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ほぼ日事件簿・こんなことでした

第1回(1月17日の暮らし)
「山梨県で徳川埋蔵金発見!?」
なぜかdarlingにテレビ局の取材ラッシュ。


どうも、スタッフの金澤です。
ほぼ日事件簿なんつって、大げさなタイトルだなー。
ま、いいや。事件といえば事件だから。

まず、月曜日に会社に着いたら、ギムラが、
「山梨県で徳川埋蔵金が発見されたらしいよ!」って
いうんだよ。
「なにそれ? どこからの情報なの?」。
「読者からメールが来てたのよ、新聞に出てるらしい」。
「今朝の新聞?」
「そうそう」
「見かけなかったなぁ〜」

そーんな話をしてるうちに、
電話がじゃんじゃん鳴りだした。
とか書くとこれまた大げさな話なんだけど、
darlingへの取材依頼の電話がテレビ局からたてつづけに
かかってきたんですよ。しかも、どの局も
「今日、取材、大丈夫ですか?」と、動きが早い。

結局、なんだか流れで、4つの取材をオッケーして
ほぼ日は取材ラッシュ。
(時間がなくてお断りしてしまった方、すみません)。
1時間ごとにテレビのスタッフがきてくれたんだけど、
さっき電話かかってきて、数時間後には取材してるという
フットワークの軽さは見習わなきゃと思いました。

で、肝心の埋蔵金ニュースは、
「小判が1枚発見された」とのこと。
なーんだ、ザックザクじゃなかったのね。
どうせならドカンと出るといいんだけどなぁ。
だって、お宝見たいじゃない。

えー、取材の話、まずは、TBS系「ニュースの森」。
取材チームが15時30分からdarlingにインタビューして、
その日の夕方に放映するというすんごいスケジュール。
これ、見た人いるかなぁ?

見逃しちゃった方も、まだ大丈夫。
18日(火)に放映する番組が3つあります。
時間の早い順にしょうかいしますね。



◆テレビ朝日系「スーパーモーニング」
 
番組は朝8:00〜10:00の放送です。
 予定では、8:00〜9:00の間にdarlingが登場。


◆日本テレビ系「ルックルックこんにちは」
 
朝8:30〜10:30の番組内の1コーナーに、
 darlingが登場します。どのあたりで登場するかは、
 ちょっとわからないんです。ナマだから。

◆テレビ朝日系「ワイド・スクランブル」
 
番組は昼11:30〜13:00の放送。
 darlingが登場する1コーナーが、
 昼休み中だったりすると、みんなに見てもらえるね。


では、このあとによろこんで徹夜して書いた、
darlingの原稿が掲載されているはずです。
長くなってるみたいですよー。お気をつけて。



今回の山梨での「徳川埋蔵金」発見の
ニュースについてのぼくの考えを、
まとめてここに発表します。


以下は、ぼくがさまざまな取材のなかで、
「ほんとうは、こういうことをしゃべるつもりだった」
ということを、まとめたものです。

ニュース番組というものも、新聞記事というものも、
作って発行したり放送したりしている人たちの作品なので、
作り手の意図にあわせて「素材」を切り貼りして
出来上がっているものです。
ぼくは、そういうしくみについて、
「そういうもの」だと思っているので、
(そういうことを自分もやっているのだし)
文句があるわけではありませんが、
番組や記事で、一部分だけつかわれている
イトイのコメントは、
ぜんぶ放送するとこういうことなんだよ、ということを、
「ほぼ日」の読者にはちゃんと伝えておこうと思って、
ここにあらためて「考え」を書くことにしました。

◆まず、今回の山梨の埋蔵金発掘のニュースを
初めて耳にして、どういう感想を持ったか?

びっくりしました。
これがとにかく正直な感想。
そして、すげぇ!ほんとかよ!?と思いました。
そして、もっと詳しいことを知りたい、と。
つまり、普通の「宝探しファン」と同じなんです。
だって、ほんとならすごいじゃないですか。
見たいし、もっと知りたいじゃないですか。

それって、ぼくも同じなんですよ。
ただ、ちょっと時間が経って、取材を受けているうちに、
『リーグ優勝を争った選手が、ペナントレースに敗れて、
日本シリーズの解説席にいるような気持ち』かな?
と、思うようになりました。だけど、その選手でも
試合をたのしんで解説してるでしょう?
あれ、です。

どうして、悔しがったりするようなコメントを出さないか、
ということになると、もうひとつ考えがあります。
ああいうことをやっていると、責められるのです。
いいの悪いの、そこは違うだの、欲張りだの・・・
うるさいわけよ、そういう外野席からの批判が。
自分の考えと異なるものはとにかく攻撃するという、
不思議な人生哲学を持っている人もいっぱいいてさ。
そういう意見が、その日その日のおだやかな心に、
どす黒い影を落とすものなのよ。

だから、ぼくは山梨の発掘グループの人たちを
知らないわけだし、単なる嫌みになるような
否定的なことを言いたくないと、思っていたのです。
「出ないほうがうれしい」ならともかく、
「出たほうがおもしろい、うれしい」のですからね。

◆では、あそこの場所から埋蔵金は、
ズバリ、出ますか?

そうなると、答えは難しくなっちゃうのです。
実際に、わからないと言うのがいいと思うのです。
でも「わからない」という答えを期待している人は、
世界中でも何人もいないような気がします。
期待に答えたいと考えるのが、これまた人間の悲しさで、
「わからない」でない言い方で「わからない」と言います。

現物がもう出ているという場合には、
「わからない」ということはありません。
なぜならば、本物の金塊をなんびゃくおく円分も、
仕入れてきて「これが徳川埋蔵金だす!」と
見栄をはるのは、コストがかかりすぎるからです。

しかし、小判が一枚であれば、安いものです。
誰が何のために、であるかは別として、
それを「新たに発見した埋蔵金存在の証拠」として、
ニュースに登場することはないとは言えません。

ただ、いまぼくはそういう可能性について述べているだけ
なのであって、あの小判が「証拠ではない」とか、
「誰かの企み」であると言っているわけではないのを、
本当に理解してくださいね。
このあたりのことは、テレビや雑誌の短いコメントでは、
伝えられにくいことなのです。

先日の「徳川埋蔵金発掘ライブ」の時にも、
江戸時代の古銭がひとつ見つかりました。
せこい収穫ですけれど、これは結局なんの手がかりにも、
証拠にもなりませんでした。
しかし、これだって、いたずらとして誰かが、
「ここに落としておいたら、おもしろいぞ」と、
愉快犯的に故意に落としておいたものかも知れないのです。
ただ、それは問題にするにはあまりにもコストが低すぎて、
追求することに意味がなかったのです。
だけど、生番組を中継している現場としては、
ひと騒ぎするだけのインパクトはありました。
だけど、「あの古銭は、どうしたんだ?」と、
いつまでも疑問に思っている人も、
おそらくほとんどいなかったと思います。

それに比べると、小判は大きな意味を持ってます。
骨董的な価値がどれくらいかはわかりませんが、
鑑定の結果を待つまでもなく、これは本物でしょう。
その根拠のひとつは、あの小判の偽物よりも、
本物のほうが「入手しやすい」ものだということです。
それに、偽物であった場合は、
誰がなぜ、それを落とした(埋めた)ということを
説明する理屈がほとんどなくなってしまうのです。
また、ある特定の小判の偽物をつくるためには、
大きなコストがかかります。
そのコストに見合うだけの仕事をして、
リターンを得られる見込みがない限りは、
それをする人はいないでしょう。
ただし、純粋な愉快犯の可能性も皆無ではありませんか、
それを勘定に入れるのはとりあえずやめときましょう。

発見された小判が、本物であるということがわかったら、
それで「埋蔵金」はある、と言えるか?と言えば、
これはまた、実は「わからない」ことなのです。

単独で一枚の小判が発見されるという状況が、
「埋蔵金」(埋めて隠した金)というものの性格からすると
きわめてわかりにくいものだからです。

ちょっと無理があるけれど、
そういうことがある可能性を考えてみます。

その周囲から、大量の金が発見されたわけでないのですから
これは、一枚だけ
「不注意に落とした」ものか、
「目印として埋めたもの」か、
「埋蔵作業中にくすねたのが見つかりそうになって、
あわてて捨てた」もの
のうちどれかだと考えられます。
あまり自然な推理とは言えませんが、
ないことではない、とも言えるので列挙しました。

だから、こういうものがあったことが、
埋蔵金が出てくる確信になるかというと、
そうとも言えない、ということになってしまうのです。

しかし、自分が、もし現場にいて、
発掘の途中で小判を発見したとしたら、
これはもう、「確信」するにちがいありません。
ぼくなら、もっともっと大騒ぎすることでしょう。
それにひきかえ、
12月の10日にそれを発見して、
いままで発表してなかった今回の発掘グループの方々は、
相当に大人だったなぁという印象があります。

金を探しているから、金が発見されたことによろこぶのは、
当然といえば当然なのですが、
記者会見での「証拠」のプレゼンテーションだったら、
小判のニュースとともに、
その下に埋蔵金が埋めてあるという伝承のあった
『石灰のかたまり』の発見もあったようですから、
その石灰のかけらなり粉末を見せてくれた方が、
効果的だったようにも思います。
そういう場合には、価値のなさそうな石灰の粉を、
重要証拠のひとつとしてあえて持ってくる
「実行委員会」の姿勢が、記者会見に集まった人々に
確信を得させるバックボーンになったでしょう。

ですから、ぼく自身も、
新聞記事を書いていたり、
テレビ番組をつくっているスタッフたちと同じで、
「どっちなんだろう」という疑問の部分で、
このニュースをとらえることしかできないでいるのです。

出たらうれしいのは山々なれど、です。
「出た!徳川埋蔵金」と報道する段階には、
なっていないのではないかと、
残念なが言うしかありません。

ただ、こんな小さいことを言っていたところで、
「出た!」という本物のニュース、
現物の埋蔵金の発見の前では、
すべて消し飛んでしまうこともわかります。
早く掘ってください、というのが、
こころからの願いであります。

◆こういうニュースを鳥越さんの解説風に、
どう読んだらいいかというかたちで教えてください。
これは、近しい人からの希望があったので、
お答えしますが、誤解のないように
あらかじめ断っておきますけれどね、
以下は「出ないほうがいい」と言っているのでも、
こんどの話はがせネタだぜ、と難癖をつけているのでも
ありませんからね!
よその人に発見されて、悔しまぎれに
いちゃもんをつけているんじゃない、ということを、
本当に信じてくれる人だけ読んでください。

『埋蔵金発掘のゲームをつくるとしたら、
こういうトラップに注意しないと進めないよ』、
ということと、
『埋蔵金というのは、
金塊そのものの価値だけのパワーでなく、
金塊のパワーの幻想がパワーなんだよね』
ということについて、知っておいたほうがいいことを、
せっかくだから書いてみようと思います。

もともと、埋蔵金伝説というものは数々ありますが、
「ほんとにあった」と過去形で語られているもの以外、
まだ大量の埋蔵金というものは発見されてません。

ほんとにあったものというのは、たいていは、
偶然に出てきた「金持ちの隠し金」のようなもので、
小判で500枚といったところが大きい話です。

しかし、伝説として語られている埋蔵金というのは、
もっと桁違いに大きなお金で、
国家予算を越えてしまうようなものです。
そういうまだ見ぬ大金には、
人の心を乱すような、猥褻とも言えるような、
魔力があります。
つまり、社会システムそのものを逸脱してしまうような
とんでもなく非常識なパワーが感じられなければ、
埋蔵金伝説の資格がないとさえ言えるのです。
小判500枚では伝説にならないのですね。

社会そのものを転覆させてしまえるような、
というところには、
さまざまな人間が静かに澱にして溜めておいたような
欲望を攪拌する力があります。
革命の夢も、不老不死の望みも、
ハーレムへの憧れも、
現在の苦しさという引力圏からのスカッとした
脱出のイメージも、世間への復讐も、
一気に噴き出させてしまう力があります。
だから、おもしろいし、あやしいし、怖いのです。
ぼくが、そういうテーマに安易に触りたがるのは、
正直に言えば、ガキだからです。
大人としてそれに関わる人々には、
大儀や義務や正義や道義やという名前ではあっても、
「恥ずかしげもない欲望」がなくてはなりません。
単なる好奇心というのは、
女の人のパンツの奥を、
「ただ見たい」と真剣に思うガキの心です。
見るもんじゃねぇよ、というのが、大人です。
ところが、「恥ずかしげもない欲望」の渦が、
ガキにはまたまたおもしろいのです。

埋蔵金伝説さえあれば、埋蔵金がなくても、
経済は動きます。
経済というのは、モノが動かすものでなく、
人の欲望が動かすもんだということが、
よくわかります。

例えば、ある場所にほんの小さな伝説の気配が、
あったと仮定しましょう。
そこによその土地からやってきた人が、
真剣に発掘作業を始めたら、
その小さな伝説は「中くらいの伝説」に
レベルアップするでしょう。
「ほんとにありそうでなかったら、
そんなことをする馬鹿はいない」と、人々が思うから。
そう言えば・・・と、人々は善意でも悪意でもなく、
じい様の昔ばなしやら、隣村の怪しい人間のこと、
子供の頃の不思議な体験のことを、
伝説のひな形にあわせるように思い出します。

ここは、いま流行の起業家の仕事の範囲ですね。
そこに、その話を聞きつけた投資家が加わると、
経済は加速します。
「あとどれくらい金をかけたら、
そのお宝は拝めるのかね?」
まぁ、仮に現在のお金で一億円としましょうか。
お金持ちの投資家は、それが出てきたら、
半分だけくれればいいからと、鷹揚に一億円を投資します。
小さな伝説の時代から、中くらいの伝説になるまでに、
自分の金も命もつぎこんだ起業家さんは、
「やっと、人並みの暮らしができる。
あとは、お宝さえ出てくれば、いままでの苦労は吹き飛ぶ」
と、いままで我慢していた酒や女や家屋敷に使用人、
といったゴージャスなアイテムを手に入れたくなります。
そうでない起業家もいるかもしれませんが、
その場合も、共通なのは、
『でなければ経済的に逼迫する』という事実です。
穴を掘ることや、宝を探す行為そのものは、
まったくビジネスにはならないのですから、
投資された資金で贅沢をしようがするまいが、
いずれ宝がでなければ、必ず経済的に行き詰まります。

投資家のほうは、そろそろかな?と、待っています。
「いま、こういう気配があったから、もぅすぐです」と、
起業家は報告しますが、いつまでも気配だけでは
ビジネスへの投資になりませんから、
投資家は投資に疲れてきます。そのころには、
資金は第2次第3次と投入されているかもしれません。
「手を引こうと思う。いままでの資金はあきらめる」と、
投資家が言い出すころになると、
どこからともなく「証拠の古文書」やらが出てきます。
起業家がつくったなんてことはなくても、
そういう、ジグソーパズルのちょうどいいピースを、
商いにくる人が現れたりもするものなのです。
投資家は、その古文書で、もう少し投資して、
元手を取り返そうとしてみます。
ここで埋蔵金が出ればいいのですが、出なかったら、
投資家は手を引かなければならなくなるか、
別の投資家を仲間に入れなくてはならなくなります。
だって、
とにかく「出れば、全部返せるし、国家予算を手にできる」
というわけなのですからね。
そんなときには、また、どこかとんでもなく遠い場所から、
どう考えてもそこの伝説の場所としか思えないような、
「不思議な地図の写し」の噂がでてきます。
その地図の持ち主は欲のない人で、
「こんただ、わけわからん地図ば、欲しかちゅうだら、
おらはくれてやってもいいだよ。
だども、死んだじいさんが、これを手放す時にゃ、
腹を切る時だっちゅうてたから、
じいさんの墓を建てて供養せにゃ祟られたらおっかねぇだ。
遺言で、こういう墓の画を残していったから、
この墓を建てねぇとならねぇだ。
墓ぁ、2000万円もかかるっちゅうから、
おめぇさんにゃぁ、出せねぇべ。
おっと、この墓の画に謎の言葉が・・・」
「に、に、2000万円出すから、それを!その地図を!」
っと、マンガのようなやりとりが、
あったかないか知らないけれど、この地図がまた、
50年も100年も、大勢の心を悩ませたりするわけさ。

まだ、なんにも出ていないし、
もしかしたらないかもしれない埋蔵金が、
経済活動をじゃんじゃか生み出しているわけ。
つまり、それを探すことが「やめたほうがいい」と、
みんなが思うまでは、この経済活動は加速していくのです。

これは、ゲームのように作り話をしたけれど、
埋蔵金報道の読み方というのは、
一方では、あるといいなぁおもしろいぞー、という
セクシーなわくわく感をたのしみ、
もう一方で、その「核になる情報があいまいなのに、
観察者たちの欲望が経済活動の竜巻をつくっていく」という
複雑なピカレスクをたのしむという、
ふたつの味わい方をして遊ぶものなんですよね。
だって、今日、各マスコミがどどどっと動いただけで、
それなりの国民総生産はあがっているはずだよ。
ぼくだって、こんな長めの原稿を書き始めちゃってるし。
この原稿の購読料をとったら、もっと露骨に、
埋蔵金の経済活動に参加できるってわけだよ。

しかし、これは、一般的に、
幻を核にした経済ってものがあるんだよ、っていうことの
ゲーム的な流れを書いているわけですからね。
今回の記事を、こういう目で読むと、
報道の表面に見えてないおもしろさが
浮き彫りになってくるということは確かだけど、
山梨の「発見」が、この構造と関係あるかどうか
ということは、まったく別問題です。
ぼくは、知らないんだから、事実関係を。

それにしても、こういう構造って、
いま流行の株式上場でヤングな起業家が、
一晩で経済界のヒーローに、なんて話題も、
構造的にはよく似ていると思うんですよ。

そこになくて、「ほぼ日」にはあるものとは何か?
これこそが、ぼくがよく考えるべき、
ぼくらの埋蔵金だと思っているんですけどね。

◆では、こんどの山梨の埋蔵金のウイークポイントは、
どんなところでしょうか?

そんなにつっこんだ質問をしないでください。
あることはあるんですよ。
発表の仕方が上手でないというだけでも、
相当に損をしてしまうわけでして。
今回の記事の内容から考えると、
かなり弱点を見られてしまうような発表だったのです。

では、自分がそのグループのメンバーだったら、
こういう部分を討議するだろうなということを、
ざっと書いておきます。

まずは、当事者が語る「発掘の歴史」には、
根拠がいらないので、言い放題に思われてしまう。
「記録や証拠は残ってないが」というかたちで、
なんでも言えてしまうし、それがキャッチーであるほど、
マスコミが書き立ててくれるから、
注意深く読むと気になることが目立ってくる。
あらぬ疑いをかけられないようにするためには、
以下のような点について、もっと注意を払うべきだった。

・「昔の発掘で、人骨がでた」
「中国の剣が発見されている」などの発表は、
事実として固定されているような報道だが、
当事者の発表のまるうつしだから、調べていくと、
何もないのと同じことになってしまうかもしれない。

・ボーリングの穴の直径を何ミリから何ミリに変えたとか、
小判の縦が何センチ横が何センチなどを、
ことさらに発表しているのは、意味がわからない。
これら4種の数字は、埋蔵金とはなんにも関係がないのだが
数字が文章に混じると、信憑性のあるムードがでてくる。
数字をあげる場合には、もっと重要なことがあるだろう。
深さについては、明確であるはずだし、
埋蔵方法を考えるために重要な要素だから、
そこの数字を発表したほうがよかったのではないか。

・発表から、次の発掘までの予定期間が長すぎるのは、
記者会見までして「発見の発表」をした以上、
あらぬ不信感を抱かせるだろう。
ある、と確信してなおかつのんびりしているのは、
何が理由なのかという明確な説明が必要になる。
小判の鑑定結果が出るのを待っていることが、
どうして必要なのか、理解しにくい。

・「遺言状」を重要な証拠のひとつのように
記者会見で配ることについても、意味がわかりにくい。
小判の長径と短径の数字を発表することと同じく、
イメージをつくるためのように思われやすい。

以上のようなことは、むろん
広報のプロがいないグループとしては仕方なかったのかも
しれないけれど、当然、これから
他者によって検討されはじめてしまうことでしょう。
ただ、重要なことは、ここなのですが、
『現物が出れば、みんな黙る!』ということです。
ですから、広報活動や発掘の段取りでいくら弱点があっても
掘り当てたら問題はないのです。
そんな大量の偽物を埋めたり掘ったりする人間が、
いるはずはないのですからね。

ああ、疲れた。
もうやめてもいい?
質問は、もう受け付けません。
これだけ細かく書いたら十分でしょう?
どこのテレビ番組より詳しいという自信はあるもん。

しつこく言っておきますけれどね、
「出ることがいちばんうれしい」のは、読者も、ぼくも、
であるということを前提に読まないとだめですよ。
一部を取り出しての引用は固くお断りします。

2000-01-17-MON

TORIGOOE
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