ある映画の冒険の旅。
映画プロデューサーは
走り回るよ。

第9回 
<秋風に乗って感動届く!『うちへ帰ろう』本日公開!>の巻


『うちへ帰ろう』の予告編のナレーションをしてもらった
井之上隆志さんは、人気劇団カクスコのメンバー。
毎年、年末になると恒例の新作公演がありましたが、
残念なことに来年で解散してしまうそうです。
最後の新作公演がつい2週間前に楽日を迎えました。
カクスコのお芝居の内容は、
「あったかくてさりげない日常生活における
 6人のバカな男の物語」でした。
デジタル、高速、サイバーなど進化しつづける生活の中で、
なんだかフっと優しい自分に戻れるような気がするのが
カクスコの舞台。
まさに21世紀に持っていきたい世界観だっただけに
解散は残念です。
そんなお芝居を書く井之上さんの声は
『うちへ帰ろう』にピッタリでした。

さて、そんな温かさと正直さを全面に宣伝してきた
『うちへ帰ろう』がいよいよ公開初日を迎えます。
原題は「The Autumn Heart」(秋の心)なだけに、
当然「秋公開」のハズが、公開初日の9月2日は、
この夏一番の記録的な暑さ(気温39度)でした。
宣伝用に用意した「帰宅新聞」の1面トップ見出しは、
「秋風に乗って感動届いた!『うちへ帰ろう』公開」
秋風どころか吹いたのは熱風。
そして宣伝マンみんなで、
その帰宅新聞を銀座4丁目の交差点で手配りしたのです。
さも号外を配ってるようなフリをして…。
すでに映画を観た帰りのお客さんは、
お友達に紹介したいと言って
一人で5部持っていってくれる人もいたのですが、
通りがかりの人には、「あやしい宗教新聞」と
思われたのか、もらってもらえませんでした。
力作だったんだけどなー。

で、1時間くらい街頭にて過ごした後、
劇場スタッフの方と昼食会になったのですが、
公開までの忙しすぎる毎日の疲れか、
初日に思ったほど人が来なかったショックからか、
急激に具合が悪くなってしまい、ぐんぐん高熱が…。
館内ですすり泣きが聞こえる頃、
私はと言えばシネスイッチのチラシ倉庫のソファ
でぐったりと横になっていたのでした。

そして夕方4時頃、タイに向けて出発するため
成田へ向かったのです。

『うちへ帰ろう』を買い付けてから公開日まで、
本当によく働いたので一息入れようと
その日からバンコクでの休日を楽しむ予定でした。
この旅行には隠されたふたつの理由があって、
一つは来年公開するタイ映画
『アタック・ナンバーハーフ』の
プロモーション資料として のタイのオカマ調査。
そして二つ目は『うちへ帰ろう』の週数を決める会議に
物理的に出れなくなること。

『世にも奇妙な物語―映画の特別編』の中に
こんなセリフがありました。
「映画って観ようと思ってるうちに終わっちゃうのよねぇ」
そうなんです。
私の場合は前売り券を買った映画は
ほとんど見逃してしまいます。
『うちへ帰ろう』も、なんかあっという間に
終わってしまいましたよね。

どうしてなんでしょう?

丸の内にある大きな映画館など全国松竹系などの
チェーン興行の場合はブロックブッキングと言って
ある程度の公開週数は、映画が公開される前から
決まっています。
例えば『世にも奇妙な○○』などは、
撮影に入る前から2000年11月3日公開と
決まっていました。
ところがシネスイッチ銀座のようなミニシアターの場合は、
フリーブッキングと言って上映が決まった時点では、
どれくらいやるかはハッキリ決めず、
公開週数は、公開初日の動員数をもって、
劇場側がある程度の予測を立てる慣習になっています。
他にも前売券の売上枚数、宣伝記事が出た媒体数、
前評判、試写会での反応などの要素で判断されます。
『うちへ帰ろう』の場合は、
朝日新聞で沢木耕太郎さんの絶賛評が出るなどして
パブリシティも順調だったのですが、
やはり全体的に地味なのと、
まだ暑すぎて「じんわり感動に浸りたい」というより
『サルサ!』のような心を焦がす映画が見たい!
という雰囲気の中スタートしたのが災いし、
初日の初回動員数は、ガッカリの数字でした。
で、その後もあまりグングンと動員があがっていく
様子はなく、劇場側から
「いつ打ち切るか」という話が来ることは事前に
予測できたので、その話し合いを1週間でも遅らせて
ちょっと時間稼ぎしよう。
というのがタイに国外逃亡した理由でもあるのでした。
映画館で観た人の口コミが効き始めるのには時間がかかる、
2週目になれば動員数が上がるハズだ!
というのがこちらの見込み。
ちょっとセコイが時間稼ぎで、様子を見てもらいたい。
というのがホンネでした。
…確かに2週目はちょっぴり動員が増えましたが、
だからといってロングランするのに満足な数字ではなく、
しかも3週目からは、世紀の感動―オリンピック中継が
始まってしまい、開催期間中の2週間は
どの映画館も動員がどっと減る不運。
やはり作り物の世界より、生の感動ですからね、
オリンピックは。

タイから帰国すると真っ先に劇場担当者
(ここでは仮に山内さんとしましょう)から電話が…。
「タイはどうでしたか?こちらはかなり冷え込んでいます」
もちろん冷え込んでいるのは映画の動員。

山内「ま、状況は察していただけると思いますが、
   6週くらいが精一杯でしょうね」
安田「ですよねー。でもこれって口コミ映画ですから、
   絶対に尻上がりになってきますよ」
山内「まぁ、そうは言ってもなかなかそういうケースは過去
   データにもありませんし…」

実際に、どんなに評判が良くても週を重ねるごとに
ぐんぐん動員があがると言うケースはあまりない。

安田「そこをなんとか、私を信じて7週間で
   お願いします!」(もう懇願状態)
山内「そう言われましてもねぇ…それに安田さんがタイに
   行ってた1週間分、次の準備が遅れちゃってますし、
   次回の『ことの終わり』が評判が良くて、早く
   出したいんですよねー」

と、私のセコイ1週間抑留作戦はあっさり敗北。
公開2週目にして、6週間興行が決定。

実際にはどうだったかというと、
オリンピックの2週間は落ち込んだものの、
5週目、6週目と動員が伸び、しかも初日初回は、
シニア層が多かったのが、OL風のお客さんが断然増えた。
最終日の最終回はレディースディも手伝ってか、
上映1時間前でシネスイッチ銀座の前から
和光の角まで長蛇の列。
この状況を見て、支配人は
「お客さんがみんな『いい映画をありがとうございました』
 と言って帰っていく。こういうタイプの作品はこちらも
  少し辛抱してロングランする度量が必要でしたね」
と言って下さった。
が、時すでに遅し。
並ぶのがイヤで帰ってしまったお客さんの背中を
「DVD買ってくださいねー」
と見送る私。
次の上映だった『ことの終わり』は連日立ち見の大ヒット。
私の心にいち誰よりも早く冬将軍が到来した。
うー、さぶ。
(つづく)
2001-01-09-TUE


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