十文字美信的世界。
生き方が、もう表現であるような。

本人はごく自然にやっているらしいんだけど、
周囲のぼくらみたいな平凡な人間は、息をのんでしまう。
そう、写真家の十文字美信さんのことです。

こんどの写真集は、『わび』(淡交社)というんですけど、
この人、また、とんでもない世界を相手にしはじめた!
これまでほとんど語られなかった彼の表現の世界を、
突然の対談のなかから、読み取ってください。
本人自身が、作品だよ、これは。



第1回 黄金の次は、わびだと思った。




 かつて、あるカメラマンを紹介したおぼえがあります。
 助手をやっていた彼が独立したときに、有り金はたいて、
 インスタントラーメンを買い込んだという話。
 「これで、食う心配をせずに仕事ができる」という。
 ある意味ではまちがった考えなのでしょうが、
 やっぱり、こういう話は、聞いて気持のいい青春物語です。

 本人はごく自然にやっているらしいんだけど、
 周囲のぼくらみたいな平凡な人間は、息をのんでしまう。
 そう、十文字美信さんのことです。

 こんどの写真集は、『わび』(淡交社)というんですよ。
 この人、また、とんでもない世界を相手にしはじめた!
 おそらく、美的センスというものの正体を
 捕まえたくなったのではないかと思うのです。
 またまた、ぼくは恐れ入ってます。


        (2002年12月8日の「ほぼ日」今日のダーリンより)





十文字 おひさしぶり。
糸井 いらっしゃい。

この『わび』って本……なにあれ?
ほんとうに、驚いたよ!

驚きのあまり、来ていただいたんですけど。
もともとは、どこかの連載だったんですよね。
十文字 茶道部のところだけは、そうです。
裏千家に関係ある
出版社から出している雑誌で連載してました。
そこで、1年半ぐらい、連載していたのかなぁ。
淡交社という出版社で「なごみ」という雑誌でした。

だから、淡交社としては、
第2章の「茶」だけの写真集を
作るんだと思っていたんじゃないかなあ?
糸井 いや、きっとそうだよ!
十文字 だから、驚いたみたい。
特に、第3章の「現代」は、
印刷直前までまったく知らなかったから。
糸井 え? そういうのって作っちゃっていいの?
十文字 割と、鷹揚にかまえてくれていました。
それに、編集者が新しい「わび」を
期待していたんだと思うよ。
糸井 第2章は「お茶」についてを扱っているけど、
それ以外は、ほとんど、
「いわゆる茶道」ではないからねぇ。
ものすごいよ、この写真は……。
十文字 お茶以外のものを撮っているということは、
編集者は知らなかったから。
途中の段階までは見たこともないし。
『わび』というテーマで本を作ろうと、
出版社の編集会議で通ったのも、
そもそも9年前になるもんね。

当時の編集者も、
出世しちゃって、いまや局長になっていますから、
直接の担当から離れちゃった。
糸井 いいねぇ、その雰囲気も。
十文字 「『わび』というテーマで
 本を作ろう、撮影は十文字で」
そういう事実だけが残った状態になっていたから。
糸井 そういう本を作ろう、というのは、
十文字さんのほうから持っていったわけではない?
十文字 いや、ぼくが持っていった。
1990年に日本の黄金美術を
テーマにした写真集『黄金風天人』を
やり終わった後に、自分の中では、すでに、
「つぎは、わびだ」と思っていたから。
糸井 世界中の黄金を
撮りまくった写真集を作ったあとに、
テーマを「わび」だと決めていたんだ?
ただ、実際に本が出るには、
そうとう偶然が重なっていたんだね。
それが、おもしろい。
十文字 だって、いまどきこんなテーマの本、
出してくれる出版社はないでしょう?
糸井 だから、びっくりしたんだよ……。
淡交社ということで、まずは
「あ、これは組織票があったんだな。
 まず、茶道部やお茶関係者は、買ってくれる」
とは、思ったんですけどね。
十文字 当然、そういう人たちを対象にして作ってると、
淡交社としては思っていたんだね。
ぼくの周辺の新しい人たちのことも
考えていたとは思うけど。
だけど、こういうかたちになりましたから、
最初はとまどっていたんじゃないかなぁ?
お茶関係の人たちも買ってくれてると、
編集者から聞いたけど、たぶん、
本を開いて驚いているんじゃないかなぁ。

ですからいま、ぼくのところに
たくさんの反響が来ています。
いままで作った本とは比較にならないくらい。

ちょっと不思議な気がするんですけど、
「わびさび」というのは、
みんな、どうも何となく、自分の
「わびさび」の世界があるんですよね。
そこがすごくおもしろい。
この本を見た時に、自分の「わび」と、
どこかがつながっていると思うんですね。

それぞれの人にとっての「わびさび」と
僕が感じてる「わび」とは、違っているんだけど、
写真を見ると、どこかでつながっている、
と思うらしい、そこがおもしろい。
本を見た人達の感想は、今までの本と違っていて、
書いてくる内容がとても具体的です。
やはり「わび」ということでは、
一人一人それぞれが持っている風景があるんだね。
ただ、なんとなくぼんやりしていて、
この写真を見ると、
そのぼんやりしてた風景の輪郭が
ややはっきりしてくる、そこを指摘してくれて。
糸井 それで、安心して見られるのが、
茶の章なんですよね。
十文字 そうなんです。
やはり「わび」といえば
「わび茶」のことが一般的でしょ。
糸井 そっちは、共同幻想なんですもん。
それ以外の章には、
私幻想が入れこまれていて、更に、
どっちでもないものが、たまに入ってる(笑)
十文字 そうなの。
そのどっちでもないと感じるものが
実はいちばん、
自分の「わび」を確認できるわけでしょ。
糸井 まずは、黄金のあとに「わび」かよ!
というインパクトがあるじゃないですか。
「茶道部みたいなところで撮ったんだろうなぁ」
と思ってパラパラと開いてみたら……。
これがもう、こちら側の感想が
出てきて出てきて、困るぐらいなの。
ページを、めくるたびに感想がいくつも……!
十文字 そうなのよ。
いままでみたいな、たとえば、
「本読みました、ありがとう」
みたいな感想じゃなくて、みんな、
自分が抱いていた「わび」に対する思いを
真剣に書いてきてくれるんですよ。
糸井 わかる。
俺が十文字さんに会いたくなったのも、
それだもん。
十文字 それはうれしいです。
糸井 (本のページをめくる)
これなんか、茶道だけじゃなくて、
華道も入っているもん。
茶でもなく、私でもないものもある。
十文字 このあいだ、『BRUTUS』の編集者と話した時に、
たまたまその写真をひろげて、
「これは現代アートに見える」と言われたよ。
糸井 ただ、現代アートとして
見ようとする一群の人たちは昔からいて、
「モダンアートとして、いいんじゃないか」
と、外人の目でものを見るじゃないですか。
その褒めかたは、ひととおり、もう、
いろいろなものについて、終わったと思うんです。
それだと、茶のことはわからない。
「シンプル・イズ・ベスト」みたいな発言しか、
できなくなっちゃうもんね。
十文字 いま糸井さんが言ったことって、
結局は、わびの神髄で。

わびっていうのは心で見るもので、
現実のものを通して、
自分の見たいものを見ていいの。

糸井 あぁ……。
十文字 そのことをぼくは、
この本で言いたかったんです。
もともと、
日本にはそういうアートがあったのに、
ぷっつり切れちゃっていた。

そういうアートが出てきたのは、
だいたい、鎌倉時代ぐらいからです。
貴族のものだった美術や文化が、
大衆の中におりてきたの。

それは美術の世界だけでなくて、
むしろ宗教の世界で顕著にあらわれた。
当時の大衆っていうのは、
そんなに教養も下地もないですよね。
だから、
「見たものを通して、
 自分の見たいように見ていいよ」
という鎌倉新仏教が出てきた。

本当の宗教を追求しようとした人たちは
寺を捨てて民衆の中に分け入った時代です。
むずかしいことはいらないんだ、ただ、ただ、
「南無阿弥陀仏」と唱えれば救われると教えた。

ルネサンスよりも、さらに数百年前、
1200年あたりから、
連綿と続いてきた文化でしょう?
糸井 うん、すごい蓄積だよね。
十文字 それが、どこかで、ぶつっと、切れちゃった。
なぜかは、わからないけど。
鎌倉期に起きた美の大衆化っていうのは、
「それぞれ、見たいものを
 自分の心のなかに、作りなさい」
ということですよね。

「見たいものを、見なさい」なんです。

わびって、もともと、敗者のものです。
隠遁とか遁世というかたちで、
世俗から距離をおかざるを得なかった人たちが
ひらきなおって発見した美意識です。


ぴかぴか光る黄金よりも、
自分たちの身のまわりにある、
特別でないもの、あたりまえで地味な方が
よっぽど深みがあって、飽きがこないってね。
隠遁して、山里に入った
数寄者(すきもの)たちの作った
美意識だから、もともとの発生からして、
成功した貴族の作ったものじゃないんですよ。
糸井 十文字さんは「黄金」をやった後だから、
なおさらわかるんだね。
十文字 そうなんです。
糸井 ビカビカの黄金を作る人たちとは別に、
自分たちが美しいと思うものを、
社会的な成功ではないかたちで
求めざるをえない人たちがいたわけだもんね。
歴史上、ほとんどの人にとっては、
食うや食わずの時代が長かったんだし。

鎌倉時代なんていうのは、
まだ食えていないわけですから、
「みんなが言っているのが成功だとしたら、
 俺たちは生きている価値がないじゃないか」
そう思う人たちが作る文化もある、と。
十文字 黄金をやっていた時には、
仏像を撮ることが中心だったんですけど、
平安時代や鎌倉時代に作った仏像と言っても、
ぼくが撮る現代では
もう、ピカピカじゃないわけです。
当然、剥落しているわ、欠損しているわ、
金は光りを失ってるわ、みたいなね。

現実に作られた時代には、
そういうものを見ていたわけじゃないでしょう。
でも、いまの時代の人は
その不完全な姿を見て
「いいね」「いいね」って言ってる。

それがもし作りたてだったら?
ほんとにいいって言えるの?
なかにはとてつもなく下品でつまらない
仏さんも、いるんじゃないの?

……それってなんだろう?

そういうところから、
「わび」を考え始めていたんです。
糸井 つまり、
「おまえらがいいって言ってるのは、
 勝手に言ってるだけじゃないか」
ということですよね。
当時の人がいいと思ったことと、
いまのイメージと違っているわけで。

歌謡曲をほめる評論家みたいに
みんながなっていることに対して、
十文字さんが金ピカなところばかりで
写真を撮っていって……。
あの黄金の本で、
ふざけたこともしているじゃないですか。
「立体で見る」だとか、それから
どんどん黄金ってことで飛んでいって、
とうとう、金塊まで撮りはじめた(笑)。

あれで、要するに、
「そこに価値を見いだす人が
 いるということを認めろよ」という、
すごい意地悪なアートだったと思うんです。
サブカルチャーをもう一度ひっくりかえしたような。
カルチャーがあって、サブカルがあって、
そしてその中で十文字さんの撮った黄金は、
「もう一度、サブへのカウンターだった」と思う。
「趣味がいい」ということへのカウンターだから、
その先に、
ものすごい隠れたものを感じていました。
それがついに、出てきたんだ。
これは、興奮します。


第2回 犬を飼ってみたら……。


糸井 ぼくにとって、
十文字さんは、スターなんですよ。

十文字さんが20代で、ぼくも20代だったころ。
まだ、当時はおたがいに、
「一銭も持っていない人」だったんだけど、
とにかく、十文字さんのほうは、
急に、仕事をたくさんしはじめましたもんね、
資生堂とか、松下電器とか次から次に。
十文字 うん。
糸井 ぼくは人によく言うんだけど、
十文字さんが独立しようという時に、
半年ぶんのラーメンを買いこんで、
「これで食うことには困らない」と
仕事に集中できた話……いい話だよなぁ。
あれって、ほんとの話ですよね?
十文字 ほんとです。
ラーメンじゃなくて、焼きそばだけど。
糸井 それを聞いた時、
「そういうことって、あるんだなぁ」
と感心したんです。

広告の業界や表現の世界にいると、
順番に階段をのぼるっていうふうに
みんな思いこんでいますよね。
修業があって、すこしずつ生活が安定して……。
でも、十文字さんの場合は、一気に、
「安定って何? コレだろ」と
半年ぶんの焼きそばでコンセプトを作っちゃって。
十文字 そうだね。
安定した生活のレベルっていうのは、
自分が基準だから。
焼きそばでよければ、それでもう、
食うことについては安定なわけです。
糸井 その時の考え、ずーっといままで生きているよね。
十文字 そうかもしれない。
糸井 ダイアン・アーバスにすごい意識がいった時も、
十文字さん、パッと飛びこんだもんね。


(※ダイアン・アーバスとは、ポートレートの意味を
  変化させたと言われる女性写真家。[1923-1971]
  視点をより被写体に近づける撮影が代表的。
  自殺後に行われたニューヨーク近代美術館での
  回顧展以降は、彼女の写真は伝説的に語られた)


あのあたりの十文字さんの写真って、
写真集で言うと、どういうタイトルだったっけ?

十文字 『蘭の舟』ね。(1981・冬樹社より刊行)
糸井 あ、それだ。
ずーっと被写体のいるところで
十文字さんは待ちぶせをしていて、
あれは、ぜんぶ正面から撮っていますよね。
十文字 そうです。
糸井 たぶん、十文字さんが
ダイアン・アーバスを意識したというのも、
その「正面さ」だよね?
十文字 ストロボ一発たいて、という。
真正面から向き合おうということです。
それに、写真と言葉というのを意識してました。
糸井 あの時も、みんなが美しいと言うものへの
疑いと、自分を確かめるみたいな動機があって、
おおぜいの人への提案として、写真が出ていた。
そのあと、もちろんいろんな広告写真は
撮りつづけていただろうけど、
急に、ヤオ族の写真に行きましたよね?


(※ヤオ族の呪術師を撮った作品集の
  『澄み透った闇』は春秋社より1987年に刊行)

十文字 途中で、カラダ壊したからねぇ……。
犬を飼ったのは、カラダを壊したからです。
糸井 あれ? ヤオ族が最初じゃないんだ?
そのために番犬を育てたんだと思ってた。
「十文字さん、番犬を育てあげてまで
 撮りたいものにガーッと行くんだ……」って。
十文字 ちがうちがう。
カラダを壊した療養のために、
犬を飼っていたんです。

ある時女房が、
こんなに小さいジャーマンシェパードを
買ってきたんだけど、生まれて1週間ぐらいの、
考えてみたら、犬っていうのは、
現代では人間社会の中に組み入れられているから、
本来の犬の能力って、出せないんですよ。

全速力で走ることもなければ、
獲物を噛み殺すほど思いきり噛むこともない。
能力はあっても、使い道がない……。
「人間社会の中で、犬が自分の能力を
 最大限に発揮できることはなんだろう?」
と言うと、これは調教なんです。

調教してやれば、調教している時は、
犬は全力で嗅跡追及をしたり、
犯人を追跡したり、物品を監視したり、
ジャンプしたり走ったり、ぜんぶできる。
野生の復活です。
そのことに、突然、関心がガーンと行っちゃった。
4年間ぐらい、自分で調教しましたね。

糸井 十文字さんの当時の自分の気持ちに、
すごく近い考えだよね。
十文字 そうかもしれない。
糸井 自分の能力をぜんぶ発揮できるような場所は、
「基本的には、まず、ない」と。
十文字 そうそう。
糸井 なるほどなぁ。
ぼく、そのころの十文字さんの話を
聞いたことがあって、誤解していました。
「犬と一緒に寝たり、
 調教の勉強もしているようだ」
って(笑)。
十文字 (笑)うん。

犬の調教って、
基本的には軍用犬からはじまっているから、
いまは違うだろうけど、
当時はすべて、軍隊用語でやられてたんですよ。
さっき言った
「嗅跡追及(しゅうせきついきゅう)」も
「脚側(きゃくそく)」もそうだし。

しかも、どっちかと言うと、
訓練には秘密事項が多いわけ、
どうやって犬をしこむのかについては。
糸井 秘伝なんだ?
十文字 それぞれの調教師さんの技術にかかってくる。
だから、そもそも、昔の調教師さんは
他人に自分の技術を教えることって、
嫌がるんです。
糸井 鷹匠みたい。特殊な世界だなぁ(笑)。
十文字 うん。
だいたい、散歩するコースって、
大型犬だと、決まってくるじゃない。
向こうから、デカい犬を連れた人がくると、
カメラマンどうしがすぐわかるように、
調教師さんどうしってすぐわかるらしいの。
そうすると、もう今日は訓練やらないと。

たとえば、バックの訓練ってありますけど、
犬は普段、後ろ向きに歩くことはないですよね。
犬に「バックすること」をどう教えるのか、
それは調教師によって違うわけです。
糸井 そこに……入りこんだんだよね?(笑)
十文字 そう。
4年目ぐらいに、
犬の10種競技っていうコンクールに出て、
最初の年は失格しちゃったんだけど、
2年目は3位になって。
メダルも賞状も、ぜんぶもらった。
糸井 (笑)え? なによ、それ?

でも、その……2年でいきなり
犬の調教大会で3位(笑)っていうのは、
1年目の反省点が、ものすごく生きたわけだね?
十文字 最初の年にどうしてダメだったかと言うと、
人間のほうがダメだったの。自分のほう。
何か、やり方がよくわからなかったからさぁ。
糸井 なるほど。
十文字 向こう(相手)は、みんなプロみたいなもんだから。
糸井 様式が、あったんだ?
十文字 あるある。それがわからなかったんだね。
犬に興味を持ってもらうには、
ある種のコツがあるんだよ。
メリハリというか、毅然とした態度と、
めちゃくちゃに誉めるという
落差がはっきりしてたほうが
犬がはっきりリアクションできるんだね。

糸井 おぉー。
それ、身につけたんだ?
十文字 ……うん、ちゃんと身につけた。
糸井 ハハハハハ。
十文字 犬は優秀だったんだよ。
糸井 でも優秀な犬をしつけたのは、
十文字さんだから、実はすごかったんでしょ?
十文字 いや、動物は、ほとんど血統。
人間も、もしかしたらそうかもしれないけど。
競馬だって、そうでしょう?

あるところまでは努力で行くけど、
何百頭もいる中で
トップクラスに行くには血統ですよ。
糸井 2億円の馬をやめて1億円にしたらダメだった、
みたいな話って、いっぱい聞きますもんねぇ。
その時には、ヤオ族は意識していなかったんだ?
十文字 あ、そうか。
そのことを言わなきゃね。
犬を調教していたら、
今度は犬に興味を持ちだしたわけ。
「犬ってなんだ?」と。

糸井 「犬ってなんだ?」って……(笑)。
すごい展開だわ。


第3回 犬を調べていたら、ヤオ族に辿りつく。


糸井 十文字さん、話の展開がすごいなぁ。

療養用に飼っていた犬を、
思わず調教していたらハマりこんで、
2年目には、犬の大会で3位になったりしてる。

そのうちに、
「犬ってなんだ?」
と思いはじめたって……(笑)。
十文字 犬の文献をいろいろ読んでいるうちに、
『南総里見八犬伝』ってあるじゃないですか。
糸井 (笑)『八犬伝』に行った!
十文字 うん。
「あれってなんだ?」と思ったんです。
読んでみると、前半と後半で中身がずいぶん違う。
糸井 へぇー。
十文字 物語に、犬が出てくるわけですよ。
「やつふさ」という名前なんだけど、
その犬が敵の大将を殺してくるんだね。

敵を討って帰ってきた時に、
里見義実っていう殿さんが、
犬に向かって、褒美に
「なんでも欲しいものを言え」と尋ねるんだ。
そうすると犬は、娘の伏姫が欲しいと言う。

殿さんは「え?」と思うけど、
1回クチに出したことだから、
もし、約束を破ると
何か悪いことがおきるかもしれない、
ということで、伏姫がお父さんをいさめて、
犬と一緒になる決心をするんです。
そして犬の背に乗って洞窟に入る。
糸井 おー。
十文字 言わば、人間と犬との混交の話ですよ。
胎内に生命をはらんで、
伏姫が死ぬ時に8つの玉が飛び散る。
それが『八犬伝』の前半なんです。
後半は、8つの玉を持った侍が活躍するという、
ぜんぜん違う話になっちゃうの。

その前半の話というのは、これは、
作者の曲亭馬琴のオリジナルじゃないだろう、
と思ったんです。あまりにも奇想天外な話だから。
後半はふつうのお話なのに、前半はすごいから、
もしかしたら、これは原本があるんじゃないか。
そう思ったんですね。
犬祖神話みたいなものを汲んでいるとか。
糸井 なるほどなるほど、浦島伝説だとか。
十文字 そう。

それを調べているうちに、
中国の少数民族の始祖神話の中に、
まったく同じ話があった。
それを図書館で見つけて、調べてみたら、
「現在でも
 その始祖神話を持っている種族がいる」
と。
糸井 またすごい話だよ……(笑)。
実は、そういう流れだったんだ、
あの写真集の発端は。
十文字 そうなんです。
「いったいその種族はどこにいるんだ?」
と思って調べてみたら、ヤオ族だったわけ。
インドシナ半島の、中国との国境の山岳地帯。
「黄金の三角地帯」と呼ばれている、
それはそれは、たのしいところです。
糸井 (笑)よりによって……麻薬の栽培地ねぇ。
十文字 (笑)よりによって!
どうして俺は、
すぐにそういうことになるのかなぁ、

とは思ったんだけど。
糸井 (笑)だいたい、いつもそうなるんだろうね。
十文字 でも、ま、
ここまできたら行ってみようということで、
それがあの本になったの。
糸井 わはははは。

それがあの本なの?
それって、写真家として
何を撮るかというよりも先に、
個人の興味があったんだ?
十文字 そうだよ。
俺の場合は、だいたいそうですね。
だから、写真集っていうのはほんとに、
あのヤオ族の本なんか、自分が体験したことの
100分の1ぐらいしか入ってない。
だって、どう書いていいかわかんない(笑)。
糸井 (笑)そりゃ、そうだよね……。
職業は「写真家」なわけだし、
研究者っていうわけじゃないから、
そこが悩みと言えば、悩みだよねぇ?
十文字 いまだったら違う作り方があるだろうけど、
当時、ぼくがそういうことを書いたとしたら、
「いったいこの本は……なんですか?」
っていうことに。
糸井 なるだろうねぇ。
「おまえは誰だよ?」
って言われたでしょうね。
十文字 紀行文なのか写真集なのか、
旅ものなのか、小説なのか、
冒険書なのか、分類がないわけです。
糸井 あははは。
自分としては、自然なんだけどねぇ……。
十文字 自然なんだけど(笑)。
糸井 すごいなぁ……。
俺、はじめて知ったよ。
この話って、みんな知ってるの?
十文字 知らないよー。
糸井 (笑)そうだよね……。
みんな、ふつうに、
「写真撮りに行った」と思ってるよね?
十文字 うん。
本の中に、何書いていいかわからないから、
ヤオ族の巻物のことについてしか書いてない。
その他のことを書いたら、
始祖神話にはなるわ、軍事的な話は出るわ、
ヘロインの話しになるわで、荒唐無稽でさー。
「007」の世界もあって、
ぜんぶ書いたら、わけわかんなくなるもの。
糸井 そうしたら、「俺」っていう成分が、
もっと濃く、本の中に出るよね。
でも、しょうがないよねぇ、
ほんとのことなんだから(笑)。

俺、その十文字さんのものすごい動きの
前後をつなげるために、自分で勝手に解釈して、
「写真を撮るために犬を訓練した」
って思ってた。おおぜいにウソをついてたよ。

実際に、訓練と目的が合致したもんだから、
ひとりで十文字さんが写真を撮っても、
現場で犬が守っていてくれていたという……。
十文字 いや、ちがうちがう。
その神話が記された「評皇券牒」という巻物が、
文化人類学的には、非常に貴重な文献で、
フランスの文化人類学者が、
フランスがインドシナ半島を占領していた時に
1本だけ見つけたっていうぐらいしか、
本物が残っていないんですよ。

やたら、燃えちゃって。
「俺が見つけてやろう!」と。
糸井 (笑)宝探しみたいになっちゃったの?
十文字 なっちゃった。
糸井 ……それもすごい!


第4回 麻薬栽培地で、神話の巻物を探す。


糸井 十文字さん、まずは
犬に興味を持ったことがきっかけで、
犬祖神話にはまったんですよね。

それで、神話の巻物を見つける宝探しの旅に、
いきなり出かけちゃった
しかも、黄金の三角地帯と呼ばれる麻薬栽培地に。
もう、笑うしかないぐらいの話なんだけど……。
十文字 宝探しは、燃えました。
糸井 わかる(笑)。
十文字 だからもう、心理的には
「絶対に見つけるまで行くぞ」と。
合計、7回ぐらいいったかなぁ、あの山の中に。
糸井 えらいところでしょう?
十文字 えらいところですよ……。
糸井 まずは、どこに行くの?
十文字 まずは、
バンコクからチェンマイに行って、
チェンマイから、チェンライっていう、
昔のビルマとの国境があるわけですよ。

そこに行ってみたんだけど、
その先どう行っていいかわかんないからさぁ……。
糸井 そこまでだって、
そうとう時間がかかってるよね?
十文字 まぁそこは、飛行機乗り継いで、
そのあとクルマを雇って、
はじめの頃はわからないから
2日ぐらいで着いたんだけど。
糸井 そこまでは、そのへんの人のクルマでいいんだ?
十文字 そこまではね。
そこから先、山に入らなきゃならない。
その山に入る時には、
当然、ガイドを雇わなきゃならない。
糸井 「そもそも、ガイドは誰だよ?」ってことだよね。
十文字 ガイドも誰ができるかわからないから、
チェンライっていうところのバーに、夜に行って。
糸井 あぁ、そうかぁ。
十文字 だいたい、悪いヤツっていうのは、
夜、クラブにいるわけで、わかるじゃないですか。
糸井 うん。
十文字 だからそういうところに行って、バーテンに、
「自分はこうこうこういう理由で、山に入りたい」
っていうことを、話したわけです。片言の英語でね。
「こういうヤツがいるから、紹介するよ」
そこで食堂のオヤジを紹介されて、そのオヤジは、
まぁ要するに、ヘロインの売人だったわけです。
だってその山は、それ以外やってない土地だから。
糸井 シルクロードじゃなくて、麻薬の道ね。
いわゆる、麻薬栽培の黄金の三角地帯。
十文字 そう。
ヤオ族という部族は、
アヘンにする「けし」を
畑で作っている製造者たちだから。
植物の製造者とヘロインバイヤーたちの間には
「 K・M・T」と呼ばれる中間業者がいて、
その彼らが、
アヘンをヘロインに変えるための工場を、
山の中に持っているわけ。

すごい武装した集団が、
山のなかにいるんだけど。
そこからヘロインを
街におろしてる売人を紹介された。
糸井 (笑)そこまでのルートしか開発されてないよね。
十文字 されてない。
糸井 そこまで行くのだって、大変なんだろうなぁ。
十文字 ふつうの人は、麻薬以外の用事で行かないんだから。
糸井 (笑)
十文字 最初はまず何をしたかっていうと、
その売人と一緒に山に入って、まず1泊野宿して、
いちばん近い部族のボスに、あいさつしたわけよ。
そしたら、「なんだ、おまえは」と。
向こうからしたら、わけわかんないんだから。
糸井 ……そうだよねぇ。
十文字 俺も半分わけわかんないんだけど。
糸井 (笑)
十文字 とにかく、奥深い山の中に町があって、
寺もあれば病院もある。小さなホテルもある。

まるで西部劇に登場する、
メキシコゲリラみたいっていうのかなぁ、
映画と同じように銃帯をバッテンに
たすきがけして、2丁拳銃さして
ゴム草履履いてるようなヤツらが
もうほんとに、ウロウロしてるんですよ。


そこに俺がやってきて、
「いや実は、ヤオ族の始祖神話の写真を撮りたい」
って言ったって、誰も信じないわけよ。
糸井 (笑)信じない!
十文字 「どうせヘロイン買いにきたんだろ?」
「違う!」って言ってるのに、誰も信じない。
最初は、それですよ。
糸井 じゃ、行ってそれだけで
終わるっていうことも、あったわけだ?
十文字 最初のほうは、それだけで終わってた。
1回目なんか、どうしていいかわからないから、
ただそのへんで酒飲んで帰ってきただけで。
糸井 (笑)「街の雰囲気は、こうだな?」みたいな。
十文字 「だいじょうぶなようだ」とか。
糸井 いや……きっと
「だいじょうぶ」じゃなかったような。

そのヤオ族って、麻薬ルートから、更に奥だよね?
十文字 もっと、すごい奥です。
ヤオ族の信仰っていうのは、
中国の昔の道教を中心に、
民間信仰が混交しているんですけど、
呪術師がいちばんチカラを持っているんです。

たまたま偶然、呪術師の息子が、
こいつがけっこう進歩的で、
バイクか何かを乗りまわして
山から下りて来ていたの。

その時に偶然出会って、
「いやぁ、おれ、ヤオ族だよ」
「え? ほんと! あんたの村へ連れてってくれ」
そんな話になったのが、
そもそものきっかけだったんだよ。
その偶然がなければ、
ヤオ族の村なんて入れなかったわけで。
糸井 それってもう何回目かに行った時だよね?
十文字 4回目。
糸井 そりゃ、
十文字さんが日本で育てた犬は
そこには、いないだろうなぁ……。

俺の思う「十文字さんのイメージ」は、
車があって犬がいて、
ひとりで入りこんでいくというものだったんです。

それでも、充分、かっこいいと思っていたけど、
もう、いまや、
「なまやさしいイメージだった」と言いたい。

単にトラが来るから怖いみたいなレベルとは、
まったく違った怖さだろうなぁ。
十文字 そのあたりの山って、6つの部族が徘徊してて、
ぜんぶ言葉も違うし、みんな武装しているから、
あぶないわけです。

途中の何回目からは、もう、
ヤオ族の呪術師に民族衣装をもらって、
それに着替えるようになった。

片言のヤオ語も話すようになって……。
そうじゃないと、
ジャングルで遭遇した時にあぶない。
「おまえ、なんだ? 誰だ!」
ってことになるから。
武器持っていないわけだし。
糸井 十文字美信っていう人は、思えば、ずっと、
「おまえは誰だ?」
と言われつづけた人なんですね。
十文字 (笑)
糸井 「おまえは誰だ」っていう人生(笑)。
十文字 そういうものの集積でしか、
ぼくは、本を作れないのかもね。

だから、いつか一度、いままでやってきたことを
まとめてみたら、おもしろいかもしれないけど。
糸井 大変な、おもしろい話だねぇ……。
でも、それは、本人しかできないね(笑)。
十文字 (笑)できない。
糸井 あるいは、書生として入るしかないね。
仕事として秘書がいてもムリだろうなぁ。
「俺は、十文字美信になりたい!」
っていうぐらいの人じゃないと、ムリだわ。

いま、話を聞いていたって、
もっと知りたい、もっと知りたいの連続だから。
キリがないもん!


第5回 呪術師に見こまれちゃった。


糸井 これだけおもしろい話があるのに、
ヤオ族についてまとまったのは、
ひとつの写真集……なんだよね?
十文字 そう。
『澄み透った闇』という
1冊を作っただけだけど、
ほんのごく一部を載せただけ。
自分の中での「評皇券牒」という巻物をめぐる旅、
それだけの写真集でした。

でも、当時自分の中で、それ以外に
どうまとめていいのか、わからなかったね。
分野もわからないし……。
糸井 ある種の諦観がないと、作れないよね。
十文字 それでも見た人は
「おもしろい」って言ってくれたんだから、
「それの100倍ぐらいおもしろい話があるよ」
と、こっちとしては、思っていたんですけどね。
糸井 でも、しょうがないよねぇ。
そのおもしろさは、総合芸術だから。
十文字 アハハハハ。
糸井 そんな中でも、巻物を探すっていう
最初の目的は、まだ生きていたんですか?(笑)
十文字 生きてた。生きまくってた。

その呪術師の息子と知りあって、
呪術師の家にすぐに行った……。
何回か行ったあとは、行くとすぐに
その呪術師の家に泊まっていたからね。

呪術師には息子が6人いるんだけど、
誰もあとを継がない。
そのうち、俺のほうは興味があるわけだから、
いろいろ、たずねるわけですよ。やり方を。
糸井 なんか、それじゃ……見こまれちゃうじゃん。
十文字 うん、実際、見こまれた。

32ぐらいある呪術のうちの
6つぐらいは、すぐに覚えちゃったよ。
糸井 犬の調教師の時と同じ展開だ(笑)。
十文字 まぁ、そうだね。

呪術師はどんな仕事をしているかと言うと、
別の村に病気の子どもがいれば行って治療したり、
治療といっても、もちろん近代医学ではないけど。
出産すると聞いたら、
そこに行って、伝統的な儀式にのっとり、
安産を祈念するだとか、
そういう仕事をしているの。
それに、一緒についていくんだよ。
糸井 「カメラマン」がねぇ……(笑)。
十文字 (笑)そう。
写真は撮らないけど、そのころは。

そのうちに、
「せっかくだから家を建てろ」だとか……。
だから俺、当時、その村に家を1個持ってた。
糸井 (笑)そんなことも、やったの!
十文字 当時、別荘持ってたの、ヤオ族のその村に。
糸井 (笑)ハハハハ。
十文字 最後の最後は、できあがった本を持っていった。
お礼の意味をこめて行ったら、俺の家が残ってた。
「その家にはもう2度と来ることはないだろうなぁ」
と思ったから、そこでいちばん親しくしていた
オカマがひとりいたので……。
糸井 え? そういうところでも、いるの?
十文字 いるの。
やっぱりオカマってすごく親しみやすくて、
すぐに仲良くなれるんですよ。
それで仲良くなったそいつに、家をあげた。

そいつはケガしちゃって働けなくなったって
聞いたから、そいつに
家をそのまま、あげたんです。
糸井 その家って、対価は何なの?
十文字 タイの通貨。
糸井 その村の産業って、農業?
十文字 現金収入は、アヘンを売っているわけだから、
彼らは、ものすごいお金持ちですよ。
糸井 はぁー、なるほど。
十文字さんがそこで使ったのは、東京での貯金?
十文字 そうですよ。東京のコマーシャルの仕事ですよ。
糸井 コマーシャルって、いいねぇ、そう思うと。
サントリーのビールを飲んでる人たちのお金が、
働けなくなったオカマの家になったんだ?
十文字 当時は、そういうことになるよね。
糸井 経済の不思議な生態系を感じるねぇ……。
十文字 しばらく生活してるうちに、
ずいぶん、コミュニケーションはできたんですよ。
呪術師は、漢字が理解できるから。

ぼくの書く漢字は100%理解される。
彼らの書く漢字は60〜70%ぐらいぼくはわかる。
だから、ほとんど理解できるんですよ、筆談で。

たとえば、「宇宙」とか書くわけ。
これはなんだ、と彼らに出すじゃない。
そうしたら、ちゃんと書いて答えてくれる。

ぼくは70%ぐらいしかわからないから、
日本に帰ってきてから、
中国人の知りあいたちに聞くわけですよ。
「これってどういう意味だ」と。
漢字といっても今では使われていない
古語みたいなものもまじってるから。

で、だんだん、辞書調べたりいろいろして、
けっこう、わかりましたよ。
それと、会話に関しては、
テープを持っていって、録音してくるんです。

それを日本に帰ってきて、
クルマを運転しながら、いつも流して。
語学の練習ですよ。
当時は、ヤオ語もずいぶんしゃべってたんだよ。
いまはすっかり忘れたけど。
糸井 十文字さん、勉強家だよねぇ……。
十文字 でもおもしろいよ。

当時は、たぶん、日本人で
いちばんヤオ語を話すのは俺だろう、
なんて思ってたよ。
糸井 (笑)ぜったいそうだよ。「ひとり」だもん。
十文字 最後のほうなんかさあ、
朝起きて、あいさつして、メシ食って、
畑に行く若い女の子なんか、からかえたもの。
「おぉ、かわいいケツしてるねぇ」
とか、そういう言葉は、ちゃんとできるもんだね。
糸井 すごい!(笑)
期間としては、どのぐらい行ってたんですか?
十文字 7年ぐらい。
1回、1か月ぐらい行っていて、
前後の準備に1週間ぐらいかかったから、
実質は、7か月弱ぐらいになるのかな。
糸井 その1か月には、仕事を入れないようにして。
その1か月以外は、
日本でふつうに、仕事をしてたんだよねぇ……。
十文字 うん。
糸井 みんな、何も知らないから、
「なんか、あっち行ってるみたいだよ」
とか言ってたぐらいだったと思う。
どうせ、まわりにだって、
詳しく説明していなかったんでしょう?
十文字 うん、そうだね。

もともと、
何かにまとめてやろうとかいう目的はなくて、
自分のために行ってるわけだから。
結果的には、
「あぁ、こういう体験だったなぁ」
と思って、チョロッと本にはしたけど。


第6回 写真を撮るということ。


糸井 十文字さんがヤオ族に行ったのは、
「自分が動いていくことや
 生きることそのものがおもしろくてやっている」
という行動だったわけですよね。

その一方で、「写真家である自分」もいる。

写真家って、カメラを持っていって、
写真におさめる形で仕事にするじゃない。
「もう、撮んなくてもいいや」
みたいな心境には……。
十文字 それは、ものすごくなりますよ。
糸井 なるよね?
十文字 すごい、興奮してるからね。
それに、生活してるわけだから、
観察とまた違う時の方が多いんですよ。
糸井 「もう、目がカメラだ、それでいいや」
みたいになるもんなぁ。
十文字 カメラの中をのぞいていても、
周囲の様子は、見えてこないんですよ。

確かに、カメラのフレームの中では
すごく深くものを見ることができるんだけど、
フレームの外は見えていないから。


だから、自分を環境に同化させる時は
カメラは向いてないです。
カメラが役に立つのは、
自分が旅人に留まってる時だね。

彼等の生態系に入ろうとしたら、
ひとまずカメラを置いて、
一緒の生活、一緒の行動するようにしないとね。

たとえば、
舞台写真なんてすごくよくわかるんだけど、
被写体である役者本人を撮ってると、
舞台の進行なんて見えないよね。

だから、ぼくはヤオ族に
会いにいったわけだから、
ある状態になるまでは、
そういう場面では、めったに写真を撮りません。
糸井 でも、撮りたい写真が出てくるんだ?
十文字 だんだんとね。
糸井 そういうもんなんですか。
写真家が写真を撮りたいっていうのは、
俺には、わからない気持ちなんだけど、
敢えて言えば、どんなような気持ちなんですか?
十文字 「入口」があるんですよ。
その入口っていうのは、自分の興味、テーマ。
テーマというのは、
人によっては必要ないと思うかもしれないけど、
ぼくは、それを「目的だ」と感じる。

入口がある。
入り口があればそこに入りたいじゃないですか。
だけど、入ってから、撮るか撮らないかは、
その時にならないとわからないですね。
写真を撮るというのは、
考えることと対極にある行為だと思っていい。

「最初の入口の興味」は、
「写真を撮ろうと思って考える興味」だけど、
実際に入ってみると、
もう写真のことは忘れるかもしれないし、
たぶん、人によって違うよ……。
まぁ、当時のぼくは、そういう感じだった。

いまは違うよ。
糸井 いまはまた、どうも違うみたいだね。
『わび』を見ていると、なんかそう思う。
十文字 うん。
それに当時は、すごいエネルギーもあるし。
糸井 若さが生む、「はみ出すエネルギー」ですよね。
十文字 そうそう、だから、
おとなしくシャッターきってられないんですよ。
糸井 わかるなぁ、その気持ちは。
俺は写真を撮らない人間なんです。
カメラを持っていても、撮らないです。
やっぱり、「撮ってらんない」んですよ。
十文字 うん、時間は、どんどん過ぎていくし……。
糸井 そうなの。
カメラマンでもないのに
撮っている人が、なぜ撮っているのか、
ぼくはいつも質問したくなるわけですよ。

「あとで見るため」って、
別におまえは書記じゃないだろうが、とか感じる。
その場で生きていれば、それでいいんじゃない?
そういう気分に、いつも思わずなるんです。
まぁ、きっと俺は一生そうなんでしょう。

だけど、写真家はほんとは撮るおもしろさを
わかっているわけだから、けっこう、
そういうヤオ族との遭遇の場なんかでは、
複雑な気持ちになるんだろうなぁ、と思って。
十文字 結局ね、カメラは、
「見ようと思うものを見るための道具」
なんです。

いちばん最初に話したように、
それぞれの人は、目で見ているもの以外のものを、
見ているわけじゃないですか。
たとえば、この目の前にあるツボならツボを見て、
ツボそのものだけじゃなくて、
「あ、人間のカラダに似ているなぁ」とか、
「このテカリは石に似ていないか」だとか。

そういう風に思いはじめたものっていうのは、
見ていると、撮りたくなるんです。
自分の目で、撮りたくなる。

何かを感じたのは、誰の思いでもなく、
「自分の思い」ですよね。その自分の思いで、
写真を撮ってみたくなるんですよ。


できあがった写真は、結果的には、
これだったら、ツボの形をした
ただのランプの写真かもしれないけれど、
でも、写真を見た人が何かがあると感じたり、
「この人が撮ると、ただのランプじゃないなぁ」
とか、そういうのって、
ざわざわするじゃないですか、

「個人の思い」で、
見たいように見てるからなんですよね。

だから、ぼくは写真を撮るんです。
最近は、そういうことをすごく感じるようになった。

映像表現の手段って、
さまざまに種類が増えて、技術的にも進歩して、
いままで表せなかったものが
容易にできるようになった。
でも、そうなればなるほど、
原始的なざわざわするものって、
明らかになって来るよね。
糸井 その方向に、気持ちが行ってるんだ?
十文字 どんどん、来てるねぇ。
糸井 この『わび』の本を見てると、
それ、すごく感じますね。

じゃあ、もともと、ヤオ族に
貴重な資料を探しにいこうという気持ちと、
写真に撮ろうという気持ちとは、
ぜんぜん、関係なかったんですね。
十文字 関係ないです。
糸井 だけど、「撮りたい」と
思うだけのことが、あったんだね。
十文字 あのころは、ぼくとしては、
見たことのないものを見てみよう、
ということだったんですよね。

「見たことのないものを見たい」
「食べたことのないものを食ってみたい」


そういう気持ちだったと思う。
糸井 あぁ、たしかに、そういう時代だった。
十文字 行ったことのないところに行ってみたいし、
会ったことのないヤツに会ってみたいし……。
そういう時代よね。
ぼくはそれでいいと思っている。
そういう時代を駆けぬけてきたわけだから。
糸井 うん。
最初に、遭遇していないものに会うまでは、
それが価値だから、飽和するまではいいよね。
ただ、やはり、飽和しますよね。
いまはもしかしてそのヤオ族に会いにいく
ツアーが組まれているかもしれないから……。
十文字 だって、世の中ってもともとそうじゃないですか。
何でも、おもしろくて、結果的に
価値として残って行くのは「最初だけ」ですよ。


「わび」とか「遁世」もそうだけど、
世俗から逃れるために、山に入りますよね。
数寄者たちが、かっこよく言うと、
「自己を見つめるため」に隠遁するわけだ。

でも、鎌倉時代に、
最初にそれをやった西行だとか、鴨長明だとか、
そういう人を、世間の人達は、
「すごいなぁ」と、尊敬したのかもしれない。
あそこまではできないよ、みたいな。

だけどそのうち、100人1000人と
隠遁生活を送るヤツが出てくりゃあ、
「もう、勝手にやってろ」と言うのが、
時代じゃないですか。それのくりかえしですよ。


第7回 美しさって、なんだろう?


糸井 少数民族のヤオ族の経験のあとに、
十文字さん、急に黄金を撮りはじめたんですか?
十文字 ヤオ族に関心を持ったのも、
『八犬伝』がきっかけじゃないですか。
それで、俺、よく考えてみたら、
日本のことを知らないなぁ、と気づきまして。
糸井 あぁ、なるほど。
いままで外に出ることをやっていたら、
スタート地点のことを見ていなかった、と。
十文字 『南総里見八犬伝』も、
子どものころの映画を見てはいたけど、
でも、よってたつところの内容を
ぜんぜん知らなかった。

そこで、ここいらで1回、日本というものを、
ビジュアルでとらえてみたいなぁと思ったんです。
「ビジュアルで」っていうのは、
深く考えることが嫌いだからなんだろうなあ。

日本美術の文献を何冊か買ってきたんですけど、
どの時代にも共通してあったのが「黄金」だった。


「日本人って言ったら
 茶とかわびさびだとか
 もののあはれだとか言われているけど、
 それは時代時代のものじゃない?
 古代から近世まで、ずうっと共通して
 日本人が興味を持ってるのは、黄金じゃねぇか」
糸井 そう気づいたんだ。
十文字 しかも、西洋もそうだなぁ、と。
西洋と東洋の黄金への興味って、
違うかたちなのかな、一緒なのかなぁ、と、
そういうことを思いはじめたのが、最初だね。
それでチョコチョコ、見にいっては、
撮らせてくださいってふうに、やってた。
糸井 光るものがあると行くって感じだったよね。
そこでたまたま、黄金には
仏像が多かったってこともわかったわけで。
十文字 「漢倭奴国王」と記された
西暦57年のころの金印からはじまって、
光悦・光琳あたりまで、金はずっとあった。
現代もそうじゃないですか。
糸井 黄金のシリーズが出はじめた時に、
「早い話が、黄金じゃねえか!」
と十文字さんが言いたい気持ちについて、
思ったことがあるんですよ。
そのことは、むずかしいことじゃないですか。
「趣味がいい」っていうのは、人の価値だから、
「趣味がいい」を追及していると、
他人とのすりあわせが絶えず必要なんですよ。

「趣味悪いじゃん?」って、ひとこと
言われたらぜんぶが崩壊してしまうみたいな、
そういうことってあるわけだけど、
そこに、飛びこんだんだなぁ、と思いまして。
「趣味がいい」と言われているその正体が、
黄金を撮りつづけている十文字さんに、
ゆるがされているなぁと思って見ていたんです。


黄金の中のハゲたものに、人が
趣味のいいものを見つけたりしている。
「それってどういうことなんだ?」
というのが十文字さんだったわけで……。
いろいろな人たちが、自分の寄って立つ
美意識というものを疑わないことに対して、
十文字さんの活躍があった。

おもしろいのは、かならず編集者をまきこんで、
まわりを、説得できていたということなんですよ。
十文字さんがテーマに取りあげることって、実は、
「これ、おもしろいと思うんだよ」
そうやって、酒場で話して終わりになっちゃうような、
かなり「いがらっぽい」ところなんですよね。

だけど、その気持ちを、作品にするまで届けている。
もちろん、自分も同時にのめりこんでいってる。

それで黄金があって、
今回の『わび』が来た時に、
十文字さんのこれまで辿ってきた道が、
俺の中で、ぜんぶつながったような気がしたんです。

早い話が、十文字さんのやってきた仕事は、
「みんながキレイだと思うものと
 自分がキレイだと思うものとは、
 同じなのか違うのか。
 ……どっちがウソなんだ?」

というか。
十文字 まぁ、そうですね(笑)。
糸井 だから、今回の『わび』を見た時にも、
もう、めくるたびに、
「おまえはどうなのよ?」
って言われているような気がして、
だから驚いたわけだし、おもしろかった。
十文字 (笑)
糸井 なおかつ、『わび』がたのしいのは、
十文字さん自身でも、
「これは失敗かもしれない」
といくものを、ときどき混ぜていますよね。
それが、勇気なんですよ。
十文字 うん。
さっきした話につながるんだけど、
「何でもないものは、ほんとに価値がないの?」
っていうのは、けっこう
この本で、俺の言いたいことなんだよ。

糸井さんにそんな風に思われているんなら、
この本はそうとう成功しているのかもしれない。
糸井 そうだよ。
十文字 俺がいくらそういうつもりでも、
見た人はそんなことを思わないだろうな、
と思っていたから。
糸井 「これを、美しさとして混ぜこんでいいんだ」
っていうのを、
自分の中で決済しているんですよね。

十文字さんは、
写真の世界の縦の軸で
出世していきたいんだったら
ハズすべきものが、
絶対にあることをやっちゃうから。
十文字 それは、けっこういわれるね。
糸井 ほんと?
十文字 言われる言われる。
「十文字さんみたいに評価の定まっている人が、
 どうしてそういう写真を出すんですか?」
と言う人がいるんです。
糸井 それは、ネガティブな見方ですね。
十文字 そりゃ、そうだよ。
糸井 俺は違うんですよ。
もう、まるっきりポジティブ。

十文字さんの写真が言っているのは、
「これ、みなさん、どうっすかね?」
ってことで。
十文字 (笑)
糸井 「俺は、ちょっといいなと思ってるんですけど」
とか。
十文字 うん。
糸井 そういう写真が混じるんですよ。
で、お茶の章にいくと、もんのすごく安定する。
十文字 (笑)
糸井 その安定は、みんながつきあっている
大ウソかもしれないんですけどね。


第8回 生まれたものには価値がある。


糸井 ぼくは、『わび』の
十文字さんの写真をめくりながら、
「これは宇宙人が見たらどう思うかなぁ?」
「パブロ・ピカソなら、どうなんだろう?」
そうやって、思っていたんです。

そう考えだすと、
美意識っていうのは、
もう、グラグラ不安定なところに
煮えたっているマグマみたいじゃないですか。
十文字 うん。
糸井 マグマの動きそのものを
そのままとらえて
『わび』という本にしたのが
十文字さんですから、それはスゴイよ。
「わけがわかんないんだけど、
 とにかく見てみてよ!」
って、おおぜいの人に言いたくて仕方がない。

つまり、俺も、究極には
何を言いたいのかというと、
「生まれたものはぜんぶ価値がある」
ということなんですよ。
十文字 そうなんだよ。
ほんとに、そうなんだ。

あ……いま、それを聞いて、
ほんとに、うれしかったなぁ。

やっぱり、そういう話になるもんね。

いまの時代って、特にそういうことを
感じなきゃいけないと思ってる。


ぼくらが美しいと思ってきたことって、
もしかしたら、昔の人がセレクトしたもので、
それをそのまま思い込んでるものも
ずいぶんあるよね。
捨てられたもののなかにも、
だいじなものがいっぱいあるかもしれない。
糸井 ポジティブってさっき言ったけど、
ぼくはめちゃくちゃ、ポジティブなの。

ネガティブを直してるヒマがあったら、
取るに足りないものを認めてあげて、
いまあるエネルギーをプラスに向けたほうが、
実際に、しあわせになるんですよ。
十文字 うん、うん。

この本って、
そういうことを言いはじめると、
けっこう細かいところまで気を使っていて、
たとえば、カメラの選択から始まって、
ライティングからなにからっていう点では、
専門的な話だけど……。

「ほんとに素人が撮るようなやりかた」から、
「ほんとに写真をわかってる見るやつが見たら、
 どう撮るか、わからないだろうなぁ」
という技術を駆使してやるところまで、
ぜんぶ、入れこんでいますから。
糸井 おぉー。
十文字 お茶の章のところでの
茶碗を撮ったクオリティなんて、
実は、写真を好きなやつから見たら、
「え? どうやって撮るんだろう?」
と思うような技術が詰まっているんです。
糸井 そこは、十文字さん、
「調教師3位」の実力を出したんだ?(笑)
十文字 そうね(笑)。

そのへんは、
「そう簡単には見破られねえぞ」っていう、
だって、30何年もやってきているわけだから。
糸井 ほんとに、そうだよねぇ。
長くやってるって、すごいことなんだ。
俺はそれこそ、その写真の技術については
ぜんぜん、わからないんだけど、
「バラついてるなぁ」って感じだけはわかる。

この『わび』って、
ときどき見る側を安定させて、
ページをめくらせているだとか、
写真の順番のほうも、けっこうすごいね。
十文字 順番もすごくおもしろいんだけど、
ほんとの話、トランプのようにして、
ランダムに混ぜて、部屋にまいたのね。
糸井 おぉ!
十文字 順番に拾っていったままだった。
糸井 それは、わかるわ……。
自分をもだませないものは
どこかで、発見されてしまいますよね。

バラバラにまいたものというのは、
とるにたらない1回の偶然で、
それでも、そこには価値がある。
十文字 うん。
いま、自分で
いちばんだいじにしているというか、
価値があるものだなぁと思っているのは、
「偶然」なんですよね。
糸井 あぁ。
十文字 どんなやつでさえ、
「自分で考えたもの」というのには
やっぱり限界があって、
その考えの範囲をわかった瞬間に、
もう、おもしろくなくなっちゃうんです。
だけど、偶然っていうのは、そうではない。


この『わび』っていう本、
俺はいまでも毎日のように開いてみるけど、
おもしろいの。
どうしておもしろいのかっていうと、
偶然で順番を決めているから。

だから、何回見ても飽きないんですよ。
「なんでここにこれが来るんだよ!」っていう。
糸井 そうなんだよねぇ。
十文字 もちろん、章だては、やっています。
だけど、あとはバラバラ。
糸井 ぼくはもともと、
一生懸命じっくり見ることって
根本的に嫌いですから、ただ単に
「あ、これは見ておこう」ではじまるんです。

『わび』も、そうやって見たんだけど、
もう、驚くぐらいに感想を持って
持ちすぎてしかたなかったんだから……。
飽きないですよ。
十文字 茶の章に載っている
豆まき石っていうのがあるんだけど、
この、庭に置いてある石の場所は
どういうふうに決められたのかというと、
千宗旦という千利休の孫が、
豆をまく時の大豆を、石の数だけ握って、
ぽん、と放ったんですよ。
「豆の落っこちた場所に、石を埋めろ」と。


それはもう有名な伝説なんだけど、
それを聞いた瞬間、俺は真実だと思った。
だから、宗旦はその庭に
何回行ってもおもしろかっただろうなぁ。

この石の次はここって、歩きにくいなぁとか、
なんでこんなふうに離れてるんだよって
言いながら庭を歩くことがゲームじゃない?
それこそ、「予期せぬもの」なわけで。

日本人って、昔からそういう
偶然のおもしろさを知っていたんですよ。

ぼくは、人がやったのも、飽きちゃうんです。
特に気に入らないものなんかだと、
もう1回目から、飽きちゃうじゃない?

だけど、自分の意図を
超えてできたものは、自分でさえたのしい。
糸井 タネとしかけのあるものっていうのは、
タネとしかけがわかったら、
「もう、いい」んですよねぇ。
十文字 そうだね。


第9回 わびは、負けたヤツのもの。


糸井 いま、この『わび』を作って、
もちろんここに選ばれた写真以外にも、
無尽蔵にたくさんのものが積まれているわけです。
撮っていない作品も含めて、まず1冊出してみて、
気持ちはどうですか?
「足らない」っていうことはあると思うけど。
十文字 ぜんぜん足らないけど、でも、
いままで作ったもののなかでは、
いちばんうまくいったねぇ。
いままでが、足らなすぎたから。
糸井 そうだねぇ。
十文字 この本だって、いままでのように、
ふつうどおりに作ったら、まんなかの
茶の章だけのものになって、おわりだった。
糸井 十文字さんが、
小学校の修学旅行につきそいして
学生の写真を撮ったような写真になりますよね。
十文字 わびって、一見、どんなにうまくとろうと、
「当たり前じゃない?」
「知ってるよ」
で終わっちゃうじゃない。
十文字美信が、茶碗をどんなにきれいに撮っても、
当たり前でしょう?
「ふつうでしょ」ってなる。

でも、この本は、そういう意味では、
当たり前じゃないと思ってる。
自分の気持ちの中のすべてじゃないけど、
なんとか、近づいているという感じがしていて。

それが自分では見えてきたから、
見る人がどういう風に
見えるのかはわからないけど、
自分としては、
今までの中ではよい出来だったと思ってる。
糸井 写真を撮る動機について
十文字さんが語っていたことと重なるんだけど、
写真の外側の世界にふきだすみたいなことを、
ずっとやっていまして、そのことも含めて、
1回、写真集の中に入れてみようと、
枠を作れるようになったおかげで、
こんなものを、作ることができたんだろうねぇ。
十文字 なんで撮るのっていうのが、いまは、
自分の中で言葉にできるようになってきた、
っていうか……。

さっき質問されたんだけど、
自分が、現実のものを通して見ているものが、
だんだん、わかってきているのよね。
わびって、茶碗を見ようが松を見ようが、
なんとなく、その場に立ちあいながら、
そのものを通して、自分の見ているものがある。
それを、言葉にできるようになってきたんです。


だから、いままでガーッとやってきたのが、
すこしこう、かたちになってきたと言うか。
糸井 人間ひとりが思う感情の源というのは、
生きてきた経験で変化していくものもあるけど、
自分だけの経験だけだと思うとおおまちがいで、
生まれる前の蓄積が、すごくありますよね。

つまり、何を見てどう感じるのかは、
「作られた何か」が鎌倉時代にできていれば、
その時代からつながっているものを吸いこむ。

だから、この本を見ていて思ったのは、
「十文字美信」がどういう見方をしていても、
とりかこまれて見ていたものというのも、
もうひとつ、すごく長い間の時間として、
体現してしまうんだなぁっていうことでして……。

歳をとればとるほど、字が消えていくから、
「俺が生まれて俺が死んでいく」
ということへの興味が減っていきますよね。
かわりに、俺ができてきたという背景の深さや
奥行きのところに自然に興味がいくもんね。
十文字 うん、そうだね。
糸井 その時にこの本ができたんだから、
このあとが、またおもしろいだろうなぁ。
「美って何?」というシリーズだもの。

この本、ほんとに、おもしろいよね。
装丁も、へんなものですよ?
十文字 そうだよね。
これは、強烈でしょう?

デザインは山形季央さんという方です。
資生堂のアートディレクターに
やっていただいたんだけど、
はじめは2種類作ってきてくれました。
この白い装丁っていうのが
ほんとにすごい発想です……。

ふつうは「わび」というと、
地味な色を想像するよね。
「利休ねずみ」とかね。あるいは黒とかね。

でも、真っ白な表紙がでてきた時は驚きました。
考えてみたら、「わび」くらい
白にふさわしい美意識はないんじゃないかなあ。

わびは、清らかじゃないと。
心が清らかじゃないと、わびれないんです。
糸井 欲が出ちゃうからね。
十文字 ぼくは、黄金もわびも両方やってきたけど、
わびのシンパなんです。

わびの世界って、
どうひねくれようと、どう転ぼうと、
どんなひとが何を難しく言おうが、
1回負けたヤツじゃないかぎり、
わびはわからない。


だから、どんなに立派な人が何を言おうと、
「あんた、1回負けたことあるの?」
っていうことが大事なんです。
負けたことがなければ、わびれないですよ。
糸井 その「負けの経験」は、
十文字さんにとっては病気と療養ですね。
十文字 そうだね。

ぼくは病気もそうだし、さまざまな
「負けたやつの感覚」っていうのがありまして。
「負けた時の感じ」は強烈に持っていて……。
だから、わびにシンパシーを感じる。

負けたヤツが美しくなるためには、
「白」ですよ。
「1回きれいになる」っていう。

わびのベースは白だと
どこかで感じていたからこそ、
この表紙が出てきて、拍手でした。
糸井 この白い装丁をめくって出てくるのが
ああいう写真の数々ってところが、
この本の性格を表してますよねぇ。
……いま、十文字さんは何歳になったんですか?
十文字 もう、55歳になった。
そこまで、来ているからね。
糸井 俺も変わらないんだけど、うしろが短いんだよね。
十文字 うん。

あともう1回は何かをやりたいんで、
なにかベースを作ってやっていくための、
いまは、その準備です。
糸井 なるほどね。


第10回 おれがアート、おまえもアート。


糸井 「黄金」の本のほうは、『わび』に比べると、
きっと、知りたいという欲が強すぎるんですよ。
「黄金をめぐる戦い」があるような気がする。
『わび』には、戦いじゃない何かを感じたわけで。
十文字 黄金は、途中で3Dで見せる、
みたいなことを、やっていたでしょう?
世間がまだ3Dに何の興味も持ってないころから、
自分で機材を作ってやってて……。
俺、特許をふたつ持ってるんだよ。
糸井 (笑)そんなことまでしてたの?
十文字 SONYがそれを見て、
「共同で名前をだしましょう」って電話がきたから、
連名で特許持ってるんですよ。
糸井 (笑)すごいなぁ、それ。

黄金の時の写真には、なんか、
スケベさがあるような気がしたんです。

「奥のほうは、どうなっているんだろう?」
というか、学問の持っているスケベさに
似たものを感じていたんですよ。
「すごい知りたいんだろうなぁ」
とは思ったんだけど。

『わび』では、そのスケベさじゃなくて、
もっといいスケベさになっているよね。
十文字 たぶん、黄金のころは、
まだ必死に勉強をしていたからだと思うんです。
言ってみれば
「教養を深めたい」というスケベさかもしれない。
「仏教ってなんだ?」
「阿弥陀如来ってなんだ?」
「三昧ってなんだ?」
糸井 大脳を感じますよね。
十文字 そういう、いわゆる勉強をやっていたんだけど、
最終的には3Dにしたことで、
「もう、金は、娯楽だぞ!」と……。
そこで、結論が出たんですよ。
金っていうのは、やはりたのしむもので。
糸井 あ、そうか。
3Dにした時に、スケベさが成仏したんだ?
十文字 うん。「金は、体験だよ」と。楽しもうよ、と。
糸井 その意図は、
人には理解できなかっただろうなぁ(笑)。
十文字 そりゃ、そうだよ(笑)。
糸井 でも、自分の中では解決したね!

目の前に、金を山ほど置いた場所を作るのが、
ほんとうの娯楽だよね。
十文字 うん。快楽という意味ではね。
でも人は面白いね、知ってしまうと、
その瞬間からもう、ざわざわしないんだよ。

まだ、何も実際に行動を起こしていないから、
ほんとうは、
クチにするべきじゃないのかもしれないけど、
最後は自分自身で
何かをしようと思っているんです。

作りおわったあとは。

まだ、ぜんぜん、見えていないけど。
糸井 あぁ……。
自然に、そこに行くよね。
つまり、あらゆる計画は都市計画になるように、
たぶんそこに、行くんですよね。
十文字 即身成仏とかやる坊さんの気持ち、
なんかわかるもん。
即身成仏してみたいっていう気持ちは、
なんとなくわかるよ。
糸井 つまり、なんか
最後は、生きることそのものを
アートにしていくしか、ないんだよね。
十文字 最後は、自分がただ、
立ったり座ったりしていれば、
それを見た人が、
「あ、もうこれだ」と……。「こいつはすげえぞ」と。
糸井 「俺がアートだ」と。

それは同時に、
「おまえがアートだ」
っていうメッセージでもあるんだよね。
十文字 そう!
そう思ってくれないとね。
糸井 十文字さんは、ポルノには行かないの?
十文字 未発表のポルノはあるよ。自分だけのね。
ただ、個人的なものだから。

だけど、ポルノは、しみじみ撮るねぇ。
俺、いちばん最初に撮っていた写真は、
ガールフレンドと
セックスしている時の顔だったから。
糸井 あ、そうなんだ。

ポルノも、美というものだよね。
「欲情するってなんだ?」
「エネルギーが沸きあがる理由は何?」
ということでは、
研究者になれるタイプの話だと思う。

ただ、性器がうつっているだけで
もう載せられないというものなわけで、
だけど毎日毎日みんなが見ているのがポルノ。
これを、ほんとにいやらしい意味じゃないと
信じてもらって作った時には、
いいものができるような気がして……。

性には、支配関係があるでしょう?
夫婦がなぜセックスをしなくなるかというと、
それはきっと支配関係が壊れるからですよね。
支配関係がある夫婦は、
いつまでもセックスをどんどんするだろうし。
そういうことを考えて、作ってみるというか。
十文字 だけど、エロティシズムって
共有できないのかもしれないね。
糸井 でも、共有できるかどうかは、
試せないじゃないですか。
十文字 試せない。

でも、エロティシズムは、
同時に持つものではないと思う。
共有するエロティシズムなんて、
底が浅いような気がする。
エロティシズムだけは、深ければ深いほど、いい。


自分の持っているものを他人が見て、
すごいエロティシズムを感じた瞬間に、
そこから離れるような気がするんです。
なんか、そういう感じがある。

つまり、自分の作ったエロティシズムを
誰か3人ぐらいの人に見られた瞬間に、
作った側のエロティシズムはなくなっちゃう、
という宿命があると思う。

見られて感じるエロティシズムは
鮨を食べに行って、
まぐろを焼いてもらうようなもんでしょう。
糸井 俺はそこは、あいだに
媒介として「黄金」にあたるものを、
1回、撮るべきなんだと思うんですよ。

つまり、人がいいって思うに決まってる
大商業主義的なポルノグラフィの傑作は、
「黄金」にあたるものですよね。
いいに決まっているものを探る商業主義を通して
できあがったエロティシズムを通貨にすれば、
答えが見えてくるんじゃないかなぁ?
十文字 エロティシズムって、それぞれの性格と
モロに直結しているものだから、
微妙に違うと思う。

ほんとのことを言うと、
誰もが同じように感じる
エロティシズムなんてないんですよ。
糸井 でも、黄金が消えなかったように、
みんな、セックスしつづけているじゃないですか。
だとしたら、みんなの個人的な
エロティシズムを抽出したのがポルノですよ。
ピンナップもそうだし。
十文字 エロの一部は、共有できるんだよね。
でも、自分の感じているエロティシズムって、
エクスタシーに近いじゃないですか。
だいじにしているし、それはやっぱり、
共有した瞬間にエクスタシーじゃなくなっちゃう。
娯楽だとか、別なものになっちゃうよ。
糸井 黄金が娯楽であったと同じように、
おおぜいに見せる、
きれいなポルノってあるじゃない。

それがいちばん商売になったわけだけど、
「それじゃ足りないよね」
とみんなが思いながら見ている。
その「足りなさ」をわかるために、
1回、いちばんいいものってなんだって
探ってみたらどうかなぁと思うの。


「あらゆる芸術がポルノに近づき、
 あらゆるポルノは芸術に近づく」
っていう言葉があるようにね。
十文字 たぶん、象徴化して抽象化しないと、
なかなか人と共有はできないんですよね。

だけど、他のことならいざしらず、
エロティシズムだけは、象徴化しちゃうと、
自分の生理に届かないものがあるんですよ。

エロティシズムだけは、具体的なほどいいなあ。

そこはたぶん、
男のことで言えば、実際に女を触っているのと、
イク瞬間との違い。
イクのは、自分だけのものなんです。
それは共有できない。

そこをすごく大切にしたいと
思っているヤツには、
なかなか共有できないですよ。
糸井 なるほど。
いまの話、女の人でちゃんと話がわかる人が
参加してくれたら、答えが出てくるかもね。
十文字 支配するとか、支配されるとか、
そういうものが、すごく大きいものだと思う。
糸井 女のほうも、
支配されることで支配しているんですよね。
十文字 うん。
臆するとできなかったりするし……。
上になったり、下になったり、
体位じゃなくてね。気持ちの持ちようがね。
糸井 ただ、話していて、
俺と十文字さんの違いに気づいたよ。

たぶん、俺のほうは、とにかく1回ばらまいて、
そこで流行が生まれて裾野が広がってから
見えてくるものを見たい、というのがあるよね。

だけど、十文字さんはきっと、
先に個人で見たいんだよね。
十文字 そうかもね。
何よりも自分が感じたいんだと思う。
糸井 思えば、しあわせな人生だよね。
ぼくは要するに、他者志向なんですよ。
「俺は景色」なんです。
十文字さんの場合、景色は従属物でしょう?
それは、表現の形態が変わってくるだろうね。
十文字 かつてはそういう気持ちが強かったけど、
でも、いまは個人の体験は、
つまらなくなってきたんだよ。
糸井 本にするだとか
展覧会にする以外の表現方法は……。
十文字 「ないかね?」と、すごく思ってるよ。
糸井 『わび』について、
「まあ、満足してるよ」って言ってたけど、
どうも、さっきからの話をきいていると、
してないよね?
十文字 (笑)やっぱり、ほんとは
本を見た人が実際に体験してほしいよね。
糸井 見る人ぜんぶに、
十文字さんの目の中に入ってもらって
それを通して見てもらいたいんだろうし。

映画でもないし……
表現って、いつもその枠の中で
やるしかないんだろうねぇ。
十文字 映画よりも、舞台が好きですよ。
糸井 そうだね。舞台は1回性だからなあ。
十文字 舞台のほうが好きだし、俺に合ってると思う。
糸井 スポーツは?
十文字 すごい好き。
糸井 やっぱり! 偶然性のかたまりだもんね。
十文字 けっこう見てますよ……。

ぼく、ハンマー投げの室伏くんと
仲がいいんですよ。
こないだBSで彼を扱った番組を見ていたら、
感動しちゃって、すぐに『わび』を送ったの。

そうしたら、すぐにメールが入ってきて、
「いま届きました。
 十文字さんの写真を1枚1枚めくりながら、
 見えないわびを感じます」

って……また感動しちゃったよ!
すごいよなぁ、と思って。
糸井 ハンマー投げもそうだし、
あらゆるスポーツはそういうものですよね。
すごい精神力なんだろうなぁ。
トップクラスの選手は、ほんとにすごいもの。
十文字 うん、すごいと思った。


(ふたりの対談は今回が最終回になります。
 ご愛読を、どうもありがとうございました!)