東北の仕事論。続続・八木澤商店篇
 
第4回
人に助けられてきた。
河野 震災のときに土蔵も杉桶も流されて‥‥。
糸井 ええ。
河野 たくさんの方に、助けていただきました。

正直に言うと私、恥ずかしい話、
お醤油なんて、どうでもよかったんです。
それどころじゃなかったので。
糸井 そうか‥‥。
河野 でも、いちばんはじめに
ずっとうちの蔵を撮り続けてくれていた
地元のテレビ局のカメラマンが
私たちを助けてくれたんです。

「河野さん、いまは動けないだろうけど、
 俺、お宅の樽を見つけたんだよ。
 中身、流されてなくなってるんだけど、
 あんたに言われる前に、
 内側にこびりついてる微生物をこすりとって
 知ってる先生のところに
 培養してくれって送っといたから。
 ちょっと落ち着いたら、
 その画(え)だけ撮らしてほしい」って。
糸井 ‥‥すごい。
河野 その放送を見た釜石の微生物研究所の先生が
「八木澤商店のもろみ、
 たしか、うちにもあったはずだ」って。

その研究所も津波で流されているんですけど
ガレキの中を探してくれて
密閉容器に入ったうちの「もろみ」を4キロ、
無傷で見つけ出してくれたんです。
糸井 そんなに、たくさん。
河野 うちのお醤油、
アミノ酸の組成が特徴的だったんです。

ふつう、一般的なお醤油の場合は、
アミノ酸の中でもグルタミン酸、
つまり「うまみ成分」が突出するんですけど
八木澤商店のもろみの場合、
アミノ酸の「種類」が、他より多くて。
糸井 それが、八木澤商店の味になってたんだ。
河野 そうなんです。そのことについて
大学と共同研究しようとなっていたから、
その研究所に置いてあったんです。
糸井 運が、よかったですんね。
見つかったことも含めて。
河野 こっちが忙しいのをわかっているので
4キロをそのまま、
盛岡にある岩手県工業技術センターに
運び込んでくれました。

すると今度は県が予算をつけてくれて
八木澤商店に
4月から入社する予定だった研究員を
岩手県で1年間、延長雇用しますと。
糸井 本当に、みんなが助けてくれたんだ。
河野 その研究員を「延長雇用」する目的は、
「八木澤商店の微生物の保全」です。

予算をつけて、
新たにもろみを仕込んでくれたんです。
糸井 おお。
河野 4キロのもろみは拡大培養されて
160キロのもろみとなって
完成した新工場に帰ってきました。
糸井 そこから、2年。
河野 はい。
糸井 河野さんが、陸前高田のみんなのために
あちこち動きまわってたころには
もろみのことは
他に委ねていられたっていうことですね。
河野 そうなんです。
糸井 奇跡みたいな話ですね。
河野 本当に、ありがたかったです。
糸井 震災後の八木澤商店が
「まずは、社員の雇用を守ろう」と
考えたときって
何で食っていこうかなんて
何のあてもないままスタートして、
何とかするって気持ちだけで
みんな、集まってくれたんですよね。
河野 はい、そうです。
糸井 売るものがまったくない状態で。
河野 ええ。
糸井 八木澤さんの味付ぽん酢の
「君がいないと困る」って人気だけど
震災後、
あれだけ売れると思ってました?
河野 味には、絶対の自信があったんです。

でも、品質本位であるがために、
どうしても「賞味期限」が短くなる。
糸井 ええ。
河野 具体的には
「製造日から3カ月」なんですが
それくらいの商品ですと
1カ月くらいで
売り切ってしまわなければならない。

だから、小売店さんからは
「品質がいいのはわかるんだけど
 うちには置けないよ」
と、言われ続けていた商品でした。
糸井 そうだったんだ。
河野 でも、通販とか直接販売で買ってくださる
全国のお客さまのおかげで、
震災後の出荷本数が
多いときは震災前の「5倍」になりました。
糸井 それは‥‥助かりましたね。
河野 糸井さんのおかげもあるんです(笑)。
糸井 いや、だって、たしかに
「おいしい、おいしい」とは言ったけど、
本当においしいですから。
河野 ありがとうございます。
糸井 でも、そうやって仕事をつなぐことで
お醤油ができるのを、待っていられた。
河野 そうなんです。
糸井 潰れそうになったり、とかは‥‥?
河野 ありがたいことに、ありませんでした。

取引のある金融機関の支店長が
「絶対に潰さない」
と約束してくれたことが、大きいです。
糸井 そこにもまた、「応援団」が。
河野 むしろ苦しかったのは、
社員がストレスで辞めていったときです。

新しい工場は建ったけれども、
社員は辞めていきます‥‥というのは。
糸井 誰も「辞めるな」って言えないですしね。
河野 工場を隣の一関に建てると決めたころには
陸前高田には
復興再建の仕事が、たくさんあったんです。

だから、
「俺たち、誰をしあわせにしたいと思って
 がんばってきたんだっけ?」
というところがわからなくなったとき、
いちばん、きつかったですね。

<つづきます>
2015-03-16-MON
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