『東京人』物語。──雑誌『東京人』の高橋編集長と語る、雑誌のこと、東京のこと。──

みなさんは『東京人』という雑誌を知ってますか?

毎号、ちょっと変わった視点から
東京の隠れた魅力を発掘していく月刊誌で、
今年で創刊31年目を迎えたそうです。

ちなみに、過去の特集をみてみると、
木造建築、凸凹地形、特撮、ヤミ市、
中央線、江戸吉原、団地、アウトロー、
東京35区、山の手100名山、などなど、
もう、気になるワードだらけです‥‥。

ほぼ日の東京特集・第11弾は、
そんな『東京人』の高橋栄一編集長と、
『考える人』の編集長を務めた
「ほぼ日」の河野通和による編集者対談を、
全5回にわけてお届けいたします。

テーマは、もちろん「東京」です。

第1回「東京人」と「江戸っ子」の違い。


河野
まず、ちょっとした紹介として、
そもそも『東京人』のはじまりって、
なんだったんですか?
高橋
はじまりはですね、
まず、創刊したのが1986年です。
写真
河野
じゃあ、もう31年だ。
高橋
もともとは
「東京にふさわしい文化と教養を‥‥」
みたいなことで東京都が発行する雑誌として
『東京人』が誕生しました。
当時はバブルのころだったので、
都にお金があったみたいで。
河野
ああ、はいはい。
高橋
鈴木俊一さんが都知事のときに、
「マイタウン東京構想」がありまして、
「都市の文化を語る、文化を創る」
という動きが、70年代終わりから
80年代あたりに出てきたんです。
都市論や東京論の名著、
「江戸東京学」という学問領域、
地域雑誌「谷根千」、
藤森照信さんらの「建築探検団」、
多くの国際的な活動もこの頃にはじまります。
そうした流れの中で、
東京都は同じ時期に、
江戸東京博物館の計画も進めています。
河野
ああ、江戸博も。
写真
高橋
江戸博の完成は1993年で、
『東京人』創刊から7年後ですが、
構想時期はいっしょなんです。
まあ、雑誌は1年もあればできますが、
江戸博のようなものは時間がかかりますから。

だから、2002年までの『東京人』の
発行元は「東京都歴史文化財団」で、
まさに江戸博を運営している財団でした。
河野
江戸東京博物館と並行して
『東京人』があったなんて、
まったく知りませんでした。
高橋
さらにつけ加えるなら、
70年代終わりから80年代というのは、
戦後、地方から大勢の人が上京して、
だいたい30年ぐらいになります。

たしか、河野さんは
岡山のご出身でしたよね?
河野
そうそう、岡山です。
高橋
上京して20年、30年というのは、
故郷の両親が亡くなったりして、
ちょうど故郷を失う人が
増えはじめる時期でもあるんです。
写真
河野
そうか、そうですね。
高橋
故郷との関係が薄くなるにつれて、
長く住む東京のほうが
自分の故郷のように感じられ、
終の住処のように思えてくる。
そうなると東京のことを、
もっと知りたくなりますよね。
『東京人』創刊の背景には、
そういうことも関係しています。
河野
この『東京人』という名前、
これはすんなり決まったんですか?
高橋
すんなりだったと思います。
まったくの造語ではありませんが、
当時としては物珍しい言葉だったと思います。
河野
そうですよね。
「東京人」ってあんまり聞かない。
高橋
初代編集長の粕谷一希が
はっきり意識していたのは、
東京人は「江戸っ子」ではない
ということです。
河野
ああ、江戸っ子とは違う。
写真
高橋
「東京人とは親子三代で東京に住み‥‥」
という話ではなく、
「東京で働く人、学ぶ人、住む人、
東京に関わる人は、みんな東京人」
くらいのゆるいものです。
河野
その「東京に関わる人」というのが、
雑誌のアイデンティティになるわけですが、
たしか、コンセプトがありましたよね?
高橋
「都市を味わい、都市を批評し、都市を創る」。
粕谷がつくったフレーズですね。
河野
それは、はじめから?
高橋
はじめからありました。
『東京人』を紹介するときの
「都会派総合誌」も創刊時からです。
写真
河野
じゃあ、特集を考えるときは、
そういったコンセプトを
どこかで意識しながら‥‥。
高橋
いや、あまり意識はしてませんね。
むしろ、30年以上もやってると、
そういう“らしさ”のようなものが、
少しジャマになりますから。
河野
らしさ、というのは?
高橋
「こういうのはダメ」とか
「東京人はこうあるべき」とか、
ルールというと少し大げさですが。

編集部でもすぐに「『東京人』らしさ」
という言葉を使うのですが、
僕はいつも「らしさなんて要らない」
って言ってますから。
河野
僕も雑誌をつくっていたので
よくわかりますが、
その雑誌“らしさ”に縛られるのもイヤだけど、
“らしさ”がなくなってもよくないという、
そういうジレンマがありますよね。

その中でもあえて意識する“らしさ”が
あるように思うのですが。
高橋
粕谷がずっと言っていたことのひとつに、
「編集者はバカなんだから考えるな」と。
写真
河野
ほう。
高橋
これには逆説的な意味もあって、
ようするに「世の中には
優秀な人がいっぱいいる」と。
そういう優秀な人の話を聞いて、
アイデアや発想をもっと取り入れろ、
ということなんです。
河野
うん、うん。
高橋
だから、編集者がネットを見ながら考えるなんて、
もうこれはまったくムダだと思っています。
粕谷は「優秀な人の御用聞きでいい」って、
それぐらいのことを言ってましたね。

なので、うちの編集部は
あえてものを考えない。
いまもその方針は変わりません。
河野
面白い。
高橋
いや、そうですか(笑)。
河野
うん、面白いです。
高橋
だから、特集を決めるときも、
編集部の「これが面白そう」よりも、
作家や先生の「これをやりたい」を優先します。
それは粕谷のときからずっとそうです。

<つづきます>

2017-08-24-THU

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