笑福亭鶴瓶の落語魂。
その世界のすべてを愛するということ。

第19回 落語は、変えられるからいい。

糸井 いまでも、鶴瓶さんは
例えば「らくだ」をやるとき、
師匠から習うんですか?
鶴瓶 うちのおやっさん、
もう死んでますからね。
だから自分でやったんです。
糸井 師匠のテープから?
鶴瓶 はじめは、テープからですけども、
ぜんぜんもう変わってますけどね、いまは。

この世界におってよかった思うのは、
変えれること。

いつも、何をしても真剣やったんやけど、
落語というものに
真剣に取り組むのはまだ二年なんです。
いろいろ恥をかきながら、
ずーっといまに至っているわけです。

落語をやってると、
テレビやラジオでずっとやってきたものが、
ようやく活かされるというようなことがわかる。

ここなんやな、とだんだんわかってきてるんで、
「らくだ」も、やっていいのかなぁと思いまして。
糸井 あれは、最後は、体まで使うような話、ですよね。
鶴瓶 そうです。
糸井 お客さんが、
もし、つまんないって思ったら、
もうあそこまでは、
ほんとにイヤな話ですよね、きっと。
鶴瓶 自分がたのしんでるから。

うまいかどうかじゃなくて、
ほんとにたのしんでる。
他の方のテープを聞いていても、
やっぱりきっちりやっておられるから、
後半のほうは、そんなに笑いがないんですけど。
糸井 あの話って、
聞いていて、こわいんですよね。
こわさがあるんです。
鶴瓶 でも、ぼくは紙クズ屋がおもしろいから、
そのこわさをなくしたくないなと思う。

オチもみんな変えましたし。
自分のかたちでやろうかなと思ってね。
糸井 鶴瓶さん、
落語やります、本気になっちゃいました、
と決めた後には「やっぱりやめた」とか、
思いなおすことが、ぜんぜんないですね。
鶴瓶 やればやるほど、ね。

正直いうと、落語って、
極端にいうと一日でおぼえられるんです。
頼まれたら、そこでフッとやるには、
一日もかからんわね。

うまいかどうかはわからないけど、
そればかりやってたんです。

たとえば「堪忍袋」にしても、
袋のところを残して、
前を変えようとか自由にやってたんです。

しかし、やるんならきっちりやろうと思って、
今回の「らくだ」は、ほとんど一言一句、
ちゃんとおぼえて、ずーっとやってきて、
そこから崩していくというかたちにね……。

これはやっぱり、長いことかかります。
糸井 昔は、話をちゃんと追っかけられて、
楽しませればいいと思っていたんですね。
鶴瓶 そう思てたから、
瞬発力はものすごいあった。
自分の言葉でしゃべってるところがあったから。

だけど今度はもう、一語一句、
おやっさんの「らくだ」を
まちがわないように覚えて、
そのあと崩して自分のかたちでやると……。

それをやることによって、
やっていることは
よく似たことなんですけど、
ぜんぜん中身が違うということが
だんだんわかりだした、いうことですね。
糸井 鶴瓶さんが、
もともと若い頃に
落語と接していたパターンというのを、
今の鶴瓶さんは否定しているんですか?

それとも、幼い頃だから
それでいいんだと思うんですか?
鶴瓶 いや、否定してはいません。
そういうことも、大事なんですよ。

それがあったから、
稽古もしないでポーンとあがれるんです。

そんなん、ようしますやん。
稽古もしないであがるいうことなんて、
いまは、まず考えられないですわ。
  (つづきます)


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2004-12-29-WED

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