YOKOO LIFE ヨコオライフ

横尾忠則さんは過去の糸井重里との対談で、
「生活と芸術は切り離して考える」と
発言なさっていました。

芸術の達成を、人格や人生の達成とするのは、
勘違いである、と。

では「美術家・横尾忠則」の生活とはなんなのか?
糸井重里とのおしゃべりのなかに、
そのヒントが見えるかもしれません。

過去のふたりの打ち合わせと対話の音声を
いま掘り起こし、探っていきたいと思います。

▶︎横尾忠則さんプロフィール

第17回(とりあえずの最終回) 見る。
横尾
模写はつまり、観察力だからね。
いまでもそうだけど、
誰かがぼくに対して話をするとき、
「うん、うん」と聞きながら、ときには
「話がおもしろくないな」なんて思いながら、
頭のなかでぼくはその人の顔を、
ぼく風に描いてるの。
糸井
そうなんだ(笑)!
横尾
もう、習性みたいになっちゃってる。
糸井
それは、現実を模写するような感覚ですか?
横尾
そうだね、現実を模写してるわけだね。
風景画を描いたって、何かを写生したって、
平面か三次元か立体の違いでしょ、
結局は模写と考えればいいわけ。
ぼくはデッサンを一切勉強してないけれども、
形はきちっと取れる。
それは、模写の論理で描いてるような気がする。
糸井
画家宣言をされたのが45歳で、
いまの年齢になっても、同じ感覚ですか?
横尾
ずっとそうだよ。
45歳のときはね、50歳になったらもう
転職できないと思ったの。
もしあと5年後だったらできなかったな。
糸井
あれは大きな決意でしたね。
横尾さんは、絵を公開で描くことがありますよね。
横尾
公開制作ね。
糸井
あれはまるで、
遊んで描いてるように見えることがあるんですが。
横尾
遊んでるような状態にもっていくまでに時間がかかる。
糸井
そうなんですか。
横尾
そこを超えてしまうと、遊びができる。
公開制作はある種の緊張もあって、
遊ぶ気持ちになりかけたところで
終わってしまったりするわけよ。
だから、糸井さんたちが来てくれて、
ワーワーやってると遊びになるし、気が散るの。
気が散ったほうが、ぼくにとってはいい。
糸井
ぼくは邪魔してるという意識もなく、邪魔してます。
だけど横尾さんは、平気なんですね。
横尾
平気というより、邪魔してもらいたいの。
絵に集中してしまうとダメ。
ぼくは絵から離れたいんです。
絵から離れれば、
身体的に、絵だけで絵が描ける。
それがいちばんいい状態です。
糸井
絵から離れないって、どういう状態ですか?
横尾
ワニでも馬でも、見なくても描けちゃうでしょ?
糸井
そうか、横尾さんは‥‥見てますね。
横尾
見ないと描けない。
糸井
いつも写真があったりしますね。
横尾
写真でもいいし、人の描いた絵でもいい、
見ないと描けない。
糸井
たしかにY字路も、
いつも三叉路の写真を見て描いていますね。
横尾
模写から出発してるから、何もないと描けない。
「ここは、こうしたほうがもっといいな」
というのは、
どの絵を見ても、写真を見ても、感じるわけ。
糸井
全部に感じるんですか。
横尾
うん、全部。
現代美術家のなかでも、
何かを見ないと描けない人は、いっぱいいます。
アンディ・ウォーホルだって、
何かサンプルを見ないと描けない。
ところが宇野亜喜良さんは、
普通じゃない角度の絵だって描けるわけよ。
糸井
描けちゃうんだ。
横尾
描けない不幸もあるけど、描ける不幸もある。
アンリ・ルソーはたぶん、
猿にしても、ワニにしても、
頭で想像して描けない人です。
糸井
それは、言葉の分野でもありますよ。
書ける能力のある人が、
頭からひねり出した言葉でうまいこと言えていても、
じつはつまらない、という場合もおおいにあります。
うまく言えてなくても、
「言いたいことがこれだ」と思えれば、
圧倒的に感動します。
横尾
そうだよね。
ピカソとマティスも違うよ。
マティスは、女性描くのに、
モデルを置かないと描けないわけ。
糸井
ああいう絵なのに。
横尾
リアルに描いて、
それをどんどんどんどん削りながら
デフォルメしていく手法です。
ピカソはそんなの関係ない、いきなり描けちゃう。
ピカソは、見ても見なくても同じで、
見たって変なもん描いちゃうんだからさ。
糸井
マティスは見てる、
ピカソは見なくても描ける。
そう思うとまた、おもしろいなぁ。
横尾
マティスは晩年で切り絵になりますが、
あのあたりは見てないと思いますよ。
けれどもそれより前のマティスは、
ひとつのフォルムを作るまでに、
デッサンをいっぱいしてやっと、油絵の形を作った。
ピカソはいくらでも大量生産できたけど、
マティスはひとつ描くたびに
モデルを連れてこなきゃいけなかった。
版画もフォルムを作っていくまで大変だよ、
彫刻つくってるのと同じだからさ。
だけど、ピカソもマティスも同時代の巨匠で、
仲もよかった。
糸井
そこにいたるまでには
いろんなことがあったんでしょうね。
子どものときに描く絵って、
みんな同じような出発だったのに。
横尾
うん。
それがどこからか、変わっていくんだよね。
もしかしたら、はじめから
違っていたのかもわからない。
糸井
ピカソはきっと、体内にはあるんですよね。
横尾
そう、体内にはある。
ぼくの場合は、体内ではなく、
自分からも絵からも離れたほうが
いい絵になるんですよ。
糸井
なんだか、横尾さんの絵が
ちょっと見えてきた気がしました。
また公開制作にもいきたいなぁ。
(これで、横尾忠則さんと糸井重里の対話
YOKOO LIFEはひとまずおしまいです。
また、新しいおしゃべりが録れたら
再開するようにいたします)
2017-10-12-THU