大瀧詠一さんとトリロー先生の話を。
1961年3月11日 毎日ニュース
「作曲バスを追う」(ニュース映画)の取材より
タイトル

糸井 さて‥‥もう、
まとめに入っちゃうんだけど、
鶏郎さんの話をしていて面白いのは、
あの人は立派な人だとか、尊敬してますとか、
仰々しく語る人はいないんですね。
でも身内の大森さんなんかは、
鶏郎さんという人は、タブーに近いくらい
でかいものになっているんですか?
大森 いえ、いえ。
最初は、小さい頃から聴いていた
あの先生の所に入るということで、
ある種の畏怖を持っていました。
最近はもう、先生の人柄というのを
身近に感じたり、それから、
表現されているものが、
とても自分のなかで身近なものだと。
大瀧 ええ。わかりますよ。あの人は、
距離をあまり近づけないんだよね。
だから、人が来て、去る、というような‥‥
竹松 ええ。来る者、拒まず。去る者、拒まず。
大瀧 そう、そう。それを行動によっても
示しているし、態度でも示しているから、
「は、は、はぁーっ」みたいな感じのことは
一切、ないわけですよ。
竹松 ええ。来た人はみんな welcome なので、
周りにいる人もみんな‥‥
畏怖の念はあるんだろうけども‥‥
工房で職人のように働いて、
そこで同じものを作っていく、
というようにまっすぐに行くんです。
大瀧 ですよね。あと、どこを取って、
なにを言うか、で変わってくるから。
糸井 あまりにも多面的だから。
こんなディズニーの原盤を見ちゃうと、
親善大使みたいだもの。
竹松 この頃よく、ライターの方が
「三木鶏郎さんのことを書きたいので」
と言って、ここに来ると、
「やっぱり、書けなくなっちゃいました」
と言いますね。あまりに多岐にわたっていて。
「最初は冗談音楽で切っていこうと
 思ったんだけど、
 やっぱり切れなくなっちゃったんです」
と言って。
大瀧 そうだね。「冗談音楽」で切ろうとすると、
失敗するんだよね。
竹松 どこを切り口にしていくか。
あまりにも入り口がたくさんありすぎて。
大瀧 糖尿病の話だけ、とかね。
糸井 糖尿病で一時代作ってるんだものねぇ。
すごいよね。
竹松 そうですね。病気なら、病気で
追っかけてこないと、
三木鶏郎というものが
見えなくなってしまうので。
大瀧 それはね、マキノ雅弘とエルビスに
共通している。プレスリーも50年の
「ハートブレイクホテル」で見るか、
「ブルーハワイ」で見るか、
ラスベガス復帰で見るかで、
まるっきり印象が違いますよ。
マキノ雅弘も、戦前のもので見るか、
「次郎長三国志」で見るか、
ヤクザ映画で見るかで、みんな違う。
糸井 そういう人は、つまり、
足跡を残しにくいとも言えるんだね。
分かりやすい足跡がないわけだから。
大瀧 多作ということは共通しているんだけどね。
数が多いんだよ。だから、ゼロの人が、
どれから行っていいのか分からない。
入り口が見えない。
糸井 そのとおりだね。
夭折した人というのが
年表の中にくっきりと刻まれるのと、
逆ですよね。つまり
「1作しかなかったんだよ」というのは、
パーンと出るんだね。
大瀧 そう、そう。ジェームス・ディーンとかは
簡単だものね。
竹松 でも、やっぱり、調べてみると‥‥
さっきの「トムとジェリー」もそうですけど、
1個、1個が、すごいんですよね。
すごくたくさんあるんだけど、
1個、1個見ていくと、
やっぱり三木鶏郎の仕事ってすごい。
こんなに多岐にわたっているのに、
すごい!‥‥と。
大瀧 「仕事は忙しいやつに頼め」という
鉄則どおりで。だから、こなせるんだよ。
天才は、だから、暇にすると駄目だね。
忙しいときのほうがいい。
糸井 そうかぁー!
最高じゃない、ね。人の人生としては。
大瀧 うん、最高じゃないですか。
大森 あぁ、そうですね。
大瀧さんも、最高のような人生を‥‥
大瀧 いえ、いえ。最高と思わないとね。
やってられないからね。
「ほぼ日」も続いているね。
大したもんだね、休まないってことは。
糸井 ただ‥‥それはモンゴルの
馬の乗り方じゃないけど、
立ち乗りで行かないとケツが痛くなる、
みたいなところがあって、
「これをずっとやるんだろうか」
というのは‥‥怖いよ。
大瀧 思いながらも、やれちゃうんですよ。
糸井 モンゴルの馬の鞍は、座れないように
イガイガしているんですよね。
座っちゃうと、かえって
ケツ擦れしちゃうんで、立っている。
大瀧 ああ、なるほど。まさにその生き方は、
糸井さんの生き方そのものだね。
糸井 他人事だと思って‥‥そんなところに
持っていかないでください(笑)。
大瀧 座りそうになったら、
ビシッと叩かなければいけないね(笑)。
一同 アハハハ!
糸井 「座るとケツが痛いんだよ!」って(笑)?
糸井 鶏郎さんが サイパンとか
ハワイ
に行った理由というのは、
今の僕の境地なんですよ。
大森 ああ、なるほどね。
糸井 つまり、こっそり座りたいんですよ。
座らないとできないことが、
じつはあるんですよ。
で、そこまで全部立ってやるわけに
いかないんで、「いや、仕事するから」と、
自信を持って僕は京都に行けるんですよ。
大瀧 ふーん。
糸井 それは多分、鶏郎さんもね、
休みたかったというよりは、
「このまま立っては、まずいぞ」
というのがあったと思うなぁー。
大瀧 うん。‥‥いつですか、
サイパンに行ったのは?
竹松 70年代のあたまぐらいですね。
糸井 晩年ですよね。それまでは立っていた‥‥
竹松 ‥‥当時、糖尿病って、
銀行がお金を貸してくれないぐらいの
病気だったと言うんですね。
糖尿病だったらお金は貸さないし、
死の病というか、癌と同じような感じで、
糖尿病は早死にする、と。
42歳のときに糖尿病とわかって、
それでだんだんと、このまま東京にいたら‥‥
「東京の東は糖尿の糖の字」
と言うくらい‥‥
死んじゃうぞ、ということで。
大瀧 すぐ、歌を作るね!
竹松 歌にはなってないんですけどね(笑)。
それで、「逃げよう!」ということになって、
仕事を減らしていって。
日本は、冬は寒いし、夏は暑いし、
とりあえず日本に近くて冬暖かい、
ということでサイパンを選んで。
サイパンでは、外国人の土地購入を
禁じていたそうですが、
何回か行っているうちに、
たまたま知り合いになった人が
ゴルフ場を持っていて、
「そこの一角に家を建てていいよ」
と言ってくれたそうで。
そこに家を建てて。
大瀧 なるほど。‥‥どこ行っても
鶏小屋を建てるね(笑)。
竹松 鶏小屋を建てますね(笑)。
それで、毎年、そこに行くようになった。
74歳の時、心筋梗塞で入院したんですが、
サイパンは夏は過ごせない場所だし、
冬も水不足とかで困ったりとか。
あとは、だんだんと時代が変わって、
そこの持ち主が変わっていったりして、
じゃ、どこかに移ろうか、ということで
最後はハワイのマウイ島に‥‥
大瀧 行ったの?
竹松 ‥‥いい所があるということで、
そこに行ったら気に入っちゃって、
「ここを終の棲家にすべきだ」と。
大瀧 やっぱり。 井原高忠さんもそうなんだよ。
ハワイに住んでるんだよ。
日本テレビの局長を辞めて、だよ。
大森 ええ。そうでしたね。
竹松 そうなので、計画性はありますね。
糸井 あの‥‥鶏郎さんも、心では
辞めてないんだと思うんだけど。
大瀧 辞めてないでしょう。
生涯現役ですよ、それは。
糸井 そこに、なにか、移る人の
秘密があるような気がするんですよ。
つまり、引っ込んだように見えるけど、
もっとやるために引っ込んでいる、というか。
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『キリン・キリン』【キリン麦酒】
作詞・作曲:三木鶏郎
歌:ダークダックス
『くしゃみ3回ルル3錠』【三共】
作詞・作曲:三木鶏郎
歌:伴くみ子
 
 
再生して音が出るまでにしばらく時間がかかります。
(つづきます!)

2006-01-16-MON
デザイン協力:下山ワタル
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