11月1日より
「100のツリーハウス。」のコンテンツがはじまります。
なぜツリーハウスを作ろうとしているのか?
コンテンツをスタートさせる前に、
ここまで計画をいっしょに進めてきた「ほぼ日」乗組員が
発案者である糸井重里に、改めて訊いてみました。






東日本大震災から2年半が経ちました。
これまで、ぼくたちは、
「復旧ではなく復興を」という言葉を
いろんな場所で何度も聞いてきました。

以前と同じ姿に戻す「復旧」ではなく、
なにかを興そうとするには、やはり、
アイデアが必要です。
そしてそこには、人の行き来や交流が生まれます。

震災はネガティブな例なのですが、
言ってみれば、震災があったことで、
ぼくはそれまであまり足を向けていなかった東北に
ひんぱんに行くようになりました。
ポジティブな理由で、
「あれがあるから行こうよ」と思えるようなものが
あたらしくできないだろうか。
2年前から、ずっとそのことを考えてきました。

ひとつ実現できたのが
気仙沼ニッティングでした。
東北に、世界の人々が目を向けるような
ニットの会社を作ること。
「ほぼ日」の震災支援として考えついたものでしたが、
いまは株式会社として独立しています。

▲気仙沼ニッティングホームページ


「復興」という言葉から、ぼくがお手本のように
いつも思い出すものがあります。
それは「広島のお好み焼き」。
そして、各地にある「大仏」像、
「関さば」「関あじ」、
「ブルースの町」ニューオリンズ、
「劇場の町」下北沢、などなど。
それぞれの場所が、必要に迫られ
名物や名物でないものをとりまぜながら
「ここでしか作れないもの」をあみだし、
行き来しようとしてきました。
「あれがあるから行こう」と思えるものを
作り出してきた歴史は、
そんなふうにたくさんあります。
グルメでも、キャラクターでもいいのだけど、
「すでにあるもの」では横並びになってしまうので、
やっぱり、あたらしいものがいいのです。

「大仏」、「お好み焼き」、そして「???」‥‥。
この「???」はなんだろう。
この問いかけは、ぼくの頭をずっと離れずにありました。

「100のツリーハウス。」の計画を実行していくのは
一般社団法人「東北ツリーハウス観光協会」です。
(2013年10月8日に設立しました)
その「東北ツリーハウス観光協会」のメンバーとなった
気仙沼の斉藤道有くんが、震災後2年の日に
「気仙沼で、これからいろんなワークショップを
 やりたいと考えているんです」
という話をしてくれました。
そのとき、ぼくの口から
「そうだね、たとえば、ツリーハウスを作るとかね」
という言葉が出たのです。
それまで「お好み焼き‥‥大仏‥‥」と考え続けてきた
頭が響きました。ツリーハウス!



おもしろがってくれる人たち、
手伝いたがる人たちの顔が浮かびました。
声を掛けたいあの人この人の顔も浮かびました。
商売の種にする人もいるだろうし、
子どもたちの遊びや教育の場に使いたいという人も
出てくるかもしれない。
個人でも団体でも参加ができる。
東北に行ったり来たりする理由が
ツリーハウスで生まれるようになればいいなぁ、
と思いはじめました。

気仙沼は海の街ですが、
内陸部にも、大小の山や広い森があります。
海のそばに住んでいた人たちが
山にも行きたいなと思ってくれたら、なおいい。
土地のなかでも海の民と山の民が出会う、
「合流する」パワーが生まれるのではないかと考えました。



100という数字を入れたのは、
いわば出まかせです(笑)。
けれども、説明するとすれば、こんなことです。

ひとつだけ作るんじゃなくて、無数に作ったら、
自分だって全部を見たくなるんじゃないかなぁ、
と思ったことがひとつ。
見に来てくださった方が、ツリーハウスをめぐり
東北の町をあちこち行ってくれたらうれしい。

そして、この計画全体が、
巨大な1匹の魚ではなく
小さなイワシの大群で作りあげるような
大きな生きものになりたかった、
という理由がもうひとつ、です。

100個のツリーハウスができていく。
建てに来る人、見にきてくれる人、
お店を開く人、送迎をしてくれる人。
みんなでこの生きものを作りあげて
どんどんかたちを変えていけばいいのです。

「小さなイワシの大群で作る生きもの」
をめざすために、もっとも大事なことは、
「さて、自分もふくめて
 どれほどの人たちがおもしろがるんだろう?」
ということです。

この計画は、
「頓挫してもいい」と
自分とみんなに言い聞かせてはじめました。
どこでやめても笑えるようにしたかったのです。
なぜなら、義務にしたくなかったから。
義務でやることにおもしろいものなんてありません。
やりたい気持ちだけがほしかった。
ですから、当初は予算も立てなかったし、
期限も作りませんでした。
スポンサーになってくれそうな人には
小さく声をかけたりしましたが、
建築の専門の方に教えてもらうことは、
まずは、しませんでした。
問題を解決することからはじめたくなかったし、
なにより、地元の人たちが中心になって
「やりたいことを先にやっていく」のがいいと
思ったからです。



でも、これからは、いろんな経験を持つ人たちと
もっと合流してやっていきたいと思っています。

いま、まずはふたつのツリーハウスが
着工しようとしています。
そこで、さっそく専門の方から
「ツリーハウスを複数作ろうと思ってるんだったら
 まず必要なのは、資材置き場です」
というアドバイスをいただきまして‥‥
そりゃ、そうですよね(笑)。
それから、資材も、いまは昔とは違うんで、
そのあたりに落ちてる、ということはない。
ぜんぶ、買わなきゃいけないもんなんですね。
あたりまえですけど(笑)。

ぼくらは、ツリーハウスについて、ずいぶん知らない。
でも、知らないがゆえに、ここまで来ることができました。
お調子者が世の中のある部分を作っていくことは、
今も昔も、あるんじゃないかと思います。
とくに、これからの会社には、
そういう要素がまじってないとだめかも、と
個人的には思います。
「ほぼ日」としても、思いきり遊べるような、
こういう取り組みをしなかったら
のちのちに後悔すると考えました。

気仙沼の役所や地元の人たちも
「ツリー部」を自発的に立ち上げ、
この計画をだいじにあつかって
たのしんでやってくださっています。



興味をもって、「なにが手伝えるんだろう?」と
考えてくださるだけで
このプロジェクトはちからをもらいます。
お金はもちろんあればうれしいし
これから人手もどんどんかかります。
お金と人手、両方もっている人たちが
チームとして参加してくださってもいいと思いますし、
すでに手を挙げてくれているグループもいます。
資材を運ぶためのトラックを寄付してくれる、
送迎バスを運転する‥‥なんでも、ありがたいです。

このツリーハウスの準備期間、今年の5月頃に、
知り合いの人たちと、
ツリーハウスのための
「へんなミーティング」という集まりを開きました。
そのミーティングの会長席に、仮だけど
和田誠さんに座ってもらいました。

ツリーハウスって、いわば、
よくわからないものだし、でたらめなものです。
もっと実用的なもの、理解を得られやすいものを
作ったほうがいいかもしれない。
みんなであれこれ話し合った最後、和田さんがぽつりと
「やっぱりツリーハウスじゃなきゃだめなんだよ」
とおっしゃいました。
そして、一同がうなずきました。
あの感覚は、みんなが持っていると思います。

もしも、ツリーハウスが、100できたら。
なによりも、たのしみに見にきてくださる人がいたら
ものすごくありがたいです。
だって、ぼくらは、この計画を
人が行ったり来たりする場所にしたくて、
考えたことだから。
だから、復興の手伝いだというふうには、
あまり考えなくていいと思います。





2013年11月。
気仙沼の、徳仙丈の森から
「100のツリーハウス。」ははじまります。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
2013-10-31-THU