山本忠臣さんと、白い空間。
 その4

伊藤まさこさんのプロフィール

 
その1 建築と工芸。

伊藤 こうして展示替えのあいだの
なにも置かれていない空間に入ると、
「ギャラリーやまほん」の
大きさにおどろきますね。
バックヤードまで含めたら、
テニスコートくらいありそうです。
山本 そうですね、広いです。160平米かな。
奥行きも30メートルくらいありますから。
伊藤 こんな大容量の空間だったら、
展示のたびに変化させるたのしみも大きいですね。
山本さんは、じつは建築家でもある
ギャラリーオーナーだから、
できることがいろいろあるんだと思います。
まずは、このギャラリーをはじめたきっかけを
おしえていただけますか。
山本 小学生の時は、
陶芸家になりたいって思っていました。
家業が製陶所なんです。
伊藤 伊賀に生まれて、お家が製陶所!
ご本人も陶芸が好きだったら、
作陶の道に進みそうなものですよね。
建築に行ったのは、どうしてなんですか。
山本 兄が美大に行ったんですよ。
ぼくも焼き物とファインアートが好きだったけれど、
得意なのは数学と物理でした。
そんな自分が、高校生のとき進路を考えて、
いちばん総合的にできるものは何かなぁと思った時、
建築に思い当ったんです。
建築に行けばインテリアもできるでしょう。
けれども家の事情で
私立大学に行くわけにはいかなかったし、
かといって国立を狙うのも難しかった。
それと一番は大学に行きたいって思いもあまりなくて。
それで、高校を出てから
設計事務所に入ったんです。
はやく現場のこともしっかりと知りたかった。
鉛筆で線の引き方とか、
いちからその事務所で教えてもらいました。
伊藤 お近くでですか?
山本 設計事務所は大阪でした。
その後、入った工務店も大阪です。
その工務店は東京や大阪で活躍する建築家と
仕事をする機会の多いところだったので、
勉強になるなと思って、入ったんです。
でも入る時に「3年で辞めます」って宣言して(笑)。
伊藤 えっ? それはなぜ?
山本 はやく独立しようと思っていましたから、
急に辞めて迷惑かけないように、
その間にしっかりと覚えるつもりで
最初から宣言していたんです。
それでも採用してくれたのはありがたかったです。
そして、その工務店に勤め、
ちょうど3年後に父が倒れたんですね。
とにかく帰ってきてほしいという父の言葉で、
兄と相談して、ふたりで戻りました。
田舎にもどることには抵抗がありませんでした。
というのも、いずれ都会ではなく
田舎で暮らして子どもを育てたい、
という強い気持ちがあったんです。
伊藤 そのときは、
製陶所を継ぐ道も考えにありましたか?
山本 はい、家業ももちろん好きだったので、
焼き物をやるか建築を続けるか悩みました。
けれども家業は兄が継ぐことになった。
そしてぼくの性分として、
兄と違った仕事をしたかったので。
では建築なのかと考えると、
伊賀では設計事務所としての仕事があまりないんです。
伊賀では住宅は建築家ではなく
大工さんに直接頼むのが当たり前ですから。
そういう悩みをかかえつつ、
とりあえず、腕試しで作ったのが
このギャラリーだったんですよ。
伊藤 とりあえずの腕試し!(笑)
山本 そうなんです。
建築の腕が試したいと、
倉庫を改築しようと思い立ちました。
父の焼き物を、ファインアートといっしょに
展示する、つまり工芸とアートが
入り混じった空間をつくろうと思って、
最初は実家の建物を改築しようと、
倒れた父親に提案したんですね。
伊藤 お父さんの作品を展示販売するために。
山本 父からも「やったらいい」と言われたんですが、
図面を見せたら、お店として、
通路も細くて、長くて「全然あかん」と。
せっかく伊賀にいるのだから、
間口のうんと広い入口をつくったほうがいいと。
「じゃあ、借りてやればいい」
ということになって、
ここを借りることになったんです。
伊藤 最初は、どういう感じだったんですか。
山本 倉庫なのでいろいろな在庫などがあり、
徐々に掃除をしていくと
こんなふうながらんとした空間ではありましたが、
さらにシンプルにというか、
まず、張ってあった天井や小部屋などを
すべて取払いました。
そして自分が好きなドナルド・ジャッドの作品や
信楽の大壺、
兄や実家の焼き物や黒楽茶碗などを
展示するギャラリー空間をイメージして設計し、
毎日少しずつ自分自身で間仕切り壁を作り、
アプローチに煉瓦を敷き、
直接窓枠が見えないように、
また光が間接照明的になるように
窓側を全面カーテンにするといった工事をしていきました。
伊藤 それってすべて、
山本さんが手仕事でなさったということですよね。
山本 そうですね。
ぼくはもともと工務店にいたし、
作り方は、住宅と一緒ですから。
伊藤 1人で黙々と?
山本 最初のとりあえずの完成までは、
半年くらいかけてやったかな。
昼間、焼き物の仕事を手伝って、
夕方から夜にかけて工事です。
それで、完成させてみたら、
「すごくカッコいいぞ!」と。
まったくの自画自賛ですけれど、
ギャラリーをやらなくてもいい、
と思えるくらい、満足したんです。
伊藤 えっ(笑)?
山本 実際、何ヶ月間か、空(カラ)の状態で、
ニヤニヤしてたかな。
けど、それもあれやし、
とりあえず家の陶器を並べてみたんですが、
全然、よく見えなくて。
伊藤 合わなかった?
山本 そうなんです。
それで、この空間に合うものを
探しだしたっていうのが、
ギャラリーを本格的に始めたきっかけなんです。

2013-11-18-MON 

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写真:有賀傑