大瀧詠一さんとトリロー先生の話を。
1951年「冗談」No.3 コロムビア号
編集:三木鶏郎文芸部
発行:冗談音楽愛好家協会/日本コロムビア株式会社
タイトル

糸井 大瀧さんが初めてCM曲をつくるとき、
「サイダー」というのは、
商業の言葉というか、商品の言葉だけれど、
それが例えば、
「アイ・ラブ・ユー」だったら、
普通に歌ですよね。
違いを感じなくてもやれるじゃないですか。
‥‥だけど抵抗があったんですか、やっぱり。
大瀧 なにもない。
半音がずれているイントロの曲が
あったんです、僕の曲で。
その半音ずれるのが、
「サイダ〜」なんですよ。
その曲のイントロが‥‥
僕がすでに作っている楽曲があるんです。
糸井 それは、なんという曲ですか?
大瀧 「うららか」という曲なんですけど。
僕のファーストアルバムに入っています。
A面のケツ。その、ダンダンダンダン‥‥
と半音ずれているものと、
サイダーというロゴがくっついたんです。
頭の中で、瞬間に。
それで、できてしまったんで、
多分これでいいだろうと‥‥
糸井 それは、電話で?
大瀧 電話で話し合って。
大森 それは、偶然、ある晴れた日に、
午前11時くらいに
お電話を差し上げたんです。
「三ツ矢サイダーなんですけど」と。
すると、ちょっと沈黙がありました。
‥‥あれ、詞は伊藤アキラさんですよね。
糸井 ええ。
大森 で、「三木鶏郎門下の
伊藤アキラさんに詞をお願いしました」。
また、沈黙がありました。で、即座に、
「詞の母音の“あ”を‥‥」と。
大瀧 頭に、と。
「詞を作る際は、“あ”で始めてください」
と言った(笑)。
大森 そう、そう、そう。
「“あ”で始めてください」
というご注文をいただいて、
伊藤アキラさんは大瀧さんの
「お」の字も知らない人でしたが
「かしこまりました」と‥‥
糸井 大瀧さんはなぜ、そう言ったの?
大瀧 僕は、はっぴいえんど時代でも
松本隆に「“あ”ではじめて」
と言って出来たのが
「抱きしめたい」という曲で、
歌い出しの“淡い光が‥‥”
というのも
“あ”で始まっている‥‥。
糸井 僕、じつは、自分で結構やっているんです。
とにかく、“あ”で始めようというのは、
しょっちゅうやってますね。
大瀧 僕は、「五月雨をあつめて早し最上川」に、
あ音が多いというので、
「五月雨」という曲があるんですよ。
「空飛ぶくじら」のB面なんですけど。
そのときに、“あ”音の多いものを、
ということで‥‥。
“はっぴいえんど”を始めるときに、
そういう音声学とか、母音的な音というのを
随分、個人的に研究したりしてましたからね。
糸井 研究してたんだ。
大瀧 “あ”音云々は、
世阿弥のあたりとか、その前から
山のようにある話なんだと思うんですよ。
僕がとか、誰がとかいうことでなくて、
すでに、あいうえお、があったときから。
僕の自作曲で最初にステージで歌ったのは
「あいうえおの歌」という曲なんですよ。
糸井 あぁ、そんなことをしていたんだ。
大瀧 でも、“あいうえお”の歌は、
その前に3作ぐらいあるんですよ、調べたら。
自分が最初だと思ったんだけど、
結局、そういうことの繰り返しなんですよ。
糸井 ‥‥僕は、直感的に、
とにかく“あ”で始めるように
気を付けているんです。
子供の名前まで“あ”で始めましたから。
大瀧 それは、ある種のなにかをやった人に
共通して、意識する、意識しないを含めて、
みんな持っているんです。感性として。
糸井 作曲する立場の大瀧さんも。
大瀧 まぁ、僕らのときは分業という‥‥
昔の先生みたいに、「詞は一言一句」とか、
「詞をずーっと見てたら、
 曲ができて涙がこぼれた」とか、
ああいうような曲作りを
やったことがないから。
ジョンとポールも、
1行ずつ作るとかいうような感じでしょ。
一緒に作っていくという‥‥今流に言うなら、
コラボレーションというか、
そういう自由な作り方だったから、
「俺は詞だから」とか、
「お前は曲だから」とか、
そういうような考え方は、
あまりしたことがないんです。
糸井 それは、もうすでに“はっぴいえんど”で
やっていたんですね。だから、
会ったことのない伊藤アキラさんとも、
それができたんだ。
大瀧 「あなたがジンと」を。
変なことを言ってくる奴だな、
と思ったんだろうけど、
「CMのときは多羅尾伴内という
 名前でいきますから」と言ったんですよ。
そしたら、それが受けたらしいんです。
不敵な野郎だ、と‥‥(笑)。
糸井 それは、伊藤さん好みの感じがするね。
大瀧 ど真ん中のストライクだったようですね。
アキラさんにとっては。
糸井 伊藤アキラさんは、
冗談工房の後期だったんですか?
大森 後期。やはりコントを書いていて。
学生時代にアルバイトを始めたんです。
糸井 当時の鶏郎さんのところには、
そういう人がいっぱいいたんですって?。
大森 いっぱいいましたね。
大瀧 永六輔さんもそうですよね。
みんな投稿マニアでしょう。
お金をくれたんですものね。
大森 そうですね。
糸井 つまり、漫画少年みたいなものなんだ。
大瀧 うん、そうね。いっぱい投稿して。
大森 大学の掲示板などに
出たんじゃないでしょうか。
「冗談工房、研究生募集」と。
糸井 今のインターネットですね。
大瀧 インターネットの掲示板ですよね、
要するに。
大森 そうです、そうです。
永さんとかも、そうですよね。
糸井 川上弘美さんのお父さんも
そういうふうに投稿を
していらしたそうですよ。
きっとそのお父さんは家で、
鶏郎作品に出てくるような
冗談フレーズを言ったりしながら、
子供に影響を与えていって、
あの「面白好き」の川上弘美さんが‥‥
大瀧 生まれたんだね。
ラジオ関東の「ゴー・ゴー・ナイアガラ」の
投稿マニアというのがいましてね。
「明治最中カレーを食べる会」
の会長というのが、泉麻人なんですよ。
糸井 ほぉー‥‥!
大瀧 ニッポン放送のディレクターから
作家というケースも、随分、多いからね。
倉本聰さんもそうだし。
糸井 僕のこの仕事の先生は
山川浩二さんという方で、
その人が冗談工房にいたんです。
大森 いえ糸井さん、山川さんは
冗談工房の社員ではいないんです。
電通の社員だったんですよ。
糸井 ‥‥そうなんですか?!
大森 山川さんは自分でも詞を書くような人なので、
そういうものを作る人の気持ちがわかります。
それで、鶏郎先生の仕事を一切、
山川さんが仕切っていらっしゃった。
糸井 ほぉ! じゃ、山川さんが
冗談工房にいたというのは、
僕の誤解だったんだ!
大森 実質は、いた以上に、いた人ですね。
大瀧 そういう存在の人って、いるんだよ。
大森 むしろ、鶏郎先生の奥さまに、
山川さんと鶏郎先生の関係を
聞かれたほうがよいかもしれません。
糸井 (後ろで聞いていた三木鶏郎夫人に)
山川さんは、
いつもいらっしゃったんですか?
夫人 大抵、お仕事を持ってきてくださるのが、
山川さんでしたの。
大森 例えば、
「船橋ヘルスセンター」
山川さんの依頼ですね。
糸井 当時の山川さんって、まだ20代ですよね。
夫人 ええ、そうです。
それですごく仲良くなっちゃって、
たえず山川さんが鶏郎のそばにいた、
という感じで。どっちが正社員か‥‥(笑)
大森 だから、鶏郎先生は、コマーシャルが来ると
山川さんにまず相談されたりして。
糸井 昔の20代って、すごいなぁー!
いつでも聴けるトリローラジオ
音が聞こえないときはこちらへ!
『長生きチョンパ』
【船橋ヘルスセンター】
作詞・作曲 三木鶏郎
歌:楠トシエ
再生して音が出るまでにしばらく時間がかかります。
竹松 さきほど糸井さんが
聴かれていたとおっしゃったラジオは、
文化放送の「みんなでやろう冗談音楽」
だと思うんですね。
「田舎のバス」を聴かれて、
逗子とんぼさんとか楠トシエさんとか
出ていたので。その後、
「トリローサンドイッチ」という
ラジオ番組があったんですが、
その番組をやっていらしたのが‥‥
大森 山川さんだったんです。
糸井 僕、そんな話、山川さんとは
一切したことなかったです。
大瀧 しないんだよ。昔の人って、そういうこと。
糸井 僕は山川さんが、
永六輔さんとか野坂さんとか、
そういう方と一緒に同じ
鶏郎さんの会社の中にいたと
勝手に思っていたんですよ。
大瀧 坂本龍一と俺は一緒のバンドと
思っているかもしれないじゃない。若い人は。
僕と山下達郎は同時にデビューだと
思っている人もいるし。
そういうようなことだと思ったよ。
竹松 山川さんには、仕事を減らしてもらうために
来てもらった、ということでしたね。
あまりに仕事が多くて、
山川さんに仕事を厳選してもらって。
糸井 みんな、鶏郎さんに頼んだわけでしょう、
寡占状態だったわけですよね。
大瀧 独占契約だよ。ちょっと前のつんく状態だな。
一同 アハハハハ!
糸井 それより多いでしょ。
大瀧 ‥‥の数百倍だな。実際には。
いろんなものを投げ込めば
何か出てくるだろう、
というようなことだったんでしょう。
糸井 そうだね。ラジオ番組はすべて
ここで作っている、
みたいなつもりがあったでしょうね。
大瀧 全般的に、一人が多くを
やっていた時期ですよ。どの分野も。
糸井 つまり、スポンサーに通すため、
山川さんのフィルターが必要だったんだ。
‥‥うわー、驚いたなぁ!
大瀧 どういうふうにして知り合ったんですか。
糸井 僕が19歳のとき、僕がたまたま
行き場がなくて、
仕事をしなきゃならないからというので
「宣伝会議」の講座を受けたときの
専門コースの先生だったんです。
山川さんは、大橋巨泉の
「はっぱふみふみ」
‥‥あれを作った人として
来ていたんだけれど。
大瀧 じゃ、68、9年じゃないですか。
糸井 69年ですね。多分。
竹松さんのさっきのお話と同じで、
講座が終わってから、
「じゃ、ちょっと行きましょうか」
と言って飲み屋に連れて行くんですよ。
なんで連れて行くかもわからずに
連れて行かれるわけですよ。
大瀧 うん‥‥(笑)
糸井 山川先生が、
「この人は天才ですから」と
僕のことを言ってくれて、
それを信じて未だに
こうして生きていられるんです。
僕はほんとに下手なのに、
「この子は、いい」と言ってくれた。
そういう人がいたので、僕は、
「なんか‥‥食っていけるかもしれないな」
と思って、飽きずにやれたんですよ。
そうやっておだてながら、
冗談工房でもいろんな人を育てたんだな、
ということが、
山川さんが代理店の人だとわかって
初めて理解できました。
‥‥先生って大事だねぇ!
大瀧 どの時点で出会うかっていうこととね。
竹松 ええ。
糸井 それが、みんな鶏郎さんにつながるんだ‥‥
おもしろいなぁー! そうすると、
当時、冗談工房以外に
こういう仕事をする場所は
無かったわけだから、
今、なにかそういうようなことを
している人は、みんな、
直系じゃないまでも、
孫ぐらいにはなっているね。
大瀧 だから、関係のない人は
まるっきりの傍系ということでしょうね。
糸井 でもそんな人は、いないに近いでしょう。
大瀧 ええ。いないでしょう。今のところはね。
誰かの誰か、だから。
ずーっといるんじゃないですか、未来永劫に。
ロックが続いている限り
エルビスの影響はずっとある、
というようなことに
ほとんど近いんじゃないですか。
鶏郎さんというのは、
もう、大地に染み込んでいるんだよ。
糸井 そう。地下水系みたいに。
大瀧 そう。だからもう、
関係ない人はいないんだよ。
だから、ある意味で、
忘れられるというほうが、
本当に地下に潜ったということ
なのかもしれない。
文化的なDNAとかいうのも、
気付かずになにかやっている。
結局、もう、三木鶏郎の直系ですよ。
傍系じゃないですよ、
全員、直系ですよ。
糸井 見えない直系ですよね。
大瀧 うん。時間がちょっと
ずれているだけ(笑)。
いつでも聴けるトリローラジオ
音が聞こえないときはこちらへ!
『田舎のバス』
作詞・作曲 三木鶏郎
歌:中村メイコ
再生して音が出るまでにしばらく時間がかかります。
(つづきます!)

2006-01-02-MON
デザイン協力:下山ワタル
©2005 HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN All rights reserved.