KANA
カナ式ラテン生活。
スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。

 
【ハロー、こんちはっ、アディオス!】


オラ!
見栄張って初鰹、食べてるかい?


スペイン語で"カツオ"は"bonito"なんだけど、
この単語、
形容詞としてまったく別の意味をもっている。
女性形にするとわかるかな、
"ボニータ"、そう"カワイコちゃん"。

雌カツオかあるいはカワイコちゃんか、
毎度バカバカしい毎日を送る自称ボニータだけど、
ありがてぇことに、
神様というか両親はもっとアホな兄弟を与えてくれた。

そのうちひとりは日本国東京に、
もうひとりは
アメリカ合衆国カリフォルニア州に住んでいる。

たとえば東京が午前零時で
一日を終えた長兄が夜空を見上げてあくびをした頃、
マドリッドは昼の5時で
私はシエスタ明けの寝ぼけマナコで青空を眺めていて、
サンディエゴは朝の8時で
次兄は空の色でその一日を占っている、かもしれない。

ちょうど誰かが朝、昼、夜のどこかにいてるのだ。
ややこしいにもほどがある。
というより、
長崎の両親にとったら、
"淋しいにもほどがある"ってことだろう。
親不孝な兄弟ですまんよ、
勝手させてくれてありがとね、と拝むしかない。

しかしなんで、
そこまでして私は海外に住んでいるのだろう。


思えば、父はマドロスだった。
母の誕生日にケープタウンから電話をしてきたり、
"キューバ危機"のときにちょうどキューバにいたり、
「はいおやすみ、トモロー・モーニン」(英語)や
「醤油ばポキート(少し)」(スペイン語)などと
外国語をまぜこぜにしてしゃべったり、
酒を呑めば嘘を八百ほど交えた外国の話をしたり、
絵に描いたような船乗りだった。

だから大好きな海外に、っていうのはウソだな。


思えば、母は"肝っ玉母ちゃん"だった。
小さな身体を絞るように泣いたり笑ったり大騒ぎして
父のいない1年のうちの10ヶ月、家族を守ってきた。
傍からみればかなり破天荒なやり方も交えつつ、
独立心だの生命力だのを育ててもらった。

だから躊躇なく海外に、っていうのもウソでした。


思えば、長兄は超能力者だった。
大学生の兄の部屋を訪れると、
曲がったスプーンがたくさん並べてあった。
やりかた教えて、と小学生の私が頼むと
いつも両耳をつまんで高く持ち上げた。

だから、ん、海外とは関係ないか。


思えば、次兄は変わり者だった。
教師をしていた高校に、オープンカーで通っていた。
私はそんなアホ教師の通う学校の生徒だった。

ある日学校に、
講師としてアメリカ人女性がやってきた。
お調子者の私はすぐに会いに行った。
底抜けに明るくてとてもいいひとだ、と思った。
彼女は長崎に8年間いた。
やがて日本を去る時、彼女は私の義姉になっていた。

日本語をまったく知らずに24歳で日本に来た彼女は、
感動的なまでに体当りの異国生活を見せてくれた。

"ドイナカの金髪ネーチャン"ってすごい存在で、
良くも悪くも大注目を浴びる毎日だ。
無邪気に手を振る子どもから
邪念を抱いて手を握ってくるおっさんまでいるのだが、
ひとつひとつ真剣に喜んだり悩んだりしながらも、
彼女は毎日ニコニコと笑みをたやさなかった。

いつも
「私はいつ死んでも後悔しません。
やりたいことやっているから、私はとても幸せ」
そう言っては、本当に幸せそうに笑っていた。

日本では長崎にしか住んでいなかったせいもあって、
電話の第一声は「なんばしよっとー」だし、
北海道に行って「クソ寒かー!」と叫ぶし、
故郷の両親へおみやげに買った博多人形のことを
"はだかにんじん"って言ったりもしたけど、
いつも真っ先に笑って、
まわりのひとを楽しい気分にしてくれた。


私が、
ちょうど彼女が日本に来たのと同じ24歳になったとき、
私はダンナと結婚してスペインに行くことを決めた。
たまたま、実際の移住の時期も、
次兄夫婦がアメリカへ移るのと重なってしまった。

日本へ発つ彼女を見送ってその両親が号泣したように、
私の親も淋しい思いをしただろう。
だけど
彼女が日本でそうであったように
私もスペインで一生懸命に毎日を過ごして
「いつ死んでも悔いがないほど幸せだよ!」と
心の底から思っているから、
勝手な話だけど、
少しは笑ってくれるかな?

実は、
どうしてここまでして海外に住むのか、わからない。
勝手でごめんね、
本当に、ありがとう。


そういえば、
スペインで暮らしはじめて、あることに気づいた。
私、いつも笑ってる。

ダンナの前では怒ったり泣いたりもするけれど、
玄関の扉を開けるときから、笑顔。
くじけ気味のときには、
鏡の前で何度も笑顔の練習をしてから外に出る。

笑顔でいると、相手も笑顔を返してくれる。
返ってきた笑顔で、本当の笑顔になれたりする。
ただ私の場合は笑い顔が相当バカっぽいらしくて
陽気なスペイン人にすら
「そんなに明るいやつは見たことねえや!」と
あとずさりされることも多いけど。

今になって思えば、
日本にいるときの彼女も、
そんな笑顔だったのだろうか。

いや、彼女も
ただのアホネーチャンなのかもしれないけどね。


そうだ、これを読んでくださった方、
日本で外国人と目が合ったとき、
(変なひとじゃないようなら)
よかったら笑顔を返してあげてくださいな。

たぶん嬉しいと思うんだ、
私がそうだから。

よろしくっ!

2001-05-01-TUE

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