」のひとり。
現在もテレビ番組の司会などをしている。

Maria Jose Suarez
マリア・ホセ・スアレスさん
1996年度のMISS ESPAN~Aのところに写真アリ

知人によると、
彼女もハポン姓であることがとても好きだし、
誇りに思っているという。


現在、支倉常長一行の血をひくスペイン人の数は
1万人以上と推測されている。

愛は、ひろがるんだなぁ。


カナ http://www.kanasol.jp






『カナ式ラテン生活』
湯川カナ著
朝日出版社刊
定価 \700
ISBN:4-255-00126-X



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もれなく絵はがきが届きますよ。

2002-06-23-SUN

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