TORIGOE
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鳥越俊太郎の「あのくさ こればい!」

第739回


ほぼ日編集部様

3月13日のニュースから

昨日の深夜「もう原稿送れません」などと弱音を吐いて
一回ギブアップしたが、
自分の誕生日の日付の原稿は
やっぱりちゃんと書かなくちゃあ、
と寝てる間に思い返し午前7時から書き始めました。
今日アップ分に間に合うんでしょうか?
分かりませんが、確か11時前後更新なので
何とか間に合うことを信じて書き始めました。

3月13日の新聞を読んで
やはり私が一言でも書いておかねばと思ったのは
この事件です。
朝日新聞は1面トップを初め、
3面「時々刻々」、
社会面に見開きの受けの記事、
と大々的に展開している。
見出しだけを紹介しておきます。

「拉致[田宮幹部が指示]有本さん巡り
 [よど号]元妻が証言 
  北朝鮮副領事と接触」

(以上1面)

「目的は結婚相手獲得
 有本さん拉致疑惑証言」
「[革命、代を継ぎ遂行」
「心の縛り解け、証言決意」
「[革命村]に30人 
 対日批判を発信
 よど号グループ近況」

(以上は3面)

「元妻[許されぬことした]
 有本さん拉致証言」
「田宮幹部[若い女性がいい]」
「北朝鮮へ一緒に行ってみようか」


毎日新聞でも同じような見出しで
この事件のことを取り上げている。

「よど号乗っ取り(ハイジャック)事件」
1970年3月31日、
「赤軍派」9人が羽田発福岡行きの
日航機「よど号」を乗っ取り、
乗客と乗務員を人質にとって北朝鮮に渡った
衝撃的な事件。
日本では初めてのハイジャック事件で、
ようやく日本中にカラーテレビが
各家庭に普及されてから
事件の一部始終を映像で見ることになる、
忘れられない事件。
72年の「浅間山荘事件」と合わせ
ある一定の年代以上の人々の記憶には
しっかりと刻み込まれているはずだ。

でも、やはり驚いたのはテレビ局で
よど号事件や浅間山荘事件のことを話していて、
35,6歳以下のスタッフは
全く記憶にはないという事実だ。
そうか、それだけの時間が経ってしまったんだという
改めての確認。
己の年齢を否応無しに承認せざるを得ない
ニュースなんだねえ。
この事件の詳しいことは新聞を読んでください。
どの新聞も相当に詳細に書いていますので。
書かれていないことを一つ書いておきます。

今回告白をした八尾 恵さんは
83年にヨーロッパで有本恵子さんを北朝鮮に誘い、
いわばだまして「拉致」したことになるんですが、
自分もよど号グループのメンバーの一人と結婚させられ
2人の娘を出産。
84年に子供を捨てて(もちろん苦しい思いをしながら)
日本へ帰国。
88年には北朝鮮の工作員の疑いで
警察の取り調べも受け、
新聞や週刊誌に「北朝鮮の工作員」と書かれても否定。
逆にメディア相手に
名誉棄損訴訟を起こすなどの活動をしていた。
その彼女がなぜ今、北朝鮮の拉致疑惑の核心を、
自分が行ったことを赤裸々に告白するようになったのか?
疑問に思う人もあるだろう。

一つには彼女が北朝鮮から帰国してからも今日まで実に
18年という歳月が流れている、
つまりそれぐらいの時間が
彼女の心の整理がつくまでに
必要だったということでしょう。
それからこれは全く表面には出ていませんが、
98年に新潮社から「宿命」という一冊の本が出ました。
527ページの分厚い本ですが、実に面白い、
というのは変かなあ、
興味深いと言ったほうがいいでしょう。
サブタイトルは
「[よど号]亡命者たちの秘密工作」
この本の帯にはこう書かれている。
「男たちは世界の裏側で蠢いていた!」
「田宮高麿らの赤裸々な告白、日本人妻の肉声、
 拉致事件の真相、仲間の不可解な死、
 欧州、アジア、アフリカに繰り広げられた
 今世紀最大の密命活動」

よど号事件の内幕をここまで踏み込んで書いた本は
他にはない。貴重な文献だ。
もしまだ読んでいない方は
一度目を通してみたらいいと思う。
著者は「高沢 晧司」
彼は1947年生まれ、
全共闘世代でその運動を経て
フリーのジャーナリストになった。
私自身も面識がある。
彼はこの本を書いた後ぷっつりと音信が絶えて、
どうしたんだろうと思っていたが、
その後過労がたたったんだろうか、
くも膜下出血だか何か脳にかかわる病気で
病床に伏せるようになったらしい。
その時彼を面倒見ていたのが取材で知りあった
今回の八尾 恵さんだったようだ。
しかも、高沢さんの「もう全部喋ったら」という
病床からの必死な思いで、
今回八尾さんが悩みつつも裁判で証言、
さらにテレビ朝日のカメラの前で
すべてを語ることになったというわけです。

さて、70年代の初めに私たちに衝撃を与えた事件が
もう一つありました。
1972年5月30日、
イスラエルのロッド空港で起きた
日本人若者3人による銃乱射事件。
いわゆる「ロッド空港襲撃事件」です。
この事件のただ一人の生き残り、岡本公三。
彼も高沢氏と同じ1947年生まれの54歳。
彼は今では「パレスチナに英雄」として
日本赤軍が解散してからもただ一人
レバノン政府から「政治亡命」を認められ、
現在ベイルートで暮らしています。
先ごろ風邪を引くと言う悪条件の中で
私はベイルートへ飛んで岡本公三に会ってきました。
その様子は来週の土曜日23日に放送する予定ですので
お見逃しのないように。
30年という時間が多くの謎に包まれていた事件を
今少しづつ溶かし始めています。
あれは何だったのか?
そしてどういう時代だったのか?
さらにそれは今の時代とどう繋がっているのか?
私たちはようやくその真相に
触れることができるようになってきたんでしょう。

長すぎて間に合うかなあ・・・・・・
でも頼みます・・・・
今日もう一本原稿書かなきゃあ・・・・

2002-03-14-THU

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