吉本隆明の ふたつの目。 ──ほんとうの考えを探し出す──  これまでたくさんの著作を生み、講演を行ってきた 吉本隆明さんが、ずっと気にしてきたことのひとつは、 「ほんとうのこと」についてなのだそうです。 「ほんとう」を探すために 吉本さんが持つようになった視点について、 糸井重里との話をお届けします。 * 吉本隆明さんの講演集は、 7月9日(水)に販売がはじまります。 おたのしみに。
吉本隆明の ふたつの目。 ──ほんとうの考えを探し出す──  これまでたくさんの著作を生み、講演を行ってきた 吉本隆明さんが、ずっと気にしてきたことのひとつは、 「ほんとうのこと」についてなのだそうです。 「ほんとう」を探すために 吉本さんが持つようになった視点について、 糸井重里との話をお届けします。 * 吉本隆明さんの講演集は、 7月9日(水)に販売がはじまります。 おたのしみに。

006 美点と弱点。

糸井 結局、いちばんたくさん声を出す
マスメディアの価値観が、
一般社会の価値観に
置き換えられているということですね。
吉本 そうだと思います。
知識だけが取り上げられちゃうのは
どうもちがうんです。
糸井 知識は、ひとつのジャンルにすぎない、と。
吉本 例えばラーメンでもいいけど、
僕らみたいな、ラーメンについて
特別の好みを持っていない人間からすると、
こんなのおつゆがどうだっていうだけじゃねぇか、
こんなものは簡単じゃないか、と
思いたくなるし、
ほんとうは思ってるかもしれません(笑)。

なんに対しても
「それがどうしたんだ」
というふうに言いたくなるのは、やっぱり
遠くにいれば、そうですよね。

しかし、糸井さんが、
ラーメンはどこがうまいとか、
どういう味がうまいというのを
追求したことがあるのを、僕は憶えてますけど、
うまいラーメンを出すということは、
そう簡単に成し遂げられるものだなんて
思わないほうがいいぞ、ということを
糸井さんは知っているんじゃないでしょうか。
糸井 そうですね。そう思ってはいます。
吉本 近くに行けばそれがわかるんです。
ですから、べつに知識の専門家だけが
そう言われることはないし、
ご当人も威張る必要はないでしょう。
だけど、やっぱり自分のやってきたことは、
威張りたくもなります。
糸井 はい。
ラーメン屋さんも、染め物職人も
近くにいて、それが少しでも伝わる弟子には、
威張りますね。
吉本 我々はそうなりがちなんです。
やったことの苦労や熟練は、みんな同じです。
みんな同じだけ
ちゃんとやることになるんだよということは
決まっているわけですよ。
べつに不平等も何もないです。
なのに、威張ります。

自分もときどき
威張ってないつもりなんだけど
威張ったようなことを言ったりしますから、
あまり人のことは言えないわけですけど、
その都度内心で「しまった」というふうに、
「思う人」と「思わない人」がいると思います。
そこしかないですよ。
あとは、区別すべきことは何もないと思います。

これは、心得として
憶えておかなくちゃいけないんだと思います。

ある人が夢中になって、
あることの専門家になったとします。
専門家になるまで修練も積み、
力もそれだけになりました。
そしたら、その人は、
「その専門の人間」じゃなくて
「専門の人間」になっているんですよ。
糸井 「専門の人間」。
吉本 それは、肉体労働でも精神労働でも同じです。
働いたら、働いたところだけが
ひとりでに異常に発達するんですよ。
それは「そうでないといけないぜ」
ということでもありますが、そうなんです。

でも、僕なんかは、それは
反省材料の大きな柱のひとつです。
うかうかと自分の専門ばかり追求していると、
お前、いつの間にか普通の人から比べたら、
足は壊疽にかかったじゃねぇか、
お前がそれだけ
歩かないですむことをやっている証拠だ、
と言われたら、そのとおりです。
糸井 頭を大事にしてきたから、と。
自分がそうなっているんですね。
吉本 これはね、僕の考えでは、
ある瞬間、元に戻さないといけない。
だから、親鸞みたいに
俺はちっとも浄土なんかに行きたくねぇや、
というのは、まっとうな考えだと思います。
「偉い坊さん」というのは、
たいていそうじゃないですよ。
やっぱり俺はここでこういう修行をしたから、
こうなったんだと言いたがります。
糸井 ただただ階段を登って、
降りられなくなっちゃうんですね。
吉本 同じように、肉体労働者の人は、
確かに普通の人より
何かを持ち上げたりできるし、
疲れる度合いが少なくなっています。
それは当然だし、立派なことです。
だから、自分でもある瞬間にはそれを
誇ってもいいのかもしれないけど、
いつでも商売のように誇っていると、
お前、とんでもない勘違いをするぞと
いうことになるわけです。

ほかの人だって、
自分のいちばん向いていることをして、
みんながいっせいにそれを披瀝したら、
みんなそうとうすごいんだよ、ということを
わかっておいたほうがいいんです。

自分もすごいことを誇ってもいいかわりに、
勘違いをしちゃいけないよ、ということも
わかっておかなくてはいけないんです。

自分の専門としていることに
自分は影響されていないと
思っているかもしれないけど、それは大嘘です。
何かをやって、それが自分のものになっていたら、
その人は必ずそういう人間になっている。
それは美点としても弱点としても
自分はそういうのになっているよ、
ということです。
だからむしろ、「ただの人間」というのに
自分を直さないと、
いつの間にかへんてこりんなことになっちゃう。
マルクスあたりの人はそう言ってます。

著作業であるマルクスは
ほんとうは自己の著作のために
死ぬことだってあり得るんだと、
遠くから見ている人に
そう言い返してやりたい思いはある。
物書きであろうと、みんなそれはちゃんと
やるべきことはちゃんとやっているんです。

物書きだって、
黙っている人だって、みんなそうなんです。

(明後日に続きます)

2008-07-21-MON

(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN