ゼロから立ち上がる会社に学ぶ 東北の仕事論。 朝日新聞気仙沼支局 篇
第3回  人口を減らさないために。
糸井 千田さんが、長く事業をされてきて
学ばれたことって
いろいろとあると思うんですが‥‥。
千田 はい、あります。
糸井 いくつか、教えていただけませんか?
千田 これは、賛同してくれる人、そうでない人、
それぞれいると思うんですが、
まず、ぼくは
会社って「共同でやるべきものでない」と
思っているんです。
糸井 ‥‥ほう。
千田 そのことを、肝に銘じてやってきました。

ですから、わたしの会社は
誰からも
資本金を出してもらってないんです。
糸井 そうなんですか。
千田 わたしと女房、ふたりの会社にしてます。

なぜそうしているかというと、
誰の意見にも左右されずに、
自分の考えで「決断」するためなんです。
糸井 なるほど‥‥。
千田 そのかわり、本気で悩みます。
これでいいのかな、悪いのかな‥‥って。
糸井 ええ、ええ。
千田 悩みますけど、いったんこうと決まれば、
誰に遠慮することなく、やれる。

もともとが何にもない「素っ裸」ですから
誰に気兼ねすることもないんです。
糸井 そっか。
千田 そうやって商売をしてきたんですけれど、
ひとつ、大事なことがあるとすれば、
これ、中学のときに
他人の家で生活していた経験から
学んだことなんですが‥‥。
糸井 はい。
千田 「人にやられてイヤだったことは
 人にもやっちゃダメ」
だし、
「人にやられてうれしかったことは
 積極的に
 人にやっていくべきだ」と。
糸井 はー‥‥。
千田 その教えが、73歳になったいまでも
いちばんの財産。
糸井 削ぎ落して削ぎ落して残った結論、
という感じですね。
千田 わたしは「共同事業」は、しません。

ただ、何人かでこういうふうにやりたいから
協力してくれというのは、やります。
糸井 むしろ、ずいぶんおやりになってますよね。
千田 お金を出した瞬間に、
自分の金ではないと思ってやっています。
糸井 口は出すんですか?
千田 自分の思ったことは言わせてもらいます。

だって、それやらなかったら、
こころにずっと引っかかりますもんね。
ただ、このとおり、
表現がうまくないもんだから(笑)。
糸井 いえいえ、おっしゃること、よくわかります。
千田 ありがとうございます。

それじゃあ、忘れないうちに
お話しておきたいんですが‥‥。
糸井 ええ。
千田 これからの気仙沼、いったい何が問題か。

それは「人口減少をどう食い止められるか」に
尽きると思うんです。
糸井 なるほど。
千田 津波が来る前、
気仙沼の人口は「7万4000人」でした。

いま、市に届けを出して離れている人は、
「4000人」くらい。

亡くなられた人と行方不明の人の合計が
「1500人」ですから、
市を離れた人と合わせると
「5500人」くらいに、なりますね。
糸井 はい。
千田 つまり差し引きすると、気仙沼の人口は
「6万人台」に落ちているわけです。

正確な人数はわかっていませんが、
籍を動かさないで
市外の息子や親類の家に世話になってる人もいる。

こちらは、
また戻って来る可能性もありますけれど。
糸井 とにかく、けっこう減ったぞと。
千田 毎月毎月、多くの人が気仙沼を離れています。
これ以上、減らさないようにするのは
並大抵の努力ではきかない。

だから、町づくりも、埋め立ても、産業復興も、
突き詰めれば、
「人口流出をどう食い止めるか」に行き着く。
糸井 そこを逆算して、考えていくと。
千田 まず「人口を減らさない」ことを軸として
いろんな計画を立てることが、
いま、ものすごく大事なことだと思います。

ですから、たとえばですけど
何メートルもの防波堤で
町をぐるりと囲んでしまうというのは‥‥。
糸井 なるほど、そういうことか。
千田 町をぜんぶ、塀で囲まれたら。
糸井 人はいなくなりますね。
千田 仮に、もういちど津波が来ました、と。

そのとき
「気仙沼には人がいませんでした」では、
何のための防波堤か。
糸井 はい。
千田 いまは気仙沼がこういう状況ですから、
事業者も、みんなで力を合わせて
がんばって経営を再建していこうとしてますが、
どんなにがんばったって、
人のいないところでは商売が成り立たない。
糸井 ええ、ええ。
千田 経済というのは「人の数」です。
糸井 それは、本当にそう思います。

自分たちに
何かお手伝いができるかと考えたときに
ぼくも、そのことを思いました。
千田 そうですか。
糸井 気仙沼に支社を置くとしたら、
気仙沼以外の土地をマーケットとして捉えた
仕事をやっていく必要がある。

漁業のかたちも
おそらく変わっていくだろうし、
やがて来る建築ラッシュを
あてにしてやるような仕事では
長く続けられない。
千田 ええ。
糸井 ならば、ぼくらは何をしたらいいんだろう。

ひとつには、
「千田さんの絵をいろんな場所に貼る」というのに
似てるかもしれないけど、
「気仙沼には、何かあるらしいぞ」と
言い続けることなのかなぁと。
千田 わたしも、糸井さんと同じ考えです。

よそでしっかり稼いできて、好きなものを、
好きなように、
残りの時間を使ってこの町へ注ぎ込みたい。
糸井 そうですか。
千田 「よそから稼がせてもらう」っていうのも
言いかたが良くないんですけど‥‥。
糸井 いや、でも、わかります。
千田 わたしたちは「自由な者」として、
みんなで、町づくりに取り組んでいきたい。

そんなふうに思っています。
糸井 自由な者。
千田 ええ。

いま、ここでなければ解決できない問題が
たくさんあります。
糸井 そうですよね。
千田 それらをひとつひとつ、
具体的に、解決していきたいと思います。

<つづきます>
2012-03-09-FRI
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