転機のとき。

第6回 子どもの転機。


「良き子に育てる最善の方法は、
 幸せにしてあげることである(ワイルド)」

「世の中に思ひあれども
 子を恋ふる思ひにまさる思ひなきかな(紀貫之)」



子ども、に関する格言は、
世の中に、ほんとにたくさんあります。

正反対の意味のことわざがあることだって珍しくなく、
昔から人間は、子どものことに
よろこびを見いだし、かつ悩まされてきたことが、
しみじみと伝わってくるというわけですけれど……。

昨日の冒頭に掲載した
「大学4年生で妊娠検査薬が陽性」という方のメールに、
たくさんのメールをいただきました。
(妊娠をめぐる状況に転機を見いだしたことも、
 子どもというものに関係した大きな転機だなぁ、
 と思いつつ、拝読していたんです)

学生時代の妊娠については、
「私も」という方が数人いらっしゃったこともあり、
今日は、そんな「子ども」という視点で、
みなさんからのおたよりを、ご紹介したいと思いました。

それでは、たくさんのメールを、どうぞ。







・今日(月曜)の『転機のとき』を読んで、
 久しぶりにメールを書きたくなりました。
 というのは、「大学4年で妊娠検査薬が陽性」を、
 私も経験したからです。
 私の場合は検査薬の間違いではなく、
 ちゃんと妊娠していました。
 4年になったばかりの4月、
 彼は就職活動中、私は試験勉強中という身。
 「これが転機かも」とか、
 「人生が変わるときだ」とかは全く考えられず、
 ただ呆然とするしかありませんでした。
 これから自分たちの人生を決める時、
 まさに自分たちの手で、自分たちの
 「転機」を作るときに分かった妊娠だったのです。

 それからの日々はとても慌しいものでした。
 お互い親に告げて、結婚、
 引越し(私は一人暮し、彼は実家だったので)、
 周りに報告、結婚式の準備、
 それが終わったらすぐに私は教育実習、
 その合間にも大学の授業や就職活動もありました。
 本当に、よく具合が
 悪くならなかったと思うくらいの忙しさでした。

 付き合いが長くなって避妊意識が少し薄れていた時期で、
 考えれば考えるほど反省ばかりが浮かびました。
 けれど、二人とも、
 堕ろすということは考えられませんでした。

 嬉しかったのは、
 自分たちの未熟さから起こったこのことを、
 誰一人として責めず、逆に喜んでくれたこと。
 勿論、両親たちはがっかりもしたでしょうし、
 びっくりしたでしょう。
 けれど、自分たちの動揺を自分たちの中で消化して、
 私の身体をとても気遣ってくれました。
 友達も、大学の先生も、喜んでくれました。

 皆の助けのおかげで、身体を壊すこともなく、
 手作りの結婚式をあげ、
 学校に通いながら出産が出来ましたし、
 (小さな個人病院でしたので、
  友達まで出産現場にいたんです。
  分娩室の外の廊下で親も友達も
  一緒になって大騒ぎして喜んでくれました)
 その子供もとても健康で一歳を迎えました。

 思い出せば感謝の気持ち、
 自分の恵まれている環境を思ってまた感謝・・・
 なのですが、ここのところ日常生活にくたびれて
 そういう気持ちをすっかり忘れていました。
 今の環境が不本意だからといっては
 ひとり泣き、毎日が不満だらけでした。

 その時自覚できる転機と、
 後からそうだったと分かる転機がある
 ――とどなたかが書かれていましたが、
 私も、自分のそれを思い出して、
 今の転機に結び付けたいと思います。

 ずっと頑張り続ける必要はないと思います。
 けれど、自力で落ち込みから這い上がる力をつけたい。
 今、自分で転機を作ろうと思います。
 (と)



・「転機のとき」の一番最初に
 大学4年生で妊娠検査薬陽性が出た方の
 メールが掲載されていましたね。
 実は私も現在大学4年で、
 6月に同じような体験をしました。
 私の場合は、彼女とは少し違い
 結果的に妊娠していましたが、すぐに流産しました。
 体調が悪く、生理も遅れていたので、
 もしかしたら妊娠しているかもしれないと思う一方で
 突然、一度きりの出血があったので
 生理が不順なのかもしれないとも思っていました。

 不安な日々を過ごすのが嫌で
 それならはっきりさせようと検査薬を買い
 彼と食事に行ったお店のトイレで試しました。
 食後にしてみれば良かったのですが
 食事をする前に陽性と出て、
 食事は一切喉をとおりませんでした。

 そのとき、「妊娠してしまった」という思いと
 「出血があるっていうことは、流産?」
 という思いと、その二つでいっぱいいっぱいでした。
 私も彼も自立していない身で、
 自分たちだけで育てることは不可能で、
 ちゃんと育ててあげられないかもしれないという思いと
 それ以前に、そのまま流れてしまって、
 生んであげることさえもしてあげられないかもしれない、
 という思いで身を切られそうな一瞬でした。

 翌日、産婦人科で、妊娠がわかりましたが
 出血も多く、その日のうちに、流産でした。
 そのとき女医さんに言われた
 「どうせ望んだ妊娠じゃないんでしょ」
 という一言に、悲しみを感じつつも
 反論できない自分が、本当に情けなくもありました。
 診察が終わってからは、
 子宮が中身を押し出そうと収縮する
 陣痛にも似た痛みが続き、そして出てきた
 凝血を自分で目の当たりにしたときには
 あふれる涙を止めることはできませんでした。

 そんな自分を支えてくれるはずの彼氏が
 支えになってくれなかったこと、
 それがなにより辛かった。

 妊娠初期の流産は、
 胎児の染色体異常で生まれてこないことがほとんどで
 全妊娠の20〜30%ほどにも上るといわれています。
 (実際に妊娠に気づかない人もいるそうです)
 そういう知識を持っている私でも
 何か自分に悪いところがあったんじゃないかと
 責める気持ちは起こるものです。
 そういう気持ちを理解して欲しいという
 切なる思いも大きいです。

 私にとってこの体験は
 前回掲載されていた人のように
 生んで育てられないなら、避妊は確実にするべき、
 という思いと
 早く精神的にも経済的にも自立したいと思いが
 強くなった経験です。

 今でも思い出すと、とても辛いのですが
 辛い思いをした分だけ、
 人の痛みがわかるようになったと思えるし
 辛い思いをした分だけ、
 強く、大きくなれたと思っています。

 すべての赤ちゃんが、
 望まれて生まれてくる世の中になるように、
 そういう願いを込めて、メールを送信します。
 (とろりん)



・2/3の妊娠していなかった
 匿名のかたのメールを読みました。
 私は今、妊娠しているかもしれない。
 生理が少しだけ遅れていて、
 検査薬を使ってみたのですが、
 時期が早すぎるのかどうなのか、陰性と出ました。
 私は、転機の時を迎えなければいけない、
 と強く感じています。
 失恋したのですが、彼のことが忘れられずに、
 強引に元彼とセックスしたのです。
 そして、人恋しさに負けて、
 付き合っているわけではないほかの人とも・・・。
 もし妊娠していたとしても、
 父親がだれなのかわからないという状況です。
 妊娠していても生むわけには行かないと思っています。
 一人で育てていけるのだろうかという不安も
 もちろんありますが、
 子供が物事を理解できるようになった時、
 真実を話さなければならないことを思うと・・・。
 自分の弱さが原因で、
 こんな大きな罪を背負ってしまうかもしれないと
 思うだけで、申し訳なく、自分を責めています。

 妊娠していないことを祈っています。勝手な人間です。
 なんの罪もないのに、祝福されることなく
 摘み取られてしまう命があるかもしれない。
 それはとてもとても重いことです。
 「ついうっかり」や、「気持ちいいんだもん」が、
  人一人の命を左右することに、
  もっと敏感にならなくてはいけない。
 匿名のかたがおっしゃっていたこと、
 ほんとにそうだと思います。
 このメールを読んで、思い知らされた気がします。
 ありがとうございます。
 取りとめないメールになってしまいました。
 ごめんなさい。
 このメール、ほぼ日に載ってしまうでしょうか・・・。
 ご判断にお任せしますが・・・。
 (匿名のかた)



・わたしは結婚して一年半になりますが、
 先日、前につき合っていた彼から
 3年ぶりくらいに電話がありました。
 「借りていたお金を、返したい」と言うんです。
 しぶしぶ貸した、当時のわたしにとっては大金でした。
 彼とは5年くらいつき合ったけれど、結局、別れました。
 最後に、貸したお金の話は出ませんでした。
 その後彼に会うこともなく、わたしも結婚し、
 お金のことは、いい社会勉強だったと納得していました。

 でも、返すって言うんです。
 びっくりしていろんなことが頭をかけめぐりましたが、
 「ついでに食事でも」と言われたので妙に勘ぐってしまい、
 「食事は困る。お茶くらいなら」と会う約束をしました。
 当日、「絶対お茶だけ」とヘンに緊張しつつ彼と再会。
 さてその後は…。
 お互いの近況を話して、
 お金を返してもらい、それだけでした。
 30分くらいで喫茶店を出て、
 「元気でね」とあっさり駅で別れました。
 彼は昔より穏やかになった印象でした。
 お互いに守りたい家族や生活ができていました。
 わたしは、久しぶりに会った彼が懐かしいけど、
 それ以上の感情は何も湧かないことに気づき、
 すっかり彼から「卒業」したことに気づきました。

 帰り道、しみじみするような、ほろ苦いような、
 そんな気持ちになって、少しだけ涙が出ました。
 「オトナになる」って、
 こういうことなのかなと思いました。
 そして、自分の今の生活が
 すごく幸せで大切にしなきゃいけないものだと思えて、
 思わず家まで走って帰りました。
 (しまうま)



・「転機のとき」を読んでいてびっくりしちゃいました。
 つい先日初めてお送りさせていただいた
 私の塾講生活のメールが掲載されてて。。。
 私と同じ大学4回生の女性の
 妊娠検査薬で陽性という話にひやっとして、
 こまごまさんのその後に、なんかちょっとホッとして
 マリアさんの名前に高校時代仲の良かった友達のマリアが
 どうしてるかなぁって浮かんできて、
 sanaさんの前よりかは自分が好きですって言葉に、
 あたしも明日は今日よりそう思えるかなぁって考えて、
 そしたらなんか見覚えのある文章が…。
 今大阪に住んでいるのですが、就職先は東京になるゆえ
 初めての独りぐらしに耐えられるのか、
 もしかしたらもう家族4人で一緒に過ごす時間は
 残り少ないのかもしれなくて、
 大好きなおばぁちゃんや親戚や犬や友達が、
 自分が東京へ行ってる間に死んじゃったらどうしようとか
 近くにいても遠くに感じる大好きな恋人との関係が
 遠距離恋愛で尚遠くなってしまいそうなこと、
 人見知りしちゃうのに意地っ張りで強がりだから、
 新しい土地に馴染めなくって
 お腹が痛くなったらどうしよう、
 私がいなくなったら、私にべったりで
 いつも私の後ろにくっついてくるあの生徒は
 誰に教えてもらうことになるんだろう、
 などと色んなことが不安で仕方なくって
 夜中まで眠れないけど、上手に甘えられなくって
 誰にもうまく伝えられなくって
 怖くて恐くて仕方なかったのです。
 でも自分の書いた言葉を読んでいて気付いたことは
 「きっとあたしがいなくなっても
  なんとかなってしまうんやろう。
  人間は慣れと忘却を
  上手に使いこなしてしまうんやろうなぁ」
 ってことを無意識に悟っている自分が
 怖かったのだということです。

 慣れっこになってる塾講が楽しくって、
 居心地がよくって
 私を必要としてくれる人がいる環境があたたかくって
 私はきっと新しい環境へ飛び込むのを恐れているだけの
 臆病者かもしれません。
 内定をいただいている会社は大手で、周りのみなさんは
 「チャンスは掴んでみなきゃ」
 ってよく言ってくれるのですが
 私が最近感じることは、仕事は何だってしんどいもので、
 でもやりがいはあって、
 選ばなければどこにでもあるものだけど
 大好きな家族や友達や恋人や生徒や土地や環境は
 ここにしかないってことなのです。

 転機を迎えるのって
 すっごくいろんなパワーがいるなぁって思います。
 デリバリー版や「転機のとき」を読んでいると、
 なんか前向きで強くって大きな人が沢山いて
 かっこいいなぁって感じます。
 (トモコ)



・私は30代の女子で、ついおととしくらいまで、
 かなり男らしく生きておりました。
 主に化粧品の仕事をやっているのですが、
 「女は理論的じゃない」「女は判断力がない」
 「女はまじめに仕事をしない」などなどの
 ありがちな法則から
 抜けよう抜けようとがんばっておりました。
 服も、なるべくこざっぱりとした、
 女女しない物を選んで着ておりました。
 が。
 色々と化粧品のことを仕事で考えていたら、
 突然、女に生まれて良かったー……と思ったのです。
 今までも、仕事で化粧品のことを考える、なんて
 昼も夜も何年も繰り替えしてきているのに、
 どうして今更、30歳を過ぎて、と思うのですが、
 頭の中で、シナプスとシナプスがくっついた瞬間でした。
 理論的じゃないからこそ飛躍できるし、
 判断力がないからこそ、
 両方取るということも考えられるし、
 まじめじゃないからこそ、楽しい。
 それまでも大好きな化粧品に囲まれて仕事をしていて、
 楽しかったけど、
 なんというか、本当に楽しくなったのです。
 おかげで、服はピンクだらけになり、
 アクセサリーもシルバーからゴールドに全部改め、
 スカートばかりはくようになりました。
 分かりやす過ぎですよね…。
 でも、まずは外側に「幸せ感」を発信したかったのです。
 (別にすっごく幸せというわけではなく、
  ごく普通なんですけどね。)
 そうすることで、自分にも幸せが浸透するかしら、
 と思ったり。

 会議でおじさん連中を口説くのに、
 あらゆる理論、マーケティング情報などを
 切々と説明していましたが、
 男性理論で話すと、かえって回りくどくなる。
 右脳をもっと発達させ、どんどん飛躍的な発言をし、
 おじさん達の頭をかき回し、ちょっと、
 「なんでそうなるの?」と思わせる。
 すると、説明を聞いてくれる。そんな風に感じます。
 どうせ市場のスピードも早いんだし、
 飛躍した方が先回りできるってもの。
 (これが理想なんですが、まだまだ
  男らしさがヌケず、中途半端ですけどね)

 と、そんな風に思いました。
 私の本質はどっちなのか分からないのですが、
 なんでも、心理学では、
 どんな人の中にでも(男でも女でも)
 男性性と女性性が共存しているとか。
 皆さん、仕事をしていると、
 意外と意識されない女性性、
 改めてよくよく確認してみてはいかがでしょうか?
 (由香)



・26才女です。
 ほぼ日を読んでいて思うのは、
 努力する人たちに寄り添って応援しているということ。
 ヒットソングなんかを聴いていても、
 最近、また、世の中は努力の方向に向っているのかな?
 と思うことしばしばです。
 私も、努力を最上のものとして、
 自分にも他人にも厳しく、自他共にみとめる
 努力家&働きモノとして、ここまでやってきました。
 そんな私にとって、ほぼ日は、いままでたくさんの
 「これでいいんだ」という気持ちを与えてくれました。
 先日まで出版社で編集者をやっていたのですが、
 いろんなくい違いを感じ、退職し、
 現在は転職活動をしているのかしていないのか?
 という状況です。
 辞めたこと自体はまったく後悔しておらず、
 退職してもそれでのんびりすることもなく、
 自分でウェブサイトをつくったり、
 ミニコミをつくったりして、絶えず、動いてきました。
 そして、12月のある夜、
 26才の誕生日をみなさんに祝ってもらった数日後に、
 それはやってきました。
 深夜、お風呂上がりに、のんびりしていると、
 突然、心臓がバクバクいって、息ができなくなって、
 身体がガタガタ震えて、動けなくなってしまったのです。
 一人暮らしなので自分でなんとか枕元の携帯電話で
 救急車を呼び、近くの病院に運ばれましたが、
 心電図にはまったく異常なし。
 もともと、ストレスで体調を崩すことが多く、
 メンタルヘルスに興味のあった私には、
 幸い、かかりつけの心療内科がありました。
 よく知っている先生に、
 ひさしぶりに診ていただいたところ、
 今までの疲れが出たことによる、
 軽いパニック障害であるとのこと。
 努力しすぎ、がんばりすぎをゆるめなさいと、
 昔からずっと言われてきました。
 ほとんどの体調不良は、がんばりすぎから来ていると、
 自分でもわかっていました。
 身体が悲鳴をあげるので、
 私は今、お薬をいくつか飲んでいます。
 身体がなんともないときは、何で飲んでるんだろう?
 と思うこともしばしばですが、
 いざ夜中に発作が起きると、死なないとわかっていても、
 死ぬほどおそろしいのです。
 お薬&無職のダブルパンチで、
 日中は太陽の光をあびながら、
 つい部屋でゴロゴロしてしまいます。
 そして、それに罪の意識をつねに感じています。
 こんなにだらけたことなど、今までありませんでした。
 ぼんやりほぼ日を読んでいると、
 努力している人の言葉がたくさんあり、
 少しつらくなってきます。
 努力はすばらしいと、思えば思うほど、
 努力をゆるめる努力をしなければいけないというのが
 命題であるような自分は、
 どうしたらいいんだろうと、思ってしまうのです。
 「がんばれ」と言われてもつらいし、
 「あんまりがんばらないでね」と言われても、
 困ってしまうのです。
 ほぼ日の読者なら、同じような人もいるかな?と、
 思わずメールいたしました。長文、失礼いたしました。
 (mato)



・いつも興味深く読ませていただいています。
 私の場合はみなさんとは少し違った転機です。
 その時はいつも病気と共にやってきていたようです。
 高校を卒業し就職のため実家を離れ病気のため入院、
 退院を期に両親の希望もあり、実家で暮らしていました。
 地元での就職、平凡に暮らせるかも、と思っていたら
 脳梗塞で入院左半身不随の身体になりました。
 右手や口や頭は変わらずだったことと
 上司の理解があったので
 そのまま仕事(経理事務)を続けられました。
 もう私にはこの仕事しかない、
 この場所から出ては暮らしていけない、
 そんな思いで毎日過ごしていたようですが、
 職場での人間関係に悩み体調不良も手伝って
 心筋梗塞入院手術ということになりまして。
 そこでもっと自分を大事にしても良いのでは、
 甘えさせてくれる両親がいるのだから、
 と退職を決意しました。
 職業訓練校に通うと、
 色んな年齢職種だった人との交流が出来、
 「やめて良かった。
  人との交わりがこんなに出来るなんて
  会社にいたときは忙しいこともあり
  会社以外の人と話をすることさえもあまりなかった」
 と思いました。
 今は町のボランティア活動にも参加させてもらって
 その方達の暖かいぬくもりの中で
 自分に出来る範囲での活動をさせていただいています。
 まず動いてみる、そうなんですよね。
 考えているだけでは絶対に変化はない。
 まず出ていって見ようと日々努力(?)です。
 今は親に甘えての生活ですが
 それでも自分の生きていける世界を
 自分で見つけて行きたいと思って日々暮らしています。
 どんなところにも私の生きる道はあるのですよね。
 ほぼ日は私にとって色んな世界や考えを知らせてくれる
 宝の箱です。
 日々大変と思いますが
 あまり疲れないところで頑張って下さい。
 (ミスト)



・最近、恋をしているのかなあ、と思います。
 こういう感覚って、自分でも久しぶりだから、
 本当に恋かな? って、よくわからないのですが。
 相手は、結婚していて子どもが2人いる人。
 しかも、その人と私の年齢の差よりも、
 その人の子どもと私との年齢の方が、ずっと近い。
 まさか、自分が、こういう人に、
 好感を持つようになるとはね……。
 自分でも信じられません。

 仕事上のつきあいなので、
 一対一で話すなんてことはめったにありませんが、
 その人と話しているときは、本当に楽しい。
 でも、その人が、
 家庭を捨てるなんてことは全然想像できないし、
 その人には、そういうことはしてほしくないし。
 まあ、そこまで心配しなくても、
 彼がそうするはずないか(笑)。
 今、お互いに知的な刺激を与えながら、
 ちょっと親しい異性の友人であるというのが、
 お互いにとって、一番いい、
 距離の取り方・関係なんだろうなあって思っています。
 そうすれば、仕事仲間でいる限りは、
 いい関係を続けていられますし。
 その人が、結婚する前に出会いたかったなんて、
 全然思わない。
 結婚して、家庭を持って、子どもを育てて、
 そういう彼の歴史そのものが、
 今の彼の優しさをつくってきたのだろうと思うから。
 だから、彼の今の生活は、絶対に壊してほしくないって
 本当に、本心から思っています。

 もし彼に、私の気持ちを気づかれてしまったら、
 今のいい仲間関係は崩れてしまうし、
 今の仕事も、きっと、
 やりづらくなるだろうなあと思います。
 だから、彼にはもちろん、他の人にも絶対に、
 私の気持ちは気づかれちゃいけないって思ってます。
 前に好きだった人もそうだったんだよね。
 周りの人から、「2人は本当に仲がいいよね」って
 よく言われたけれど、絶対に、
 気づかれちゃいけないって思ってた。
 私ってば、そういう恋ばかりしている。
 なんか、さびしいなあー。
 でも、安心して自分を表現できる、
 そういう信頼できる人に出会えただけでも幸せだと思うし、
 結構今は、楽しい毎日を送っています。
 これって、実らせちゃいけない恋なのかな。
 それとも、恋じゃなくて、
 信頼できる異性の「親友」との出会いなのかな。
 まだ、自分でもよくわからない。
 (さ)



・自分が希望したしないに関わらず、
 転機は、大きくは3回あるかなあと思いました。
 1回は、高校に入って最初の夏休みに
 父が家を出て行ってしまったこと。
 それまで、父が浮気してるらしい、と
 母の様子がおかしかったものの、
 一日、二日と父が家を空けるようになり、そのまま。
 大学に行ったままそんな家に寄りつかなくなった
 姉の代わりに、半狂乱の母の傍に
 ひとり居なければならなくて、夏休み明けに
 「娘さんの表情が暗いがどうしたのか」
 と担任から言われた母がそのまま私に伝えるのは
 今考えても母親としてどうかと思うけど。
 
 2回目の転機は姉との関係が断裂したころ。
 フリーのデザイナーだった姉は、
 同じくフリーの作家だったボーイフレンドと知り合って
 会社を設立することになったのだけど、
 この彼がどうもインチキ臭くて。
 実家に仕送りするためお金をセーブしたいからって、
 母親と私もいるうちに住むことにしたり、
 その内お金持ちの女流作家と付き合って二股になったり。
 どうにもこうにも不愉快で、その彼につんけんしてたら、
 姉との間に深い溝が出来て、修復できなくなってしまった。
 私の結婚式にも欠席するし。
 その後、姉がその人との間に出来たこどもを出産し、
 その人とは別れ、私とも今は普通に付き合うけれど。

 3回目は自分の離婚。
 30過ぎた頃、6年続いた夫との関係に疑問が生じて、
 当時の自分自身をむりやり見つめなおすことになって、
 離れなければ生きていけずになりました。
 別居しては寂しさからまた一緒に暮らし、
 そんな自分もイヤで離婚届に判を押して。
 それからも数回「やり直す」感じになったけれど、
 決定的には私の転職で終わりになりました。
 月300時間近いハードな職について、
 40歳近くになっていちから勉強の職場。
 何もしらないくせに「リーダー」になって
 仕切らなきゃならない。
 「私の良いところ」が無くなったって言われました。
 ぽわー、っとしてケタケタ笑ってるところが
 「良いところ」だったのかなぁ・・・。

 これは正解かどうか分からないけど、
 「家」が崩壊すると、最低限の節度が崩れていく、
 と私は思います。
 うるさくって本当にうんざりしてた父が居なくなって、
 思春期の私は反面ほっとしたけど、
 父が居て「家庭」はどれだけ守られていたか。
 今でも両親が離婚していなかったら、
 姉も私も生きていくのに
 こんなにしんどく思わなかっただろうな。
 今、父は3人目の奥さんと2人で
 私の住んでいる隣駅の距離に仲良く暮らしています。
 明るくしっかり者の奥さんと、
 本当に幸せそうにしていますが、
 もしかしたら4回目の転機は父の遺産問題かもしれない。
 (mi)



・以前、わたしは恋愛と言うものが良く理解できずに、
 「好きってなに?」「付き合ってなにするの?」
 などとずっと考えていた時期がありました。
 そんなわたしにもあるとき彼氏ができ、
 けれどなんだか照れてしまったのか
 あまり好意的な態度もとれず
 結局は私の方から振ってしまいました。
 その後は後悔もして
 「あぁ、好きだったんだなぁ」と気付きました。
 1か月ほど経った頃、ある人がとても気になり、
 はじめて自分で気付くくらいに誰かを好きになりました。
 こんな風に思えるのは元彼がいたからなんだなぁ、
 と深く思い、好きな人を想うと
 彼のことも思い出される日々です。
 (鈴)


2003-02-04-TUE

 

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