翻訳人。
つなげる仕事はおもしろい!

最初に登場するのは、
ジェフリー・アーチャーが
刑務所生活を克明に綴った作品、
『獄中記』(アーティストハウス)
翻訳者の田口俊樹さん

ローレンス・ブロックの
ミステリー全作品の翻訳の他にも、
『神は銃弾』(ボストン・テラン)や、
『ギャングスター』
(ロレンゾ・カルカテラ)などなど、
我を忘れてのめりこんでしまう
作品を手がける田口さんに、
翻訳家になったきっかけから、
うかがってみました。
『獄中記-地獄編』


「こんなにおもしろい仕事があったんだ」

ほぼ日 ふだん、どんなペースで、仕事をされていますか?
田口 同業者と話すと、だいたいみんな、
一冊を三か月で訳すことが目安に
なっているようです。
ぼくもそうです。

最初はダラダラしたり、途中で中だるみがあったり、
最後の数週間は
気分が高揚して言葉がスラスラ出てきて、
終わるとぐったりしてしばらく話したくなくなる……。
ぼくの場合、長編を翻訳する過程は、こんな感じです。

三か月に一冊のペースだと、
年に四冊にはなりますよね。
加えて、前に翻訳したものが文庫化されたりもするし、
急ぐときは、数週間でしあげるものもあるから、
年間で言うと、
六冊から八冊ほど出版されることになる。

訳している三か月間に
定期的に休みを取るということはありません。
もちろん、飲み会にせよ何にせよ、
別の用事ができて仕事を一日しないなんていうことは、
いくらでもあるし、旅行なんかは行くんですけど、
「定期的に休みを一日取る」っていうのは、
翻訳家はみんなこわいみたいです。
まわりでも、そういう話はあまり聞きません。

職人みたいな仕事で、注文を受けて、
いつに納めるみたいなことのくりかえしでしょう。
誰かと都合を合わせることもなく、
自分一人で机の上でできる仕事ですから、
「やれば進む」んです。

時間があれば仕事をしてるって人は、
翻訳家には多いんじゃないかなぁ。

僕が「土曜だけは休んでもいい」という
気持ちになれたのは、翻訳をはじめて
二十何年経ってはじめてです。それまでは、
休みの日をもうけようという発想がなかったもの。

小説家と違って、
インスピレーションを待つ必要もないし、
翻訳に慣れていくにつれて、
すぐに仕事モードに入りこめちゃうんです。
短い時間でも仕事ができてしまうから、
空き時間を利用してるつもりで、
短編の翻訳が終わっていることもよくあります。
ほぼ日 翻訳の仕事に、「スランプ」ってありますか?
田口 ライターズブロックというか、
急に書けなくなるようなことは、ありません。
小説家と比べるとラクだと思うんです。
結局、作者が書いた
「もとの小説」があるわけですから。

翻訳家は、表現という点に関してだけは、
小説家と共通点があるように
見えるかもしれないけど、
小説家と同じ土俵に立てるのは、
かなり技術的なことに限られると思うんです。
ゼロから物語を作り出すことと、それを
翻訳するのとでは、大変さの質が違いますから。
ほぼ日 沢山の本を翻訳する中で、
おもしろい小説の特徴は何だと思いますか?
田口 誰かの受け売りですが、
「小説を読む楽しさは二つしかない。
 身につまされるか我を忘れるかだ」
というのを読んだとき、
うまいこと言うもんだと思いました。
その両方を味わえる小説がいいんじゃないかなぁ。
感情移入できて、ハラハラドキドキするもの……。
ほぼ日 学生時代、田口さんは何の職業を目指してましたか?
田口 僕はいわゆる文学青年でした。
大学の文学部に行って、同人雑誌を作って、
小説を持ちよって批評しあって……。
そういう通り一遍の
文学青年だったわけですけれど。

臆面もなく言ってしまえば、正直なところ、
大学に入るころなんていうのは、
もう明日にでも芥川賞を取るんじゃないか、
という気がしていました。
だけど、だいたいまわりもみんな、
そんなことを思っているヤツばっかりだった、
みたいなことで(笑)。

高校のころは自分は早熟だと思っていたけど、
大学にはもっと早熟なヤツがいて、
読んだこともない作家について教えてもらったり、
自分が学ぶことの方が多かったんです。

そう言いながらも、
三〇代半ばで翻訳者で専業でやっていくまでは、
小説を書いていましたね。
そんなに特殊な人生を送っていませんけど、
自分の子どもや家族をテーマに、
どちらかというと純文学の短編を、
何回か書いていたんです。
安部公房や吉行淳之介の影響を受けた小説。

ただ、書いているうちに、どこかで
「それほど訴えるべき自分はいない」
ということに気づいちゃいまして、
それで小説はやめたんです。

ゼロからものを作りだすのは、
かなり傍若無人じゃなきゃいられないけど、
俺はちょっと気が弱いところがあるよな、
と思ったんです。
書くことを通して、人を傷つけたり、
自分が傷ついたりすることもあるんだけど、
そこまでして書きたいものが、
自分にはあるんだろうかと思うと
「それほどはない」という結論に達しました。

「それよりは、現実的に、まわりと仲良く、
 角を立てずに生きていくほうがいい」

まぁ、日和ったわけですよね。

三〇代の頃には、もう翻訳というものがあって、
それで書くことはできていたから、
そういう結論を出せたと思いますけど。
ほぼ日 書くことで傷ついたというのは、
具体的にはどんな点でですか?
田口 自分が書いた小説は
思い出したくない(笑)んですけど……
ぼくの弟は、知的障害者なんです。
そのことは、昔から
自分の心の負担になっていまして。
コンプレックスにもなっているし、
それを気にしている自分が
すごくイヤだと思っていました。

その心の負担をなんとか克服したいというと
ヘンなんですが、小説を書く上では
それが自分の核になると思っていたんです。
それで、負い目とか、
ドロドロした思いを小説に書いてみました。
どう書いていいかわからないし、
告白することの
恥ずかしさみたいなものはあったし、
なかなか、書ききれなかった。
でも、書いた印象は深く残っています。

書いていくことで
自分が成長できたなぁとは思ったんです。
それが、三〇代の頃です。
その小説は、同人誌に載せた後に
批評で取りあげてもらったりもして、
「そこまでできたら、まぁ、よかったのかなぁ」
という程度のことは思いました。
ほぼ日 翻訳の仕事に入ったきっかけは、何ですか?
田口 大学を出た後はちっちゃな出版社にいて、
そこを辞めて高校教師になったのですが、
大学時代は英語のえの字も
読んでいないような状態で、
せめて英語を勉強しようと思ったんです。
教員になった以上はプロになりたくて、
翻訳をやりはじめたと言いますか。

きっかけは、
ミステリーが好きだったとか
そういうことではないんです。
書くことはもともと好きだったので、
友人の編集者に声をかけたら
『ミステリーマガジン』に
短編を訳させてくれました。

訳しはじめると、
こんなにおもしろいことがあるのか!
と思っちゃった。

自分で小説を書こうとするときは、
スラスラ書けるとは限りませんよね。
筆が止まると、
ぜんぜん何も思い浮かんでこなかったりして、
けっこう悶々とする。
そういうことがしょっちゅうあるわけです。
当たり前だけど、
翻訳は先にもう書いてあるわけだから、
その「悶々」がない。
でも、書くというたのしみはある。


その頃は手書きですから、
原稿用紙に鉛筆で書いて翻訳していると、
手のひらの外側が
真っ黒になったりするわけです。

それがなんかうれしくて(笑)。

沢山書くことが、うれしかったんです。
翻訳ってこんなにおもしろい仕事なんだ、
という発見がありました。

  (つづきます)

2004-01-06-TUE

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