記号の寄せ集め

糸井
ヨシタケさんはイラストのお仕事以外に、
デザイナーをされていたこともあるんですか?
「この絵本の感じはデザイナーの人なのかな」
って、ぼくは最初思ったんです。
ヨシタケ
いえ、ぼくはイラストだけです。
イラストの仕事って一般的に、
別にデザイナーさんがいる場合が多いんですけど、
ぼくも基本的にイラスト専門なんです。

具体的には、仕事をもらう段階で
ほかの要素がすべて決まってて
「このスペースに絵を入れてください」
みたいな依頼が多いですね。
絵って単純に文章よりも先に目に入るから、
導入の役目を果たすんです。
糸井
ざっくりと「こういうことか」とわかって
文章を読むみたいな。
ヨシタケ
たとえばそういう、読むときの助けになる
イラストを描くということですね。
糸井
イラストには、そういったさし絵的なもの以外に
「しくみを図解する」みたいなものもありますけど、
そういうのもされていたんですか?
ヨシタケ
はい。そういった図解のイラストについても、
いろいろとやってました。
そういうのもおもしろいんですよ。
イラストが役立てる部分が多いですから。
文章だけだと味気ない内容でも、
イラストがあることで わかりやすくなったり、
理解が深まったりする。
そういうのはお仕事をいただく
価値があるわけですよね。
すなわち、お金をいただけるわけです。
糸井
そうですね。
ヨシタケ
だけどそのとき、文字に書かれてることを
ただ絵にしただけでは、
別にイラストがなくてもいいじゃないですか。
また、文章から離れすぎた絵になってしまうと
それこそ入れる意味がない。

だから文章に対する距離感を、
いかにちょうどよいところに着地させられるかが、
ぼくが目指していた完成度だったんです。
糸井
イラストレーターのかたのなかには
「おれの癖を見ろ!」とか、
そういうものを出そうと
必死になっている人もいますよね。
そういう時期はなかったんですか?
ヨシタケ
ぼくには主張したい自分もないし、
そこを出したいという思いが
もともとまったくなかったんです。
自分自身、いろんな絵柄ができるわけでも
ないですから。
むしろぼくはもともと、自分が絵を描けないことに
コンプレックスがあったほうなんです。
糸井
そうなんですか?
ヨシタケ
大学に入ってすぐのとき、みんなの前で
「お前、よくこんなのでうちの大学に来れたな」
って言われるほど描けなかったんです。
デッサンとか、ほんとうに苦手で。
糸井
へぇー。
ヨシタケ
でも日本の美術教育って、
見たものそのままを表現することに
けっこうな重きが置かれているんです。
そしてそれだと、ぼくみたいなタイプは
「正解が目の前にあるのに、
なんでそれを写し取れないんだ?」って
100パーセントこっちが悪いことにされちゃうんです。
だからあるとき決めたのが、
「じゃあ自分は、もう何も見ないで描こう」って。
糸井
見ないで描く。
ヨシタケ
「自分の絵は基本的に頭の中のスケッチでいいや」
と思ったんです。
そうすると、怒られる筋合いがなくなる。
「なんで目の前のものと違うんだ?」と言われても、
「いや、見て描いてるわけじゃないし」とか、
どうにでも口ごたえできるんですよ。
糸井
それもまた「逃げ」ですね。
ヨシタケ
そうなんです。ここでも逃げて。
でも、そこから常に見ないで描くようにしたら、
ぼくの場合は絵が描けるようになったんです。
糸井
あ、そうなんだ。
ヨシタケ
たとえばドラえもんを描くとしますよね。
ぼくの場合、最初は
「なんか外側が青で、内側は白だよな」
とはわかるけど、境目がどこかわからない。
それで描いたドラえもんって、やっぱり変なんですよ。

で、1回描いてから正解を見ると
「なるほど、境目は目の中心を通るんだ」と
そこは描けるようになる。
けど次は「尻尾はどこから生えてたっけ?」となる。
だけどそれもまた正解を見るとわかる。

そういうことを繰り返してると、
ふだん自分がどこを見てるか、
どこを見てないかがわかってくるんですね。
そしてだんだん、初めてのものを見たときに
「そのものらしさがどこから来ているか」を
パパッと押さえられるようになっていったんです。
たとえば消防服を描くなら、
このあたりからペラペラで、全身が銀色で、
長靴っぽくて‥‥とか。

そうやってぼくは、
それっぽいものが描けるようになりました。
糸井
それはぜんぶ「ことば」ですよね。
ヨシタケ
そう、印象をテキストデータで覚えておくんです。
画像よりもデータの容量が小さくて済むんです。
糸井
なるほどなぁ。
だからヨシタケさんは、絵本作家として
たくさんの絵を描いているようですけど、
実は「なまもの」として不安定なのは人間だけで、
あとはだいたい構造物だったり、
説明のための記号ですよね。
ヨシタケ
そうなんです。
ぼくの絵はまさに「記号の寄せ集め」ですね。
だから、それっぽいものは描けるけど、
何かにそっくりなものは描けない。
いまだに似顔絵とか、ぜんぜんできないんです。
糸井
できなさを突き詰めたら、個性になったというか。
ヨシタケ
ぼくの場合は、たまたまそのタイプだったんです。
文字と一緒ですね。
どんな汚い字でも
「あ」は「あ」として読めるのと同じで、
人の顔でも、丸を描いて点をふたつ描くと、
それは顔に見えるんです。
見ながら描くと顔にならないんですけど。
糸井
ああー。
ヨシタケ
だからあるときぼくは
「字みたいに何が描いてあるかわかりさえすれば、
自分にとっては絵と言おう」と決めたんです。
糸井
そういう人がイラストレーターを経由して
絵本作家になったこと自体、
奇跡のような道のりですね。
ヨシタケ
そうですね。自分でもなってみて初めて、
こういう道もあるんだとわかりました。
糸井
ぼくはむかし、マンガ家になりたかった
時期があるんです。
けどヨシタケさんとは逆で、自分の絵が
記号でしかないことが嫌だったんですね。
それは、とってもうまくいけば文人画になる。
だけどそんなにうまくはいかなくて、
自分の絵は「これはあの真似だな」とか、
「こう考えたな」とかがバレバレの、
まさに解剖図みたいなものでしかなかったんです。
その感じが好きじゃなくて、
ぼくは目指すのをやめちゃったんです。
ヨシタケ
ふつうはそうで、それを嫌がるんです。
でもぼくはそこまでの余裕がなかったんですね。
ほかに道がなかったので、
そっちに行くしかなかったんです。

(つづきます)
2017-05-14-SUN