画家・山口晃さんに訊く「絵描きの技術論」 技術とは なぜ 磨かれなければならないか。

百貨店圖 日本橋 新三越本店 2004 紙にペン、水彩 59.4 × 84.1cm 株式会社三越伊勢丹 蔵
©YAMAGUCHI Akira Courtesy Mizuma Art Gallery


先日、平等院鳳凰堂に襖絵を奉納した画家、 山口晃さんを取材しました。 テーマは、ずばり「技術とは何か?」です。 ご存知のかたも多いと思いますが 山口さんは、「うわっ、超こまかい!」と 思わず目を細めちゃうような 精巧緻密なタッチの「成田国際空港」の絵に 「馬型のバイクに跨ったお侍」といった ユーモラスな着想を潜ませる人。 技術の裏付けがあるからこその、自由な遊び。 目をみはるような技巧で、滑稽を描く。 絵のプロフェッショナルが語る技術論ですが、 そこには、他の職業のかたにも 読んでほしい「汎用性」があると気づきます。 技術とは、 なぜ、磨かれなければならないのか? 「ほぼ日」奥野が、うかがいました。
目次
第1回 磨くほど透明になってゆくもの。  2013-04-16-TUE
第2回 直感の精度。           2013-04-17-WED
第3回 現実が「見えてしまう」から。   2013-04-18-THU
山口晃さんプロフィール
第1回 磨くほど透明になってゆくもの。


── 山口さんにとって「技術」とは何でしょうか。
山口 技術。むむむ。
── 先日、会田誠さんが28歳のときに
「子どものフリして描いた」
というコンセプトの絵を、展覧会で見たんです。
山口 ええ、ありますよね。
── そのとき、確固とした「技術」があるからこそ
あれほど「子どもみたいに」、
つまり
「じょうずに、下手に」描けるんだろうなあと
思いまして。
山口 なるほど。
── 近著である『山口晃 大画面作品集』の解説で
椹木野衣さんも書かれていますが
そんな会田さんが
「嫉妬するくらいの技術」を持つ山口さんに
「技術」とは何たるかについて
うかがってみたいなと思い、今日は来ました。
山口 いやいや、わたくしなどまだまだですが‥‥
ただ、ひとつ言えますのは
技術というのは「ない」と「不足」です。
── 大前提として、「ない」と話にならない。
山口 それはたぶん、絵に限らずとも、でしょうが。
── ええ。
山口 ただし、中途半端にあっても
いろいろと、じゃまになることがあります。
── そうなんですか。
山口 生半可な技術で描かれた絵などにくらべたら
子どもの絵のほうが、よほど見どころがある。

思いますに、おそらく「技術」というものは
持っていることを
忘れさせるくらいにまで磨き込まれることが
ひとつ、大切なことではないかと。
── 持っていることを‥‥忘れさせる。
山口 ええ。
── それは「見る人に、存在を気づかせない」
という意味ですか?
山口 そうですね。わたくし、中学生のころに。
── はい。
山口 文化祭で絵を展示したことがあるんです。
その、スポーツカーの絵を。
── ははあ。
山口 国産初のミッドシップなんとか‥‥というような、
まあまあ、ともかく
スポーツカーの斜め後ろからの姿を描いたんです。

そのとき、いちおう「背景」も描いておきました。

でも、あまり時間がなかったこともあって
鉛筆でサラサラっと
ただの岩山みたいな背景を描いたんですね。

そうしましたら‥‥。
── ‥‥ええ。
山口 スポーツカーの出来については、
そこそこ、まあ褒めてもらえたんですけれど、
「ん~~、背景がね‥‥」と。
── よくない、と?
山口 テキトーだ、と。
ダメだ、と。
なってない、と。

スポーツカーの「背景」に関するご指摘が、
たいへん多かったんです。
── へぇー‥‥目についたんですかね。
山口 そこなんです。

私は、スポーツカーを見てほしかったし、
みなさんもスポーツカーを見てくれるだろうと
思い込んでいました。

ですから
背景は、間に合わせでいいくらいに考えていた。

でも、スポーツカーへのお褒めと同じほどの数、
背景について厳しい指摘をいただいた‥‥。
── なにか、絵のじゃまになったんでしょうか。
山口 そう、そうなんです。
だから、技術というのは「透明度」なんです。
── ‥‥と、いいますと?
山口 たとえば、タオルがビニール袋に入れられて
売られていたとします。

ビニール袋の「透明度」が高ければ高いほど、
タオルのようすが、よく見えますね。
── はい、見えます。
山口 やわらかそうだとか、柄がかわいいなとか。
── じゃあ、ちょっと買ってみようか‥‥とか?
山口 そう、見る人にそこまで思わせることができたら、
タオルをつくった人の「意図」どおり。
── ええ。
山口 でも、もしビニール袋が
中途半端に「不透明」だったとしたら?

「何が入ってるんだろう、これは。
 見えそうで、見えない。
 やわらかいから、毛糸のパンツか何かかな。
 もうちょっと
 中身の見える袋にすればいいのにな。
 あ、でもこの袋、
 恥ずかしいもの入れるのに使えそうかも」
とかなんとかですね、
意識が、別の方向へ飛んでしまうんです。
── ええ‥‥なるほど。
山口 つまり「つくり手の意図するところ」へ
「見る人を
 すうーっと直に導いてくれるもの」が
「技術」なのではないか、と。
── わ。
山口 どうされました?
── いや、いきなり、ものすごくわかったので。

途中まで、あまりわからなかったのですが
とつぜん視界が開けたみたいに。
山口 いやあ、もうしわけござません。

家庭でも
「あんたのたとえ話はわかりづらいのよ」
と、妻にたしなめられております。
── いえいえいえ、そんなことないんですが‥‥
つまり、見る人に、
「見せたいものを見せる力」が技術だと。
山口 そのようなものではないかなと、思います。

磨かれるほどに透明となり、
それ自体は見えなくなっていくようなもの。
── そして「見せたいもの」が、そこに残る。
山口 たとえば、映画などでも
どんなに脚本が素晴らしかったとしても、
役者の人がつたないと
それだけで
物語に没入できなかったりいたします。
── そっちのほうが、気になっちゃって。
山口 ですから、冒頭の会田誠さんのお話なども
まったくもって
「透明な技術」をお持ちであればこそ
「じょうずに、下手に」見せる、
という芸当ができるのではないかなと思います。
── たしかに、子ども風の絵の前では
「技術」の存在は、まったく感じませんでした。
山口 それを見せてしまったら、興ざめでしょうし。
── 山口さんのおっしゃる「透明」という概念って
「写実的」であることと、関係しますか?
山口 技術にも、いろいろな種類があると思います。

写実というと西洋的なデッサンの技術ですが
他方で、江戸時代の若者たちは
歌麿の春画で「ムムッ」ときていたわけです。
── はい、ムムッと。
山口 でも、そんな歌麿も、現代の若人にとっては
いわゆる「実用品」には、なりえない。
── 実用‥‥たしかに(笑)。
山口 ですから
「写実的である、デッサン力がある」ことだけが
「技術」ではないでしょう。

ジャンルごと、用途ごとに
求められる「技術」は違ってくるのだと思います。
── なるほど、なるほど。
山口 たとえば「漆器屋さん」であれば
いっさいの刷毛目を残さず漆を塗ることこそが
求められる「技術」でしょう。
── ええ。
山口 でも、民芸の作家であれば
すこし「肌合い」を残すくらいに仕上げるのが
職人技だったりします。
── おお、わかりやすい。
山口 わたくしのやっている絵で言えば、
「そっくりに描くことができる」という腕前は
「技術」のなかでも
ひとつの太い柱ではあると思いますが‥‥。
── ええ。
山口 他方で、西洋的な「デッサン」とは
まったく違う仕組みで成り立っているけれど
もう、
ビンッビンくる日本の古い絵もありますから。
── ちなみに、ですが
デッサン的な技術がすごいという画家には
たとえば、どんな人がいますか?
山口 ひとりは、ルーベンス
── あの、『フランダースの犬』で
ネロが死ぬときに「見たい」と言った、あの。
山口 そう。

わたし、ルーベンスはとても好きなのですが
あの人、ヨーロッパでも
5本の指に入るくらい描写力のある画家です。
── へぇ、そうだったんですか。
素人ながら、今度、そういう目で見てみます。

ちなみに、お好きというのはどんなところが?
山口 絵がうますぎて「誰も見てない」ところとか、好き。
── ‥‥誰も見てない?
山口 おパリのルーブル美術館には
「ルーベンスの部屋」なんてあるんですけれども
まあ、ガラガラなんです。

モナリザの前に群がっている見物客を
半分くらい、わけてあげたくなっちゃいます。
── そうなんですか。
山口 それはたぶんルーベンスの技術力と関係がある。
── どういうことですか?
山口 たとえば、彼の「白」。
── はい、ルーベンスの白。
山口 油絵というのは、やはり透明感が命なんですね。

で、西洋画の場合は「黒い部分」よりも
「白い部分」のほうが、手数が多い場合がある。
── つまり、白い部分のほうが「塗って」いる?
山口 そう。

で、ルーベンスの「白」というのは
「カンバスに手が入る」までは言いませんけど
恐ろしいほどの透明感を持っている。
── はー‥‥。
山口 とまあ、それはひとつの例にすぎませんが
ともかく、筆が巧みすぎて
「教科書どおりの優等生な絵」に見えてしまい、
まったく「引っかかり」がない。

「ザ・油絵」「ザ・大画面」なんです。
── なんというか、すでに「風景」みたいな。
山口 ようするに、見る者にとって
限りなく「違和感がない」んだと思います。

また違った意味で
限りなく「透明」な存在と言いますか。
── 絵がうますぎて、「技術」だけでなく
絵それ自体まで透明になってしまっていると?
山口 そんなところが、大好きですね。



「日清日露戦役擬畫」より「フランス重騎兵」 2002 紙に鉛筆、ペン、水彩
©YAMAGUCHI Akira Courtesy Mizuma Art Gallery

<つづきます>
2013-04-17-WED

   
待望の『山口晃 大画面作品集』発売中 4月20日(土)からは横浜で展覧会も。

このコンテンツでも
何点かの作品をご紹介していますが、
山口さんの絵って
なんといっても「まぢか」で楽しむのが
オススメだと思うのです。

そこで、その「方法」を、ふたつご紹介。

まずは「8年ぶり、第2弾」作品集である
『山口晃 大画面作品集』が発売中です。

前作『山口晃 作品集』
本当に素晴らしい内容だったのですが
「もっと、大きく見てほしい」
という山口さんの熱意で、
今回の第2弾、だーいぶ大きくなりました。

なにしろ「左右最大約90ミリの両観音」が
6カ所も設けられております。

そんなぜいたくなつくりの本のなかに
初期作品から
最新作の「平等院養林庵書院襖絵」までの
約110点が収録されているのです。

どうぞ、大画面に目を近づけて、
じっくりと、たっぷりと、ごらんください。

そして、
もうひとつの方法は「展覧会に行く」こと。

ちょうど4月20日(土)より、
横浜のそごう美術館で
『山口晃展 付り澱エンナーレ
 老若男女ご覧あれ』がはじまります。

「展」のうしろは
「つけたりおりえんなーれ」と読みます。

こちらの展覧会では、
山口さんのドローイングから油絵、立体作品、
装画などが、いっぺんに並ぶとのこと。

これは、まさに「まぢか」で見るチャンス!

ドナルド・キーンさんの
『私と20世紀のクロニクル』の挿画全点が
特別展示されるというので、
個人的には、それも楽しみであります。

老若男女のみなさま、
ぜひとも、足を運んでみてくださいませ。

(ほぼ日刊イトイ新聞・奥野)




Amazonでのおもとめはこちら











山口晃 胎内めぐり圖 2004年 個人蔵
© YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery




2013年4月20日(土)~5月19日(日)
午前10時~午後8時(入館は閉館の30分前まで)
そごう美術館(横浜駅東口 そごう横浜店6階)
そごう美術館ホームページ