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矢沢永吉、50代の走り方。

第4回 自前でやるということ。







いま、キツイと思ってるやつ。
誰も助けてくれないよ。

おまえが、そのまま自分のはぐれる気持ちを継続さすと、
ますます、まわりは「待ってました」とやってくる。

反撃したくないか。
反撃するって、どういうことか。

おまえ自身に負い目がなくって、自分で、
てめえの手でメシを食ってるんだという誇りを持つことだ。

           (『成りあがり』[角川書店]より)




誰かに依存していたんじゃ、
カンファタブルにはなれない。
誰かの情けやら義理やらをあてにして、
もたれかかっていたら、
いつでも不安に脅かされることになる。

オレは、いま生きるのがつらいって言ってる人は、
やっぱり、どこかに自分の生き方を
自分で決められないって背景があると思うんだ。
誰かの身勝手だの、景気の流れだの、
自分じゃないものの決めた通りに流されるんじゃ、
不安になるのは当たり前だからね。

依存から離れるってのは
簡単なことですよとは、オレだって言えない。
だけど、やっぱり、そうなんだ。
かんじんなのは、手前の足で立つことなんだ。


    (『アー・ユー・ハッピー?』[日経BP社]より)





(※矢沢永吉事務所スタッフTさんへのインタビューです)


ほぼ日 矢沢さんは音楽的にも、
または音楽業界との関わりとしても、
もしくは、ビジネスの面にしても、
いろいろなところで山あり谷ありで、
やってきたと思うんです。

さまざまな権利関係も含めて、
自分が作品をどう作ってどうお客に届けるかに、
人一倍さまざまなことを試してきた。
Tさんを含めまわりのスタッフの方たちは、
その動きを一緒に作ってきましたよね。
実際に、コンサート制作や興業も
矢沢さんの事務所で手がけているわけで、
つまりスタッフとして、
「矢沢さんが作曲をしたあとお客さんに届けるまで」
の、ほとんどすべてに関ってこられてきた。
そのあたりを、伺いたいと思います。

最初に矢沢さんのスタッフとして
仕事をしはじめた時、矢沢さんは何歳でしたか?

矢沢は34歳でした。
ぼくが矢沢とはじめて
仕事をしはじめた時のことはよく憶えています。
矢沢は今よりかなり、血の気が多かった(笑)。

ただ、ぼくも当時は25歳かそこらだったから、
ほんとうに必死になって仕事をしているだけ。
余裕って、ほんとになかったですよ。
毎日とにかくやることはいっぱいあって、
解決しなければいけないことは山積みだから、
矢沢がその頃どうしてたこうしてたということを
評論家のように語ることは、とてもできないです。

その頃はちょうど、
イベンターまでグルになった末に、
前のマネージャーに、
矢沢が裏切られたあとの時期でした。
矢沢はきっと、すごく
人間不信になっていたことでしょう。
一時期、スタッフは
事務をやっている女性ひとりだけでした。
ほかの人は、誰も身のまわりにつけていない。
アーティストなら本来しないようなことまで、
自分でやっていた様子を見て、驚きました。
……ただ、これがいい結果を生むんですけれど。

というのは、
そういうことをやっていたおかげで、
矢沢は今でも、
「ひとりで何でもできる」んです。
今、矢沢がレコーディングに行く時にも、
ぼくら、誰ひとりついて行かないんですよ。
レコード会社の人も行かない。
通訳なし、コーディネーターなし、です。

ほぼ日 ……うわぁ!
アメリカ人のプロデューサーと、
ぜんぶ自分ひとりで話しあって録音する。

向こうのミュージシャンたちに小切手切るのも、
ぜんぶ自分で、やるじゃないですか。
アメリカでの矢沢は、
ミュージシャンであると同時に
マネージャーでもプロデューサーでもある。
そこが強みなんです。
「自分でつかむもの」というか、
自分でやってるから見られるものが大きい。
文字通り、レコーディングのすべてを
目の当たりにするわけですからね。

通訳やコーディネーターを介して、
レコード会社をいっぱいひきつれてとなると、
現場でのミュージシャンどうしのつきあいも、
カタチだけになってきますよね。
矢沢は、ひとりで行って仕事をするわけで。

「オマエほんとにひとりで来たのかよ?」
「ひとりだよ」って、そこからはじまって
直接話しあってやっていけば、
「じゃ、矢沢、こんど酒飲む?」
そういう現地のつきあいになりますよね。
パーティーに呼ばれたり、親交も深まる。
そうしたら、矢沢のほうだって、例えば電話で、
「あのさ……今度オレ、
 日本でコンサートやるんだけど、
 ちょっと来てくれないか」
「おう、行くわ行くわ!」
そうやって、みんな集まってくるじゃない?
その集まりかたは、誰か人を介したのと
そうじゃないのとの、大きな違いがありますよね。
だからほんとに音楽的な財産になる。
人脈もつきあいも、自分で切りひらける。

ほぼ日 矢沢さんも、最初は英語も
ほとんどできなかった状態から、
アメリカに行くと決めて、
今では主にアメリカで、すべて誰も
間に入れずにコミュニケーションを取って
音楽を作れるようになった……
その、経験の蓄積を感じますね。

毎回、肌でやっていますからね。
矢沢は興味があったらどこにでも見にいくし、
「矢沢さん、アメリカに、
 こういういいプロデューサーがいますよ」
そう伝えたら、
「……じゃあ、一緒にやってみたい!」
そう言って、すぐに
コンタクトを取って会いにいくんだから、
まずカラダが先に動いちゃうタイプですね。
実際にやってみて、もちろん失敗する時もあるけど、
掴むことも、やっぱり、たくさんある。

ほぼ日 カラダが先に動いたまま、
矢沢さんの場合は、53歳まで来た?

はい。
……仕事をやっていると、
カラダが動かない人にも、会うじゃないですか。
すぐに「どうすればいいんですか?」と聞いてくる。

でも、ほんとは誰も、
現場でわかることなんて手取り足取り
教えてあげることなんてできない
し、
同じ内容のことを話したり実行したりするにしても、
実行する人の個性で状況が変わってしまうわけです。
だから、実はきっと、仕事って、
自分で経験するしかない
んだと、ぼくは思ってます。
指導をできないところがあるから、
仕事って、おもしろいんじゃないでしょうか。

ぼくはさっき言ったように
20代から誰でも教えてくれる人がいなくて
自分で調べるしかなかったわけです。
そうすると、まずわかりそうな人に、
会いにいって話を聞かせていただくじゃないですか。
会って話を聞いたら、今度はその人が、
「あの人に会ったらわかるかもしれないよ?」
そう教えてくれる。
その次の人とまた話して……その循環ですが、
確かにすこしずつわかってくるし、
聞いたものはぜんぶ新鮮で自分のものになる。
それに、真剣な話しあいをした人どうしは、
後々、おたがいのブレーンになりますよね。

ほぼ日 まるで、
「点が線になって、試行錯誤は
 あとでブレイクスルーのきっかけになる」
ということの、典型的な例みたいですね。

確かに、無駄なことは
どんどんやっているわけだけど、
それがつながるのが、おもしろいんですよね。
そこを、たとえば新人なのに
何も試す前から先輩にいきなり解答を訊ねて
一直線にわかった気になるのは、違うと思います。

一見スマートじゃなく映るかもしれないし、
恥もかくかもしれないけれども、
自分で飛びこんでいって、人間と会って
話さないと、だめなんじゃないかと考えてます。
「また聞き」であれこれわかったつもりになっても、
それは実際には使えない情報かもしれない。
パッと直に人に話を聞きにいけるというのは、
できるかできないかで、ずいぶん差が出ますよね。

いまは情報があふれていると言われていて、
テレビで見かけた、雑誌で読んだ、
そんなところで知ったかぶりになっちゃいますよ。
でも、実際のことは、たぶん、
ほとんど、自分で見ないとわからない。
そもそも、自分で確認しないと、
いいかわるいかさえ、判断できないのですから。

ほぼ日 矢沢さんが、40代をこえてから
コンサート制作や興業に至るまでも
事務所でやるようになった変化について、
うかがいたいと思います。
制作することに決めたという時期に、
事務所の規模を大幅に大きくしたんですか?

事務所の所帯は、ほとんど変わっていないですよ。
制作を外にお願いしていた時でさえ、
矢沢のスタイルは「全部自分で見る」でした。
だからそれまでも、振りっぱなし、
投げっぱなしにはしてこなかったんです。
そういう意味では、大きな規模の変化はないです。

ただ、確かにスタッフに大きな負担はかかります。
時と場合によっては、効率の問題を考えたとしたら、
費用対効率で言うと、外でやったほうが
ずっとラクなことは、それはもちろんありますよ。
ビジネス的に言えば、そのほうが儲かるかもしれない。

だけど、なんでそれを知りながらも
自分のところでやるかと言いますと……。
やっぱり、「おいしさ」があるんです。
自分で実際にやっているからこそ、
見えるものって、いっぱいあるんですよ。

ほぼ日 たとえば、どういうことですか?
今の話で言うと、
今回作っているアルバムのマスタリングは、
6回目をやってる最中なんですけど……(笑)。
マスタリングって、結局、色艶のことだから、
ふつう6回もやらないんですよ。
やることが、許されないと言っても過言じゃない。


でも、矢沢は、
それを6回できるように、システムを作ってきた。
「納得できないことは、納得できない」
そう言えるように、自前でやってるんです。

たとえば、今なんでマスタリングを
6回もできるか、というハナシになるんですけど。
ふつうは、レコーディングにすごくお金がかかる。
だから、会社がお金を出してくれている場合は、
「これ以上のマスタリングには、お金出せないよ」
「なんで3回も4回もマスタリングするんだよ」
そう言われたら、おしまいじゃないですか。
そこを自分でお金を出せば、自分の納得するまで
やればいいだけになりますから……。

一般の人はわからない話かもしれないのですが、
矢沢は、いわゆる原盤というのを、
自分でお金を出して作っているんです。

それもやっぱり、
「自分が納得のいくまでいいものを作りたい」
そういう理由からなんです。

「自分がやりたいことがあって、
 そのためにはお金がかかるけれども、
 お金がかかっても何しても
 そういうシステムにしないと、
 思いどおりのことが、できないなぁ」
矢沢はそう考えているのではないでしょうか。

「もっとクオリティをあげたい」
という単純な動機だと思うんです。
ふつうにやって、ふつうにできることって、
ふつうだから、「うまみ」がないんですよね。
こうやったらこうできる。
「できるだろう」だけだと、
新しいことが何にもない……それはつらい。
プロモーションにしても何にしても、
「なんでこんな新しいことをやるの?」
ぐらいの時のほうが、
矢沢もスタッフもものすごいやる気が出ますし。
それって、チャレンジ精神だなんだと言うより、
やっぱり、みんな「新しいもの好き」だから、
ということなんじゃないですか?
好奇心がとめられない、という。



(※Tさんの談話は、ここでおしまいです。
  次回からは、角度を変えてお届けいたします。
  「自分は、具体的にはこういう53歳になりたい」
  「このコーナーはこういうことを扱ってほしい」

  そうしたご意見やご感想などを、ぜひぜひ
  postman@1101.com
  こちらまで、お寄せいただけるとうれしく思います。
  のちのち、このコーナーで紹介していきますので!)

2002-07-10-WED


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