吉本隆明 「ほんとうの考え」
011 日本 日本人

じぶんでも不思議なこと、として、
何度も語られたのが、この話です。

理屈と理屈が衝突していたはずの場で、
あるいは、もっと複雑な何かのぶつかりありの場で、
なんとも言えない「解決」がやってきてしまった。
それは、いったいなんのこっちゃ?
拍子抜けしてしまうような結論に、
あっけにとられる吉本さん‥‥。

「日本」という場の、
独自の解決の仕方について、
驚きながら「同化」しているじぶんについて、
日本というものの不思議について、
ほんとに何度も何度も聞かせてもらいました。

ちなみに、ぼくは、この話を聞くたびに、
じぶんのなかにしっかり染み込んでいる
「日本人」成分を感じてしまいます。
糸井重里
吉本 戦争では、いやな思いもしたし、
奇妙な思いもしました。
動員先から汽車で帰ってくるとき、
ぼくらのほかに兵隊さんたちも乗ってきました。
きっと軍隊の蔵に残っていたものを
山分して持ってきていたのでしょう、
兵隊さんはみんな、大きな荷物を持っていました。
列車の中の通路も通れないほどでした。
ぼくら学生は身軽なもんだから、
なんだ、こんちきしょう、
こんなのが兵隊のざまか、と、
心の中で思いました。
自分たちは戦闘に参加したわけでもないのに、
内心では「なんだこいつら」と軽蔑したんです。
向こうは向こうで
ただ動員学生だってだけじゃないか、
学生がぐうたらだったから戦争に負けたんだ、
と思ってたでしょうね。
兵隊さんが列車の通路で大きな荷物を持って、
どうってことない顔して帰ってくるのが
おもしろくねぇなぁ、なんて思いながら
自分たち学生も帰っていく。
それは、なんとも言えない感じですよ。
糸井 吉本さんが学生時代に持っていたのは、
とても純粋な気持ちですよね。
吉本 ええ、純粋だけは、まちがいなく純粋でした。
戦争が終わったときだって、
「なんだ、勝手に降参して。
 俺が降参したわけじゃねぇぞ」
と、思っていました。
もしも「もう一回やるぞ」という
反乱軍ができたら、
そこへ行って俺は死ぬと思っていました。
生きてたってしょうがない、
そのくらい大真面目でした。
糸井 はい。
吉本 だけど、だんだん事実が経過していくうちに、
平静さが出てきました。
平静さというか、生きるずるさというのか、
そういうことを覚えていきました。
だいだい反乱する軍隊なんてもの、
ほんとうはいないわけですよ。
鉄砲ひとつ撃たないうちに
大臣みたいな人が2人か3人死んで、
戒厳司令官というのが、
ものすごく滑稽なことを言うんです。
「おまえたちは陛下の軍隊に背いて、
 反乱しようとしてる。
 父母が聞いたら泣くぞ」
糸井 ああ。
吉本 それがいかにも日本的でね。
糸井 そういう言い方は、のちに
全共闘のときにもありました。
吉本 ええ、おんなじですね。
日本人というのは、そういうときに、
「父母はおまえたちの振る舞いを泣いとるぞ」
みたいな布告をやるわけですよ。
へぇえ、これが日本人なんだなぁって、
ぼくは思いました。
糸井 そうかぁ。
吉本 いくら身を投じて反乱したって、
自分自身があてになんねぇよ、ということも、
だんだんわかっていくんです。
それは、自分でもいやな感じでした。
気持ちの行き場を失って、
ほんとうに俺なんか、何にもできなかったです。
そうしたら、軍も、
「おまえたちの父母は泣いとるぞ」
なんていう馬鹿馬鹿しいことを言う。
公のことに、
父母が泣くもへちまもねぇじゃねぇか。
これで戦争しようなんていうのは、
大間違いだったんだ。
まるで「なんじゃ」という感じです。
これがいちばん心に残っていることです。
糸井 その、いちばんまちがっている、
いちばんしょうもない言葉が、
ある意味では
何かを変えたんですね。
吉本 そうなんでしょうね。
糸井 「父母が泣いてるぞ」か‥‥。
吉本 ヘンなもんですね。
糸井 終戦の、8月15日の放送にしても
みんなの印象に残ってるのは、
「たえがたきをたえ、しのびがたきをしのび」
という言葉だと思うんですが。
吉本 そうそう。
糸井 つまり、心情の吐露のところが、
ぼくらにはいちばん響いています。
吉本 そこですね。
糸井 「気持ちはこうである」というところで、
天皇も兵隊も民衆も
みんなが重なったわけですね。
吉本 だから、日本人って、
奥底まで考えると、
まぁ、わかんないですよ。
糸井 わかんない。
「歌」と言ったらいいのか、それは‥‥
吉本 だから、負けそうだったら降伏すればいいんだ、
さっさと家に帰ってくればいいんだ、
そういうふうにはならないです。
糸井 すべてがそういう感性で。
吉本 時代によって、
右翼もいるし、左翼もいるわけですけど、
みんなそこですよ。
これをまだ、日本固有のいい感性と
言う人もいるかもしれないです。
ダメだなって思う人もいるかもしれないけど、
それは、なかなかそうは思えないわけで。
糸井 きっと両方、ありますよね。
一本足じゃ立てないです。
吉本 ぼくにも無理ですよ。
糸井 うーん‥‥
吉本 これまで、何かあるごとに、
日本式の情感の現れ方を
つぶさに感じました。
60年安保で、品川駅で
線路の上で座り込みしてたときもそうです。
学生さんたちと一緒にやるなら、
俺もどこまでもやって、
それでいいや、と思ってました。
そこでいちばん心に残ってて、
いまでもものを反省する
材料にしている出来事があります。
どこからどう、誰が歌いだしたのか、
ぜんぜんわかんないんですけど、
座り込みの連中が、
「夕焼け小焼けの、赤とんぼ」
って、歌を唄い出したんです。
そしたら、それが合唱になっちゃった。
歌は歌でも「インターナショナル」なんて、
出てこないですから。
赤とんぼ、あの歌が、
大合唱になっちゃったんですよ。
自分も「おや?」と思いながら、
歌ってました。
糸井 ああ、そうなんですね。
吉本 きっと指導者ってものは、こういうときに
「インターナショナル」とか、
そういうものを唄ってもらいたいでしょう。
そういうもんかな、と思ったら、
そうじゃない。
そういうときは「赤とんぼ」なんですよ。
やっぱり、おんなじじゃないでしょうか。
お前たち、お父さんお母さんは、泣いとるぞ、
ということとおんなじです。
その「赤とんぼ」を唄っているとき、
ああ、やっぱり俺も、
こういう人なんだ、
これ以上のものではないんだ、
ということを、ほんとうに自覚しました。
それは、いまでも、何と言われても、
弁解なしです。
糸井 「何を言うか」じゃなくて、
心を動かすものがある。
吉本 そうなんですよ。
糸井 父母の話と同じく、
結局は感情がうねって動かすものに
持っていかれるんです。
そしたら、理屈ってなんだろう(笑)。
吉本 それで、たしかに負けたんですね。
そのことは、いまもそうで、
アメリカだって中国だって、
みんなとっくにお見通しなんですよ。

(日曜日に、つづきます)



2010-02-01-TUE

吉本隆明「ほんとうの考え」トップへ


(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN