谷川俊太郎、kissなどを語る。
しかも、新作『kiss』を、「ほぼ日」で
1000枚限定特典付きで発売します。

もともと「ほぼ日」には谷川俊太郎ファンが多くて、
いっしょに何かできないかなぁと、
前々から思っていたのですが、絶好の機会がありました。

谷川俊太郎さんが、自作の詩を朗読して、
谷川賢作さんが、ピアノを弾いているCDアルバムが、
2月5日に発売になります。
「詩の朗読とピアノ」というアルバムは、
一般にはなじみがないけれど、
前作『クレーの天使』を持っている人ならわかると思うけど、
ひとりで聴いても、誰かと聴いても、
とても気持がよくて、こう、なんていうのかな、
心のなかに芽が生えてきてむずむずするような・・・・。
そういう感じになるんです。
いま流行中の「癒し系アルバム」より、
きりっとしているぶんだけ、聴きがいがあるんですよ。

しかもタイトルが「kiss」ですからねぇ。
この機会に谷川さんにお話をうかがって、
しかも、「ほぼ日」だけの非常識な方法で、
このアルバムの「臨時ショップ」を開くことにしました。
(谷川さん、1000枚のサインに、最初はびびってましたが、
いまじゃ、もう、おもしろがって、すっかりやる気です!)



第1回
やっぱり、知らない人に読んでほしい。


糸井 2月5日にあたらしいCDを出されるんですね。
谷川さん、CDのキャンペーンなどは、
なさるんですか?
谷川 詩集の場合は、出したからといって
キャンペーンをするわけでもないからね。
CD業界ってぜんぜん違うんだな、と戸惑ってます。
糸井 キャンペーンすること自体は、
谷川さんは、あんまりイヤじゃないんでしょう?
谷川 ……うーん(笑)。
糸井 疲れますか?
谷川 疲れますね、やっぱりね(笑)。
だって、自分のことを宣伝しなきゃいけないわけでしょ?
人の話をするんだったらいいんだけど、
自分のことをいろいろ訊かれても、
よくわかんないみたいな感じだよ。
糸井 つらいですよねぇ。
自分のことを言わなくちゃいけないときには、
ぼくはもう、引いちゃいますね。
谷川 でしょう?
糸井 でも、人のことになると、ぜーんぜん平気。
谷川 うんうん、そうなの。
糸井 谷川さんは、人の宣伝だけじゃなくて、
「これはいいよ」っていうのが、
とにかくとても得意な方なので。
谷川 うん、わりとぼく、
本のオビ書くのとか、好き(笑)。
糸井 ですよね(笑)。
いいとこを発見して、
それを伝えなきゃって思うような、
横丁のご隠居の、お手伝いみたいな。
谷川 いや、そうでもないんだけど(笑)、
糸井さんだってそういうことを、
すごいやってらっしゃるんですけどね!
糸井 まあ、ぼくの場合は、
仕事だってこともありますし。
谷川 うん、仕事ね。
ま、もともとはそうかも知れないけど、
でも、嫌いじゃないでしょ?
糸井 どう言ったらいいんだろう?
「こんなにいいのに、気づかないでいる人がいると、
 もったいない」(笑)。
谷川 なるほど。
糸井 それがちょうど職業になっちゃったんで、
いいんですけどね。
ただ、危ないのは、
紹介することが上手になりすぎちゃうと、
思ってもいないことでも上手に伝えられたり
しはじめます。
谷川 ま、そりゃ、詩人も
それを商売にしてるとこありますね。
やっぱり、美辞麗句で商売しちゃうから。
どうしても
「思ってることとは違う言葉が出てきても平気」
みたいになっちゃいますよ。
糸井 ええ。だから、それを防ぐ方法はやっぱり、
自分で「これはぜひ勧めたい」というものと、
そうじゃないものを、
理由はもう、説明できないけども、区別しないと。
谷川 うん、うんうん。
糸井 理由を説明してると、そのあいだに
やるべきだって思っちゃうから。
谷川 ああ、そうね。
そうですよね、きっとね!

糸井 このCDもそうだけど、
詩を書く人とか、表現する人というのは、
たくさんに届きたいっていう気持ちがありますよね。
谷川 それはもう、絶対ありますね。
少なくとも、ぼくにはあります。
ま、現代詩人の何人かには、
「もう、読者はいなくていい」とかいう人も、
過去はいましたけど、今はちょっと、
そうは思ってないんじゃないかな、みんな。
やっぱり、読者はひとりは欲しい、
3人は欲しいとかって思ってんじゃない?
糸井 うーん。3人っていうのもどうですかねぇ(笑)。
3人に手紙を出せばすんじゃいますし。
谷川 こないだある詩人と話をしたんですけどね、
その人がね、こんなことを言っていたんですよ。
えっと、
空き瓶に手紙入れて海に流すの、あるでしょ?
糸井 はい。
谷川 「なんか自分はそういう感じで詩書いてる」
って言ってました。
糸井 はあ、はあ、はあ。
谷川 誰かに届くかわかんないんだけど、
とにかく詩は空き瓶に入れて流す、と。
糸井 それも、やっぱりポイントは、
知らない人が読むってことですね?
谷川 そうですよ。
「恋人に読ませる」とかいうと
ちょっと違うものになっちゃいます。
やっぱり知らない人に読んで欲しいんですね。
糸井 谷川さんがこの前出された「クレー」のやつは、
思いもかけない人のところに届いた、
なんていう例はありましたか?

「クレーの天使」2002年3月に発売になった、
ピアニストでありご子息である谷川賢作さんとの
コラボレートCD第一弾。
詩画集『クレーの天使』(講談社刊)を自ら朗読した。
谷川 うーん、どうかなあ。
「クレーが好きな人」っていうのが、まず、いる。
それから「谷川俊太郎を愛読してます」って人がいて。
それらが一致する人がいる。
「谷川俊太郎って知らなかったけど、
 クレーが好きだったから聴いてみた」
というのは、ちょっと嬉しいんですけどね。
糸井 ほんとは、ぜんぜん、
どっちも知らない人のところに届けたいなぁ。
谷川 ほんとはね。
そういう人も、
きっといるんじゃないかと思うんですよね、
「なんかよくわかんないけど、
 買ってみたら良かった」とか。
でも、そういう愛読者カード的なものは
来てませんね(笑)、記憶では。
糸井 はぁぁ。
でも、この対談を読む人のなかには、
谷川俊太郎を知らない人が
まじっている可能性もある。
谷川 うん、うん、そうですね。
糸井 で、しかも、みなさんからのご意見は
すぐに来ますから。
谷川 そうね、それがすごいんですよね。
糸井 ええ。谷川さんとこに、ちゃんと
プリントして届けるようにします。
谷川 いえいえ、ちゃんと読みますよ(笑)。
プリントは、紙だのインクだの
たいへんだからね。

そういえばこないだ、関西の詩の同人雑誌が、
街頭調査をやったんですよ。
そのへんを通る人に
「谷川俊太郎、知ってる?」って訊いてみた。
そしたらね、意外だったんだけどね、
51%の確率で知られてましたよ、ぼくの名前。
でも、その数字は
「なんだっけ、その人。なんか聞いたことある」
みたいな反応も含めて、なんですけどね。
糸井 51はすごいですね!
谷川 でも「これで詩集がなんで売れねぇんだ」(笑)。
CDなんか100万枚ぐらいいくんじゃないかな、って
一瞬思いましたけども(笑)。
糸井 思っちゃいますね!
ぼくは勝手にそう決めてるだけかも知れないですけども、
いままでで言うと、
谷川さんっていう人は、ぼくの頭のなかでは
売れる詩人なんですよ。
谷川 はい。相対的にはそうだと思います。
けど、相田みつをには及びませんけども。
糸井 やっぱり相田みつをがいちばんなのかぁ。
谷川 そりゃもう、ダントツですよ!、と思います。
べつに数字知らないけど。
糸井 あの、短さがいいんですねぇ。
谷川 それと、手書きの文字がいいんですね。
糸井 (笑)相田みつをっていう人を、
ボロクソに言う人がすごく多いので、
そんなに言うことないんじゃないか、
ってよく思っちゃうんです。
谷川 うんうん、わかります。
糸井 インターネットの影響もあるんですけども、
普通の人の言葉のなかに、
詩がまぎれこんじゃうっていう例が、
どんどん増えていってるでしょう。
谷川 うん、そうですよね。
糸井 例えば、赤ん坊がしゃべった言葉でも
何でもいいんだけども、
それを誰かが発見してピックアップして
無料で、ばらまかれていく。
無理矢理に作ったキレイな言葉よりも、
そういう野草のような言葉が、そのへんに
ばらまかれちゃう。
その意味では、職業として、ぼくは
上手だとか下手だとかいうレベルで
考えてるものっていうのは、
もう商品化できなくなってるなぁ
と思うんです。
谷川 あー、なるほどね!
糸井 で、谷川さんは、もともとが、
野草探しが上手な方でした(笑)。
谷川 なにしろ、高校しか出てないからね(笑)。
糸井 (笑)いいな、それ!

<対談は明日に続きまーす。お楽しみに!>

●●●●●●谷川俊太郎さんの、詩の世界●●●●●●

花の絵

「美しい……」と日曜画家
「一億三千万です」と画廊
「下手っぴ!」と子ども
「ふーむ」と批評家
「ふん」ともうひとりの批評家
「破いちまえ!」と前衛画家
「ダイヤのほうがいいわ」とその愛人
「抑圧された性」と心理学者
「関係ねえよ」と暴走族
「美術界の腐敗である」と新聞記者
「雄しべの数が間違ってる」と園芸家
「言葉は無力だ」と詩人
「作者の生まれた年は?」と教師
「あとでギョウザ食べよう」と恋人たち
「匂いがないわ」とエコロジスト
「なむあみだぶつ」とお婆さん
「これこそ文化であります」と政治家
「栄養にします」とデザイナー
「私有する気はない」とお金持ち
「花より団子」と団子屋さん
「美を定義するのは美だ」と美大生
「蜜が吸えない」と蜜蜂
「これが私?」と花……

(絵ノムコウニ花ガ見エナイ
 絵ハ壁ノヨウニ目ヲ遮ル
 花ヲ描コウトシテ
 画家ハ絵ヲ描イテシマッタ)

   『魂のいちばんおいしいところ』(サンリオ)より
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第2回
人とつながれたという気持ち。


谷川 ぼくはけっこう父親の影響を受けてるのかもしれない。
ウチの父親って、哲学をいちおうやったんだけど、
ほんとに普通の言葉で書ける人だったの。
糸井 谷川徹三さんって、そういう方なんですか。
谷川 そうなんですよ。
で、ぼくは、それはいいなとは思ってたの。
日本の哲学用語っていうのは、
わけわかんないでしょ?
ああいうのを使わないで、書けてた人だった。

詩っていうのは詩語のようなものがあって、
とくに翻訳詩では、すごいきらびやかな詩語が
羅列されてたんだけど、
ぼくも、そういうのがなんか、
性に合わないなぁ、と思った。
糸井 じゃ、それは、幼いときから……。
谷川 書きはじめたときは、ま、そこまで考えなかったけど、
とにかく「詩で食わなきゃいけない」っていうのが、
わりとぼくは、最初っからあったでしょ?
だから、わかってもらわなきゃ売れない
みたいな気持ちは、強かったと思いますね。
糸井 そういうときにいちばん簡単に考えちゃうことは、
「詩を読むクセのある人のところに届ければ、
 その数だけは売れる」
っていうふうに、しがちなんですね。
谷川 うん、そう。
糸井 それはもう、推理小説であろうが、小説であろうが
ぜんぶそうだと思うんですね。
だけど、そうじゃない人のところに届くようにって、
最初から思ってらしたんですね。
谷川 10代の終わりに詩を書きはじめた頃には
無我夢中で勝手に書いてたんだけど、
原稿料もらってから考えるようになったんですよね。
「あれ!? お金になった!」(笑)、
ショックでね。
金もらう以上は責任を伴うから、
ちゃんと人に届くようなものを書かなきゃ、
っていうふうにはなりましたね。
ま、もともとあんまり難しいことを
羅列できなかったんですけどね(笑)。
糸井 ああ、若いときにお金をもらうってことの、
すごい感動っていうのは、
ぼくもいまでも、スッと思い出しちゃいますね。
ちっちゃいときに、賞をもらったりすることも
そうだと思うんです。
自分と関係なかったと思ってた社会から、
お礼というかお小遣いというか、
何かをもらうわけですよね。
谷川 うん、そうなんですよ。
糸井 あの感動は、いまもぼくは
正直言って、あるんですよ!
お金をもらうっていうことで表現されてることと
魚が1匹釣れちゃったっていうことと、そっくりで。

とくに大っきい魚かなんか釣れたときとか、
俺みたいなものが、これを取り出せた!と。
資源を取り出せたという意味でね(笑)。
ひじょうに原始的な感動があるんですね。
谷川 なるほど。

糸井 フッと思ったんですけど、
売春やる女の子とか、あれって、もしかしたら、
谷川さんが詩を書いて、お金になっちゃったときの
感動と似てるかもしれませんね。
同時に、ちょっと悪いかな?
って気持ちもあるかも知れないし。
ブルセラでパンツ売るだとか、
おっぱいを触らせてお金をもらう子だとかっていうのは、
「あ、自分はもしかしたら
 生きてて価値があるんじゃないか?」

って知ることがあるんじゃないかな。
谷川 あ、絶対それはあると思いますね。
ぼく、お金もらったときに、やっぱり、
なんか自分が、人とつながれたっていう気持ちが
すごい強かった。
そういうふうに人から評価されたっていうことが、
お金っていう表現で
ひじょうにはっきりわかった。
それはすごい重いことですよ。
糸井 重いですよね。
谷川 19か20歳のころですね。
そんときはあんまり重くなかったですけど、
だんだん重くなってったって言えばいいか、さ。
糸井 思ったよりずっと大っきい出来事だった。
谷川 日本の人って、
江戸時代からのサムライの何かか知らないけど、
お金を軽蔑してるところがあるじゃないですか。
我々世代には
「詩をお金に変えるとは何事か」
みたいなところがあって。
ま、そういう時代だったんですよね。
例えば大新聞なんかに書いて原稿料をもらうと、
「お前、裏切りモン」みたいな(笑)、
そういう時代だったんです。
糸井 そこまで、ありましたか。
谷川 当時はまあ、左翼系の詩人も多かったですし、
大新聞なんてのは、資本主義の手先みたいな
ことでしたからね。
そんななかで、原稿料をもらった。
普通の詩人だったら、
そういうことをあんまり重視しないわけね、
金っていうものは「計算外」にしとく。
でもぼくはわりと普通に育った人間だから、
金っていうものが、すごくリアルなものであって。
それがなんか、自分にとって、
責任を感じさせるものだっていうふうに、
わりと最初っからなってたんですよね。
糸井 社会と自分の関係みたいなものが、
ないと思い込みたい若いときに、
「そんなことないよ」って言われたような感じ。
谷川 いや、ぼくはね、
社会との関係は、お金でなくちゃ困ると
思ってたんですよ。
ほかに何で社会と結びつけるんだろう?
学校の先生とかもできないしさ、
ぼくはほかになんにも能がないでしょ?
糸井 高卒だし(笑)。
谷川 高卒だし(笑)。
だから、金っていうルートに、
すごくすがりついたみたいなとこありますね。
誰か金を払ってくれたんだったら、
俺の作品、なんかお役に立ってんだなぁ、と。
糸井 谷川さんの時代は新聞に原稿料もらって
書くっていうことが、ま、軽蔑されたんだろうけど、
ぼくらでもやっぱり、
金を考えるのは、いけないっていうような感じは、
やっぱりずっと残ってます。
そのことを自分のなかで整理するまで、
時間がかかりました。
谷川 あ、ほんと。
糸井 「俺は金じゃないよ」っていうと、
それだけですんじゃうんですよ、話が。
だけど、事実上、
そう言いながら稼いでいるわけだし。
稼いでない人は、
俺は稼いでないから何でも言える、
みたいなフリをしてるけど……。
谷川 うんうん、そうそう(笑)。
糸井 実際にはた目で見てると、
そういうやつのほうが、
ポロポロ金で転ぶんですよ(笑)。
谷川 ほんっと、そうね!
糸井 そういうのを見ていると怖いなーっていう気持ちと、
やっぱり、お金の向こう側にある、
何かしたいと思うことを実現するということは、
はたして悪なのかよ? って気持ちがあります。
どっからどこまでが悪で
どっからどこまでが善なのか、
決められない。
以前谷川さんとちょっとお話したときに、
「いちばんベースになってるのは欲望ですよね」
というような話になりましたよね。
谷川 ええ。
糸井 欲望があること自体を否定するっていうのは、
無理だよ、と思うわけです。
谷川 それは、そうですよね。
糸井 それは、何欲に関しても無理。
あとは、他人との関係で、
出しすぎたらおこられるし(笑)、
逆に迷惑がられたら欲望も実現しなくなるし。
そういうことのなかに、
いろんなことがあるんだろうな。
やっぱり、社会につながらないっていうことの寂しさ、
これは、死ぬまで続きそうだなと。
谷川さんはもう、走り回ってらっしゃるから(笑)。
谷川 いやいや、そんなことはないんだけど(笑)。
糸井 つながりを、自分でやっぱり
探し続けてますよね。
谷川 いや、もうぼくはわりと、
つながっちゃったっていう安心感ありますね。
というのも、
本でロング・セラーになってるのがあるんです。
そうすると、印税というかたちで
ポロポロお金入ってくるでしょ?
なんか、そういうのが一種の
社会とのきずなになる。
糸井 布石を持ったみたいな。
谷川 そう、一種ね。
安心していいのかどうかわかんないけど(笑)。



<つづきます。次をおたのしみに!>

●●●●●●谷川俊太郎さんの、詩の世界●●●●●●

天才

天才は灰色のコール天のズボンをはき
しわくちゃのTシャツを着てすたすた歩く
小走りに追いついて女は天才の腕にすがる
「素敵ね天才がふつうに街を歩いているなんて」
天才は天才だから素直に「うん」と答える
人ごみを歩いていても彼はひとりぼっちだ
だが誰も彼自身でさえそんなことに気づかない
「こないだ画いてくれた私のヌード
 友だちが二百万で売ってくれって」
マジックでチラシの裏に画いたいたずらがき
だが天才は天才だからお金をバカになどしない
「三百万で売りなさい」
「あんたはほとんど詐欺師ね」うっとりと女は言う
天才は天才だから別に詐欺師であっても困らない
天才の団子鼻のあたまに汗の粒が浮いている
夏の陽は天才の上にも容赦なく照りつける
一文なしのモーツァルトが埋葬されたのは
今日とは似ても似つかぬ日だったっけ

    『詩を贈ろうとすることは』(集英社)より

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第3回
生活にエピソードがない。


谷川 いまはそんなに、
社会と結びつきたいというふうに、
走り回ってるわけではないですね。
やっぱりいまはもう、
ぼくは遊び半分ですから。うん。

ぼくはひとりっ子だから、
あんまり人に会いたくなかったほうなんだけど、
だんだんおもしろくなってきて。
いろんな人に会って、新しいことをやるのを、
ぜんぜん無責任にやってますね(笑)。
糸井 「ひとりっ子で、人に会わない」っていうのと、
「外に出てったら、会いっぱなしになっちゃう」
っていうのは、
ぼくとまるでそっくりです。
谷川 あ、ほんと?
糸井 ぼくも、自分ではそうだと思ってるんですよ。
人にはほんとは会いたくないんです。
谷川 うんうん。
糸井 休みのときに何してるかというと、
ぜったい家にいる。
谷川 あぁ、うん(深くうなずく)。
糸井 そういう人間なんだけど、
何か理由があって、人に会うと、
おもしろくてしょうがないんですね。
谷川 それは、わかるんだな。
糸井 あ、なんだかお風呂に似てる。
お風呂に入る前って、面倒くさくって……。
谷川 うん、面倒くさいね(笑)。
糸井 つまんないテレビを観てるときでも、
これ観終わったら入るだとか、
仕事がひと段落したら、とか言うけど、
入っちゃたら後悔することはないんですよ。
谷川 ハハハハ。
糸井 1歩目踏み出すのは、
ちょっと抵抗がある。
谷川 うん……そうね。
ぼくはもう、だいぶ前から、
「まったく受注産業です」って
言ってんですけどね。
自分からこれがやりたいからやるっていうこと、
ほとんどないんですよ。もう、皆無なの。
ぜんぶ受注に応じる、
いっしょうけんめいさで仕事してます、
っていう感じなのね(笑)。

ぼくは、受注したら
もうぜったい全力投球するほうだから、
人は、すごく熱心にやってる、
というふうに見てくれます。
だけど、実際はね、
「どうでもいいんだけど、
 あんなに言ってくれんだから、やんなきゃなぁ」
と思って、やってるだけなんですよね。

でも、そういうきっかけでいいって、
ぼくは思うんです。
やっぱりそれは
社会とのつながりっていうことでしょう。
求められるっていうことは、すごい幸せなことだし、
運のいいことだから、
それはやっぱり感謝して、
受けなきゃっていう感じですね。
糸井 でも、最近ますますアクションが
多くなったような気がしますね。
CDにしても、
谷川さんがこういうかたちで、
本を読むっていうクセのある人以外のところに、
出かけて行って……。
谷川 だからそれも、誰かのアイデアで(笑)、
引っ張り出されて。
なんか、あれよあれよって言ってる間に、
こういうふうに、CDができる。
ぼくは、茫然自失しながら
仕事してるんですけど。ほんとに。


糸井 ……変な言い方だけど、
もともと谷川さんって、
自我が薄いんじゃないですか?
谷川 そう!
ほんと、よく見てますね、人のこと(笑)。
自我、薄いの。
糸井 自己主張はあるんだけど。
谷川 自己主張はね、
ギリギリまで詰められると、
猛然と!出てくるんです。
けど、そこにいくまではもう、自我が薄い。
そして、なんだか人を喜ばせたい。
これ、O型の特徴だそうですけども。
糸井 谷川さんには
「オレとは何か」なんていうテーマは、
あんまり……。
谷川 あんまり、ないです。
糸井 ねぇ?
谷川 ないです、ないです。
糸井 周囲の人間については、
例えば親とかまでを含めて、
「〜とは何か」を、
さんっざん考えるんですけど。
谷川 そうね。
糸井 「オレ」っていうのは、いつも空間で。
谷川 そうなの。
なんか、中空なんだ、
「オレ」は。
糸井 ハハハハ!
谷川 でもね、詩を書くには、
自我がないっていうことが、
ひとつの条件としてあるんだと、
ぼくは思ってます。

自分を空っぽにして
言葉を呼び込むのが
詩の書き方だというふうに思ってるの。

だから、自分は自我が薄いというのは、
詩に向いてるって思ってますね。
小説はぜんぜんそうじゃない。
糸井 違いますね。小説はきっと、
谷川さんには向いてないかもしれませんね。
谷川 ぼく、ぜんぜん書けないですよ。
糸井 そうですよね。あれ、大きい意味で、
演説ですもんね。
谷川 ああ。なるほどね!
なんかぼくは、物語というものが
作れないんですよ。
詩の場合には、場面でいいんですよ、
物語の一場面で。
ぼくは一場面は作れるんです。

ねじめ正一に言わせると、
「谷川さんは生活にエピソードがない」
って、断定するんですよ。
ぼく、けっこういろいろあるはずなんですけど、
そのへんが、見えないんだって。
糸井 それを褒め言葉にすると、
「透明感」とかに
なるんでしょうけど。
谷川 やっぱり自我が薄いんだな。
糸井 前々から怪しいと思ってたんですよ(笑)。
谷川 ぼくはやっぱり、
詩人は巫女みたいなもんだっていう比喩は、
正しい思うんですよ。
巫女って自分の言葉は語らないでしょ?
人の言葉を語って、
みんなが寄ってっちゃう。
糸井 どうして自我の薄さを
谷川さんに感じたかというと、
自分が、とても似てるんですよ。
谷川 うん、たぶんそうだろうと思う。
うん(笑)。
糸井 「で、お前は何がやりたいんだ?」
っていうのが、ないままに生きてきた。
それこそ受注産業で(笑)。
そうやって来ちゃってたんですけど、
何か変化したな、っていう気分はあるんですよ。
ひとつは子どもなんです。
谷川 へぇぇ。
糸井 でも、子どもに対して、
「俺のように生きろ」っていうのは、
なかなか難しいんです。
谷川 うん、うん。
糸井 つまり、空っぽがいいぞ、っていうのを、
言うわけにいかない。
谷川 それは、いかないね。
糸井 ですよね? おそらく、谷川さんのところでも、
息子さんが、修練の必要な音楽というものに
入っていった。
あれは谷川さんじゃないですよね、もう。
谷川 ぜんぜん違いますね。
糸井 「俺のように」ではなく
育てたんですね。
谷川 (笑)べつに育てたつもりはないんだけど、
育っちゃったんですよね。


第4回
お願いしたいほど。


 
糸井 自我がないまま生きてくっていうのは、
ものすごく難しいですね。
谷川 自我がないっていうのは
他人を傷つける
んですよね。
それはぼくにとって、いちばんの課題ね。
糸井 ぼくのほうも、そのとおりです(笑)。
谷川 ね。
糸井 永遠にアマチュアだし、
永遠に責任持たないし、
っていうことになりかねない。
谷川 それに、相手が「のれんに腕押し」みたいに
なってくとこがあるみたいね、
状況によっては。
糸井 痛いとこ出ちゃったなー!
そうなんですよ!!
でもぼくは、そこをちょっと
変えようとしてるんですよ。
谷川 うん。
ぼくも変えようとしてるんですよ。
糸井 いいですねえ。
21世紀にもなりましたし(笑)。
確かに谷川さんにも、変化を感じるんです。
自分の宣伝はできないんですよって言っても、
したほうがいいっていうことまで表明できる。
それはたぶん、昔はできなかったでしょう?
谷川 うん、かもしれませんね!
糸井 ぼくのほうは、単純なんです。
この仕事をはじめて、人を集め出しちゃったんです。
最初は「俺はどうなってもいい」って、
進化したようなこと、言ってたんですよ。
でも、自分の命が安いっていうことは、
やっぱり他人の命も安く見ちゃう
ことになる。
谷川 そうそう、そうだよね。
糸井 何かが違うんだろうなぁって、
ずーっと思ってたんですよ。
まず、釣りをやったときに
ボートの修理や釣りする場所を探すことから、
何もかもひとりでやらなきゃいけないということを
まず、感じる時代があったんです。

そのあと、仕事のある先輩から、
「頼まれ仕事」と「こちらからお願いする仕事」の
大きな違いについて、教わったんです。
人が頼んでもってくる仕事というのは、
頼んでくる人が
「そうなったらいい」と思って来るんだ、
って言うわけですよ。
谷川 なるほどね。
糸井 頼んでくる人のなかに動機があるんです。
だから、どんなにすばらしく見えても、
王様になって下さいっていうお願いがあったとしても、
ぼくが王様を引き受けることで、
頼んできた人にいいことがあるんです。
谷川 うん。そうだね。
糸井 「何を断って何を断らなきゃいいかっていうのも、
 わかんなくなっちゃうし、おもしろくないでしょ?」
って言われたんですよ。
どうしてもやりたいことだったら、自分から、
土下座してでも頼むでしょ? と。
例えば、愛だ恋だっていうのも、
頼まれたからいいよ、っていうだけじゃないですよね。
お願いしますっていうこともなきゃ(笑)。
谷川 なるほどね。
糸井 もともと自分がやんなきゃいけないことや
やりたいことを探さずに
サボってたのかな? って、
ちょっと思うようになって。
谷川 単に忙しかったから、っていうのも
けっこう大っきいでしょ?
糸井 それもありますね。
頼まれ仕事で「どうでぃ!」って言ってるうちに、
時はすぎていっちゃう。
でもいまは、頼まれた仕事を、1日置くんです。
すぐに返事しないで、
俺が頼んででもやらしてくれ、という仕事かどうかを、
1日だけ考えるんですよ。

例えばテレビの出演依頼があったときにも、
ありがたいことだから、
ハイっていう気持ちはあるんです。でも、
「こういう番組があると知ってたときに、
 俺は、はたして出たいのか?」と、
お願いしに行く仕事かどうかを1日だけ考えるんです。
お願いしますって言いたいな、と思ったときには
それこそ、全力投球。
俺が頼んだんだから、ということですからね。
半端に嫌々やってやるんだ、というような
生意気な態度は、なくなったんですよ。
谷川 うん、なるほどね。
糸井 これがね、ぼくの21世紀(笑)。
谷川 わかりやすいな。
なんか、わかりやすすぎんな(笑)。
糸井 全部が全部、そうなるとは限らないんですけど、
でも、モテてて嬉しいっていうのは
もうだいたいわかったので、
今度は口説きたくなったんです。
谷川 それ、実際の恋愛の場合もそうですか?
糸井 恋愛、しなくなっちゃいましたね。
谷川 ああ、そうですか。
なんか、実も蓋もない話で(笑)。
せっかく「kiss」ってCDもって
来てんのにさ(笑)。
糸井 ハハハハ。
恋愛はね、しないんですけど、
好きですよ、ものすごくいろんなものが。
所有なしの恋愛に、近くなってる。
谷川 うん、それはよくわかるな。
糸井 うん。私はあなたに属します、という関係を
持ってなくても、もう、いいんです。
お互いに嫌ってなければ、そっからまた、
ある瞬間、何か生まれるだろうし。
谷川 うん、うん(笑)。
糸井 それにもう、うちは、カミさんいますから。
それも野放しなんですけども(笑)。
好きですよ、とっても。
谷川 うん、うん。
糸井 気にならなくなったというか、
遠くで見てられるっていうようなところにきて。
谷川 うん、うん、うん。
糸井 はやくこうなりたかったんだなって、
つくづくいまでは思います。
谷川 やっぱりそれは、年の功ってこと、ありますよね、
たぶん。ぼくよりだいぶ早いけど。
ぼくもだいたいそんな感じなんです。
糸井 だいたいそんな感じですか。
谷川 はい。
でも、糸井さんの年ごろのときには、
ちょっとまだ、
そこまでいってなかったんじゃないかなと思う。
糸井 ただ、こう言ってはいても、
突然の台風が来たりしたときに、
どうするかは自分でもわかんないですね。
谷川 そりゃ、誰だってわかんないですよ、
ぼくだってわかんないですよ。
むしろ、それを待ち望んでるかもしれないし。
糸井 良寛様みたいなね。
あるのかな?っていう気持ちは、なくはないです。
谷川 そう。そりゃあ、ありますよ。
ぼくはいままで、恋愛も
どっちかっていうと受注産業的だったような
気がするのね。
だから「自発的にお願いします」という恋愛を
しようと思って、努力してます。
努力してできるもんかわかんないけどね。
なんか、そうでないといけないっていうふうに
思いますね。


<つづきます。次をおたのしみに!>

●●●●●●谷川俊太郎さんの、詩の世界●●●●●●

男の子のマーチ

おちんちんはとがつてて
月へゆくロケツトそつくりだ
とべとべおちんちん
おにがめかくししてるまに

おちんちんはやらかくて
ちつちやなけものみたいだ
はしれはしれおちんちん
へびのキキよりもつとはやく

おちんちんはつめたくて
ひらきかけのはなのつぼみ
ひらけひらけおちんちん
みつはつぼみにあふれそう

おちんちんはかたくつて
どろぼうのピストルににてる
うてうておちんちん
なまりのへいたいみなごろし

          『あなたに』東京創元社より

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第5回
混ざり合っているものを好きになる。


糸井 谷川さんは、モテちゃうでしょう?
これは、ご自分では
ハイともイイエとも答えにくいでしょうから、
まあ、勝手にそうさせていただきます。
谷川 はい。
糸井 まあ、理由はいくらでもあるんですけど、
とりあえず、谷川さんはモテちゃう、と。
そのときに、谷川さんは
受注産業になりがちなんですね。
仕事を引き受けるのと同じように(笑)、
悪くないな

いいかもしれない

とてもいい

という道をたどる……。

谷川 (笑)かなりそんなかんじですね。
ちゃんと自分なりに
責任をもって選んでるつもりだけど(笑)、
他人から見ると
そういうふうに見えるだろうなぁ、
ということは、自覚してます。
糸井 「いえいえ、私のほうこそあなたを」
というきっかけが、ひとつできたら、
成就してしまうんですよね。
谷川 うん、うん。
糸井 ぼくはね、10年ぐらい前に、
「土下座して『やらしてくれ』と
 1年に1回は言ってみたい」

と、友達みんなの前で言ったことがあるんですよ。
「俺はね、それだと思うんだよ!」って。
それは、愛も恋もなく……。
谷川 なくね。
糸井 ただ、やらしてくれと。
もう、額を地面にこすりつけて、
「たーのむから1回だけやらせてくれ!」
って(笑)。
谷川 でも、それ、
思っただけなんでしょ。
糸井 そうでしたねぇ(笑)。
谷川 やっぱり、口舌の徒なんだよ。
言葉の人なんですよ、糸井さんも。
糸井 そうなんです。
でも、ほんっとうに頼みたいほど
性的に魅力があるというのは、
どういうことをいうんだろう?
黄金にひれ伏すかのように(笑)。
谷川 もう、それはすごいことなんでしょうね。
糸井 「もしもできちゃったとしたら
 後でこうなるだろうな、ああなるだろうな、
 相手がしゃべったらやだな」
なんていう悩みも、
ぜんぶ抜きで土下座してる自分は、
もうイキモノそのものですよね(笑)。
ほんとに口ばっかりなんですけど、
それが……夢ですね。
谷川 いまでも?
糸井 いまでも。
恋愛はともかく、その「一発」というのが。
谷川 でも、そういう女性に会ったことが
ないんでしょ?
糸井 ないです。
でも、それをムードとして振りまくものは、
メディアのなかにいっぱいあるけど。
谷川 うーん。あるね。
糸井 ストリップはぜんぶそうだし。
胸を見えそうにして
「私キレイでしょ?」って
アピールしてるふうのコマーシャルは、
ぜんぶ、胸元にFOR SALE って
書いてあるわけですよ、その瞬間は。
でも、その人が目の前に現われたときには、
演出がすべて抜きになりますから、
土下座できる力までは……ないでしょうね。
谷川 と、思うなぁ。
糸井 でも、こちらにそのポテンシャルはないかというと、
ポテンシャルはあるんだと思うんです。
ただ、……見えちゃいますから。
谷川 そうそうそうそう。
そうなの。
糸井 ひとりの女の子だよ、ってなっちゃったときにね。
だけどぼくは、ちょっとだけ怪しいと思ってるのは、
年上について、ですね。
谷川 うーん。
糸井 相手の年が上だった場合には、
見えないかも!
谷川 ぼくはこないだ、デュラスの映画を観ました。
38歳くらいの年下の男の人と
デュラスが同棲する話なんです。


「デュラス 愛の最終章」
作家マルグリット・デュラスが、
38歳年下の男性ヤン・アンドレアとの
愛の軌跡を描いた作品。
監督:ジョゼ・ダヤン
出演:ジャンヌ・モロー、エーメリック・ドゥマリニー。
糸井 はぁ。
谷川 でもそれは原作では
男の人はゲイだったっていうふうに
なってるらしいから、
どこまでスキンシップがあったのか
よくわかんないんだけど。
ジャンヌ・モローの顔を見てるだけで
飽きない映画でしたね(笑)。
糸井 すごいですね。
谷川 究極の年上の女(笑)。
糸井 谷川さん、もしジャンヌ・モローが
そばにいたら、どうでしょうね?
谷川 どっちにしろ、受注はイヤだね。
こっちが迫んなきゃあ。
糸井 そうですよね!
谷川 うん。
相手がもし80歳ぐらいの女の人だったら、
こっちがほんとに夢中になんなきゃさ、
つまんないですよ。
引きますよ絶対、むこうから来たら。
糸井 むこうがニュートラルな感じでいて、
好意はある、という状況がいいですね。
谷川 うん。
糸井 それがジャンヌ・モローであるとして、
場所は谷川家で、
まあ、谷川さんがひとりで
パンでもかじってるときに、
フッと現われたら、どうしましょう?
谷川 うん……どうしましょう、って(笑)。
それは、とりあえず、
まあ、おコタへでも入って、
ワインでも、とか、言いますね。
何語で言うのか、よくわかんないけども(笑)。
糸井 まず、お互いに「ゆるめる」わけですね。
谷川 ん、そうそうそう。
糸井 社会を。
谷川 関係をね。
糸井 その気はありますね?
こりゃ、どうも。
谷川 でも、なんで私のところへいらしたんですか?
という疑念がどうしても湧きますよね(笑)。
糸井 ハハハ!
それも社会ですね。
谷川 困っちゃうなぁ。
糸井 ジャンヌ・モローっていいたとえですね、しかし。
すごいおばあさんですよね。
谷川 80歳近いくらいですよね。
でも、魅力的ですよ。
糸井 その、映画ではやっぱり、
十分に、きますか?
谷川 きますって
どういう意味?
糸井 感じるものか(笑)、と。
谷川 糸井さんはわかんないと思うけど、
ぼくぐらいの齡になると、
そこんところはもう、
ほとんど区別がつかないですね。
性欲だけっていうふうには、
なかなかならないから。
糸井 それは、ぼくでもそうです。
谷川 そうですか?
糸井 ええ、正直言うとそうです。
谷川 「人間的魅力とそういうものとが
 混ざり合っちゃってるものの魅力」なんです。
まったく性的な魅力がないと
ちっともおもしろくないですよね、男も女も。
ジャンヌ・モローの場合には、
ちゃんとそういうものもあって、
人間的にも、なんかおもしろそうだなぁ
という感じがして。
糸井 うーん。
その「いっしょくたになってる」ということを、
ほんとはもう、
みんなわかってるんですよね。
谷川 そうだと思いますよ。
糸井 若いときからね。
谷川 そうそう。
どっちかが突出しちゃって、
どっちかのほうに意識が行っちゃうだけで。
実際には、混ざっているんです。

<つづきます。次をおたのしみに!>


第6回
日本語にアイラブユーは、ない。


糸井 でも……言葉で、ほんとに
どこまで口説けてるんでしょうか?
谷川 日本人というのはやっぱり、
言葉を重視しませんよね。
言葉の作りだしてくるものをそんなに、
重大に、倫理的に、受け取らないとこがある。
「プラクティス」っていう
アメリカの弁護士事務所のドラマがあるんですけど、
それは、弁護士と検事のあいだの弁論や
裁判の有罪無罪の駆け引きがあったり、
陪審員をどのように説得するかがあったり、
もう「言葉、言葉、言葉」だらけなのね。
「言葉」というものが、
ほんとに人間関係を動かすんですよ。

ザ・プラクティス(The Practice)
アメリカABCネットワーク放映の裁判ドラマ。
1997年より放送開始。
制作 David E. Kelly Production
糸井 うん、うん。
谷川 でも、日本語はね、
政治の世界なんかを見てると、
言葉で動いてる関係は、
ほとんどない。

ま、「金で動く」というのは、
もしかするとどこの国でも同じかもしれないけど。
日本語の場合には、
言葉の重みというものが、
英語やなんかとは違うところにいっちゃってる
という気が、すごくするんです。
論理的な、散文的言語の力っていうのは
あんまり信用していないんですね。
言葉で約束しても、
「ま、あんときはああいうふうに言ったけどさ」
というように(笑)、
行動のほうで裏切っても平気。
だから、人を口説くときにも、
日本語に‘I LOVE YOU’って言葉は
ない
わけでしょう。
つまり、「私はあなたを愛します」っていう言葉は、
あり得ないわけ。
糸井 ええ、そうですね。
谷川 だけれども、詩歌の言葉の力に関しては、
日本人は、わりと敏感だと思う。
I も YOU もなしで、
「惚れてるぜ」とか「好きだよ」とか
言ってるわけだから、
そういう訴え方って、ぜんぜん論理ではない。
ムードというか、
ほとんど詩の訴え方なんですよね。
糸井 うん、うん。
谷川 そこんところの違いは、
すごくおもしろいなと思います。
言葉は確かに人を口説くわけだけども、
口説き方にもいろいろあって、
たぶん日本人は、恋愛のときは、
詩的言語で口説いてんだろうな、と思います。



糸井 人がどんなふうに口説いてるかは、
バラエティ番組でタレントが言ってること
くらいしか聞こえてこない。
けど、世の中で、
口説いてないってことはないわけで。
谷川 そうだよね。
糸井 カップルがあんだけ
できてるわけですから。
谷川 うんうん。
糸井 婚姻に関わる分は「結婚しよう」だと思うんだけど、
ほかは、何なんだろう?
誰が何て言ってるんでしょうね?
ナゾなんですよ(笑)。
谷川 いや、土下座かもしれないじゃないか(笑)。
言葉のない土下座かもしんないし。
糸井 ハハハハ。
ぼくらの若いころだと、
「1回寝ちゃう」ことが、
言葉のない言葉で「約束したぜ」という、
ハンコを押す仕事でしたよね。
谷川 そうそう、そうですよね。
糸井 でもいまは、
ハンコはベタベタ押していいんだ。
谷川 うんうん。
糸井 押された側も「次のハンコもあるし」と思ってる。
あのゆとりは、なんか
世の中を大きく変えてるような気がするんですよ。
谷川 たぶんそうだと思いますよ。
糸井 だから、愛の言葉というものが
どこにどうあるんだろう?
と、思うんです。見えないんですよ。
谷川 日本人の場合には
ま、携帯のメールぐらいの言葉は
使うかもしれないけど、
それでもう合意が成立してしまうみたいな
感じがしますよね。だから、ほんとに、
「私は、あなたのことを、
 愛しているから、寝ましょう」
みたいなのは、ぜったい言語化されてないと思う。
糸井 されてないですね。
谷川 やっぱ行動で、
以心伝心みたいにして、
ホテル入っちゃうんじゃないですか?
きっと。
糸井 若い子の間では
「告る」っていう言葉がいま
あるようです。
谷川 コクル?
糸井 ええ。
「告白する」っていう意味です。
谷川 はぁぁ。
糸井 「もう告ったの?」とかね、
言うんですよ。
つまり「I TELL YOU.」っていうやつです。
谷川 でも、どういうふうに告ってるんでしょう?
好きだよ、とか、言うのかなぁ。
糸井 ドラマとか見てる感じでは、
「つきあってくれ」という言い方は
よくしているみたいですね。
谷川 うん、そうだね。それはあるね。
糸井 「つきあう」というのは、
英語で何と言うんだか知らないんですけど(笑)、
ま、「交際してくれ」ってことですね。
そのやり取りがされると、
いちおうお約束が成り立つらしいんですよ。
「告る」の中には、そういう
ステディな関係を結ぼうっていう、
約束があるんじゃないでしょうかね。
谷川 ほんと?
糸井 ええ。ステディな関係のときには、
ほかの子と何かあった場合には、
フタマタって言われて批難される。
谷川 批難されるんですか?
糸井 ええ、されるんです。
だから、ほかの子のことは、
内緒なんですね。
谷川 ふむ。
糸井 実際やってたとしても内緒なんだから、
倫理としては、
一婦一夫制の形態を。
谷川 まだ、残ってんだ。
糸井 残ってますね。
谷川 ふーん。
糸井 私はたくさんつきあってるわよ、
あなたもそのうちのひとりよ、
っていうかたちにはなっていないみたいですね。
谷川 なるほどね。


<つづきます。次をおたのしみに!>

●●●谷川俊太郎さんの、詩の世界●●●

十ぴきのねずみ

 おうみのねずみ
 くるみをつまみ

 さがみのねずみ
 さしみをうのみ

 つるみのねずみ
 ゆのみでゆあみ

 ふしみのねずみ
 めやみになやみ

 あたみのねずみ
 はなみでやすみ

 あつみのねずみ
 むいみなそねみ

 きたみのねずみ
 はさみをぬすみ

 いたみのねずみ
 かがみがかたみ

 たじみのねずみ
 とあみがたくみ

 おおすみねずみ
 ぶきみなふじみ

  『ことばあそびうた』(福音館書店)より

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第7回
俺を好きなの? 詩を好きなの?


糸井 谷川さんは、詩で、
さんざん愛のうたをお書きになってるけども……。
谷川 さんざんか(笑)。
そんなに書いてんのか。
糸井 ぼくね、以前、矢野顕子と
何かの本の仕事のときだったと思うんだけど、
谷川さんは詩を仕事にしていて、プロで、
それをピアニストみたいにいつも弾いてるわけだから、
言葉を受け止めさせて、さらっていっちゃうのは、
つまり、「兼ねてる」のはずるいよねって(笑)、
話した憶えがあるんです。
谷川 なるほどね。
ハイ、さんざん書いてますが(笑)、
それで?
糸井 ご自分では、
これは「2重に通用する」ということを
思っていらっしゃるんですか?
谷川 (笑)、あのぅ、ある人に、ええと、
ラブ・レターを書きました。
そこに、詩的な、ちょっとした表現が
1節あったんです。
その詩的な1節が、わりとうまく書けてるから、
雑誌に発表しよう、と思ってしまったんです。
でも、さすがに無断ではまずいんで、相手に
「こないだの手紙のここの部分を、
 詩にして雑誌に発表したいんだけど」
って言ったんです。
ちょっと呆れられたんだけど、
「ま、いいわよ。じゃあ、コピー取ってあげる」
って言われたのね。そしたら、ぼく、
「もう、コピー取ってある」(笑)。
糸井 ハハハ、うんうん。
谷川 そういうふうに、
実生活と混じりあってるものもあるんですけども、
でも、ほとんどの場合、
そういうことはなくて。
糸井 わけるんですね?
谷川 うん。詩は、フィクションとして
書いてるのがほとんどなんです。
糸井 実際に、ほとんど?
谷川 だれか具体的な相手がいて、
その人に気持ちを込めながら書くということが
ほとんどないんですよ。
もし、特定の人のことを思い描きながら書くときは、
恋愛詩じゃなくなっちゃったりする。
違うものになっちゃったりします。
糸井 はぁぁ、なるほど。
谷川 だから、実際に読んで口説かれちゃったとしても、
私は責任とれませんよ、
っていうふうになっちゃいますね。
つまり、詩作品と詩人は、
ひじょうに微妙な距離があるものだから、
同一視してもらっちゃ困るって、
ぼくは、しょっちゅう言ってるんですけど。
糸井 うん、うん。
谷川 現実に、例えば誰かが
ぼくのことを好きだ、と言うとします。
よく美人の女性が
「あの人は私の顔めあて。
 顔がキレイだから好きだって言ったんでしょ」
って言うでしょ?
おんなじ心理になりますよね。
この人は俺の詩が好きだから、
俺のこと好きだって言ってんじゃないの?
糸井 複雑ですねぇ。
谷川 いや、複雑じゃないですよ(笑)。
バカみたい!
糸井 美人のほうは、
なんとなく人格とわけられるけど。
谷川 そうそうそう。
「じゃあ、詩を抜かしたら、おまえ何なの?」
って言われたらさぁ、もう、困っちゃうわけですよ。
自分が自分の書く詩と一体化してるから。
「詩とは切り離して俺のこと愛してくれよ」
って言ったら、
「じゃ、あんた、ただのジイサンじゃん」
みたいな話になっちゃうわけでしょ?
糸井 以前、松本人志が、
「本業のお笑いを口説くときに使うのは反則だ」
って言ってました。
笑かして口説いちゃいけないって。
谷川 そうか。
ぼくもほとんど、
本業の詩を口説きには使ってません。
さっき言ったのは、まれなケースですから(笑)。
口説きが先で、それを雑誌に出したんだから。
糸井 おそらくぼくも同じことがあるんですよ。
日常でうまいこと、
たまたま言葉が出ちゃったときには、
ものすごく申し訳ないというか、
「あっ、出ちゃった、ゴメン」
という感じになるんです。
そういうつもりはなかったと、ただ思ったんだよと。
でも、そのことがまた、口説きなんですよね。
谷川 そうですよ。
糸井 「ほんっとに思ったら言っちゃったんだよ」
というほうが、悪辣ですね、結果的には(笑)。


「kiss」レコーディングのときの、谷川さんです。
糸井 谷崎潤一郎とか金子光晴の
ラブ・レターが出てきてて、
いまぼくらはそれを読むことができるわけだけど、
ひどいですね(笑)、生々しくて。
谷川 そうね。
糸井 「何とかちゃんが可愛くて可愛くて」とか(笑)。
だけど、もしそれが作品だとしたら、
そっちのほうが力はあるんです。いま読むと。
谷川 それは、そうですね。
糸井 困っちゃうんですよ、読んでて。
「何とかちゃんが可愛くて可愛くて
 もういまでも飛んで行きたいぐらいです」
って書いてあるほうが、金子光晴の詩より、
じかに、胸をつかまれるようなところがある。
詩人は大変なことだな(笑)、と。
谷川 ただ、その手紙は、
ほんとに本音が書いてあるかっていうと、
その部分も、もしかすると
作ってるかもしれませんからね、
詩人なんてね。
ここにはこう書いたほうがいいんだ、というような
計算が働かないとは限らない。


<つづきます。次をおたのしみに!>


第8回
心に詩ダコができる。


 
kissレコーディングのときのようすです。
糸井 つい最近、石川啄木のラブ・レターが
発見されましたよね。
谷川 うん。
それで、相手は男だったって(笑)。
糸井 あれ、おかしかったですね。
谷川 おかしかったね。
糸井 でも、石川啄木の、
あれだけのだまされやすさというか、
あの素直さが、詩人の資質だと思う。
谷川 うん、ほんとそうです。
糸井 さすがだな、とぼくは思った。
で、我慢して悪びれずに、
「いや、いいですよ」みたいにしてる。
谷川さんもやっぱり、
だまされやすいほうでしょうか?
谷川 ああ、もう絶対に
だまされやすいと思いますね。
糸井 ですよね、きっと。
だまされるときのきっかけは、
何ですかね?
谷川 簡単に言っちゃえば、
世間知らずってことでしょう(笑)。
ほんと、単純に答えて悪いけど。
人間にしつこく関心を持てないという部分が、
詩人には、あるような気もするんですけど。
ま、そうは言いきれないかもしれないけど、
人やものごとの「裏の裏」を読むようなことが
苦手な人が多いんじゃないかな?
糸井 その「裏の裏」に
想像力が及ばないとは
言わないけれども。
谷川 書くときには、そのぐらい書けるんです。
でも、実際のつきあいのなかで、
なかなかそういうふうに気持ちが動かない。
もっと素直、というか、
もっと幼稚、といえばいいか、
そういうふうにしたい。
要するに、詩人っていうのは
美しい感情を持ちたいんですね、きっと。
糸井 そのほうが自分が生きやすいから。
谷川 そうなの、楽だから。
ものすごい憎んだり、
ものすごい疑ったりとかいう感情を
持ちたくないから、
いいほういいほうに
自分を駆り立てちゃうんじゃないかしら、
……というような気がします。
糸井 それは、ありますね。
想像力が及んでいないのではないんだけど、
そっちを考えると、自分が辛くなる。
谷川 そうだね、「世界観が傷つけられる」と
いえばいいかな。
詩人というのは、わりと
そんなにねじ曲った世界観を
持ってない人が多いような気がするの。
たとえそういう表現を取ってても、ね。
一種、理想主義的な世界観を持っていて
それと相反することはしたくない、
というところが、どっか、あるような気がしますね。
糸井 それは、詩人になっちゃうことで、
ますます増幅されていくんでしょうね。
谷川

うん、そうなんです。
どんなに人を傷つけるような憎しみに満ちた詩でも、
作品として見たときに
美しくないといけないわけでしょう?
そういうものをめざしてると、やっぱり、
日常での感情生活に影響を与えますね。

糸井 うーん。いまのは、大っきいことですね。
政治家は政治家の世界観というものがあって、
「だましだまされ」してる。
それぞれの楽しみの世界があるっていうことは、
ぼくらは知ってるんですよ。
あの……ぼくは、
詐欺師の物語を読むのが、すごい好きで。
谷川 あー!
糸井 詐欺師って
善悪以外では、すばらしい表現者なんです。
谷川 そうですよ。ほんと、ほんと。
糸井 運も絡むし、
共犯とか、世の中の動きとかが
全部が絡んでいて、
よくこんなことができたよなっていう、
大作品を作りますよね。
あれを大好きな自分っていうのがいるんだけど、
違うがゆえに好きだっていうこともある。
その部分まで全部呑み込んで
なおかつ表現がしたい、というか。
谷川 うんうん、そうね。
糸井 そういうのが夢なんですけどね。
谷川さんの世界観は、詩人をやってることで、
増幅されちゃってるんだ。
谷川 自分では、
詩を書いてることが
実生活に影響を与えてるなんて、
ずーっと長いあいだ思ってなかったんですよ。
だけど、年を取ってくるにつれて、
だんだんそういうことに
気がつくようになってきたんだね。
やっぱり俺は、
詩書いてたから
こういうことになったんじゃねえか
、と。
糸井 樽を作っている職人さんが、
樽を作るのに便利な形に
タコができていったり……。
谷川 心にタコができちゃってる
のかもしれないし(笑)。
糸井 ちょっと聞いた話なんですけど、
江戸時代の座り仕事をしていた職人さんたちは、
ぜんぶ骨が歪んじゃってたらしいですよ。
谷川 あ、そうなんだね。
骨がね……。


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●●●●●●●谷川俊太郎さんの、詩の世界●●●●●●●

世間知ラズ

自分のつまさきがいやに遠くに見える
五本の指が五人の見ず知らずの他人のように
よそよそしく寄り添っている

ベッドの横には電話があってそれは世間とつながっているが
話したい相手はいない
我が人生は物心ついてからなんだかいつも用事ばかり
世間話のしかたを父親も母親も教えてくれなかった

行分けだけを頼りに書きつづけて四十年
おまえはいったい誰なんだと問われたら詩人と答えるのがい
 ちばん安心
というのも妙なものだ
女を捨てたとき私は詩人だったのか
好きな焼き芋を食ってる私は詩人なのか
頭が薄くなった私も詩人だろうか
そんな中年男は詩人でなくともゴマンといる

私はただかっこいい言葉の蝶々を追っかけただけの
世間知らずの子ども
その三つ児の魂は
人を傷つけたことにも気づかぬほど無邪気なまま
百へとむかう

詩は
滑稽だ

          『世間知ラズ』(思潮社)より

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第9回
欠点をなおす情熱を


糸井 社会生活を送りながら生きてる谷川さんが
人間関係のなかでとくに愛を売ってる作家が(笑)
その詩を書くだけの材料に、
事件のように遭遇しているわけですけど、
そのときには、
自分のポジションとか、
プロフェッショナルとしての詩人であるということは、
いったんは忘れてしまうんですね?
谷川 もちろんもちろん、
ただの1匹の男になるだけですよ。
糸井 そして、ただの1匹の男として、
自分は何様であるかについて、
無力感があるんですね?
これはぼくも同じなんだけど。
谷川 あります。
糸井 その無力感が、
ぶつかってはうまくいったり失敗したり。
あなたはわたしの詩が目当てだったのね、
とか言いながら。
谷川 うん、うん(笑)。
糸井 そんななかで、
1匹の男としては、よくなってますか?
……変な質問だけど(笑)。
谷川 あのねー、言葉で言うとすると、
つまり、マシになってるって言い方ですね。
よくなってるかどうかわかんないけど。
前はひどかったけど(笑)、
少しずつマシになったんではないか、
っていうふうには思ってます。
糸井 どのくらいマシじゃなかったですか?
谷川 そんなの、自分じゃよくわかんないけど(笑)、
ひとつこういうことがあるんですよ。

ぼくは、ひとりっ子で、
すごい母親っ子だったんです。
母親はけっこう厳しかったんだけど、
わりと、父親が家庭をかえりみないで
ずっと外にいる人だったから、
その代わりにぼくを可愛がったような
ところがありました。
そのせいでぼくは、
すごくマザコンだったんですよ。

自分ではそんなこと自覚してなかったんだけど
恋愛というものがいつでも
自分の母親の願望に
すごく染められていた、というか。

だから「いったん好きになったら一生もんだ」
みたいな発想があったんです。
それを、ぼくはいいことだと思ってたわけ。
俺はもう、一婦一夫制を狂信的に信じている、と。
一婦一夫制を守るためだったら浮気はおろか、
もう離婚も辞さないって(笑)

公言してたわけです。

自分がひとりの女にずっと誠実でいる。
実際にぼく、そういう行動をしてたんだけど、
でもそれがだんだん、
「何、これって? 母親とひとり息子の
 関係の再生産じゃないの?」
と思うようになったのね。

母親を求めることは意識下の欲求だから、
最初は思うだけで、
そこから自由じゃなかった。
だけど、そうとう年取ってから、やっと、
マザー・コンプレックスの気持ちじゃなくて、
相手の女性を対等に見られるようになったことが
いちばんマシになったところなんですよ、自分では。
糸井 それは、時間がかかりますね。
谷川 すごい時間がかかりましたよ(笑)。
頭でわかってることが
腑に落ちてくるまでも、
けっこう時間がかかりましたね。
糸井 時間がかかるというのは、つまり、
つい最近ぐらいまでかかっていると、
言えるんでしょうか?
谷川 はい、残念ながらというか(笑)、
お恥ずかしいことですが。
糸井 長く生きるべきですね。
谷川 ただ生きててもダメなんですよ。
やっぱり事件がないと。
糸井 失敗の才能がいる。
谷川 マザコンが薄らぐための事件は、
明らかにあったんです。
糸井 え、そうなんですか?
谷川 あの、つまり、
捨てられたわけですよ、ぼく。
糸井 痛い目にあわないと
わからないってことですね。
谷川 痛い目にあって、
痛い目にあったことを反芻していく過程で、
やっと自由になれたようなかんじです。
糸井 痛い目にあったときには、
2種類の感情があると思うんです。
あっちが間違ってる、っていうことと、
あっちがぜったい正しいっていうことと。
谷川 そう!
ぼくはもう、あっちがぜったい正しい、
っていうふうに思いがちなんです。
糸井 あ、それはまったくぼくも……。
谷川 なんか、変なとこ、
似てんだよな(笑)。
糸井 自分で「マゾかな?」
とも思うんですけど。
谷川 そうやってとにかく
反省の日々を送っちゃうんですけども、
そのうちに、だんだん客観的に思えてきて、
いや、こっちが悪いだけではない、
あっちも悪いんだ、ということに、
徐々に気づくという顛末。
糸井 それは力がいりますね。
谷川 それが正しいかどうかもわかんないんだけど、
とにかく、自分ばっかり責めてるのは、
よくないですね。
糸井 ぼくは、あっちが正しくてこっちが悪いっていうのは
自己愛のような気がしはじめたんです。
谷川 うん、そうだね。
ちょっとエゴイズムかもしれないって思っちゃうね、
確かにね。
糸井 「ぼくがぜんぶ変わりますから、
 あなたは私から去らないでください」
って言ったとしたら、
相手に自分じゃないものを
惚れさせながら生きてかなきゃならない
わけで。
谷川 そうだよね、そうだよね。
糸井 これは間違いだろうなと思う。
でも、相手も悪いっていうことをわからせるのは、
大変なことで。
谷川 そう。それは大変ですよね。
糸井 終わってからしか考えられないような(笑)。
谷川 (笑)いや、ぼくは「最中」でも、
相手が悪いというふうに持ってこうと、
いま、頑張ってるんですけどね。
糸井 それは、すごく難しい。
むこうも同じくらい思ってないとダメですよね。
谷川 でも、考えてるだけで、
実行してるわけじゃないんですけども。
とにかく、「自分が悪い、自分が悪い」と
言ってるということは、
相手の欠点を自分がなおす情熱がない
っていうことなんですよね。
糸井 そういうことです。
谷川 つまり、他人に関わりたくない、ということの
表現になっちゃうでしょ?
そういうことはもちろん恋愛に限らない。
仕事でも何でもね。
だから、もっと他人の欠点ってものを、
親切に探して、それを口に出さなきゃ、
っていうふうに思うようになったんです。
糸井 しかも上手に口に出す(笑)。
谷川 そう。それを、自分のほうで、
自分が悪いということで
補ってしまっちゃマズイ
と、
思うようになりましたね。


<次回につづきます! おたのしみに>


第10回
暴力が振るえない情けなさ


糸井 相手の欠点を探してあげて
上手に口に出すようにする。
いまうかがった感情は、
谷川さんとぼくはそっくりですね。
谷川 困りましたね。
糸井 困りました。でも、
もしかしたら練習をするとできるようになるのかな?
っていう気持ちもあって、
ぼくはいちおう練習をしてるんですよ。
それはおそらく、演技の問題かな、と思うんです。
谷川 うん。
糸井 まず、思ったことを
そのまま生で口に出すのは、
それはあまりにも「子ども」だと思う。
谷川 うん。
糸井 状況のなかで、
こういうことは必要だとか、
いまは言えないけども、あさって言うだとか。
こうやって大人になっていく(笑)。
谷川 それはほんとにそうだと思います。
そうやって大人になってくんでしょう。
糸井 そして、男同士だと、
ひじょうに使いやすいテクニックがあるんです。
過剰に相手が悪いと、
あえて言ってしまう、ということ。
谷川 あ、なるほどね。
糸井 男は「バーカヤロウ!」って言っちゃうと、
「いや、そうでもないんだよ」という話が
すぐできるんだけど。
でも、女性って、インパクトに弱いんですよ。
もしそれだけで「ダメ」って言われちゃったら、
次はないですからね。
谷川 うーん。
糸井 ぼくは、バカヤロウとどなったり
人をぶったりはしないんですけど、
ぶったほうがほんとうは効率的なんだ、
ということがあるかもしれない。
谷川 効率的だし、
相手が喜ぶ場合もあるんですよね。
糸井 あるんですよ。
ぼくと谷川さん、
どうも、この弱さが似てるんだ(笑)。
谷川 暴力が振るえない俺の情けなさ
みたいなものを感じます。
糸井 暴力は、ねぇ(しみじみ)。
表現としての暴力は、あるんですよね。
谷川 ありますよ!
糸井 考えてみると、恋愛関係が成り立つときに、
暴力は一度あるんですよ。
「私は、ぜひあなたと寝たい」って、
ニコニコして言う人は、
ひとりもいないから。
なんとなくお互いがだましあってる、
っていうところで成立するもんですからね。
谷川 なるほど。
糸井 ぼくは、女の人とふたりだけになったときに
ドアの鍵を掛けない自分が、
ちょっと弱いと思うんですよ。
平気でガチャンと掛けるのって、
暴力ですよね。
谷川 そうだよね。
糸井 男らしい友だちに訊いてみると、やっぱり、
バーリバリ鍵を掛けているんですよ(笑)。
谷川 ぼく、ゲイの友だちに、
鍵掛けられたことがあったけどねぇ。
ぼくはすぐに鍵を開けるんです。
で、また彼が、カチャ
で、ぼくがまた、カチャ
糸井 暴力の応酬ですね。
谷川 ボクシングみたいなもんですよ(笑)。
糸井 バチャッと鍵を掛けるような、
見てはいけない部分を目にするということ自体が、
すごい暴力のはずなんです。
恋愛成立のときに一度はその暴力を
お互いに経験してるんだったら、
そこんところを誠実にやり続ければいい。
ぼくは、それが
言葉でもできうるんじゃないか、
と思うんです。
だから、「もしよろしければどうぞ」
っていう言い方しかできないのは、マズイ。
これは、自分の世界観の軸になってる弱さだと
思うんです。
谷川 なるほどね。
糸井 だけど、ぼくはこの、「kiss」ってタイトルが、
暴力を含んでると思います。
谷川 そうですね。そう思いますよ。
糸井 だから、いいなと思ったんです。
いままでの、例えば谷川さんの『女に』でしたっけ?
あれなんかも、暴力の手前まで行っていますね。
いちおう演説をしているかたちになってました(笑)。

『女に』
マガジンハウスから1991年に刊行された
谷川さんの詩集。
谷川 うん(笑)。
糸井 あれはひじょうに売れたということを
聞いたことがありますけど。
谷川 うん。10万ちょっとくらいでしょう。
時間はかかってますけどね。
糸井 『女に』は、
「隣りに並んで、ひっそりと『できちゃった』」
というのではない。
相手に責任を押しつけるんじゃなくて、
「俺が責任を持ってやったことは、俺が責任取るぜ」
みたいなかんじがありました。
そしてついにここで「kiss」ときたか、と。
谷川さん、ほんとにいま、活発だ(笑)。
谷川 ハハハ、活発かな?
糸井 活性が上がってきました(笑)。
そのタイトルだけで、そうとうに、
整理できてる印象があるんですよ。
kissって言葉は、詩のなかの言葉ですか?
谷川 詩のタイトルです。
糸井 もうすでに出版されているものなんですか?
何に入ってるやつなの?
谷川 憶えてないけどねぇ。
糸井 え、憶えてないの?
谷川 憶えてませんよ、そんな。
けっこう若書きです。うん。
糸井 はぁぁ。それがこのCDに入っているわけですね。
見せていただけますか?
ふぅん、若書きですか。
いまkissって書いてたとしたら、おもしろいな。
谷川 いま?
ご注文があれば、書きますけど(笑)。
糸井 また受注ぐせがはじまった!
(CDについているブックレットをめくって読む)
あ、タイトルだけがkissなんだ。

谷川 これ、20代のはじめのときに書いているものですね。
糸井 どうしてタイトルにkissって、つけたんだろう?
ぜんぜんkissじゃないよ(笑)。
谷川 えー? ほんと?
糸井 この、何て言うんだろう?
単語をポンと置いただけのタイトル。
なんか、接ぎ木みたいにkissって言葉が
ポンと入ってる。
谷川 このころ実際に、女の人とkissをしてるんだけど、
詩としては、
そういう具体的なものとはちがうところで、
kissを定義しようなんてところがありましたね、
たぶん。
糸井 ううーん。このCD、お買い得だな。
おもしろいな。
そういえば谷川さん、もともと
「単語ひとつ」っていうのは、
お好きなかたちですもんね。
谷川 はい。ええっとね、
言葉が「もの」みたいになるの、
好きなんですよ。


<つづきます。次回をおたのしみに!>

●●●●谷川俊太郎さんの、詩の世界●●●●

ここ

どっかに行こうと私が言う
どこ行こうかとあなたが言う
ここもいいなと私が言う
ここでもいいねとあなたが言う
言ってるうちに日が暮れて
ここがどこかになっていく

      『女に』(マガジンハウス)より

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第11回
読み手が見えているということ


糸井 谷川さんの詩集で、
いちばん売れたのは
『女に』なんでしょうか?
谷川 ええっと、例えば『ことばあそびうた』みたいなのは、
もっと売れてるかもしれない。
まあ、ジワジワと何十年もかかってるけども。
糸井 そうか。小学館の『いちねんせい』でも、
谷川さんのはちゃーんと売れてますもんね。
谷川 あ、そうですね、あれね。
おかげさまで。
ホント助かりますよ(笑)、老後の安心ですよ。
糸井 あれは、古びないように書いてるっていうのが、
ほんとによくわかりますね。

ぼく、見習うべきだなと思うのは、
谷川さんの書くものは、
そのときの「流行」じゃないんですよ、いつも。
谷川 うーん。
糸井 流行を入れたほうが、
インパクトがあるのかもしれない。
でも、谷川さんは、ちゃんと、
ずっと読めるように書いてる。
谷川 それはぼく、
自分ではそんなに意識してないんだけど。
糸井 そうなんですか?
谷川 うん。でも、例えば子どもなら
「ある、1999年の子ども」というふうには
考えなくて、全世界、昔から今までの
「子ども」を書きたいっていう気持ちはあります。


糸井 詩はみんなが書けると思ったりするものなんですよね。
それで、あんまり嬉しくないものを
読まされたりもします(笑)。
でも、もしかしたらそのなかに、
「あ、これは」っていうものが混じってる
というスケベ心も、あったりもしますし。
谷川 はい。します。
糸井 詩のジャンルというのは、
つきあい方がひじょうに難しいですね。
谷川 例えば原稿とかを送ってくる人が、
いっぱいいるわけですけど、
小説家にくらべれば幸運だと思うんですよ。
詩の場合は、短いから。
小説家はさ、300枚、500枚の長編が送られてきたら
どうするんだろうと思います。
糸井 あ、でもね、小説のほうが
もしかしたらいいかもしれませんよ。
小説って、かたちを要求しますから、
ちょっと読んで、やめようって
思いやすいような気がするんですよ。
谷川 判断できますかね。
はじめをチョロッと読めば。
糸井 でも詩だと「もしや?」っていう気持ちで、
次のページをめくっちゃったり(笑)。
谷川 それはあるんですよね。
最初が「なんだこりゃあ」って思いつつも、
もしかしたら何かがあるのかもしれないな、
というようなことが、確かに、ありますね。
糸井 しかも想像力を巡らせる仕事だから、
労力はかかるんです。
谷川 エネルギーがいりますね。
糸井 いるんですよ、詩を読むときのほうが。
「捨てることはできないな」という程度のものって、
けっこういっぱいあるんです。
だけど「さあ、あなた、これで食えますよ」
となると、もうゼロに。
谷川 もう、ゼロですね。
糸井 以前、谷川さんは宇多田さんのことを
おっしゃってたことがありますけど
詩の形式としてはだめかもしれないけど、
いっそ、歌をうたう女の子たちが自分で書いた詩は
ちゃんと拾うことができるんですよ。
谷川 うん、そうだね。
糸井 その違いって、何だろう?
ものすごく興味深いんです。
きっと、読み手が見えているというか、
そのあたりにあるのかなぁと思うんですけど。
谷川

「詩のようなものを書く人たちには
 
読み手が見えてない」
ということは、すごくありますよね。

糸井 作曲もするし歌もうたうっていう人が、
例えば、浜崎あゆみみたいな人が、詩を書いてる。
どういうときに書くかというと、
歌作んなきゃいけないから書くらしいんですよ。
つまり、詩というものに対する妙な幻想がなくって
「さぁ作んなきゃ」と思って
一生懸命に書くんです。
谷川 そうですね。うん。
糸井 それが、ちゃんと、
「ある理由がわかるわ」
っていう詩になってる。
考えてみるとやっぱりあれは、
大きい意味での人間関係そのものに
熟達してるから書けるのかもしれないですね。
谷川 そうですよ、もちろん。
糸井 言葉の使い方の上手下手じゃなくて、
人間認識とか人間関係を、体で持ってるっていう、
あの違いですね。
谷川さん、最近の歌はどう思ってますか?
いいのはいっぱいありますか?
谷川 いや、ぼくはそんなにもう、
聴く根気がないからね、
ほとんど知りませんけど。
浜崎あゆみさんは、
ぼくは歌はほとんど聴いてないんだけど、
いちど彼女が作詞したものをコピーで、
ぜんぶ読んだことがありますよ。
糸井 ええ。
谷川 あの人は、トラウマのようなものを
もっているのがすごくよくわかって。
なんか、強さっていうのかな?
それは感じましたね。
糸井 ぼくはコンサートに行って驚いたんですけど、
形式・様式を上手に踏んだものを、
修練積んでステージやって。
最後に普段着に近いかたちで出てきて、
「ありがとう」っていう言葉を
100回ぐらい言うんですよ。
谷川 へぇー!
糸井 ここにも自我のない人がまたいたよ、と(笑)。
谷川 なるほどね。
糸井 ちぎれんばかりに手を振って、
あらゆる客席のあらゆる場所に向かって、
視線を送って、
叫ぶように「ありがとう」って言って、
終わるんですよ。
これ、やられちゃったらもう、まいっちゃうな。
「私の詩の中にはねぇ」なんていう子には、
あのスタイルは出せないと思って。
谷川 そうね。
いわゆる詩らしきものを書いてくる人たちって、
すごく自分ってものに
こだわっちゃってるんですね。
それで、他人に通じないとこがありますね。
糸井 でも、なおせっていっても、
なおんないですね(笑)。
谷川 なおんないですよ。
短歌や俳句だったら添削きくけどね。


<つづきます。次回をおたのしみに!>


第12回
いつから気取り出したんだ?


谷川 やっぱり、詩というものに対する
一種の先入観みたいなものはありますよね。
「詩はこうでないといけない」みたいなことが、
どっかに頭にある。
それに合わせようとしちゃうから、
つまんないのかもしれない。
糸井 うーん。
谷川 もっと普通の、
「友だちが欲しい」とか
「恋人が欲しい」とか、
そういういうものが、
ハッキリ言葉になってるほうがずっといい。
そういう「野生の言葉」に対して
けっこう気取っちゃうからね、みんな。
糸井 気取らないことを身につけるのは
難しいんですかね?
谷川 子どもはみんなそれを持ってる。
だから、子どもの詩が
けっこうおもしろいんですよ。
糸井 そうですよねぇ。
谷川 どのへんから気取らなきゃいけないように
なるのかね(笑)?
やっぱり小学生ぐらいからかな?
糸井 「詩って、何だ?」って習った憶えは
ないわけですよね。
詩は何でもいいのだけれども、
でも、先生の頭のなかに、
すでに予定されたものがあったんでしょうね。
谷川 それは当然ありますね。
糸井 ぼく自身は、作詞からはじまったんですけど、
詩を習った憶えがなくて、
今でも書けてるんだか
書けてないんだかわかんないんですよ。
ただ、基準にしてるのは、
俺が自分でもう1回読んだときに、
気持ちいいかどうか
谷川 うんうん。それはあるね。
糸井 正直言うと、
読む人の姿も見えてないんです。
だけど、ぼくは
自分が平凡な人間だっていう意識が
すごく強いんです。
その平凡な自分が読み直して
「いいじゃん」って言ってくれる。
それだけを頼りに書いてるんですよ。
谷川 それはぼくも、
ほとんど同じですね(笑)。
糸井 そうですか。
谷川 自分をすごく常識的な人間だと
思ってるんですよ。
だから、自作に対する批評眼で
書いてるところがありますよ。

糸井 そんな谷川さんが、よその現代詩の、
たとえば吉増剛造さんとかの詩を読むときは、
どんな気持ちで読むんですか?

吉増剛造
詩人。1939年生まれ。
第一詩集『出発』(64年)以来、
先鋭的な現代詩人として、
国内外でパフォーマンスなど多彩な活動を行なう。
「黄金詩編」で第1回高見順賞受賞。
谷川 いやぁ、
いろいろあって
おもしれぇな、と。
糸井 はぁ!
谷川 現代詩といっても、
まあ、植物もいろいろある、
お魚もいろいろいるのとおんなじように、
いろいろあるなぁ。
彼が声に出して読んでると、
「なんか、なんかあるなぁ!」みたいなさ(笑)。
糸井 そうですね。
吉増さんの詩って
わかんないままに、なんか、つかまるんですよね。
谷川 そう。ああいう性質が言語にあるっていうことを、
ぼくはすごく大事だと思ってます。
糸井 あの、美しいとかっていう言葉をつい、
思い出させちゃうみたいな。
谷川 そう、そう。
意味だけじゃないんだな、言語っていうのは。
体に結びついてるし、声に結びついてるし。
音楽とも共通の
調べとかリズムのような力があるということを、
思い出させてくれる。
糸井 うん、うん。
ほかに、ご自分で
意識なさってる詩はありますか?
谷川 ぼくのところへ送られてくるものもあるし、
エネルギーがいるから
あんまり読まないんだけどね。
人の評判を聞いて読んだりするんですが、
例えば『世界中年会議』っていう
おもしろい題の詩を出してる四元さんって
詩人がいるんです。
彼は、出自が全く現代詩の世界ではないんです。
ミュンヘン駐在の、ある製薬会社の重役なの。
前はアメリカにいて、海外にほとんどずーっといて、
結婚して子どもも現地で育ててる。
自分のビジネスマンとしてのリアリティ、
それから自分の家庭のリアイティみたいなものを、
詩に書いてる人なんですよ。
いわゆる現代詩の人たちとぜんぜん違うところから
書いてるから、すごくおもしろいの。


四元(よつもと)康佑
1959年8月21日大阪府生まれ。
1991年、第一詩集『笑うバグ』を発表。
ビジネスを主題にした作品群が
大きな注目をあつめる。
現在ドイツのミュンヘン在住。
『世界中年会議』は第二詩集。
糸井 ほおぉ。
谷川 それから、こないだ、あとがきを書いたんだけど、
覚和歌子さんって人がいます。
『千と千尋』のテーマを作詞した人。
あの人は、プロの作詞家でもあるんですけど
まったくの現代詩の世界ではない。
あの人、なんだかとにかく、
まず歌からはじまってるんですね。
それで、歌と拮抗するような詩を読みたいといってる。
声の発想なんですよ。活字じゃないの。
それがすごい新鮮なんです。


覚(かく)和歌子
早稲田大学卒業と同時に作詞家に。
小泉今日子、SMAPなどに作品を提供。
落語とのバトルライブ「噺家の会」をはじめ、
自作詩朗読パフォーマンス競演を展開している。
映画「千と千尋の神隠し」主題歌「いつも何度でも」作詞。
昨年、第一作品集『ゼロになるからだ』を刊行。
糸井 ぼくも、おもしろいなと思いますよ。
覚さんは、人が注目する
1行の両脇にある言葉が上手なんですよね。
谷川 うーん、なるほどね。
糸井 「ゼロになるからだ」という言葉で、
みんながあの詩を憶えるんだけど、
それを立てるためには、
まわりがほんとにいい景色もってないと、
あの言葉は絶対に浮いちゃう。
「この人は、この1行のために書いてるんだ。
 だけど、その周囲を上手につくれるから、
 成り立ってるんだなぁ」と思う。
谷川 そうなんです。覚さんのような、
現代詩の世界からじゃない人のほうが、
今はけっこうおもしろいって、
どうしても思っちゃいますね。


<つづきます。次回をおたのしみに!>

●●●●谷川俊太郎さんの、詩の世界●●●●

<< 黄金の魚 >> 1923

おおきなさかなはおおきなくちで
ちゅうくらいのさかなをたべ
ちゅうくらいのさかなは
ちいさなさかなをたべ
ちいさなさかなは
もっとちいさな
さかなをたべ
いのちはいのちをいけにえとして
ひかりかがやく
しあわせはふしあわせをやしないとして
はなひらく
どんなよろこびのふかいうみにも
ひとつぶのなみだが
とけていないということはない

『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』(青土社)より

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第13回
しゃがみこんで、紙くずを読んだ日。


 
糸井 日常の会話で交わされる言葉にビクッとしたり、
人びとの言葉のなかに、
「詩」を発見したりすることは、ありますか?
谷川 それはもちろんあります。
文脈、前後のコンテクストによるんだけど、
「これは詩的だ」と思うことがありますよ。
でも、単語1個に対してピンとくることは、
ほとんどないです。
だいたいが、ひとつながりの言葉。
それにぼくは、詩的な言葉より、
自分の現実の人生に
はね返ってくる
言葉のほうが好き。
そういうのがどこかから聞こえてくると、
頭のなかでアンダーラインを引いたりします。
糸井 ぼくは、そういうことがすごく
増えてる感じがするんですよ、今。
谷川 うん、なるほど。
糸井 自分でもなぜなんだろうな、と
思ってるんですけどね。
ご存知のとおり、「ほぼ日」には
メールがいっぱい来るんですが、
4、5日に1回ぐらい、
「うわーっ!」って思うことがあるんです。
谷川 ほんと? 4、5日に1回もあんの?
はぁ!
糸井 ある1行に対してだけでなく、
全体で「この景色はいいな!」
という文章が来るんですよ。
昨日なんか、そのまんま引用して
ページに貼りつけちゃったメールがあるんです。
それはどういう内容かというと、
ええっと、お母さんが、
ほんとはオチャメなお母さんらしいんですけど、
「生き別れしたときに、抱いたらわかるように、
 きょうだい3人、ぜんぶ抱き方を変えて育てた」
という話なんです。
谷川 ほぇっ!
糸井 「あんたたちの目が見えなくなっちゃってても、
 お母さんに抱かれたときに、
 『あ、お母さんだ』ってわかるように、
 私はみんなを育てたのよ」
というのを、年取ってから温泉に母と行って、
布団を並べて寝たときにはじめて聞きました、
というメールなんです。
谷川 はぁぁ。いいねぇ。
糸井 いけるでしょう?
そのお母さんのなかに詩があったし、
聞こえた子どものなかにあったし、
それをメールに書きたくなっちゃったときにも、
ぜんぶにつながってる。そして、
ぼくがそれをある日曜日の午後に読んで
泣いたりしてるわけですよ。
思わずぼくがページに貼りつけると、
また違うものが送られてきたりするんです。
そういうのはね、4、5日に1回あるんですよ。
谷川 うーん!
糸井 あれも憶えてるなぁ、
子どものお誕生会の話。
なんてことない、
小学校3、4年生ぐらいの子どもの
こじんまりしたお誕生会で、
ケーキを前にしたときのことなんです。
マイクを向けたふりをして
「感想は?」と訊いたら、
「かわいがってくれてありがと」
って言った(笑)。
谷川 うんうん(笑)。
糸井 そんなのがいっぱいあるんですよ。
プロで毎日つくんなきゃいけない人たちは、
困っちゃいますね(笑)。
吉本隆明さんに対しても、あの人はもともと
詩人だと思うんだけども、
なんでもない思い出話をしてるときに、
いつでも景色がきれいなんですよね。
谷川さんはご自分で
「エピソードがない」っておしゃったけど、
たしかにエピソードは聞こえてこないんですが、
視線はいつも共有できるんですよ。
ぼくは、谷川さんの詩のなかでも、
いちばん好きなくらいの詩は、
子どもがただ並んでるという、
「見てる」詩があるんですよ。
谷川 あぁ。
糸井 子どものことをただ「かわいいね」と、
助詞なしで「かわいいね」という言葉が出てくる。
あの詩がぼくに
詩を書いていいんだって
思わせたようなものです(笑)。
谷川 えぇ? ほんと。
糸井 うん! 何の本に入ってた詩だっけな?
とにかく、ちっちゃい子が並んでる姿を書いてる。
その景色は、谷川さんが
「見てる」景色なんですよ。
ぼくが谷川さんの詩に対して
うわー! って感じるときって、
「眼」
なんですよね。
谷川 ああ、なるほどね。
糸井 それは、ご自分の
「エピソードがない」っていうのと、
すっごい近いところにあるような気がする。
谷川 そうかもしれませんね。
ぼくは、生き方についても
アンチ・クライマックス派なんです。
ドラマを避けるんですよ。
ドラマティックになるのは、照れくさいの。
だから、エピソードが少ないんでしょうね。
もっとおおげさに騒げば、みんな
「それがエピソードだよ」って
言ってくれると思うんだけどね。
なんとなく、実際には
大袈裟なことをやってるんだけど、
それを表現としては大袈裟にしたくない
ところがあります。
糸井 ってことは、谷川さんは、
カメラにずっと追いかけまわされちゃったら、
もう生きてはいけないですね。
谷川 そうですね、イヤですね。
糸井 ドラマだらけのように映っちゃいますもんね。
谷川 そりゃわかんないけどさ(笑)。
糸井 いや、映っちゃいますよ、そりゃ。
谷川 そぅお? そっかな。
ちゃんと規則正しい、
すごく平凡な生活をしてますけどね。
糸井 え? じゃあ、
その平凡な暮らしを、教えて下さい。
谷川さんは、早起きなんですか?
谷川 8時半か9時ぐらいですね。
夜寝るのが1時ぐらい。
わりとよく眠れるたちだから、
不眠に苦しむことはなくて。
なんか、やっぱりここ7、8年、
ひとりものになってから、
自分が体壊したりすると人に迷惑をかけるから、
ちゃんと健康管理しなきゃ、
と思うようになってきて。
糸井 大人ですね。
谷川 単なるじいさんですよ(笑)。
それに気をつけるようになって
自然に、食べるものも、菜食系が好きになって、
生活が規則正しくなって。
朝昼晩と、少量ながらもちゃんと食べる
みたいな生活している。
しかも、ちょっと、なんか健康法みたいなことも、
わりとなまけずに毎日やっている。
糸井 どんなことしてるんです?
谷川 今やってるのは、気功の一種ですね。
糸井 ふーん。
谷川 そういうのを、ちょっと人に教わったりして、
自分でできることをやる。
それがけっこう、気持ちいいんですよ。
ギックリ腰にならなくなったりね。
あ、そうだ、それから、
できるだけ歩くようにしてます。
自転車はもう使わないようになって、
買い物は、できるだけ歩く。
車は東京では使いにくいので、
ほとんど地下鉄に乗るんですよ。
糸井 あ、車に乗らなくなった?
谷川 車は持ってますし乗りますけども、
できるだけ歩くということを心掛けています。
ぼくの生活のなかで、いちばん平凡ではないのは、
自分で自分のマネージメントをするのが、
すごく時間がかかるようになっちゃったことかな。
やっぱり、それこそ「活発に」
動いてるからなんでしょうね。
日程調整とか、
過去の著作物の権利関係どうする、とか。
それも苦痛ですね。
糸井 それは、できたら誰かに任せたいことですね。
谷川 任せたいんだけど、なかなか。
自分の判断が入んないとだめなことが多くて。
もちろんある程度事務的なことは、
手伝ってもらってるんですけどね。
全部は任せられないんですよ。
糸井 ふーん。
谷川 だから、何とね!
事務ばっかりやってると、
創造的な仕事をしたくなっちゃうんですよ。
「何だか詩でも書きたいな」とかさ。
「3枚のエッセーでもいいから、
 ちょっと事務仕事はやめといて、
 今書こう」なんていうふうになりますね。
これ、ほんとに意外だったんだけど。
糸井 反作用みたいに、
湧いてくるものがあるんですね。
じゃ、谷川さんから事務的な仕事を
取っちゃ困っちゃいますね。
谷川 うん、取っちゃうと
何もしなくなっちゃうかもしれないし(笑)。
糸井 ぼくは、学校を中退して
肉体労働のバイトをやってるときに、
自分がインテリだと気づいたんですよ。
谷川 おぉ。
糸井 焚き火しちゃあ競馬の話したり、
ワイ談したり、寒いだの、うまいだの
言うだけの毎日。
そんなとき、焚き火をする紙くずの新聞紙を、
しゃがみ込んで読んでいる
自分に気づいたんですよ。
谷川 いい話ですね。
糸井 ぼくもアンチクライマックスなんだけど、
自分としては、このことを
ハッキリ憶えてるんです。
「なし」でいられないんだ俺は、って。
ぼくの人生があっちの方向に
行かなかった理由が、あの瞬間だったんです。
逆の状況がないと
必要なものがわかんないっていうことは、
すごくありますね。
谷川 そうですね。
糸井 「詩を書く」とかいうことを、
毎日やってるはずがない。
谷川 そんなはずないですね。
だから、気が向いたら、書く。
時間を問わず、気が向いたら、夜でも朝でも。
糸井 締切りがあれば。
谷川 そう(笑)。
<対談は次回が最終回です。おたのしみに!>

●●●●谷川俊太郎さんの、詩の世界●●●●

運命について

プラットフォームに並んでいる
小学生たち
小学生たち
小学生たち
小学生たち
喋りながら ふざけながら 食べながら

<かわいいね>
<思い出すね>
プラットフォームに並んでいる
おとなたち
おとなたち
おとなたち
おとなたち
見ながら 喋りながら 懐しがりながら

<たつた五十年と五億平方粁さ>
<思い出すね>
プラットフォームに並んでいる
天使たち
天使たち
天使たち
天使たち
だまつて みつめながら
だまつて 輝きながら

      『二十億光年の孤独』(創元社)より

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第14回
I と You がクルクルまわる。


 
糸井 ご飯は、どうなさってるんですか?
谷川 家にいるときは、適当に食べてますよ、
自分で作って。
糸井 お上手なんですか?
谷川 (笑)いえ、ぜんぜん上手じゃないけど、
意識しなくても、自分の食事ぐらい作れる程度には。
それは上手と言えばいいのかわかんないけど、
まあ、慣れてますね。
糸井 それは、ずっと前から?
谷川 ひとりになってから、とくに。
前から少しは作ってましたけど、
以前は「料理する」っていう意識があったんだけど、
今はほとんどその意識がないですね。
だから、普通の家庭の主婦に近づいてるんじゃない?
冷蔵庫をのぞいて、野菜の残りもんがあれば、
適当にこれをこうやって食おうかといって作れる程度の
境地にはなってる。
糸井 そういう意味ではひじょうに、
「全体的に」生きてらっしゃいますね。
体から、生活が出てる。
谷川 そうですよね、わりとね。
洗濯もするし。
満足してますね、自分の暮らし方に。
糸井 そのなかから「kiss」みたいなタイトルが
ポンと出てくるっていうのは
あんがい、あるのかもしれないですね。
「愛の暮らし」をしてしまうと、
プライオリティが愛にいちばんに、
なってしまいますから。
谷川 なりかねませんね。
糸井 それは決して、生活ではない。
「あなたを満足させる私」っていう、
機微になってしまうんで。
全体像は壊れますよね。
谷川 いや、それをバランス良く包み込む、
規則正しい生活とか平凡な生活もあり得ますよ。
糸井 そっかあ!
谷川 うん。
年を取ってきたからってこともあるんだけど、
自分のなかの欲求が薄くなってきていて
いろんなことをバランスよく
配置できるようになったような気がします。
糸井 年を取られる前はきっと、さぞかし……。
谷川 マザコンに理由する不安とか、
そういうものに、
けっこう苦しんでたような気がします。
糸井 ぼくは、もし「愛の暮らし」だったら、
2人羽織のように生きていきたかったんですよ。
でも、それは迷惑ですよね。
谷川 そりゃ大変ですよね。
糸井 ワイ談のつもりはないんですけど、
挿入したまま1日じゅう生きていたかったんです。
谷川 こないだ、息子の賢作が作った歌で、
江國香織さんの詩にそういうのがありました。
ぼくはそれを読んだとき、
「これは男では書けない」と思ったんだけど、
糸井さんはそういうことを思えるんだ。
じゃあそうとうに、
糸井さんのなかに女性的な部分があるということですね。
糸井 はい。そうとう、ありますね。
野放しにしたら、ぼくは、
「超マイホーム主義」になるんです。
谷川 うん、うん。
糸井 受注産業体質だったり、仲間がいたりするから、
「狩り」に行ったりもする。
「狩り」がおもしろければ、
そんなこと考えなくてすみますから。
ほっといたらぼくは、阿部定になってる。
谷川 それは、糸井さんの
創造のエネルギー源ですね、きっと。
糸井 スケベですよー。
谷川 ねっ。
糸井 で、そのことを、秘密の宝箱に置いて、
「(そこに)あるのね」っていうかんじにしてる(笑)。
「あるのね」っていうことで、暮らせてます。
谷川 なるほど。
糸井 それがないと確かに、イヤですね。
谷川さんは、
そこまでのことではないんですね?
谷川 ぼくはもうちょっと普通の男でね。
ずっと一生涯ベッドのなかでくっついて、
暮らすのはちょっと俺にはできない。
やっぱり、ひとりの時間が欲しい
っていう気持ちがあるんですよね。
糸井 そのぶん俺も、高卒の人だから、
そのイメージを大事にしながら(笑)、
実際は違いますもんね。
谷川 それで、何て言うのかしら、
女の人を好きになることと、
この冬の空を見て、木立を見て
いいなと思うことが、
すごく似てきますね
糸井 うん、似てきますね。
谷川 女性のことを、
自然に属してる、
宇宙に属してるっていうふうに
だんだん、感じられるようになってきて。
それがやっぱり、いい気持ちですね。
糸井 うん、うん。
谷川 以前は、人間関係のことばっかり考えて、
嫉妬したり憎んだりとか、やってたわけでしょ?
もうちょっと広い文脈で、
なんか、命ってものを考えれるようになった。
それはもちろん女性に限らずなんだけど。
I LOVE YOU の I と YOU というのが、
なんか、自然とか、動物とか、芸術作品とか、
そういうものぜんぶになってきたなぁ

という感じではあるんですよ。
糸井 I と YOU が、
いつひっくり返ってもいいような。
谷川 そうそうそう。そうなんですよね。
糸井 クルックル、クルックル、
回ってるみたいな。
谷川 うん、うん。
糸井 それは……うれしいですね。
谷川 ねぇ?
糸井 ええ。
欲が深くなったとも言えるんだけど。
谷川 そう、ある意味ではね、そうなんですよ。
どんどん欲深になってますねぇ。
  <これで、対談はおわりです。
 ご愛読ありがとうございました。
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●●谷川俊太郎さんの、詩の世界●●

そして

夏になれば
また
蝉が鳴く

花火が
記憶の中で
フリーズしている

遠い国は
おぼろだが
宇宙は鼻の先

なんという恩寵
人は
死ねる

そしてという
接続詞だけを
残して

       『minimal』(思潮社)より

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