『ぼくは見ておこう』
松原耕二の、
ライフ・ライブラリー。

<ほぼ日読者の皆様へ>
先週は多忙につき原稿を書く時間をとれませんでした。
「お休みします」という原稿を書く余裕もなく
時間が過ぎてしまいました。
ほんとうにごめんなさい。
新しい仕事ということもあって
やらなければならないことがたくさんあるだけでなく
まだ要領が悪いということでしょう。
きょうは
いま、日々もがいているテーマです。


『いかにして戦争のニュースは作られるか』

毎日アメリカによるアフガニスタン爆撃の映像が
放送されている。
しかし、戦争ほど現場が見えないニュースはない。

毎日、どうやって戦争のニュースが放送されるのか。
朝早く仕事場に行くと
様々な映像が届いている。

1)自社の記者が送ってくる映像とリポート
2)ロイターなど国際的な通信社が配信した映像
3)アメリカのネットワークが放送した映像
4)カタールのテレビ局『アルジャジーラ』が放送した映像

と大きくわけてこの4種類の映像だ。

1)は言うまでもないだろう。
現在日本のテレビ局のクルーは
パキスタンのイスラマバードなどの都市と
アフガニスタンの北部同盟側に
記者とカメラマンを送り込んで毎日中継をやっている。

次に2)は世界中の主なニュースの映像が
コンパクトにまとめられて、
通常、外国のニュースを作るときに欠かせない素材だ。

そして3)だが、
日本の各テレビ局はアメリカのテレビ局と
それぞれ契約を結んでいる。
たとえばテレビ朝日ならばCNN、
TBSならばCBSといった具合だ。
互いに優先的に映像を使える権利を有する。
たとえばCBSが独占的に撮影した映像は
TBSが他に先駆けて放送できることになる。
よって契約している局が強ければ
よりいい映像が入ってくる確立が高くなるということだ。

最後に4)だが、これは
今回の戦争で初めて入ってきた要素だ。
もうお聞きになったことがあると思うが
カタールにアルジャジーラという衛星テレビ局があり、
中東のCNNと呼ばれている。
もともとアラブ向けの放送だったことから
ここにはタリバン側の映像が入ってくる。
今回の戦争報道で一躍世界的に有名になった。

この4種類の映像を組み合わせて
今回の戦争のテレビニュースが作られている。
それは日本のどこの局も同じだ。

そこで我々のジレンマが生まれる。
何がホントかわからないのだ。

つまりこういうことだ。

1)自社の記者が入っているのは
  アフガニスタンの戦場のまっただ中ではない。
  あくまで北部同盟側の映像と情報しか入らない。
  タリバン側の現場を自分の目で見て
  情報を自分の耳でとることはできないのだ。

2)国際的な通信社の映像は、
  世界中のテレビ局が撮影した映像を寄せ集めて
  配られているにすぎない。
 (これなしでニュースができないほど重要なのだが)

3)アメリカの映像は
  アメリカ側の代弁者としての映像と情報に過ぎない。
  たとえばアメリカが公開した爆撃現場の衛星写真は
  最もうまくいったものを見せているに違いないし、
  先日公開されたアメリカの特殊部隊の映像はわずか2分、
  絵になって、しかも無難な場面しか公開していないだろう。
  公開されていない部分に何が映っているのかは知る由もない。

4)アルジャジーラに届くタリバン側の映像は
  もちろんタリバン側の代弁者としての映像だ。
  誤爆をことさら強調した映像や、
  病院で泣き叫ぶ子供達もどこまでホントの映像なのか、
  知る由もない。
  アメリカの言うとおり
  ビンラディンの声明の中に仲間へのメッセージが
  入っているのかも判断がつくものではない。

つまりいつもは自分の目で見て耳で聞いて放送するのが
建前のニュース番組も、戦争では、
「アメリカ側はこう言っています」
「タリバン側はこう主張しています」
などとつけて公開された映像を放送するしかない。
あるいは専門家の
「アメリカは都合のいいところだけを見せている」
などというコメントを入れたりして抵抗するのがやっとなのだ。
戦争の陰で繰り広げられる
アメリカとタリバンの『映像戦』に
結果的にのかっている側面は否めないだろう。
しかも真実は後にならないとわからないことが多い。
湾岸戦争で油まみれになった水鳥の映像では
アメリカの大きなウソが露呈したように。

自分の目で見ることができない戦争の実体を
どう報道すべきか。
毎日ジレンマの中で過ごしている。
原点は全てを疑うこと、
それは作り手だけではない。
この映像の時代、
視聴者にも同じ事が求められているのかもしれない。






『勝者もなく、敗者もなく』
著者:松原耕二
幻冬舎 2000年9月出版
本体価格:1500円


「言い残したことがあるような気がして
 口を開こうとした瞬間、
 エレベーターがゆっくりと閉まった」

「勝ち続けている時は、自分の隣を
 神様が一緒に歩いてくれてる、と感じるんです。
 ・・・たいていそういう頂点で負け始めるんです」


余韻を大切にした、9つの人間ノンフィクションですっ。
(ほぼ日編集部より)

2001-10-30-TUE

TANUKI
戻る