KANA
カナ式ラテン生活。
スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。

 
【ぜんぶひっくるめて、家族。】


オラ、アミーゴ!
大人になっても夏休み、楽しんでる?

私は一足先にバカシオネス(休暇)を終えたところ。
スペイン人のように丸々1ヶ月とはいかなかったけど、
2週間ほどの夏休みに
スペイン南部アンダルシア地方を車でまわってきたよ。
運転席には、見慣れた(けど見飽きない)ダンナさん。
そして後部座席には、
日本からやってきたダンナさんの両親を乗せて。

ダンナさんが両親に会うのは、約3年ぶり。
「空港で出迎えるときさ、
スペイン人みたいに抱きついて"ママ!"とか言えば」
なんて言ってみたりもしてたんだけど、
実際にはお互いにちょっと照れたようなかんじで
「やぁ、まぁ」
とか言いながらそそくさとカートを押したりしていた。

日本人でござる。


実はこの日本的な光景、こちらのひとには
「日本人って、なんて冷たいの!」と
とても驚かれてしまうことのひとつである。
そういえば
兄が彼女と"明日なき世界一周貧乏旅行"へと旅立つ駅に
ちょいと江戸っ子的な母が見送りに行かなかったとき、
彼女(アメリカ出身)は
"ドシテカナ? 淋シクナイカナ?"と首を傾げていた。
アメリカ人やスペイン人ならばこんなとき、
頬を伝う涙もものかはギュウときつく抱きしめあって
この世の終わりのように別れを惜しむに違いない。

だって、家族を愛しているから。
そう。そして、それを精いっぱい表現するから、ね。

彼女はアメリカを発つときも家族と再会したときも
全身で悲しみや喜びを表現したよー、と言っていた。
そして実際に、最後に日本を発つときには、
新たな家族である私たちとの別れを惜しんで号泣した。
福岡空港でワンワン泣く彼女を、
私はヒシと抱きしめることもできず、
貰い泣きしながらもヤァウンマァなんてつぶやいてた。
その数ヶ月後、私はひとりで日本を離れたんだった。


こんなコテコテの家族愛な光景は
ホームドラマを地で行くアメリカだけかと思いきや、
ここスペインではそれをしのぐ勢いの
家族愛あふれる光景を日常的に目にすることになった。
たとえば
いやしくもスペイン人男子ならば
日本人女子が卒倒するマザコンぶりを見せるのだよ。
なにかあればすぐ「ママーッ!」、
たまに会えば首ったまにしがみつき頬にチュウして
「ママ、元気だった? あいかわらず綺麗だよ」
(息子が30代40代50代……となっても同じ)、
はては洋服の試着室にもママ同伴となる次第。
日本のマザコンなんて、かわいいもんさぁ。

だって、母親を愛しているから。
そしてそれをごく率直にラテン的に表現するから、ね。


さて
久々に会った母親の変わらぬ若さを讃えることもない、
家族内での愛情表現なんて照れ臭くてかなわんぜという
ごく日本人的なダンナさん一家と私を乗せた車は、
ラ・マンチャの赤い大地をてくてく走り、
コルドバの丘を黄色く塗りつぶすヒマワリ畑を抜け、
シエラ・ネバダの万年雪を頭上に頂くグラナダを過ぎ、
地中海に太陽が輝くマラガの海岸へ降りたったあと、
深緑のオリーブの間をゆらゆらマドリーへ帰ってきた。

その間、いっぱい建物や自然や人々の姿を見て、
数えきれないほどカメラのシャッターを押した。
そして、朝も昼も夜も、4人で同じ食卓についた。
旅行中の毎晩の食事はレストラン。
席についてから少なくとも2時間以上はかかる食事に
ふだんはサッと夕食を済ます両親は驚いていたけど、
おかげで前菜が来るまでの長い時間なんかに
いっぱいおしゃべりして、思いっきり笑った。

とても自然に、すごく仲良しの家族だった。
スペインが、家族単位で動く土地だからかなぁ。


今回入ったレストランでも
赤ちゃんと両親とおじいちゃんおばあちゃんなど
家族の囲む賑やかなテーブルをよく見かけた。
街でバルに入っても、ショッピングをしても、
家族連れの多いこと多いこと。
そして涼風の吹きはじめる夕暮れどきには
家族そろってのんびりと散歩を楽しむ姿をよく見た。

赤ちゃんが泣くのも、
子どもが大騒ぎしながら走り回るのも、
おばあちゃんが孫にかまいすぎるのも、
おじいちゃんの足が悪くてよく立ち止まるのも、
みんな当たり前の顔してひっくるめて家族。
ヒマワリの種のカラをまき散らす行儀の悪い子も、
おばちゃんが胸元全開で挑む趣味の悪いブラウスも、
おじいちゃんの時代遅れの茶色いハンチング帽も、
ビーチでのおばあちゃんの衝撃トップレス姿も、
ぜんぶぜーんぶなんでもあり。

うまく言わんけど、
家族であるというだけで、愛する、許す、
というかんじ。


そんなスペインの中で、
私たちはとても幸せに家族だった(と思う)。
そりゃ日本人だから
ついつい汁物をすすっちゃったりとか
私やダンナもふくめて"しまった!"ってのもあるけど、
最初はちょっとドキドキしたり周囲を見たりしたけど、
スペインのおおらかな"単純に、家族!"の中にいるうち
そんな些細なことは吹っ飛んでしまったよ。

愛するダンナさんがここにいて私はとても幸せで、
そのダンナさんがここにいるのは両親のおかげで、
だからただただ本当にもうありがとう。
いつか、その気持ちだけでいっぱいになっていた。


そのうち旅程は着々と進んでゆき、
宵っぱりのスペイン式生活や
バルの食べかすだらけのテーブルや床、
木の実がぼとぼと落ちてくるテラス席、
道端に転がる犬や馬のフン、
あたりかまわず愛情表現しあう恋人たち、
ひとつひとつに大騒ぎをしながら
たっぷりとスペインを知ってもらったころ、
別れのときがやってきた。

マドリーの空港で、私はキッと顔を上げ
「じゃ、スペイン式で。」と宣言すると、
狼狽するお父さんに飛びついて両頬にキスをし、
小さなお母さんをぎゅっと抱きしめた。
ダンナさんは笑いながら見ていたんだけど、
やがてかたいかたい握手を交わした。
コントロールゲートの向こう側、
こちらへ手を振りながら遠ざかる両親に、
私とダンナさんは手をつないだまま何度も手を振った。


部屋に戻ると、
お父さんからのメッセージがあった。
スペインに来て、雄大な自然を見、人々に触れ、
私たちがスペインで生きる道を選んだ理由がわかった、
それは間違いではなかったんだなと思ったという。
スペインに来ることも結婚も
自分たちで勝手に決めてどんどんやっちゃったから
おそらく積極的に賛成ではなかったであろう父の言葉に
じいん、ときちまったよ。
お父さん、お母さん、ありがとう。

いつか、私の親にもスペインを見てもらおう。
私の愛する、
私の愛するダンナさんも愛する、
私がここでダンナさんと生きる、
あなたが慈しみ育ててくれた私が新たな家族をはじめる
このドアホウにラテンで素敵なスペインという地を。


空港に出迎えるときには
ラテン式に抱きついてチュウして、
そんでもって肩車でもしちゃおうかな。

たぶん、照れちゃってできないんだけどね。

2001-07-22-SUN

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