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第781回
ほぼ日編集部様
4月25日のニュースから
私は日ごろからものの見方には
形式論と本質論と二通りの道があると思っている。
今日(25日)の辻元清美前衆院議員への
参考人質疑及びその後にあちらこちらのテレビで
展開された評論を聞いていて、
つくづく日本人は形式論にはからっきし弱いな、
その反面本質論には一歩も踏み込めない人が多いなあ、
と思いました。
辻元さんの問題は議員が政治活動に国から出ているカネを
どういうふうに使っていたかという、使い方の問題。
実際には私的に流用された形跡はなく、
税金を払っている私ら国民の立場からすると、公設秘書に
いくら払われたかということは形式的なことですね。
問題はそのカネを使って
彼女が国民のために何をやったかということです。
これがことの本質だと思います。
ところが、日本のほとんど100%のメディアは、
そしてテレビや新聞に出てくる
コメンテーターや評論家の類いは
公設秘書に払われるカネを皆で分け合いながら
仕事をしたことは法律に違反しているんだから問題だ、
もっと反省すべきだと、その点ばかりしか言わない。
ま、形式的なことはあるルールから外れていることを
指摘すればいいんだから分かりやすいんですね。
でもメディアの人間がそういうわかりやすいだけのところに
止まっていてはダメなんですね。
ことの本質は何か?
そういう本質論に立った議論をして欲しいのに
誰も、だれ一人としてしませんね。
で、彼女の涙がどうとかこうとか、
これも分かりやすい形式論の範疇を出ません。
私の考えは、ことの本質はこういうやりくりまでして
政治活動をしながら結果としてルール違反に問われ
議員辞職をしなければならない、
そういう今の秘書制度が悪いということです。
秘書制度というのも
ある意味では形式論的な発想かもしれません。
もっとはっきり言ってしまえば、
私たち国民はどのくらいのコストを払って
国会の議員に立法と言う仕事をさせるのか、
そしてそのコストに見合う仕事をしない議員は
どういうふうにして首にするのか、
そういうことがことの本質でしょう。
それをあくまで公設秘書制度の形式に
違反するからという点に固執して
「誰がそういうやり方を指南したか。
その点が全く明らかにされなかった」
などと言い募るコメンテーターたちのアホ面さ加減よ!
違うだろう!
私はいらいらしながらテレビを見ていました。
真紀子さんの問題は本質論を展開すべき具体的な例です。
くれぐれも形式論に陥る事無く国からの金は
誰のためにどういうふうに使われたのか、
税金が私されたとき初めて「詐欺」という言葉を
使うべきなんではないでしょうか。
勿論警察や検察という司法機関は
形式論で事を進めてくるでしょう。
ルールに違反していればそれは確かに違反ですからね。
毎日新聞の夕刊に出ていた辻元さんの元秘書、
井奥雅樹さん(36)=現・兵庫県高砂市議=の証言が
一番実態を突いているんでしょうね。
「問題になった秘書給与。事務所開設当初、
6、7人いた公・私設秘書と辻元氏の給与を
いったんまとめ、同じ水準で分け合うと言う案があった。
辻元氏が
『議員と秘書が同額というのだけは勘弁して』
と泣きついたため採用されなかったが、
多くのことが『市民運動方式』で決められた」
市民運動方式と国で決められている
秘書制度のルールとの違い。
それがすべてじゃないでしょうか。
それを形式が違うと言って居丈高になるのが
日本のメディア上で表される、ほとんどの考え方。
市民運動方式があってもいいという人は一人もいない。
ああ、もう朝のほぼ日更新に、間に合わなくなる・・・・
編集部の皆さん、ごめんなさい!!!
明日土曜日の『ザ・スクープ』では先日、
私が会おうとして寸前で逮捕されてしまった
大阪高検公安部長、三井環氏が
私に訴えようとしていたものを、
さまざまな取材で検証します。
これは是非ごらん下さい。
相当に興味深い事実が出てきます。
お願いします。
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