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矢沢永吉、50代の走り方。

第24回 不自然だから、辿り着ける。








臆病さは、人間として素直な部分だと思う。

オレは天から選ばれた人間でもあるし、
本当は何もない男でもある。
両方わかってないといけない。

世の中で大成した人ほど、臆病だと思う。
臆病じゃなくて、とことんいける人は、
ただの無神経な人だ。
無神経な人は、抑揚がなくて、つまんない。

臆病っていうのは、ある種のレーダーじゃないか。



     『アー・ユー・ハッピー?』(矢沢永吉・日経BP社)より





 

(※漫画家の板垣恵介さんの談話を、ひきつづきお届けします!)


【板垣恵介さんの談話・その5】


 自衛隊をやめて、マンガを描いて5年経って、
 30歳をむかえてしまった。結果は、出ていない。

 矢沢さんは、昔から、
 「20代にがんばったやつだけが、
  30代のパスポートを手に入れられるんだ」
 と言っていましたよね?
 もちろん、ぼくの頭にもその言葉が意識されていた。

 「俺のパスポート、
  ぜんぜん、スタンプ押されてないよ!」
 焦りました。
 もう、恥も外聞もない。
 衝撃のデビューも何も、どうでもいい。

 頭をさげて、劇画村塾という
 マンガの塾に通うことにしたわけです。
 何が足りないのかを、こうなったらもう、
 客観的な目で学ばせていただこう、というか。

 もともと、スタートが遅いんだし、
 結果がすぐに出たわけじゃないんだから、
 「ヒトと同じことをやっていたら、絶対ダメ!」
 という危機感が、ものすごくありました。

 今思えば、そこからやってきたのがおもしろいけど。
 ずいぶん、不自然にやってきましたからねぇ。
 ぼく、「不自然」って言葉、好きなんです。

 メディアの中でよく語られる言葉に、
 「俺は俺らしく」とか「流れにまかせて」とか、
 「こうすることが、自然だよね」とか、よくあります。

 もちろん、日常生活はそれでいいと思うんですけど、
 こと、自分の悲願や大望だったら……。
 そこへ向かう時に、
 「自然にね」とか「自分らしく」なんて
 チンタラやってたら、絶対に実現不可能。


 よほどの大天才、ピカソとかビートルズとかなら、
 自然にやっているだけですばらしいのかもしれない。
 でも、ぼくらが目標を達成しようとする時には、
 そうとう不自然にやらなきゃ。

 「自分らしくない」
 「今までの自分だったら絶対に取らない手段」
 これ、ぜんぶ、不自然。

 矢沢さんが、広島を出てくる時だって、
 そうとう不自然なことをやったわけでしょう?
 夜汽車に乗って、東京に向かって鈍行が走り出す。
 以前、矢沢さんと食事をさせていただいた時、
 「もう、広島を出たひとつめの駅に着いた瞬間、
  『おいおい、冗談はこの辺にしておこうよ?』
  と、正直、思った」って言うんだもの。
 矢沢さんでも、そうだったわけです。

 ぼくにしても、24歳で辞めて漫画家を目指すまでは、
 それまで5年間、自衛隊にいたわけですからね。
 地位もそれなりについてきた、後輩もたくさんいる。
 そこで辞めたわけだから、退職手続きを出す時、
 「えらいこと、やっちゃってる」
 って思いましたもの。
 とんでもない、とっても不自然なことをやりはじめた。

 詩の言葉でよく聞く「自分らしく生きる」というのには、
 本当は、もっと深い意味があるのだろうと思う。
 そして、その言葉を表現した側には、
 確固たるものが、あったのかもしれません。
 しかし、その「自分らしく」という言葉を受け取る側には、
 それが、どうも隠れ蓑になっていると感じるんです。
 都合のいい駆け込み寺。
 これは、大望を抱く者にとって、とても危険なんです。
 だから、ぼくは、「不自然、最高だ」と思う。

 少なくともぼくにとっては、
 自分らしく生きて目的を達成したいなんて、
 「何気なく散歩をして歩いていて、
  いつか富士山の頂上にのぼれたらうれしいな」
 ってぼんやり思っているようなものですよ。

 よっぽど不自然な準備をしていかなければ、
 頂上になんかのぼれない。
 自分らしくないやりかたや、
 本来の自分では絶対にやらないようなことに
 踏みこんでいくというか。

 本来なら、やるはずもないことまで抱えちゃうという。

 そうやって、不自然にやってきたわけだけど……。
 うちのスタッフは、優秀ですよ。
 新陳代謝の激しいなかで、
 エキスのようなスタッフが、残ってくれてる。
 長い時間の中で、育ってくれました。

 「育てました」とは、言えないんです。
 ぼくは、背景屋じゃないから、
 例えば矢沢さんがドラムを叩けないように、
 自分のページの中でやれない技術がたくさんある。
 持ち場が、ぜんぜんちがいますから。

 自然淘汰の中で、13年一緒についてきてくれた
 チーフは、漫画界でいちばん切れる刀を描けるんだ。
 この人は宝ですよ。
 手なんて、ものすごいんだから。
 ……ちょっと、チーフ、来てみて!

 ほら。
 すごいでしょ?
 ぼくもペンダコぐらいはあるけど、
 チーフは、指が曲がっているんですから。
 ほんとに、いい仕事をする。
 ウマいんだ。ありがたい。

 矢沢さんも『成りあがり』で、デビュー前に
 「天才が、自分のところに集まってきてくれた」
 って書いていましたけど、ほんと、
 彼らのような天才たちが、支えてくれてます。

 マンガのアシスタントって言うと、
 「好きな仕事をして、メシが食えるんだから」
 とかなんとかいう悪い慣習があって、
 やっぱり、給料が少なくされがちなんですよ。
 それは、やっぱり、ダメなんだ……。

 専門家なんだから、サラリーマンよりは
 給料を取らなきゃダメだと思っています。
 アシスタントと言うよりは「背景家」なんですよ。
 ……まぁ、そう言うと本人たちは苦笑しますけどね。
 つまりみんな、もちろん、漫画家を狙ってるわけだから。

 さっき来てもらったチーフは、
 「いたがきぐみ」のスタッフではなく、
 役員として経営側にまわってくれてます。
 プロの漫画家として独立するのではなくて、
 ずっとぼくについてきてくれるという
 約束がなされたパートナーです。
 あとの人は、みんな、漫画家、狙ってるよね。

 ややもすると、編集は、
 アシスタントっていうことで
 軽率に接したりするんですけど、
 そういうことは、厳禁しています。

 「アシスタントだからって、
  どうか、クチの聞き方に注意してほしい。
  うちは、みんな君より古いんだから。
  いちばん下っ端だっていう気持ちで
  接してくれないと、追い出されますよ」

 最初に、まず言います。
 もちろん、編集のプロもいるんです。
 なかなかいないけれども、たまに
 作家の内側にある引き出しを開けてく人。

 ぼくらの手の届いていなかったところを
 ちゃんと見つけてくれる人だとか……。
 そういうプロもいるんだけど、
 たいていは、違いますから。

 だから、編集の人には、
 スタッフへの接し方に注意してもらってます。
 背景をやっている人っていうのは、
 本来は不本意な仕事をしているんです。
 「プロの漫画家になりたい」わけだからね。

 主役ではない「アシスタント」という
 立場に甘んじている限り、
 個人的な屈折もあるだろうし、
 ナーバスにもなるだろうし、
 「自分がどう扱われているか?」
 ということに関しては、ものすごく鋭敏なハズですから。
 だから、出入り禁止になった編集さん、何人もいますよ。



(※つづきます。感想はpostman@1101.comまで!)

2002-08-26-MON


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