テレビと落とし穴と未来と。 ーー価値・無価値・反価値のはなしーー  吉本隆明+糸井重里

 02 「観客のため」という要求。
吉本 好きだから、よくテレビは見てますけど(笑)、
なんかずいぶん中途半端なところで
見てたな、ということが
今度のことではじめて
実感的にわかってきたと思います。
糸井 絵筆と書道の筆はちがうように、
テレビはテレビとしての道具の役割があると
思うんです。
道具としてのちがいを
もっと意識してなきゃいけなかった。
これは本当にでかかったです。
吉本 ああ、それは同じだな。ぼくもそうです。
糸井 ある意味では、いまのテレビの持つ緊張感は、
完成品を作るには、すごくよくできています。
完成品でさえあれば、
質のことを考えるのは次、ということだって
ときにはあるのかもしれません。
吉本 うーん‥‥。
糸井 テレビや映像の道具の使い勝手について
吉本さんがいらだったりしてるのを見てて、
やっとわかったんです。
吉本 ははは。
糸井 まずは、カメラに向かって
あたかもそこに人がいるがごとくにやることは
「そりゃ芝居だよ」と、
みんなが言うのを忘れていました。
ぼくは「できない」ということで、
批評はしていましたが、吉本さんは、
この芝居はオレはできないと言って、
いらだったんですよ。
吉本 そうなんでしょうね。
糸井 カメラが映しているということは
忘れられるはずがないんです。
だけど、心頭滅却すれば
それを「忘れてる」ところまでできる、って
思うんですね。
ドキュメンタリーに参加する人って
「みんな心頭滅却すれば」って思ってるんですよ。
カメラが横目に入っちゃったときには、
自分が悪いって思うんです。
吉本 うーん。
糸井 しかも、無意識でやる
わけのわかんないものは、映らないし、
テレビは消化しませんから、消えてしまう。
吉本 あのね、ぼくが知ってる人で、
自殺した方がいるんです。
糸井 村上一郎さんですね。
吉本 ぼくは、村上さんが亡くなってから、
何週か経ったとき、拝みに行きました。
そのとき、奥さんが言ってくれたんですよ。
村上さんが、急に、
家でも、自分に対しても、
言葉が少なくなって、憂鬱そうになったのは
テレビに出てからなんです、と。
あの人は、ぼくなんかより、
はるかに純粋な人で、
純粋なことが好きな人ですから。
  あれは、三島由起夫さんが亡くなった
前後の頃ですよ。
村上さんが、NHKに呼ばれて
おしゃべりするということが
あったらしいんです。
そのときに、どういう不調和があったのか、
わかりません。だけど、奥さんが言うには、
そのあとからしゃべりも少なくなって、
自分に対しても、
なんとなく何かを考え込んでるとか、
考えこまされてるとかいう感じに
なったそうです。
奥さんは、それが、
村上さんが自殺を考えた
きっかけじゃないかと思うと
おっしゃっていました。
そばで一緒に生活してた
奥さんの見方です。
糸井 はい。
吉本 それで、奥さんは、
よっぽど、こうしてくれ、ああしてくれと、
自分に不慣れなことを言われたんじゃないか、
そのことが原因じゃないかと思ってる、と
おっしゃいました。
糸井 結局、「受け手のため」という理由で
要求されることに、
踊らされることになって。
吉本 そうなんでしょうね。
そこを、あの人は純真な人ですから‥‥
糸井 そのまま受け入れて、
やったんですね。
吉本 そうなんでしょうね。
それで、それからなんか、
沈んでいっちゃって、そのあと自殺した。
「そのあと」と言っても、
ぼくから見れば、もう相当な期間ですけどね。
村上さんは、テレビに出たときに、
なにか感じたり、
これは自分には不都合だとか、
そういう実感が出てくるようなことが
あったんだと思います。
  (つづきます)

2008-12-26-FRI

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