ラストワルツを聴きながら。
あのすごさを、余すことなく語りあう。

第2回 送り手は、口説き手。

糸井 ライブに行くと、ドラムって、
ひどく明晰なものだと思ったんです。
「感情の動物」ではない人がやってるなぁと。
沼澤 なんか原始的なものですけどね。
たたけば、音が出るんだから。
でも、ただ野蛮なヤツが
やってる楽器ではないんです。
糸井 それ、薄々は思っていましたけど、
でも、なんかドラマーっていうと
太っちょのビジュアルを想定しているから、
自然と、「ホームランバッター」みたいな
イメージで、つい、見ちゃうわけですよ。
沼澤 (笑)ああ、分かる。
糸井 考えてもいないのにそう思ってるんですよ。
ついボインな人が通りかかったら
スッと目が行っちゃうみたいに・・・。
沼澤 うん。わかります。
糸井 でも、音楽って実は、自己抑制がないと
人を楽しませることなんか、できないわけで、
感情のままに、ただやってるのだとしたら、
酔っ払いのおやじが伴奏抜きで歌う時の
「知床旅情」なわけですよ。
沼澤 (笑)
糸井 でも、さっき話した
「フカさないし、
 とにかく広げないんだけども豊か」
という表現の系統では、
ドラム、技術のかたまりですからね。

だめな時にThe Bandの音楽を聴くと、
だめじゃない気がしてくるんです。
自分に輪郭が見えて来るっていうか。

デッサンを習う時に、まず、
彫刻で影の濃淡を勉強するみたいな、
そういう効果があるのが、
ぼくにとっての、The Bandなんです。
最近、改めて、ものすごいなぁ、と思うんです。
沼澤 それって、
「前に聴いた時とちがう」ってことですか?
糸井 うん。
沼澤 ぼくらの中でも、一緒ですよね。
いろんなことをやってきて、
頭でっかちになるじゃないですか。

「そういえば、あれってどんなんだっけ?」
そう思って聴いてみたら、
「え? ちょっと待って? こんなんだった?」
どんなアルバムでも、
どんなアーティストでも、そうなります。

太田裕美の「木綿のハンカチーフ」っていう曲は、
ぼくにとって、まさにそうで。
子どものときに聴いていて、まあ、
「いい曲だな」とは思っているじゃないですか。
ある時、なんかのきっかけで聴き直したんです。

「え? 1番から4番ぐらいまで、
 毎回のAメロがはじまる前のイントロのアレンジ、
 ぜんぶ違う・・・こんなに凝ってるの?
 誰がやっていたんだろう」
糸井 沼澤さんの場合、
前に聴いた時と後に聴いた時で、
「自分が送り手になっている」
ということが、いちばんの違いですよね。
沼澤 それはまったくそうですね。テレビを聞いてても。
糸井 送り手になることで、
受け手として大変化してるんだ。
沼澤 すごい変わっちゃってますよ。
「あ、ちょっといま、照明が行かなかったなぁ」
「いま、ベースが間違えたな」って。

だから、余計なことに
耳とか目が行ったりする自分が
ときどき、つまんなかったりするんです。

でも、そういうことを忘れさせてくれるのが、
The band だったりするわけです。

送り手として、どんどんいろんなものが
見えて来ちゃっているはずなのに、
何も気にならないクオリティになってるのが
例えばThe Bandのメンバーだったり。
糸井 おぉー!
沼澤 これはもう・・・。
糸井 あの、何て言うの?
目の動きだけでもゾクゾクするよね。
沼澤 ええ。
糸井 これ見よがしに飾ったものっていうより、
ふつうに思えるんだけども、
ほんとに飽きずに繰りかえし聴けるもの
って
いま、特に魅力がある時期ですよね。

ぼくからみると、
すごい農法でつくったおにぎりなんて、
そうなんだけど。

事務所にいると、
最後におコメ食いたいなと思う時があって、
ぼく、夜用につくって持ってきているおにぎりが
あるんですけど、沼澤さん、ちょっと食いますか?
沼澤 はい。ぜひ!
糸井 (おにぎり、だして、わたす)
沼澤 (食べる)
糸井 ・・・。
沼澤 ・・・うまい!

糸井 うまいでしょ?
要するにこれって、
「ふつうの中の、最高」なんですよ。

まともに、ふつうにありふれたものの中での
最高品質っていうものが、
いちばん、うまいんですよ。
沼澤 わかる。
糸井 あとでいろんな手を加えたものよりも、
生まれた時からすごいもの、みたいな・・・。
沼澤 ぼく、おコメとおモチは、
一生、食っていられるんですよ。

アメリカにいた時も、
そんなにお金がなかったですから、
とりあえずごはんは、
2キロとかを5ドルくらいで買えるから、
それでよし、と。
あとは、「ごはんですよ」だけを
日本から送ってもらって、ずっと食べてた。
糸井 要するに、いろいろなものを食べても、
そんなところに、みんな、
最後は行きたがるんだと思うんですよ。
沼澤 イトイさん、
話をしてて、ジャンルを選ばないですよね。
おコメと音楽と、たまたま違う分野だけど、
やっていることは同じというか・・・。
糸井 音楽もおコメも、
送り手って、口説き手なんですよ。

あの人は、どういう人から
どう口説かれたいかなぁと考えることって、
追っかけていっても、
送り手の方には、答えはないんですね。
最後は、受け手が「はい」って来るだけで。
常に、答えは、受け手の側にゆだねられる。
沼澤 うん、うん。
糸井 だから、口説こうとする側に立つと、
背負う苦しみは受け手の何十倍なんだけど、
でも、「自由」なんです。
沼澤 はい。
糸井 受け手に選ばれるという立場で背負う
苦しみそのものをたのしむ、というところに、
送り手は、いくんだと思うんですね。
たぶん、音楽でも、
「どうだ、いいでしょう?」
って言う側の人たちって、
「自分がそれをいちばん伝えたい」
という人に届くように、
演奏しているわけですよね。
沼澤 正直に言うと、
とても大切な人が、客席にいた時って、
その人にしか演奏していなかったりするんですよ。

演奏に行きますよね。
「・・・あ、あの人が、いた」
それって、どこにいてもわかります。

もちろん、
全体に向けての音楽なんですが、
ぜんぜん、その人のために演奏をしている・・・
実は、そういうふうな時って、
すごいうまく演奏できている気になるんです。
なんか、やっぱり、燃えるので。
糸井 うん。
沼澤 伝えたい人が、いるかいないかで、
けっこう、違ったりするんですよ。
糸井 それが口説き手の喜びだし、そのかわり、
「通じなかったらどうしよう?」
っていう悲しみも、ありますよねえ。
沼澤 でも、通じてるって200%信じてる。
「ぜったい、いま、聴いてるでしょ?」って。
糸井 それは、プロですね・・・。
伝えることの素人には、絶対に思えない。
沼澤 もちろん、相手の考えていることって、
わからないんですけどね。
糸井 そういう時って、
演奏で酔っぱらわせたんじゃ、
だめなわけですよね?
沼澤 あ、それは全然だめです。
糸井 つまり、お酒を飲ませたのと同じことだから。
沼澤 それはだめですね。
もちろん、いつもうまくいくわけじゃないですよ。
そんなことを、いつもやってるわけでもないし。
糸井 沼澤さん、同時に、
自分のことを全然知らない人に対して
演奏で通信して、つなげて、
「どうだ」って言いたい気持ち
も、
いつもあるわけでしょう?
沼澤 ありますね。
糸井 「大したことないかもしれない」
と思って来た人たちを、
最後には捕まえてみたいっていう・・・。
沼澤 もちろん!
「どんな感じなんだろう?」
っていうので来てる人って、
見ていて速攻でわかるんです。

「いいっていう噂を聞いたから、
 ちょっと、まあ見てみるか・・・?」
って来た人は、すっごい標的ですよね。
糸井 (笑)
沼澤 ぼく、ライブの最後に、
その人たちの反応を、見ますもん(笑)。
  (つづきます)

2003-05-02-FRI

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