KANA
カナ式ラテン生活。
スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。

 
【日本人の遺産、ダンナの誤算】


オラ、アミーゴ!
今日も陽気に、鼻歌まじりでやってるかい?

私の方は、鼻はハナでも阿鼻叫喚、
熱々の天ぷら油を左手にザンブリぶちまけちゃったよ。
その瞬間、サッカー中継で耳にする
"ゴォォォォォォーーール、ゴルゴルゴォォォォル!"
と同じくらいの大声で叫んじゃった。

時刻は、夜11時。
無料なのが有難い公立救急病院に行ったとしても、
どれだけ待たされるかわからない(前回参照)。
だからダンナが辞書をひきひき、薬局へひとっぱしり。
その薬が効きに効いて、
4日経った現在、無事にほぼ回復いたしました。ホッ。


それにしても、海外生活での急病は怖い。
私とダンナはまだ日常生活に最低限必要なだけの
語学力もあるかないかくらいなので、
ややこしい場面になるとまったく対応できないのだ。

実は
前回書いた"インフルエンザで救急病院"のときも、
私が倒れたときにはダンナの会社の先輩が、
そしてダンナのときには私たちの友人が、
わざわざ病院まで付き添ってくれたんである。

だって病院で交わされるだろう会話、
すなわち
「熱以外の症状は?」
「嘔吐感、それに下痢。おなかがシクシクします」
「そう。えーっと既往症やアレルギーなどは?」
「はい、扁桃腺炎に気管支炎……」
なんて、
なまなかな語学力じゃ対応できないもの。

そういえばあのころ、
スペインに移り住んで間もないころは、
なにをするにも多くのひとに助けてもらった。
ひとりではなにもできない情けなさと、
友情だけで手を差し伸べてくれる人々への感謝とで
何度もわんわん泣いたのだった。

あの日、
ダンナの病院へ付き添ってくれたミゲルは
何度も礼を繰り返して大泣きする私の肩に手をおいて
「オルビダロ」(気にすんなよ)
と優しく言ってくれた。
それなのに私はその言葉を
「オブリガード」(ポルトガル語の"ありがとう")
と聞きまちがえて、
「なんで?
なんでいきなりポルトガル語でしゃべるの?」
と、
泣きながら見当違いの質問を繰り返したのだった。
あぁハズカシ。


こんなふうに
とても多くのひとに支えられている海外生活だけど、
支えてくれるのは、今ここにいるひとばかりではない。
ひしひしと感じるのが、
先達の日本人が遺してくれた素敵な贈りものだ。

もうね、奥さん、
日本人ってだけで、とにかく信頼されるんですよ。
アパートの賃貸では「日本人なら安心」と言われるし、
初対面のひとにも"勤勉で誠実"と思われるし、
カメラのシャッターを押して、と頼まれることも多い。

これ、よくあるんだけど、
まず「日本人?」という質問をされて、
次にシャッターを押してくださいとカメラを渡される。
最初は "日本人はカメラ好きと思われているんだな"と
考えてたんだけど、実際はちょっと違った。
あるとき、
ダンナにカメラを渡しながらある観光客が言ったのだ。
「日本人なら安心なんだ、
だって絶対にカメラを持ち逃げしたりしないだろ?」
だって。
たしかに、考えたこともなかったけど。
日本人への信頼って、かくも絶大なのである。

こんな"誠実・勤勉"ってイメージを世界的に作り上げた
日本人って、本当にすごい。
すごいよなぁ。
"ホラ吹き・ぐうたら"の非日本人的な私は、
先達の努力を目の当たりにして感動するばかり。

海外在住日本人の先輩方、
あっしはその素晴らしい轍の上を
のんびり歩かせてもらってます。
どうもありがとうね!


でも、そんな美しい話では終らせてくれないのが、
ここ、ラテン。
ボーンバ!
いろいろと、勝手な思い込みもしてくれちゃう。

まずは、海外ではまだまだ根強い"大和撫子伝説"。
"常に男性に従順、
常に半歩下がって伏し目がちに男に寄り添う。
もちろん男が風呂に入ってもついてきて
男の体をなんやらかんやら洗ってくれるらしい"
うぉーい。

次に、"メカに強い"という現代型日本のイメージ。
語学学校で、こんなことを言われた。
「ね、日本人ってさ、
みんな小学生で時計作れるようになって、
大人になれば自動車を組み立てられるんだって?」
うぉーい。

さらに、
スペインから遠く離れた日本の地理に至っては
もう混乱のきわみ。
日本から来た、と自己紹介をしたあとに
「えっと、日本って中国のどこだったっけ?」
なんて訊かれるのは序の口、序の口。

ある日
善良このうえないダンナの身の上に、
序の口の上だから幕の内弁当あたり、
あるいは横綱あられの災難が降りかかった。


あれはうららかな秋の午後。
日本語の看板がでているダンナの勤務先へ、
中学生くらいのスペイン美少女がふたり、やってきた。
応対に出た同僚に対して、
「えっと、あなたじゃなくて。
あっ、あの男性を呼んでください!」
と、ダンナを指差したらしい。

そこはオトコノコ、
美少女の名指しを受け大喜びでいそいそ顔を出すと、
「あのぅ、これ、読んでもらえますか」
と、手紙一通、差し出すではないか。

やや、恋文かい?
せやな、俺、おっとこまえやし。

たぶんそんなことを考えて手紙を受け取ったダンナに、
情熱の国に咲かんとする真紅のバラな美少女たちは
「はやく、はやく開けて読んでください」
と甘い甘いお願い顔。

そこで、
(たぶん女の子たちよりドキドキして)手紙を開いた
ダンナの目にとびこんできたのは
ニョロニョロリ、まごうことなきアラビア語。
当惑顔のダンナに美少女たち曰く、
「この手紙もらったんだけど、私たち読めないの。
ねっ、読んで内容を教えてください!」
えーっと。

すっかり落胆しつつもダンナが
「ごめんね、これ、アラビア語だから読めないよ」
申し訳なさそうに手紙を帰すと、
美少女たちは恥ずかしさで顔を真っ赤にして
こう言い残すや外へと走り去ったらしい。
「ごめんなさいっ、
てっきり中国語かと思ったんだもん!」

……うぉーい。


2001-05-28-MON

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