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第833回
ほぼ日編集部様
6月18日のニュースから
日本、負けましたねえ・・・・・・
今日はこれまでの日本のチームとは違う
なんかよそ行きの様なゲーム運びでした。
FWを一人にして、西沢とサントスが先発しました。
監督の勘でそうなったんでしょうが、
最初から守りにいってるようで、
うーん、違うばーい、
と思いながら見ていたらやっぱりねえ・・・・
普通にやる、というのがいかに難しいか、
改めてそう思ったんですね。何事もそうなんです。
ごく普通にやってれば日本は勝てたのかもしれない。
そういう感想ば持ったとは私だけじゃなかでしょうね。
試合を観た後はやけ酒。
自分でもサッカーで
これだけ落ち込むとは信じられませんでしたね。
まあ、私も普通の日本人なんだなあ、
と改めて思ったわけですたい。
サッカーについては誰もが好き勝手にああだ、
こうだ、と言えるのがいいんでしょう。
全体とすればトルシエ・ジャパンは
よくやったんだと思いますね。
さて、また朝に原稿書いています。
編集部にまた迷惑かけています。
私が18日の新聞の中でこれだけは
書き留めておこうと思った記事がありますので
紹介しておきます。
朝日新聞の8面に
このような見出しの記事が出てました。
「ウオーターゲート事件30年
追及した記者、テレビで語る」
「『ディープスロート、本人死ぬまで明かせぬ』」
私たちの世代の新聞記者にとって
忘れられない事件と記者の物語がある。
それが「ウオーターゲート事件」だ。
アメリカの大統領を辞任に追い込んだ
ワシントン・ポスト紙の2人の若き記者。
当時私は32歳。新聞記者になって7年。
ワシントン・ポストの記者の
この2人に心から熱い思いを抱きながら、
ああ、そうなんだ、
記者というのはそういう存在なんだなあと
言うことを知らしめてくれた記憶がある。
あれから30年。
朝日の記事はその時の主役、
ボブ・ウッドワード。
カール・バーンスタイン。
この2人が事件発生から30年になる
17日を前にしてアメリカ・NBCテレビに出演、
当時の思い出を語ったそうだ。
2人の写真が出ている。
あの若々しかった2人がいい歳のおじさんになってるのが
妙におかしいんだが、当たり前だよなあ・・・
とこの過ぎゆきし30年を改めて感じたんですばい。
ボブ・ウッドワードは今も
ワシントン・ポストで編集局次長と言う要職にある。
先日もエーっと・・・・
中身が出てこないがブッシュ政権の
秘密を暴露する記事を書いていた。
今でも事件記者であるし、調査報道のシンボルである。
もう一人バーンスタインは
フリーのライターとして作家稼業をやっているそうだ。
自分の父親が巻き込まれた
マッカーシズム旋風に関する本は濃密な内容だった。
今、書棚を探したけどなかなか本が見つからない。
正確な書名は紹介できないが・・・・・
当時のニクソン大統領を辞任に追い込んだ2人の活動は
「調査報道」と呼ばれた。
「インヴェスティゲーティヴ・レポーティング」
とことん調査して報道するこういう報道のスタイルが
一つの見本として確立した瞬間だった。
私たちがその後週刊誌やテレビで
目指しているのもまたこの
「調査報道」
である。
その意味で今、
改めて影響大きかったなあ・・・・としみじみ思う。
当時、彼らの調査報道のスタイルで特徴的だったのは
「ディープスロート」
なる言葉だった。
ニクソン政権の高官で
彼がニクソン大統領を追い詰めて行くうえで
重要な役割を果たした。
その正体については当時からあれこれ詮索がされたが、
いまだもって明らかにされていない。
取材源の秘匿というジャーナリズムの大原則は
いまだに破られていない。
今回のテレビ出演でもその正体について聞かれたが、
彼らは
「本人との約束があり、死去するまで明かせない」
と、30年後の今も沈黙を守ったそうだ。
ここは我々のような
同じ仕事をする人間にとってズシリと重たい言葉だ。
またバーンスタイン氏はテレビの中で
こうも言っているそうだ。
こちらも重く受け止めたい言葉だ。
「ウオーターゲート事件の教訓は、
複数の取材源に当たって、
情報は事実関係に当てはめて判断すること。
我々はゴシップ(うわさ話)や
センセーショナリズム(扇情主義)、
でっち上げの論争に左右されなかった。
この30年間、ジャーナリズムでは、
そうしたもの(ゴシップやセンセーショナリズム)が
ますますはびこるようになった」
アメリカメディア界への
苦言と朝日の記事は書いているが、
実は日本にも同じことが言えるんだろうね、
と言うのが私なりの受け止め方なんですねえ・・・
うん・・。
あ、いかん、もうこんな時間だ。
また明日・・・・
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