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第374回
ほぼ日編集部様
1月30日のニュースから
今日はなんだか頭が重いなあ、
と思いながら新聞を読み始める。
いつもの通りスポニチからジョギング風に。
6面に冬季国体のスケートの記事が出ていた。
見出しはこうだ。
「冬季国体第3日 岡崎支えて3位」
記事の上には写真が出ていて
女子の選手が2人映っている。
キャプションはこうだ。
「バランスを崩した新谷(右)に手を差し伸べて支える
岡崎」
確かに写真で見ると
左側の岡崎選手と思われる白いウエアの選手が
左手で右の選手の右腕ヒジ部分を下から
支えているように見える。
私が何故この記事に注目したかというと、
記事中にこういう表現があったからです。
「岡崎は最終コーナーで、
バランスを崩した選手に
手を差し伸べて支えたために
アウトへふくらんでしまうアクシデント」
で、結局この二人の後ろから走ってきた選手が優勝し、
岡崎選手は3位に終わったわけです。
この記事の書き方がさらりとしてはいるが
岡崎選手によくやった、と応援をしている風なのが
面白いなあ、と思ったんですね。
それに、岡崎選手といえば
長野オリンピックでは確か
銅メダルだったかなあ(記憶あいまい)、
とにかく活躍して一時は
「朋ちゃんブーム」というか、
朋ちゃんスマイルがマスコミ上を
駆け巡ったと記憶しているんです。
それなのに、最近は岡崎選手の話はどこにも出ず、
新聞やテレビを見る限りはもう
岡崎選手は引退したかのように思える。
代わって新聞の見出しに出るのは
「三宮恵理子」の名前ばかり。
確か長野の時は三宮選手は岡崎選手の陰に隠れて
見えなかったはずだ。
時の流れとは恐ろしいものだなあ、と
「三宮選手、世界選手権で、総合2位」
なんて記事を見るたびに
「ところで、朋ちゃんはどうしてるのかなあ」
と思っていたんです。
それが、
久しぶりに新聞の見出しになったと思ったらこれだ。
隣のトラックを走っていた選手がふくらんで
転びそうになったので手を差し伸べて支え、
そのために自分も外側へ大きくふくらんで
優勝を逃してしまったというんです。
スポニチの記事は岡崎選手のこんな言葉を載せている。
「国体で気分転換できたので、
(次のW杯の)ヘーレンフェーンで頑張りたい」
朋ちゃん、健気ー!
スポニチの記者の中にも私のように
多少岡崎選手に感情移入している人がいたみたいですね。
じゃあ、朝日、毎日はどう書いているのか、
気になりますよね。
朝日はこの女子スケートの記事を
割と大きく取り上げている。
「山梨冬季国体 スケート女子500メートル
溜井びっくり連覇 上位接触 漁夫の利」
「気分転換 さあW杯 岡崎にっこり3位」
記事の中で最終コーナーで起きたことを
スポニチのように手を差し伸べてとは書いていない。
「2番手につけていた
岡崎がアウトから抜きにかかったところで
先頭走者と接触。
二人そろって外側に脹らみ、
ぽかり空いたインコースに後続が駆け込んだ」
つまり、朝日の記者はこれを
単なる接触事故と見たらしい。
毎日も同じで
「女子 岡崎、他選手と接触3位」
ただ毎日の記事は真相を
客観的に伝えているように思える。
「最終コーナー手前で岡崎が仕掛けた。
だが、ほぼ同時に新谷がバランスを崩して
外側から抜きにかかった岡崎と接触、
2人とも外へ脹らんだ」
この記事を読むかぎりこれは単なる接触事故ではない。
接触はあった。
しかし、先にバランスを崩したのは
インコース側にいた新谷選手だ。
そして新谷選手を抜こうとしていた
岡崎選手が後ろから支える形になった。
スポニチの写真で見る通り岡崎選手は
新谷選手を支えて走っている。
結果は1位が漁夫の利の溜井選手で
2位はさらに後ろにいた香川真由美選手。
3位が朋ちゃんだった。
国際的なスピードスケートのレースでは
2人で走りタイムで争うが、
国体は8人が同時に走る方式を取っているため
こうした接触のケースも出るようだ。
どーってことない記事なんだけど
細部にこだわり始めると
こういうことになってしまいますね。
もう一本書くつもりですが、
取りあえずここで編集部に送っておこう。
帰宅。11時。
よしっ、もう一本書くぞ。
いや、書いておきたいことがあるんですばい。
先週金曜日夜の出来事はまだ日本中の心をかき乱している。
新聞とテレビが大きな特集を組んでいる。
駅のホームの転落事故はそう珍しくはないのに
今回はコダマのように全国に広がっていってる。
新大久保・・・新大久保・・・新大久保・・・
転落・・・転落・・・・
朝日新聞は1面に6段見出しの2番手の記事を載せ、
社会面でもなくなった李さんの両親が
新大久保駅を訪れたことがニュースになっている。
毎日新聞の社説では論説委員の立石勝規記者が
そんな転落事故の反響について書いている。
「巨大な『称賛の渦』に戸惑う」
彼が言いたいことは一つはこういうことらしい。
「まず自分自身に問う。その時、現場にいたら、
2人のように線路に飛び降りただろうか。
思わず惨事から目をそらしただけかもしれない。
胸の奥をのぞいて見ると、2人の勇気への共鳴とともに、
戸惑いも潜んでいることに気がつく」
立石記者は勇気ある行動への称賛する声が
渦のように広がっていることに
自分ならどうするかという問い掛けの形を取りながら
そっと戸惑いという名の疑問を差し挟んでいる。
さらにこうも言う。
「戸惑いを感じることは、もう一つある。
それにしても、渦があまりにも大きいことだ。
私達は勇気や善意、正義感に飢えた社会に
生きているためだろうかとも考える。
自分の身を顧みない自己犠牲への称賛も、
大きな渦に含まれているようだ。
これには戸惑いより違和感を覚える」
彼が言いたいようにこの称賛の嵐現象は
どこか危ういものを含んでいることも確かだと思う。
自己犠牲を勇気と言い換え
それをただ求める上っ面を撫でたような思考。
それはある種偽善にも似て危うい。
でも、最近はこうした人間の崇高な部分を
口にすることはダサイとする様な風潮の中では
今回の思わず勝手に体が動いてしまった、つまり、
その人物が本来的に持っていた
人間の質とでも言うべきことを、
真正面からちゃんと評価することは
とても大事なことではないのかなあ、と
私は思うんですばい。
ちょっと、こ難しか話しばしてしもうたね。
この社説の中で立石記者が明らかにしていることで
へえ、と思ったことがある。
あの新大久保駅の事故と同時刻頃
埼玉県朝霞市の東武東上線朝霞台駅でも、
大工さんがホームから線路上に転落し、
自分ではい上がろうとしたが、
電車とホームとの間に挟まれ死亡したという。
先日、この欄で紹介したようにさらにこの4時間45分後、
東武伊勢崎線でも銀行員が酒に酔って
ホームから線路に転落して死亡している。
と、言うことは僅か5時間もしないうちに
首都圏でホーム転落事故で
5人の男性が亡くなっていることになる。
で、今日の新聞には小田原市の鴨宮駅で、
通学途中の高校生が貧血のためホームから転落、
同級生が線路上に飛び降り、
ホームにいた20代の女性に助けを求め、
一緒に引っぱり上げたという記事が載っている。
この高校3年生は転落した生徒とは
小中学校時代からの友人だった。
そんな彼のコメント。
「電車が来るという放送が聞こえ危ないと思ったが、
無我夢中だった」
思わず何の計算や打算もなく体が動いてしまう、
そんな瞬間があることをこの例は示している。
新大久保駅の場合も自己犠牲とか勇気とか善意とかいうのは
後で他人が言うことで、本人達にすれば
とっさに体が反応していたにすぎないのだろう。
それだけに尊いんだとも言える。
ではこれにておやすみなさい。
また明日・・・・
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