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矢沢永吉、50代の走り方。

第27回 仕事は、裏切らない。








できることなら、
実現してほしい望みがひとつだけある。

教科書を見ただけでアクビがでる、
本なんか何年も読んだことがない、
そんなやつに読んでもらえたら……
この本にかかわったスタッフは、みんな、そう思った。

ドブの中から、星が飛び出すこともある。

死んでしまえばいいような人間が、
たたんでいた翼を拡げて大空に舞いあがることもできる。
そんなことを、証明してくれた男が、現にいるではないか。

お金がなかったら、まわし読みしなよ。
いいと思ったら、あらためて買えばいい。

そういう本だ。



          『成りあがり』(角川書店・矢沢永吉)
           糸井重里の書いた、あとがきより







(※創作料理のレストラン経営者、
  岡田賢一郎さんインタビューの予告編をお届けです。
  次回からの話の核になる『成りあがり』についての、
  「ほぼ日」糸井重里による談話を、お楽しみください)



【糸井重里による談話】


 レストラン業界の岡田賢一郎さんに、はじめて、
 しかも偶然にお会いしたのは、1週間ほど前のことです。

 岡田さんは、若いころに
 矢沢永吉の『成りあがり』を読んで、
 えらい感動してしまって、
 そのまま今日まで、きてしまった。

 今では、40店だったかの経営をしているそうで、
 こころから感謝の気持ちをこめて、
 「永ちゃんが来店したときのための部屋」
 というものを、作ってあるのだという。
 新入社員には、『成りあがり』を配るんだそうです。

 こういう惚れられ方ってのは、すごいなぁ。
 惚れられる永ちゃんもすごいけど、惚れる人もすごい。
 醒めた目で見たら、
 バカだと思われるようなことだけれど、
 ぼくは、こういうバカをやり抜く力って、
 ほんとに尊敬してしまう。


 『成りあがり』は、しあわせな本です。

 「何度も何度も、
  いいなと思ったところに線をひきながら、
  何十年も、ボロボロになるまで読んでる。
  何年か経つと、線を引くところも、
  変わってくるのが不思議なんですよ」

 「13歳の頃に読んで、ほんとうに何もかも、
  あの本から学ばせてもらいました。
  あれがあるから、今も一生懸命やっています」

 ぼくは、『成りあがり』の聞き手として
 永ちゃんと一緒にあの本を作った立場ですから、
 ちょっと、手前味噌な話にはなりますけれど……。
 いろいろな人から、あの本について、本気で
 そんな風に言われると、ほんとうにうれしくて。

 こないだ、岡田さんに、はじめて会った時も、
 そういう話になって、泣きそうになりました。
 うれしかった。

 『成りあがり』があったから、
 ここまでやってこれました、という話を、
 たまに人から聞くのは、とても不思議な感覚なんです。
 若い時の自分に向けて、言われているって感覚。

 あの本を、永ちゃんにはりついて書いたのは、
 自分が30歳ちょっと前のころでした。
 自分なりに、それなりに何かをしてはいたでしょうけど、
 30歳前って、そうは言っても、
 「わからないまま走っているばっかり」の時期です。
 書いている時には、自分でも、価値をわかっていない。

 ほんとのことを言うと、
 ぼくはあのころの自分を、
 認めていないところがありまして。
 その当時の、ふだんやっていたことなんか思い出すと、
 「バカ野郎だなぁ!」という気持ちでいっぱいなんです。

 でも、その30歳前の自分は、
 バカ野郎ではあったけれど、
 ある時間を、その『成りあがり』に、かけていた。
 原稿用紙に手で書いていたんだけれど……
 「あぁ、その時、そうやって
  必死に書いていた自分っていうのが、いたんだなぁ」

 と思うと、ちょっとうれしいんです。

 ほめられると、
 「そのころの自分」が報われたような気がする。

 今のぼくからすれば、30歳ちょっと前の自分は、
 ほんとうにバカ野郎なんです。説教したいぐらい。
 お調子者で、いいかげんで……ロクでもないです。

 でも、
 「おまえ、いいとこ、あったじゃない!」
 その当時の小僧が、
 岡田さんに、握手を求められたような気がした。
 だから、ジーンとしちゃった。

 今の俺に言われてるっていう感じじゃないんです。
 「自分の息子をほめてくれて、ありがとう」
 という、そういう感じが、ありますね。
 そういう複雑な気持ちって、
 トシを取ってはじめてわかるんですけれども。

 だから、『成りあがり』について話すのって、
 今でもちょっとヘンなところがあって、
 妙に、キュンとくるんですよ。

 自分のことだから、
 自分のことはいちばんわかっていて、
 当時の自分の情けなさはよく知っているんだけれども、
 その「彼」がした『成りあがり』っていう仕事は、
 ほんとうに、一生懸命だったんですよね。

 「オマエ、よく仕事したじゃん!」
 そう言いたいぐらい。
 その時なりの、精一杯なんです。

 だから、ほめられたり、それにましてや、
 「ほんとうに、ありがとうございました」
 なんて、真正面から言われると……
 あの頃の、わかっていない自分が
 ほめられているようで、ちょっと気が遠くなった。

 岡田さんに言われた
 その「言われかた」にも、感動があった。
 スッと通じて、ものすごくうれしかったんです。

 さっき言ったみたいな、妙な気持ちがあったし、
 また、『成りあがり』を読んだり書いたりした
 岡田さんとぼくの両方にとっての時間が、
 こうして経過してきたんだ、ということに、
 「しあわせだなぁ」と感じさせてもらいました。

 13歳の頃の岡田さんが読んで、
 それを何度も何度も読みかえしてくれて、20数年。

 30歳前のころ、
 ぼくはぼくなりに他の仕事もして、
 誰かに何かの影響を与えてきたかもしれない。
 でも、あんな風に、20年以上も経ってから
 言われるっていうのは……よかったよね。

 いい仕事って、いいなぁ。
 仕事は裏切らない。そう思いました。
 時間が経って、はじめて知ったこともある。

 ケンカしほうだいのころの岡田さんが読んで、
 「ココに書いてあるコト、間違いじゃないよ!」
 そこから信じて、ここまでやってきたんですもの。
 その、岡田さんのプロセスにも、ジーンときた。

 当時、「何でもないヤツ」に対して、
 ぼくは応援したかったんです。
 「何でもない」……みんなが、
 自分のことを、そう思っているんですよね。

 何もしていないのに、
 「俺だけは、何でもなくない」
 って思っているヤツが、もしいたとしたら、
 それはおそらく、まちがいでしょう。

 たいしたヤツなんて、ひとりもいない。
 たいしたヤツだって言われるヤツって、
 「たいしたヤツ」に、「なった」んですよ。

 ちょっとずつ試しては練習したり、乗りこえたり。
 だから、『成りあがり』を、読んでもらいたかった。

 素質のあるヤツと、素質のないヤツの
 スポーツの世界での結果って、最終的には、
 素質のないヤツのほうが、上にいっています。
 スポーツの世界で金メダルを獲る人というのは、
 だいたいが、「いちばん才能があった人」ではない。

 いちばん才能があった人は、
 たいていは、どこかで二番手以降に抜かれていく。
 才能がないけれども、上を見て、
 なんとか頑張っていこうというヤツが残る。

 チームスポーツの監督なんかに聞くと、
 「才能のあるヤツは、途中でやめる」とか言ったり……
 そういう話って、ぼくは今でもすごく気になるんです。

 才能って、何だろう?

 「自分は、ある何かを持っている」
 と思った瞬間にダメになることは、やまほどあるし、
 「足りない」と思いながら隙間を埋める努力の尊さも、
 たくさん、目撃してきていると思うから。



(※次回からは、本格的に、
  岡田賢一郎さんへの、糸井重里による
  インタビューをお送りします。どうぞお楽しみに!)


2002-09-02-MON


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