矢野×糸井
第10回 われわれは、プロなのだ!
糸井 トイレの蝶つがいがきしむ音も、
アッコちゃんが歌ってあげれば、
歌になるんですよ。
やっぱり、音楽の塊なんでしょうね。
音楽ってなあに? っていうのが
わかってんでしょうね。
‥‥それは、もう、筋肉運動に近いでしょ?
矢野 うん。そうそう。
糸井 踊るように歩く人がいたら、
それは踊りじゃないですか。
「変な歩き方だな、わたしが歩いて見せましょう。
 こうやってあなたは歩いてんのよ」
って言ったら、もう踊りですよね。
そんなもんですよ、たぶん。
矢野 うん。
── じゃあ、頭で考えてるのは
歌詞の部分の話なんですね?
矢野 そうですね。
選び抜かなくちゃいけない部分ていうのは、
やっぱり、歌詞の部分です。
歌詞ってやっぱり筋肉運動とは違って、
頭脳が関係してくるから、
そうした時に言葉っていうのを発したら、
責任が生じるし、ここにおいては、やっぱり、
ただ暴風雨だけではいられないっていうのがね、
あるのよ。
言葉は、人間。音は、サルみたいな。
だから、歌詞を書くのが、
一番嫌っていうのは、
人間はつらいっていうことなのよ。
そういう時、ほら、こういう人がいるとね(笑)。
糸井 「もう、あなたわかってるね」
「はい、はい、はい!」って、
言っとります(笑)。
ただ、それでも、どっか違うんですよ。
アッコちゃんの思い通りだと、
きっとね、捨てられますよ、僕は。作詞家として。
だからおもしろいんですよ。
思い通りだなっていうものは、
そんなには出ないと思うんだよね。
違うもの。だって。人が。
矢野 うん。
糸井 それじゃつまんないんだよ、きっと。
言うこと聞く女、みたいで。
なんか。なんかおまえ、裏があるな、
みたいな感じがしちゃう。
── でも、思いが言葉にできないってことは、
それは、人が言葉にしたとしても、
それが100%かどうかはわかんないですよね。
そのずれも含めて。
糸井 思いを言おうなんて、思ってないもん。この人。
音楽って、意味じゃないから。
矢野 そうね。
糸井 なんかね、痛切にこの頃思うんですよ。
意味は真似できるけど、
ディティールは真似できないんです。
万葉集の心はこういうことですって、
中学生でも説明できるけれど、
万葉集の中に、あなたが作った歌を
紛れ込ませることはできない。
形の方が実は難しいんです。
そのことについて、ものすごく今、興味があって、
意味でみんな語りすぎると、
誰でもできるようなことになっちゃう。
今プロが困っちゃうのは、
誰でもできることだと思われてるからですよ。
プロのように音楽を作ることなんて、
素人にはできないんですよ、やっぱり。
矢野 それはねぇ? たぶん、着るものとかもそうで、
ドルチェ&ガッバーナとかさ、
シャネルでさえよ? ジーパン出して、
ストリートファッションのように
穴開けて売るじゃないのよ。
で、それは、軽く10万、15万、するわよ?
でも、はくと、確かに、
‥‥確かに、お、違う! ってわかる(笑)。
糸井 デザイナーの仕事がね。
矢野 ね? で、同じようなジーンズが
50ドルとかで売ってて買えるけども、
同じ素材であっても、やっぱり違うわけじゃない。
で、じゃ、ストリートの人は、
シャネルみたいな、ちゃんとしたスーツが、
作れるかっていったら、作れるわけないじゃん。
糸井 ない。
矢野 でも、プロは真似っこはできるわけ。
ストリートの気持ちは。
糸井 そうそう。
矢野 そういうことですよね。
アメリカでのラップの売れ方って、
単位が全然違うのね。
1曲当たれば、本当に大豪邸が買えちゃうわけ。
そのくらい売れるわけね。
でも、そういう人たちって、鍵盤開いて
「ドはどこですか」って言うと
わかんない人がいっぱいいる。
そういう人たちが音楽業界で、
全部こう、牛耳っていくわけじゃん。
売れるんだから。
糸井 うん(笑)。
矢野 そうすっと、今までこつこつこつこつ、
こういうビートはこうやって弾くんだよって技を
一所懸命訓練してきた人たちが、
かろうじて息をしてるくらい、なわけ。
でも、彼らの技を彼らは絶対に真似できないわけ。
でも、時代はこうなんだからっつって、
彼らを潰していくっていうのは、
これ、してはいけないことなわけよね。
このね、かろうじて息をしている人たちが、
どう息をしていけばいいかっていうことを、
今度は考えなくちゃいけない。
糸井 もう、なんか、稲作なんかに近いよね。
米作れるかって言ったら、
素人には作れないからね。
カルチャーですよ。ほんとにね。
‥‥そこはねー、興味深いところだねえ。
実はみんな意味で捉えてるから、
「ああ、できるよ」とか
「ああ、こういうことだろ」って説明するんだよ。
でも、説明してる奴は、
説明しながら自分は何も生み出してないっていう。
だから、オタクとラッパーだけみたいに(笑)。
矢野 これだけさ、ブログとかがさ、すごいじゃない?
糸井 うん。
矢野 誰でも、気持ちとか、
今日あったこととか書けると。
じゃあ、書ける人たちが全員エッセイストに
なれるかって言ったらとんでもない話じゃない。
でも、書いてる人たちは、
書けてるつもり? な人が
たくさんいるわけでしょ。
糸井 うん。
矢野 プロとそうじゃない人の差っていうのを
見分けなくちゃいけない時がきてほしいのよ。
糸井 たぶん、それはね、
ブログが仮に100あった時に、
このブログはいいって選び出して、
ある文章を、ほらいいでしょ?
っていうことは僕にはできるんだよ。
矢野 うんうん。
糸井 それはさっき、アッコちゃんが言った、
トイレのドアのきしむ音まで
音楽にできるっていうのと同じで、
その能力をどこで身につけるかみたいなことを、
ちゃんとおもしろがれるようになれば、
変わるんだと思うんですよね。
矢野 うんうん。そうだねー。
糸井 ピックアップする力が、とにかく重要ですよね。
矢野 サル的な人はけっこういっぱいいるよ。
だけど、サルであると同時に、人間であって、
それでちゃんと考えて、曲を嗅ぎ分けて、
それを両立させるにはさ、
やっぱり膨大な職人の歴史があるわけじゃない。
サルにも、実は。
やっぱり、これがなければ、
感覚だけでは無理なんだよねぇ。
糸井 長い時間を経過できないよね。
1年とかだったら、
もつことはあるかもしれないけど。
アッコちゃんは、
「あ、弾き損なった、もとい!」
っていうことをやる人だけど、
その「もとい!」を
やっていいか悪いかについては、
もうおサルとしての判断なのか、
人間としての判断なのか、
ものすごい何回もやってるわけじゃないですか。
それはできないよねー。
矢野 うん。
糸井 「もとい!」を毎日やったら
人気が出るかって思っちゃう人が
いるかもしれない。
矢野 ああ。かわいけりゃいいけどね。
糸井 あはははは!
矢野 かわいいサルなら。2年間くらいはもつけどねぇ。
糸井 もつかもしれない(笑)。うん。
矢野 3年目には、殴られてるだろうな。
  2006-12-07-THU

(明日に、つづきます!)
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