山元町と手をつなぐ。

町の仮設住宅。

山元町が
独自の仮設住宅(最大360戸)をつくることになり、
被災地のなかでもかなり早い「7月下旬」までに
避難しているほぼすべての人たちが
入居できるようになりそうだ──というニュースが
6月9日、駆け巡りました。

応急仮設住宅の建設は通常、
おもに「県」が主体になって行います。
自治体が独自で仮設住宅を建設するのは
宮城県内でははじめてのこと。
被災地全体でもかなり珍しいケースとなります。

たしかに、町長は
「仮設住宅にすべての人が入居すること。
 それがひとつの目処になると思います」
とおっしゃっていました。

なぜ、山元町は
町も住宅を建てることになったのでしょうか。
山元町役場の方に訊いてみました。

役場の担当の方
「まず、なるべく早くたくさんのみなさんに
 仮設住宅に入っていただきたい、ということは
 もちろんあったのですが──、
 仮設住宅というのは、
 たいてい2DKや1Kなど、
 定形の部屋数で
 提供されることがほとんどです。
 しかし、山元町の入居希望のみなさんの
 家族構成は、必ずしもそのとおりではありません。
 大家族もあれば、ご夫婦おふたり、
 ということもあります。
 新しく移る住居が
 それぞれの家族構成に合ったつくりになっていないと、
 暮らしを組み立てていく助けには
 なりにくいと思っています。
 
 それに、仮設住宅ができはじめた頃に
 入居していったみなさんから
 いろんなご意見をうかがったんです。
 段差がきつい、手すりがない、
 ドアが開けづらい。
 年配の方も多い地域ですから
 介護がしやすいバリアフリーの住居が
 切望されていました。
 
 そういうこともあって、
 “だったら町独自で住居をつくろうじゃないか”
 ということになったのです。

 町発注分の住居は、入口はスロープになっていますし、
 室内のフロアは移動がしやすいように平らで、
 トイレのドアはアコーディオンスタイルに
 なったりしています。

 狭い町で、みんなが何らかの形で
 知り合いだったり関わり合ったりしているところです。
 町でできることといえば、みなさんの
 こまかいニーズを聞いて、応えていくことです。
 これからも、なんとか住民のみなさんの声に
 応えていきたいと思っています」

町の避難所の数は、
現在4ヶ所まで減ってきています。
避難者数はおよそ400人になりましたが
もとのおうちに戻って住んでいる避難者も
数百人にのぼるのだそうです。

「いままでの生活を取り戻すことはできませんが、
 少しでも安心できる状況をつくることができれば、
 と思っています」

と町役場の方はおっしゃっていました。

もうすぐ、乗組員数名で
山元町にうかがいたいと思います。

(近いうちにまた、つづきます)

2011-06-17-FRI
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