筑波系特有の感じ

糸井
ぼくの友人に森川幸人くんという
ゲーム作家がいるんですけど、
彼が、筑波大学出身なんです。
ヨシタケさんも筑波ですよね?
ヨシタケ
そうなんです。
糸井
それを聞いたときに
「あ、森川くんと一緒だ!」と思ったんです。
森川くんもゲームを作るだけじゃなく、
人工知能についての本を出したり、
同人誌で漫画を描いたり。
絵を描けて、それを図としての表現もできる人。
そして、ヨシタケさんの絵本には、
なにか森川くんの感じと
通じるところがある気がしたんです。
ヨシタケ
「筑波系」って言うらしいんですけど、
筑波の出身者って、
ちょっと特有の感じがあるんですよ。
独特の頭でっかちな感じというか、
なんでも理論から入るところがあるんですよね。
わりとぼくもそれ、自分に感じてて。
糸井
よく言えば、人語を解する人たちなんですよね。
どこまでも人間のことばでやりとりして、
自分のわかる範囲に話をとどめる。
そして「ではここから先は、芸術の範囲ですから」
みたいに去っていくんです。
ヨシタケ
筑波の人ってたぶん、芸術みたいなものが
ちょっと自分から遠いものという感覚があるんですね。
「これは説明するとこうで、ここまでは説明できます。
でも、あとはわたしの領域じゃないです」
というような、ある意味きっぱりした部分がある。
糸井
それ、なんとなくわかります。
ヨシタケ
筑波って総合大学で、いろんな学群があるんです。
みんな頭がいいんですけど、
「芸術専門学群」っていう、
ちいさな美大みたいな学群があって、
ぼくはそこの出身なんですね。
あと「体育専門学群」というのもあって、
その芸術専門学群と体育専門学群がおたがいに
「いちばん頭が悪いのはあいつらだ」って
罵り合うんです(笑)。
とはいえ基本は勉強ができる子たちが入ってる。
糸井
そうですよね。
ヨシタケ
だからみんな頭でっかちで、
何かあったときに言い返すことはできる。
だけど、芸術ってそれが通用しないんです。
すごい絵や作品を見せられると、
もう何も言えなくなる。
筑波の芸術の人はとにかく、
みんなそこで迷うわけです。
糸井
そのあたりのドラマはおもしろいなあ。
ヨシタケ
ふつうの芸大や美大なら、言葉がいらないんです。
技術だけで勝負できるし
「どっちがすぐれてるかは、絵を見ればわかるはず」
となるわけです。
でも筑波の芸術学群は、勉強はできたけど
技術はそこまでなかったタイプ。
ほんとうに技術ができる人は、
ほかのところに行きますから。
だからみんなどこか、
「おれは本来ここにいるべきじゃない」
「おれはここに来たくて来てるんじゃない」
という感覚があって。
糸井
ああ(笑)。
ヨシタケ
そして新入生たちがもう、
鬱屈したコンプレックスの塊なんですよ。
勉強はできたけど、技術はなかったタイプなので。
糸井
その、悩める感じは最高ですね。
ヨシタケ
ぼくはそこが最高に居心地よかったんですけど。
もう、たまんなくて。
一同
(笑)
糸井
わかります。
その範囲のエンターテイメントとしては、
最高にもみこめて、くさやみたいになる。
ヨシタケ
そうなんです。
そして、技術はないくせに言い訳ばかりできる連中が、
自分のアイデンティティをどこに見つけるか。
その、それぞれの試行錯誤の道筋が、
すごく独特なんです。
糸井
それ、なんだかドラマにしたいくらいですね(笑)。
ヨシタケ
理屈をこねる人って、理屈がこねられるだけに、
結局理屈をこねられない部分が見えてくるわけです。
そして最終的に
「あ、世の中、理屈じゃないんだ」
というところにぶちあたるわけです。
糸井
当然、発見しますよね。
ヨシタケ
そして「みんなけっこう感情で動いてるんだ」
「理屈以外のところで勝負してるんだ」
ということを知って、
自分の薄っぺらさに気づくんです。
「自分とは何か」を突きつけられて、
自分に勝負なんてできないことが、
どんどんわかってきて。
糸井
それ、すごいなあ。
大学1年生ぐらいから、もうそうですか?
ヨシタケ
はい。だから最初はもう
「この感じ、なんだろう‥‥」っていう(笑)。
ぼくも最初は誰よりコンプレックスがあって、
その集団のなかで
「お前よくこれで入れたな」と言われたときの
顔の真っ赤っかさたるや、ひどいものでしたけど。
まぁ、馴染んでからは、これまた他にない心地よさで。
糸井
その状況、論争にはならないんですか?
ヨシタケ
それがまた、みんな喧嘩が弱くて
「てめぇ、このやろう!」とかなりたくないんで、
誰もがいい具合に距離を保つんですよ。
「よかった、これ以上入ってこない。
だからぼくもそっちに入らないよ」という。
糸井
そういうタイプの人って、人の評価とか上手ですよね。
ものすごくきれいに
「この線からこっちはないけど、こっちはある」
とかを判断できる。
ヨシタケ
そうですね。そしてみんなとにかく、
人をほめるのは上手なんです。
「ほめるから、おれをけなさないでね」って。
糸井
さきほどの森川くんが、
割り勘のおつりをきれいに分ける方法について
ぼくに話してくれたことがあるんです。
最後に1円残ったときにどう処理するか、とか。
そして「この場合はこうで、
この場合はこうすれば矛盾がなくて」とか、
見つけた完璧な分け方を、
ぜんぶ事細かに説明してくれるんです。
そして最後に冗談みたいに
「バカでしょう?」って言って。
そこにぼくも「バカだね」って返すんだけど、
「そんなことを、ここまで突き詰めて考えてたんだ!」
ということに、ちょっとだけ感動するんですよ。
ヨシタケ
考えてる時間もたのしいし、
そこを説明できる人でありたい自分がいて
「‥‥ハイ、整いました!」っていう。
糸井
わかるわかる(笑)。
ヨシタケ
「だけどあれ、なんでみんなキョトンとしてるの? 
こんなに気持ちいいのに」って。
糸井
そういう友達同士は、気持ちいいわけですよね。
ヨシタケ
そうです、そうです。
糸井
なかにはちょっと音楽をやる人がいたり。
ヨシタケ
はい。みんなのなかに住み分け感みたいなのがあって、
それぞれが「あいつは映像作るのすごい上手」とか
「あいつはなんだかんだ写真がうまい」
みたいな部分を、傷つけあわずに共存できるんです。
だから極めて平和的であり。
で、影でちゃんとこっそり悪口を言い合って、
心の健康を保つという(笑)。
糸井
それは、教育の歴史のなかで、
筑波というものがあってよかったですよね。
ひとつのカンブリア紀を作ったみたいな。
ヨシタケ
そう、だから、なんでしょうね。
筑波を出たときの寂しさったらなかったですよ。
糸井
はぁー。そうですか。
ヨシタケ
ぼくはそれまでの人生で、
まったくおもしろいことがなかったんです。
けど、つまらないとも思わなかったんですね。
「そういうものだ」と思っていたので。
だけど大学であまりに居心地がよかったんで、
「これまで小中高と、自分はつまんなかったんだ!」
と気づいてすごくびっくりしたんです。
だから大学を出なきゃいけなくなったときに
「もうだめだ」と思って。
「ぼくが居心地よくいられる場所は
ここだけなのに」って。
だからそのあと、会社に行くのが
ほんとうにいやでいやでしょうがなかったです。
糸井
それで会社で、手で隠しながら
小さなイラストを描くようになって。
ヨシタケ
そういうことなんです。

(つづきます)
2017-05-16-TUE