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鳥越俊太郎の「あのくさ こればい!」

第305回

ほぼ日編集部様

11月15日ニュースから

「阪神与田引退」

スポニチの5面にこの記事がベタで出ている。
与田剛士投手(34)が引退を決めたという。
与田投手が中日ドラゴンズに入団、
1年目から150キロを
超える速球を武器に大活躍した時の事は
野球ファンなら覚えているでしょう。
今でこそ松坂投手が150キロを超える速球を投げるし、
他にも短い間ならそのくらいの
スピードは出せる投手はいると思う。
しかし、あの頃・・・・記事によれば
与田投手は1990年にドラフト1位で
NTT東京から入団したそうで、
なんだまだ10年しか経っていないのか
・・・・150キロ超のスピードボールを
ビュンビュン投げていた姿は忘れられない。
つまりそんな速球を投げるピッチャーはいなかった。
入団の年、与田投手は4勝31セーブを挙げ、
新人王と最優秀救援投手となった。
が、この年の過剰な投げ込みがたたったんだろう。
その後は故障が続き
不振の坂道を転がるように沈んでいった。
しかし、だからこそ野球ファンには
この一瞬の輝きが瞼に強く残ったんでしょう。
少なくとも私にはそうでした。
TBS のスポーツアナウンサーだった木場弘子さんと結婚、
その後長い苦難が続いたので、
お二人の事はいつも気になっていた。
その後、与田投手はロッテオリオンズに移籍、
さらに98年には日本ハムにテスト入団、
今年は入団テストで合格した阪神でプレーしていたが、
1軍の登板機会はなかった。
通算成績は148試合に登板、
8勝19敗59セーブだった。
僅か10年の間に4つの球団を渡り歩き、
最後もこれという花も咲かせる事が出来ず、引退となった。

すべては入団の年の
あの一瞬の輝きが人生を決めた様な気がする。
あの年の肩とヒジの酷使が
彼の野球人生のすべてを決めたようなのだ。
投手は若いとき速球派でも次第に
スピードが落ちてくるものだ。
しかし、速球派ほど自分の中にある
イメージのチェンジをするのが難しく、
急に技巧派には変れないんだと聞く。
それが出来た数少ない例が江夏投手だ。
江夏さんはスピードだけでは勝負できなくなりかけの時、
野村監督と出会った。
そしてコントーロルと緩急で打者を打ち取る
技巧派の抑えの投手に大変身、
広島カープ時代にあの有名になった
「江夏の21球」を実現したのだ。
与田さんはまだ34歳だ。
工藤投手が37歳でも
まだエースとして活躍しているのを見ると
与田さんの引退は早いなとは思うが、
1年目の酷使と変身ができなかった事などが
グラウンドからの退場に繋がったんだと思う。 
しかし、本当は今年阪神で与田投手に
勝ってほしかったなあ。
だが、この必ずしも幸せではなかった
野球生活を送った与田さんにはそれなりの
ご褒美が待っていた。
ご褒美というのは少し大げさすぎるが
それは私の気持ち・・・つまり与田さんはこれから
NHKの野球解説者になることが決まったんだそうだ。
これからは与田さんにはNHKの放送で会えるわけだ。
苦労の連続の野球人生は
きっとエリートコースの選手に比べより
味わい深い解説を私達に与えてくれるだろうな。
とにあれ、与田さん、卒業おめでとう!

「発掘調査への補助打ち切り
 岩手・岩泉町」

(朝日2面ベタ記事)
石器のねつ造事件は依然として
その後も大きな波紋を広げている。
あの藤村新一さんが所属していた
東北旧石器文化研究所が国内最古の
人骨を探してきた洞穴遺跡「瓢箪穴」のある
岩手県岩泉町は来年度の調査補助金
など約360万円を打ち切ったそうだ。
その隣のこれもベタ記事。

「考古学講座今年度限り」
(朝日2面ベタ記事)
テレビやラジオで大学教育をしている放送大学は
考古学の専門科目「発掘された古代日本」を
今年度限りで打ち切ることを明らかにしたという。
ねつ造が発覚した上高森遺跡を
60万年前の遺跡として
取り上げていることから閉講となったという。
ねつ造は問題外だけど、なんかこういう動きを見ていると、
あまりにも日本的で寂しいな。
右へならへで、ついこの間まで
みんなで一つの方向に動いていたのに
一度逆流が始まると、
今度はまた皆でそっちへ流れてしまう。
独自にちゃんと事の真偽を
確かめてそれからでもいいんじゃないだろうか。

明日は早朝から宇都宮へ取材で出かけます。
またこの原稿、ピンチだあ。
大丈夫かあ。

2000-11-16-THU

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