53
矢沢永吉、50代の走り方。

第32回 選手は、予想なんかしない。








今年のアコースティックコンサートでは
ツアー中に5人もメンバーを取りかえたり、
トラブルは、いくつもあったわけですけど。

……なぜ、メンバーをこんなに
取りかえなければいけなかったかと言いますと、
「それだけ、このあたらしい扉が未知のものだった」
ということだと、思うんですよ。

だからこそ、
「どうすればいいんだろう?」やればやるほど、
これは違う、あれは違う、あれはいい、これはいい……
はじまった最中で気づいたから、メンバーの交代があった。

考えてみてよ。
オレ、今年、53だよ。

53歳になるのに、
「この扉を開けたら、どうなるのかなぁ?」
ということに、正面から取り組める。気分いいね。

もうひとつ、その結果が賛否両論で、
ボロカス言うヤツもいるってのも、うれしい。
もちろん、大多数は、ものすごい好評なんだけど。

いつの時代でもそう。
ビートルズが出た時も、ボロカスに言う一派がいた。
見たことのないもの、触ったことのないものってのは、
みんな、不安なんだよね……演る本人も、聴くほうも。

そんな風なことが、すごくステキ。
いまは、そんな気持ちです。



           矢沢永吉・公式ホームページ
       「YAZAWA'S DOOR」9月のインタビューより





みなさん、こんにちは!

長いあいだ「53」を読みつづけてくださって、
ほんとうに、どうもありがとうございました。

矢沢永吉さんをはじめ、
矢沢さんの事務所スタッフのTさん、
作家の重松清さん、編集者の柳瀬博一さん、
漫画家の板垣恵介さん、そして、
レストラン経営の岡田賢一郎さん……。

さまざまな方の
実感に満ちたお話をうかがってきたわけですが、
このコーナー宛てにいただいた200通ほどのメールは、
それぞれ、いつも、とてもすばらしいものでした。

インタビューの内容として、
「年齢を重ねるにつれて噛みしめる感情」だとか、
「がんばっている人を見て、がんばるということ」
に焦点をあてていたせいか、いただく感想も、
それぞれの読者の方の歩みを反映したものだったのです。

『アー・ユー・ハッピー?』(日経BP社)で、
矢沢永吉さんは、つぎのようなことを言っています。

「めしがうまい、酒がうまい、家族が愛おしい……。
 これは、観客席にしがみついて、
 ことばの遊びだけでなんのかんの言ってるやつには、
 永遠にわからない歓びだろう。
 選手は予想なんかしない。
 勝ちたい、ハッピーになりたいと思うからこそ、
 試合に出ているんだ。現役として」


考えたり仕事をしている
まっ最中の人からいただくメールは、ちょうど、
矢沢さんがここで言う「現役選手」だよなぁと思います。

一般的な予想なんか、あまりしないで、
とにかく、一生懸命に、仕事をやっている人たち。

今回の最終回は、そんな方々のメールの中から
実感のこもった「53」への感想を、ごく一部ですが、
ご紹介させてもらいたいと考えました。

では、どうぞ、お読みくださいませ!







・53大好きです!
 私の、矢沢永吉さんに対するイメージが覆われました。
 53を読むと、自分に自信が持てます。
 私は生きてるよ!って思えるからです。
 私はフリーターで、パートのおばさんに
 「フリーターなんてダメだよ」
 とか言われて悲しくなるときがあります。
 私は自分の意志でフリーターやってる。
 でもフリーターっていうと、
 「意志の無い人」って思われる。くやしい!
 大人から見たら私なんて世間知らずのバカで、
 未来の自分が今の自分を見たらきっと恥ずかしい。
 でも今やりたいこと全部やる!
 恥ずかしい思いいっぱいする!
 分かってくれる人なんていなくてけっこー!!
 (映里23歳)



・この連載を、20回目の
 「公務員でいたら、ダメだ」
 という表題に惹かれて読み始めました。
 読み終わった時(お昼休み)、
 公務員である自分の目の前にある
 仕事のことを考えていました。
 この仕事は、なんのためにやっているのか。
 本当に、納税者の望ましい生活環境作りの
 一助になっているのだろうか。
 (部署は農林関係です。技師だけど、今は事務仕事)

 毎日、片道一時間の通勤、机においてある書類、
 自分の本当にやりたいことは傍らにおいて、
 猛然と書類を処理していく、
 そして、気がつけば31歳です。
 20代でなにをがんばってきたのだろうか。
 振り返ってみえると、自分の足跡は風に吹かれて、
 砂と一緒にどこかへいってしまったようです。
 今は、妻と子どもがいて、
 この生活を守るのに必死になっています。

 「53」の中で人生を語った先輩たちのように
 生きることができたら本当に幸せだろうと思います。
 自分の中にも、そういう思いの火種があったことを
 「53」が気づかせてくれました。
 自分自身を心の中に描いていきることが
 大切なんだと感じました。

 いままで、矢沢さんのことは全く知らなかったけれど、
 年末に矢沢さんが地元の市民会館に
 コンサートに来るので、見に行きます。
 (も)



・号泣したり、激怒したり、
 大笑いしたりって最近ないなぁ、と思いつつ、
 けれど、そのほうがラクとも思う毎日。
 年をとるってこういうことなのかな、なんて
 38歳にして偉そうに悟ったふりをしてみたり。
 なんか、大先輩(あえて呼ばせてもらいます)が、
 ストレートに「仕事が楽しい」って断言するのを見ると、
 「世間をつまんなくしてるのは自分自身だ!」
 なんて頭をポカポカ叩きたい気分です。
 (ますたろう)



・矢沢さんを初め、いろんな
 一生懸命生きている方のお話は
 本当に素直に、すごいなあと感心していました。
 今日、登場された小川三夫さんのお話も
 朴訥と語っていらっしゃるんですが
 すごいことがいっぱいあって、
 もっと、沢山聞きたくなりました。
 法隆寺や、薬師寺など行って見たくて
 仕方が無くなりました。
 本当に、読んでいてよかった。
 そんな事を、しみじみと感じた今日でございました。
 (よしこ)



・「53」、いいですね。
 迷って迷って迷いながら
 進んでいかなきゃって頑張ってるつもりのボクにとって
 応援されてるような気分になれます。
 今の岡田賢一郎さん篇,彼,僕と同じ歳ですよね。
 なんかおこがましいかもしれないけど,
 戦友が語ってるような気がして
 少し誇らしいような,でも「オレもやるぜ」な気分です。
 (なべ)



・「成りあがり」買いましたよ。
 53でものすごく盛りあがっていたので、
 そんならおらも読みたいべで、
 アマゾンで検索したら、24時間発送ですぐ買えました。
 これは・・・すごく・・・うわぁ。

 中卒で働いている友人がいるので、
 こんど彼にも貸してあげたいと思います。
 あぁ、これは、読んでよかった・・・
 毎日読み返したくなる感じで・・・圧倒的な強さ。

 自分は両親も健在で、そこそこお金もあって、
 学校にも(ぼちぼち)通ってますが、この本は、
 うん、もっと、読み込みたいと思います。
 さすがに、53に出演している方のような、
 カッコいい感想は、とても言えないんですけどね。
 でも、自分もあんなふうに生きたいです。
 (ね)



・「53」の板垣さんシリーズから広がった、
 「きれいごとパワー」推奨メール
 (「postman@1101.comから」上での特集)
 を何通か読んで、とっても元気が出ました!

 以前付き合っていた人から、
 「おまえはきれいごとしか言わない」ってよく
 責められていたんです。
 「もっと本音で話してみろ」と。
 わたしとしてはそのときの思いを偽りなく相手に 
 伝えているつもりだったのですが、結局上っ面を
 整えているようにしか聞こえないらしく、別れる時も
 「きれいごとは聞きたくない」と言われました。
 もっと本音で喋らなきゃ!
 メールを書くときも、なるべく言葉を
 選ばないようにしたりして、まるで
 「きれいごと恐怖症」みたいになってました。
 板垣さんやみなさんのお言葉を読んで、
 「きれいごとにもいいとこある!」と思えるように
 なったのは、大きな収穫です。もう無理しません。

 わたしもスナックでのバイト経験があり、
 最後にはママから店を任せたいと言われたほど、
 楽しんで働いていました。
 現在、バツイチのひとり暮らし。
 そう少なくない借金を月々返済しています。
 悲壮にならないのは、楽天的な性格ゆえかと
 思っていましたが、これも「きれいごとパワー」の
 なせる業なのかもしれませんね。

 「きれいごと」にするためにも努力は必要。
 この調子でやっていこうと、自信が湧きました。
 おしえてくれて、ありがとう!
 (C)



・ほぼにちは!板垣さんのインタビューを読みました。
 わたしは、短大から東京に出てきて、一流企業で
 OLを4年9ヶ月して、これは本当に
 背番号をつけベルトコンベアーで
 事務をしているような日々でしたがお金持ちでした。
 しかしそのあと、急に実家である秋田に帰りました。
 別に失恋でもなければ、病気でもないです。
 このまま自分は流れていくのかなあと思ったら
 18歳で離れてしまった故郷を
 再確認したくなったんだと思います。

 そして13年。37歳になって両親と晩御飯を食べながら、
 あれ?わたしの人生はこのまま行くのか?と思い、
 「もう一度東京に出たい、親が健康なうちに」
 と母に言いました。
 母は喜んで「行ってらっしゃい」と言ってくれました。
 よせばいいのに、2月1日吹雪の夜、
 夜行バスで上京したんです。
 我ながら「バカみたいかも」と思ってました。
 見送りに来てくれた母とスイミングスクールの仲間たちと
 わたしの滑稽で悲愴な覚悟は、今もリアルに覚えています。
 薬局をやっている仲間が、
 薬箱セットを差し入れてくれました。嬉しかった。

 上京して37歳の広く浅い経験を持つわたしは、とりあえず
 ワープロができたので派遣の仕事でしのいでいました。
 そしてそして今年、迷いの年齢45歳を迎えるわけです。
 去年、前の会社の上司たちと作った会社は、
 初めての決算を終え、わずかばかりの黒字を出しました。
 二年目は経営も強化していく布陣をしくことになっています。

 ……で、ここで、また秋田に帰りたくなってきたのです。
 ほとんど思いつきの人生だよなぁと思います。
 次なる思いつきは、50歳になったら
 ケーキ屋になるということです。
 行きたいと思っているケーキの学校は
 だいたい100万円かかります。土日のコースで二年。
 今の仕事をしながらお金を貯めようと思ったところです。
 45歳の誕生日は今度の土曜日です。
 結構楽天的です。そんなに人生甘くないって言われても、
 今はこの思いつきにどっぷり浸っています。
 わたしの人生だもんね。
 (匿名希望)



・たまにチョコチョコ覗く程度のほぼ日度ですが、
 永ちゃんが取り上げられたのを知り、一気に読みました。
 私も「成り上がり」をバイブルに、
 「人を動かす」を教科書に、そして
 永ちゃんライブを活力に、今日まで来ました。
 今年で36歳です。

 53の中では、柳瀬さんの話がとてもしみました。
 永ちゃんの影響を受けて、
 私なりのどん底から這い上がるべく、
 ただひたすら走り続けてきました。
 けれど私が目指したものは、
 アーティストではなく企業人でした。
 経営者です。
 ですから、どうしても成り上がりとのずれを感じ、
 自分の中で置き換えるのに必死だったのです。
 柳瀬さんのお話は、見事に
 成り上がりと私を結びつけてくれました。

 とはいえ、基本的には私の生き様も「成り上がり」です。
 プライベートも、家族の問題も、もちろん
 仕事も全て自己責任で「判断」してきました。
 不思議と、判断するたびに
 背中の荷物が増えていくのを感じていて、
 当然今でも背負ってるものはとても重たいです。
 重たいけれど、これが私の36年の歴史です。

 「たった36年だけど、頑張ってるよなぁ。
  よくやってきたよ。でもまだまだ先は長いよ。
  40になっても50になっても
  背中の荷物は軽くはならないだろうけど、
  自分がいいと思える時までは、
  自分から下ろすのだけはやめようね」

 そう、自分に言っています。
 53を読んで、思わずメールしてしまいました。
 (よ)



・私の夢は漫画家になる事ですが、
 絵が下手で、無理なんじゃないかという感じです。
 でも他に取りえというものがまったく無いので、
 あきらめられません。
 ほめられたい、という願望が常に常にありました。
 でも、「53」を読んで、そういう願望は
 自分だけじゃないんだと思えました。
 自分の事を、卑屈で嫌な人間だと思っていましたが
 自分が認められないと、
 心が閉じがちになってしまうものなんだと思えました。
 私だけじゃない、落ち込むのはやめようと思えました。

 板垣さんの文章の、自分がほめられて
 幸せな気持ちになって、
 他の人にもこの幸せをわけてあげたい、
 というようなことが書かれていた部分。

 プラスな気持ちは、どんどんプラスに
 広がっていくんだと感動しました。
 私も、そんな気持ちになれるよう頑張りたいです。
 (りゅうこ)






(※2か月半のあいだ、読んでくださり、
  ほんとうにどうもありがとうございました!)

2002-09-13-FRI


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