翻訳人。
つなげる仕事はおもしろい!

映画『トレインスポッティング』で
大笑いした人ならそうとうオススメの、
アーヴィン・ウェルシュの
『トレインスポッティング ポルノ』は、
今、アーティストハウスさんから
出版されているところ、なんです。

この小説をはじめ、
『石の猿』『ポーン・コレクター』
『ファイトクラブ』など癖のある作品を
訳している池田真紀子さん。

翻訳を続ける経験の中で得た仕事論は、
デスクワークに関係のある人には、
かなり、役に立っちゃうかもしれません。
今日から三日連続で、おとどけしますよ。
『トレイン
スポッティング
 ポルノ』



「スランプ打開法=目の前に集中」

ほぼ日 池田さんが、
翻訳家になった経緯は、どのようなものですか?
池田 二〇〇四年で、翻訳をはじめて十年ですけど、
まわりを見ていると、
私なんかまだまだヒヨコですから、
「やっと十年か」というのが正直な気持ちです。

本はそれこそ幼稚園の頃から好きでした。
外で遊んでいるか本を読んでいるか
どちらかみたいな子どもだったので、
本が生活の中にあること自体は、
何の不思議もないことでした。
ただ、どうして仕事が翻訳なのかというのは、
自分でもよくわかりません。

とりあえず会社を辞めたいというのが
いちばん最初にあって、それでたまたま
友だちが出版社の人を知っていたんですね。

会社をやめるとして、
そのあとはどうしようと考えたときに、
「英語はできなくもない。
 翻訳ってどんな仕事なんだろう」
という関心を、その友だちに
ちょっと話してみました。

出版社の人に会ってみると、
「リーディングからやってみる?」と言われました。
翻訳をするに値する本かどうかを、
あらかじめ読む役割。

何冊か本を渡されたうちの
一冊がおもしろかったので感想を伝えたら、
その出版社は版権を取って、
「じゃあ、ついでに翻訳もやってみる?」
といきなり言われました。
それが『チャイニーズ・マザー』という、
私のはじめての訳書です。
まだ、会社にいる頃から訳しはじめて、
その年の六月からはじめて
九月いっぱいまでかかったと思います。
途中で会社を辞めたんですけどね。
ほぼ日 翻訳家になることに、不安はなかったのですか?
池田 バブルが崩壊したという認識が
世間にもまだあまりない頃だったので、
「ダメだったら、またどこかに就職すればいいや」
ぐらいの、
軽い気持ちでパッと会社を辞めちゃいました。


一冊仕事をもらったし、
まずはやってみて、それから考えようと思ったので、
「これで食べていくぞ」みたいな
決意があってのことというよりは、
なりゆきではじめたらそのまま、という感じです。

もちろん、大学卒業後に就職したときは、
ずっとふつうに
会社づとめをしていくものと思っていました。

会社を辞めたくなった直接の原因というのは、
会社の規則について疑問を持って、
総務の人に訊ねたときですね。

「それが規則ですから」
「だから、その規則を変えたほうが
 いいんじゃないかって言ってるんですけど」
「いや、でも規則ですから。
 決まったことですから」

そういうバカなやりとりを一時間もして、
その日の夜にキレました。
何かそれで一気に爆発しちゃって
「辞めてやるー!」と思って、
そこから何をしようかなぁと考えまして。
……ほんとうに、なりゆきです。
ほぼ日 その後、仕事はすぐに来るようになったのですか?
池田 いえ、ならなかったです。
出版業界にひとりしか知りあいがいないわけで、
来るはずもなくて。
最初の本『チャイニーズ・マザー』を出した
祥伝社は、もともと、
そんなに翻訳ものを出していないんです。

だから当然、「次もよろしく」ということもなく、
会社を辞めた年の終わりまでは、
元いたコンサルティング会社の翻訳の仕事を
もらったりしてつないでいたんです。

そのまま年が明けて、そろそろ焦りはじめたころ、
翻訳ジャーナルという雑誌を見ていたら
「リーダー(リーディングをやる人)募集」
という版権エージェントの記事が出ていました。
そこに電話をかけて
リーディングをするようになりました。

担当の人が気に入って
いろんな出版社の人に紹介してくれて、
そこから仕事が入りはじめました。
仕事のペースは、そのまま今に至るという感じです。
いまだに来るもの拒めずで(笑)。

自分のテーマなんかも特に持っていないですし、
ほんとうに長期的視野に欠けた人間なので、
とりあえず
一〜二年先のことまでしか考えていないんです。
ほぼ日 翻訳の仕事をしていて、
たのしいのはどういうときですか?
池田 「英語の本を英語で読んだ人が
 頭に思い浮かべるもの」と
「私が訳したものを読んだ人が想像するもの」が
たぶん一致するだろうと思ったときが、
いちばんたのしいですね。

そんな会心の訳なんて
一冊に一つあるかどうかですけど、

そういうときにやりがいを感じます。
もちろん、どの作品にもそういう瞬間はあるけど、
翻訳に百%の正解はありません。
だから限りなく百%に近い訳文ができたときは、
うれしいですね。
ほぼ日 生活や仕事のリズムは、
翻訳家になってからの十年間で、変えていますか?
池田 最初のうちは、サラリーマンみたいに、
「九時から五時まで」という
やり方をしてたんですけど、
だんだんそれでは追いつかなくなったのと、
少しずつだらけてきてしまったので、
はじめて四〜五年くらいの頃は
めちゃくちゃでした。

夜中に起きていたり、早朝に起きてみたり、
不規則だったんですけど、
いまから二年くらい前に猫を飼うようになったら、
もう猫が生活のペースを決めちゃいまして。

「朝は起こす、夜は定時になるともう寝ると騒ぐ」
という感じなので、
同じようなペースで毎日やっていますね。
猫が寝ている間に仕事をする、
起きちゃったら遊ぶ、また寝ると仕事をする、
というくりかえしです。
ほぼ日 お休みは、一つの本が終わって
たくさん取られるかたちなんですか?
池田 去年くらいまでは、そんなふうに、
本と本の間が大きく開いちゃってたんですけど、
最近はわりとコンスタントに
あまり間を空けないで次のに取りかかって、
休んでも二日や三日で
次をはじめるようにしています。

ほとんど毎日働いていることに
なるかもしれませんが、
「今日はやる気がしないから、いいか」
みたいなことで一日や二日は休んだりするので、
そんなにはたらきづめという感じでもないです。

ただ、二〇〇三年は、
本当によく働きましたね(笑)。

インドが舞台のやつから、
スコティッシュなやつとか、
科学ミステリーっぽいのとか
いろんなのをやったので、
頭の中がぐちゃぐちゃな感じですけど、
「働いたぞ」という充実感があります。

それと、最初の頃に比べると、
訳すスピードが向上しているので、
一冊にかかる時間はだんだん短くなっています。
見直したときに、
そんなにいじくらないで済む翻訳が
最初からできるようになって、
その分の時間も短縮されています。
ほぼ日 翻訳家の仕事を十年続けてこられて、
途中に節目や転機を感じたことはありますか?
池田 三年くらいは、もう必死にやるだけでしたねえ。
五年くらいで少し慣れてきて、
慣れてきたと同時に
気が緩んできたようなところもあって、
七年目にこれじゃいかんぞって思いました。

でも、どうしたらいいかわからなくて、
何かこう、
空まわりしてるみたいな風になったんです。

要するにスランプ。
いろんな意味で壁にぶつかっちゃって。
自分のスタンスみたいなのができてきたのは、
ようやくこの二年ぐらいです。

日々どんな時間割で仕事するのかということから、
本に対してどういうふうに向きあうかまで、
いろんな意味で、
やっと固まってきたのが去年や今年です。


一人前かどうかはわからないけど、
十年を前にして
ようやく自分の足で立ちあがりはじめた。
それまでは、もう必死にやっているだけでした。

翻訳をはじめた頃は、
原文を日本語にするだけで精一杯ですよね。
それに慣れると、今度は訳語の選択肢の広さに
愕然としちゃいました。


仕事をはじめて三、四年経ったころは、
愕然としたままどうしたらいいか
わからなくなっていました。
どうして仕事がたのしくないのか、
真剣に悩んじゃって。
「向いてないんじゃないか?」とか、
いろいろと考えましたね。

どうしてたのしくないのか
わからないまま数年間仕事を続けて、
七年目ぐらいに更にどーんと落ち込んで。
ほんとうにたのしくなくて……。
そういうときって、
「あと何ページ残っているか?」
ということばかりが
気になってしまうんですよね。


最近は、訳語の選択肢が広いぶん
自由があるってことだと
プラスに考えられるようになったり、
翻訳の仕事をたのしくやらなきゃいけない
必要なんてどこにあるのかと、
別の意味で悟っちゃったり。

仕事なんだから、
翻訳者がたのしくなる必要はない。
たのしくなる必要があるとすれば読者であって、
翻訳者は地道に一つずつ
積み重ねていけばいいだけじゃん、

とようやく気がついたんです。

だからこのごろは、
少しすっきりとした気持ちで
仕事をしている感じですね。
もう、残りページ数は気にしていません。
今やれることだけやればいいや、
みたいに少し開き直って、
肩の力が抜けたというか。

初期の頃に、「目標はありますか?」と
聞かれたときに、私は唯一、
「スティーヴン・キングを訳すこと」
と言ったんです。
ふだんは目標を作ると
自分を制限するような気がするから、
あまり目標を持たないようにしているんですけど、
そのときは強いて挙げました。

中学生の頃から大好きだった
キングの本を訳す機会が、
想像していたよりもずっと早く来たときには、
ちょっととまどいましたね。

原書でも翻訳でもずっと読んできている作家だから、
緊張してダメになるんじゃないか
という気がしたんですけど、
やりはじめちゃったら、またいつもどおり
目の前の一文のことしか考えられなくなりまして。
あっけなかったけど、それでよかったと思います。

  (つづきます!)

2004-01-27-TUE

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