塩野米松さん『中国の職人』に寄せられた
感想をご紹介します。

無料全文公開された『中国の職人』に、
たくさんの感想が寄せられています。
長い感想が多いのが、ひとつの特徴。
塩野さんの聞き書きを読んで
思ったこと、感じたこと、心の動きを
丁寧に書き送ってくださってます。
『中国の職人』を読み終えたあと、
もしくは並行して読んでみると、
ぐっと、おもしろく感じられますよ。
ぜひ、ご一読を。


本当に楽しく読ませていただきました。
内容もさることながら、
おいしい水のようにするすると読ませる、
筆者の技にただただ感心しました。

中国の歴史と日本の歴史は隣り合わせなのに
なかなか
ひとつの年表に現れることがありません。

前の戦争や、日本の経済成長、文化大革命を、
このように目の前にはっきり順序立てて
見せていただけて、
それが、人の人生という物差しの中で
どのように見えるのか、
歴史をこんなにはっきり感じたことは、
今までの読書体験では、なかったことでした。

このような素晴らしい、完成された読み物が、
無料であるということが、
初めの企画から少し引っかかっていました。
ウエッブコンテンツという形になると、
私たちはお金を払うことに対して、
自然に抵抗を感じるようになっていると思います。
でも、取材費、経費、原稿料など
ちゃんと還元されなければ、
次の作品は無くなってしまいますよね。
今回は、どうしたものかとおもいましたが、
塩野先生の他のご本を購入させていただきました。
素晴らしいものを、
これからも手に入れるためには、
消費者もちゃんとしないと。
でも、これは本当にむづかしいことですね。

手仕事も人生も毎日の積み重ねであるという、
当たり前のことを、文章という形として
はっきり感じさせていただきました。
素晴らしい企画ありがとうございました。

(blueivy)


これは、教科書にも載せてもいいくらいの本だと思います。
「中国が」「日本が」という括りではなく
「人間が」という括りで
みなさん生涯を、職人として生きていらっしゃる。

誰が見ても
心のどこかに、きっと「何か」が残るはずです。

時代の流れで無くなる職業というのは、
いつの時代もあります。
しかし、「こういう職業があった」ということは、
後世に伝えなければならないと思いました。

塩野さんの作品をはじめて読みましたが、
これをきっかけに塩野作品を購入したいと思います。

まずは「手業に学べ」からですね。
本当にありがとうございました。


公開を心待ちにして、週末にじっくり読みました。
とても興味深かった。
また何度も読み返すつもりです。

ひとの一生という長くない期間にも、
世の中って激変するものですね。
ビジネス本とか生き方本とかで
「10年後を考えて計画を」みたいな考え方を読んで、
そういう大局のビジョンを持てない自分って‥‥と
思ったことが何度もありますが、
6人の方々の半生をたどりながら、
いくら考えたところで「思いがけないこと」はおきるし、
周到に準備しても
「どうにもならないこと」ってあるよねえ、と
あらためて感じました。

自分でコントロールできることなんて、
そんなに多くないかもしれない。

職人さんたちの話を読んで思ったのが、
この人たちは、とにかくどんなときも手を休めずに、
その時代、その時間を、生きてきたのだなあということ。
将来どんな暮らしがしたかったとか、
何かを目指してきたというような話、
あんまり無いですよねえ。

ただいいものを作りたい、工夫したい、学びたい、
という話ばかりで。
そういう生き方をしていたって、
外の世界が政治とか天災とかで、
大揺れに揺れることがある。

そのときによりどころになるのは生身のからだと、
その身についた知識、技術、姿勢、みたいなもの。
一心にそれを追い求めてきたひとたちの話、
ずどーんと太い背骨が通ったいきもののようでした。

自分の中にぬぐいがたくあった
「うまく世渡りできない」という負い目は、
このような大きないきものの目からみたら
寝言みたいなもんだなあ‥‥。
ぐじぐじ考える(というより思い悩む)くらいなら、
体を、目を、手を動かしたほうがいい。
すーっと、そういう気持ちが芽生えました。

塩野さんと、
6人のすばらしい職人さんたちからの贈り物を、
ありがとうございました。

ほぼ日に掲載されたから、
受け取ることができたんだと思います。
だいじに受けとって、自分の中に根付かせて、育てよう。
育てて、だれかに、なにかのかたちで、いつか返したいです。

まずは、こころから感謝します。ありがとうございました。


国の政策が人々の暮らしにどんな影響を与えたのか、
この文章を通じて実感しました。
とくに印象的だったのは、女性についての扱いです。
女性は、家の持ち物であるという考え方から、
個人の意思だけで結婚相手を選んだり、
職業を持つことができるようになったのは
大きな変化だったろうと思います。
それにもかかわらず、
みなさん総じて
淡々と自分の人生を語っていることに驚きつつも
現実の出来事なのだと
突きつけられている感じがしました。

人生には、嬉しいこと、辛いこと、
色々ありますが、
それらは日々のなかへ溶けてしまいます。
でも、だからこそ、私たちは
生き続けることができるのかもしれないと思いました。
国は違えど、先輩方の強さに励まされたとともに、
物を造り、売るという
まっとうな生き方に眩しさを感じました。

翻訳を通じて、
これだけ深く切り込んだ取材をされた塩野さんに
感服致します。


軽い気持ちで読み始めたのですが、
一気読みしてしまいました。

今、私は焼き物の産地に住んでいるので、
伝統技術の継承の部分は、
かなりリアルな話として読むことができました。
たとえば、職人として、
芸術と工業の間に立たされたとき、
どう振る舞うのか?
ということや、
専門技術をもった人がいなくなると
どういうことになるか、だとか。

人形師の方の、
手間はかかるのに作っても安いから、
もう作らなくてもいい、という言葉は、
私のまわりで実際に聞かれることです。

中国の歴史は、
教科書の文字面でしか知らなかったので、
それが一般の人の生活にまで落としこまれると
こうなるんだということが、また興味深かったです。

過酷なことに思えることも、
今日も明日も生きて
家族でご飯を食べなきゃいけないなとなったら、
私もなんとかするのでしょう。

聞き書きという形だったのが読みやすく
真に迫っていて、
私の心にすっと入ってきたように思います。

「遠い中国の偉人」が、
「隣の国のなんか凄いおじさんたち」
くらいにまで身近になりました。


塩野先生の「中国の職人」を興味深く拝見しました。
電子書籍版を公開していただいた際に、
一気に読みました。

私は上海に住んで7年ほどで、
「中国の職人」で描かれた世界とはかなり異なる
資本主義以上に資本主義のいびつな構造の中に
暮らしてますが、
それでも、街や建築、日常のなかで
歴史的なものや手工芸的なものに触れる機会も多く、
新しいものと懐かしいものや
人間くささが混在する中国の奥深さに魅了されています。

ものすごいスピードで発展した中国は、
社会や人々に疲弊が出てきて、
禅やお茶、リゾートなどの癒しや、素朴なものへの回帰も
注目されています。

戦争や文革など大変な時期に、
職人さん方がどう暮らしていたか、というあたりの描写が
とてもリアルで、意外性もあり面白かったです。

職人さんやその他の多くの中国人には
ものすごくハードな出来事の連続を切り抜けた末の
あっけらかんとした強さ、
しなやかさがあるのかなあと感じました。

しかし「あのころのことは語りたくない」という気持ちを
内に封印して生きている、ということも
事実なのだろうなと思いました。

また、中国の現在の若い人たちは、会社等でも
日本人以上に仕事に関して下積みをする習慣がなく、
IT技術が発展したこともあり
すぐに転職したり独立する人が多いが、
実力が中々身につかない側面があると感じてましたが、
一方で今でも後継者を育てる、
人間の手で技術を磨く訓練を
ストイックに続けている職人さんの話に感動し、
何か気が引き締まりました。

日本では台湾や香港は人気があっても、
中国本土に関してはどちらかというと
ネガティブな情報が多いので、
今回の連載は個人的にとても嬉しかったです。

塩野先生の、個人の心情を丁寧に見る視点と、
中国の歴史、状況を俯瞰で見る手法で、
多くの日本人が中国を身近に感じる事を願っています。

連載、そして本の無料公開、どうも有り難うございました。


一気に(二日かかりましたが)拝読させていただきました。

塩野先生のお仕事を一気に間近に感じさせていただけて、
とても嬉しかったです。

私も9年前と昨年、内モンゴルへ、
二年前に太湖のほとりにある全寮制の小学校、太湖大学堂へ、
この2月に台湾へ、
いずれも待っていてくださる現地の方のいる旅でした。

その上で、このご本に出会って、改めて、知らず知らずのうちに、
自分の中の中国は、メディアで見聞きするものとは
ずいぶん違ってきていることを感じました。
どこへ行ってもそこにいるのは人間なんだなぁ、と思います。
どんな社会の情勢の中でも、
何かホンモノを求める気持ちとか、ふるまいとか、
国は違ってもきっと同じなのではないかと思いました。


やっとすべて読み終えました!
対談と四章を読んだとき、
本当に感激してメールを送りましたが、
それから、全文を読んで、
また感想を誰かに伝えたくて、メールします。

第一章を読み進める中で、
今まで中国の歴史のこと、
ぜんぜん頭に入ってなくて分かっていなかったのだけど、
すごく興味が出ていろいろ自分で調べたりもしました。

今までは、戦後の1945年以降
(私の両親が生まれた時代以降)は
平和な時代という基準で世の中のことを見ていましたが、
それ以降で、近い中国でこのような激動の時代があったこと
(朝鮮はもっとかもしれませんが)に、
まず衝撃を受けました。

それから、そんな想像を絶するような別世界の時代において、
自分の技術を高めることを大切に生きる
個人としての人の生き方や考え方は、
何か共感できるというか、同じ人として尊敬できる部分や、
普通に同じような
(私よりすばらしい面たくさんですが)人間なんだなぁと、
変な感覚を持ちました。
今後、何か国のことをニュースで見たりしても、
暮らしている一人一人は
同じような人間なんだと感じられるような気がします。


中国の職人、
たいへんおもしろく読ませていただきました。
私はよくあるステレオタイプとしての表現の
「日本人はとても真面目で几帳面な民族」
と言う言葉になんとなく違和感を感じていました。

というのも、
以前働いていた職場に中国人の方が3人いて、
3人とも、とても仕事に熱意を持っていて
真面目に働いていたからです。

この職人の方たちのお話を読んで、
みなさん真面目で
ものすごく熱意を持っておられる方々ばかりなので、
前述のステレオタイプの表現を
丸飲み込みするのは、
やっぱり違うんだなと改めて思いました。

また、中国と言うと
政府が国全体を操作しているイメージが
すごく強いのですが、
個人単位ではいろいろありつつも
たくましく、いろんなベクトルで生活しているんだな
と言うことも感じられて、私には新鮮でした。

また、何度か繰り返し読みたいと思います。


中国の職人、掲載ありがとうございました。
とても良かったです。
中国の方々とその毎日がとても身近に感じられたり、
歴史の出来事がリアルになったり、
職人さんの気持ちに感じ入ったり、
いろいろ考えながら時間をかけて読みました。

また、ゆっくり読みなおしたいと思います。


とてもおもしろかったです。

中国製品は粗悪品が多いという印象が
払しょくされました。

写真を拝見しても、急須や人形が魂のこもった
ホンモノの芸術品であることが分かります。
ここに出てくる中国の職人の方々が
激動の時代の変化に翻弄されながらも、
いい作品を作りたいというしたたかさを貫いて
生きてきたことは、
私の人生にも
なにがしかのヒントがあるような気がします。
本当にこんな素晴らしいものを
タダで読ませていただいていいのかしら?
と思いました。

塩野さん、ほぼ日さん、ありがとうございました。


中国の職人を拝読しました。
職人の技についてのインタビューは
たいへん興味深いと思いました。
僕は岐阜に住んでおりますが、
美濃焼きで古田織部という職人のものを
実際に見たことがありまして、
それも陶芸を仕事にしている知り合いに
連れて行ってもらったのですが、
(「へうげもの」というマンガもあるようです)
今回も紫砂の茶壺のことについて、
とっつきにくい感じでなく、
身近に感じることが出来ました。
そういう機会を得たことで
少し身近になったと思います。

高級茶壺という響き、
まるで自分には無関係としか思いませんが、
その職人さんの話なんかを
実際に聞くことができると
身近に感じることがあるように思います。

激動の日中戦争、文化大革命を乗り越えてきた話を
大袈裟にするのでもなく、
本当に淡々と語られる様子が印象的でした。

時代を生きてきた人の実際の話や修行の様子が
教科書のような解説ものと違って、
生ナマしく伝わってきました。

芸術と伝統工芸のお話もありましたが、
すこし豊かな気持ちになるお話だと思いました。
ありがとうございました。


塩野米松様さま、
書いてくださりありがとうございました。

周桂珍さんのお話は
私に、1980年代の北京の暮らしを
思い出させてくれました。

毎朝、魔法瓶2つを下げて
8階の留学生寮から給湯場に
一日分のお湯を汲みに行くのが日課でした。
中がガラス保温で次の日の朝まで冷めない優れものですが、
重いうえに、転がっただけで割れるしろもの。
買うことはできない貸与品でしたから、
割ったら始末書を書かされ、叱られました。
中国の生水は飲めせんし、
ミネラルウオーターは売っていませんでした。
魔法瓶は80年代でもとても貴重品だったのです。
お茶はぜいたく品でした。


『中国の職人』を読んでいると、声が聞こえる気がします。
南の方々のお話ですから、
普通語(標準語)しかわからない私の錯覚とも思いますが、
学校に行っていた方々ですから、
きっと普通語で話していて
それが行間から伝わるのだと勝手に解釈しています。

とてもはっきり、「あのねえ」と、
私に向かって話しているように思えてしまいます。
この本を中国語を勉強している人、
中国人は日本人とは違う、わからないという思いで
中国人と日々つき合い、
中国で働いている若い人たちに読んでほしいと思います。

文章の中に挟み込まれている註釈は、とくに読んでほしい。
たくさんの中国専門書を読むより
この註釈は生きています。


職人さんの話、おもしろかったです。
昔からあった中国の工芸品の世界は、
今どうなっているのだろうとぼんやりと思っていました。
ご老人たちの語り、民話を聞いているようです。
赤ちゃんのとき、日本兵に誘拐された話、
善行と悪業のあいだにあるなにかしらを感じました。
良い作品が生まれる伝統が続いてほしいです。


「中国人という先入観を取り払いたくて、この本を書いた」
というくだりに感動しました。

それは、本当に本当に、私も心から望んでいることであり、
また微力ながら、
そういう要素を盛り込んだ小説を書きたくて
実際に書きもしました。

兄が言っていました。
「中国の人を嫌いな日本人がたくさんいるし、
中国のいい話をあまり聞かないけれど、
俺のまわりにいる中国旅行をした人はみんな、
あの人たちにとても親切にして貰った、
楽しかったって言ってるぞ」

私は、人生の半分をどっぷりと
中国の人の間で過ごしてきた経験があります。
塩野さんのお話の中にも出て来た
反日運動の際には香港にいました。
街にはミニバスの中にまで
スローガンがばんばんと張ってありましたが、
同僚は普通に接してくれていました。

中国のすべてがいいというわけではなく、
その先入観が嫌だったんだと、
自分の気持ちを要約してもらったように思いました。


はーっ、なんだか圧倒されたというか、
呆気にとられたというか‥‥。
社会主義の国の人はみんな、
国に従うことを主義として選んだ人たちだと
なんとなく思っていた自分の認識を覆されました。
もっとごちゃ混ぜになっているというか、
むしろ主義なんて持ってない人たちのほうが
たくさんいるのかな‥‥と思えました。

中国から来る観光客の人たちに対する
トレペのような幕? 壁? が
一枚取れたみたいな感じです。


私の中国に赴任している友だちも、
中国人の同僚から、反日運動のときに、
何かあったら必ず守ると言われたと、
教えてくれたことを思い出しました。

大工の父は、釘を一本も使わずに
棚や箱をささっとこさえ、
ものも言わずに余りの材木で
竹とんぼや竹馬をさっと作ってくれでことも、
思い出しました。

18歳まで父の建てた家で暮らしましたが、
同じ材料で他の大工さんが建てても
あの温もりはなかったんだろうなと、
あらためて感じました。


先日、テレビ番組の古い録画を整理していたところ
鶴見俊輔さんのインタビューを見て
そのお話と、塩野さんが繋がったような感じがして
メールをしました。

鶴見さんの言葉は
「人民の記憶っていうのはねぇ、
私にとっては国民の記憶より重大なんだ。
何を記憶していたんだろう‥‥それが問題なんだよ。
で、アメリカに負けて
それはいったい、
どういう風に人民の記憶に残っているか、
それが知りたいんだ!
それが、歴史学の課題だ!
生きている課題だと思うんだよ」

中国の職人について、特に興味はなかったのですが、
読み進めていくうちに、
記憶を形にして遺すことの難しさを知って、
塩野先生のユニークさ、そのセンスと情熱に思わず感心!
の溜息がでてしまいます。