YAMADA
天童荒太さんの見た光。
対話するように書いた物語。

18
小説は「作者の才能」を超えてゆく


※登場人物は、作者の意図を超えて動きだす。
 そういう言葉を、よく
 作家や漫画家が話すことがあるけれど、
 具体的には、どんなプロセスで
 人物が動きだしてゆくのでしょうか──?

 天童荒太さんから聞いた「人物」の話は、
 やはり予想を超えたところに進んだのでした。

 なにしろ、

 「はじめに考えていたことなんて、
  ほとんど残らなくなる。
  人物たちにこう動いてほしいと思っても、
  少しも言うことをきかない。
  どう進めていいか、作者の自分もわからないほど
  どうにもならなくなって、
  はじめて小説は本格的に動きはじめる。
  天童の考えとか希望とか才能なんてものでは、
  操作できなくなってしまった地点。
  天童荒太が消えると、ようやく、作品が
  本当に成立しはじめたなぁと思うんです」

 と、言う人なのですから……。
 今日もオススメの内容なんです。

ほぼ日 『家族狩り』の文庫版のための書きなおしを
しはじめた頃からふりかえると、
編集や校閲の手が入る前の
「個人の書く仕事」としては、どんな
時間の使い方をして、完成に至ったのですか?
天童 書きだした二〇〇一年ごろから、
少しずつ深まっていくんだけど、
はじめのうちは、
物語のすべてが見えているわけではないから、
プロットを何度も練ったり、
ノートをとったり資料にあたったりしながら、
少しずつ書き進めることで、人物像を
より深めていくことをこころがけます。

この時期に睡眠時間を切り詰めても、
結局は倒れるだけだとわかっているから、
ある程度の睡眠時間は取っていました。
だいたい六時間睡眠ぐらいの
ふつうの生活で、
仕事をまわしていくわけです。

追いつめる時期よりも、
ゆるやかに作品に向かうんですね。
ときどき映画や芝居にも出かければ、
人ともよく会いにゆく──
いろいろなものを吸収しながら、
資料を読んでは自分の思索を深め、
それをどう物語に活かすかを悩んで、
作品を高めていく時期ですね。

そうやって、
最初の原稿ができてくるんだけど、何度も
「これでは、人間が動いていない!」
と思うわけです。

登場人物たちが、
自分の意志で動いていない……
まだまだ天童の意志で
動かしているだけという感じがするんです。

ある程度、
生きていると思って書くのだけれど、
二〇〇枚、三〇〇枚、さらには
五〇〇、六〇〇と書くうち、ボロが出てくる。
本当に生きてないと、
長い枚数はもたないんです。

だから、ああこれではまだ
自我を持ってないなと気づくと、
二部ぐらいまでって、つまりは八〇〇枚以上、
編集者に渡していても、
ぜんぶボツにして
はじめから書きなおします。

そういうことを何度もくりかえす作業が、
しばらく続くんですよ。


人物が、みんなそれぞれの
論理や意見や社会観を持ちはじめて、
作者側の意図とは全然違ってしまうし、
プロットからもどんどんはみ出してしまって、
はじめに考えていたことなんて、
ほとんど残らなくなる。

人物たちにこう動いてほしいと思っても、
少しも言うことをきかない。

この先どう進めてゆけばいのか、
作者の自分もわからないほど
どうにもならなくなって、
はじめて小説は本格的に動きはじめる。


「あぁ、もう天童の考えとか希望とか、
 それこそ才能なんてものでは、
 操作できなくなってしまった。
 馬見原(『家族狩り』の登場人物)は
 自分の意見を持って生きはじめるし、
 油井(『家族狩り』の登場人物)も
 自分の悪どさと弱さを
 抱えて生きているし……」

天童荒太が消えると、
ようやく、作品が本当に
成立しはじめたなぁと思うんです。
このあとも当然苦心するわけですけど、
それは人物たちの行動や声や心情を、
商品である小説として、
一般の読者にも読んでもらえるよう、
整理してゆく必要が生じるからなんです。

人物の登場する順番も
配慮しないといけませんし、
伏線などの技術上の問題もある。
これを並行して進めることで、
作品が編集者へ渡せる状態になってゆく。

一〇〇〇枚越えて、二〇〇〇枚越えて、
ついにラストが見えてくる。
でも完成じゃない。
なんとかそこまで来たら、
追いつめる段階が、
ひとつ上にあがるんですよ。

睡眠時間も四時間半ぐらいになる……
それが、去年の
十一月の暮れぐらいのことでした。

物語としてはほぼできあがりつつあり、
資料を読みこむことも終わって、
あとは作品に向きあうという時期でしたし、
第一部の刊行を一月二五日に控えて、
年末に印刷所が止まることを考えると、
第一部のゲラを
早めにあげなければいけない時期とも
重なっていました。

追いこみの時期なんていうのは、
現実の社会の要請によるものですから
ね、
作家の芸術性が云々というよりも、
だいたいが、非常に具体的に
「年末とか連休前には、
 印刷所がこの日に止まってしまうから」
というような物理的な事情で
動きはじめるわけじゃないですか?

書店さんもいろいろ準備して
待ってくださってるし、
流通の方々にも迷惑はかけられない、
むろん読者への告知もはじまってましたから。

いやおうもなく追いつめざるをえなくて、
だったらもう
ほかの人や条件のせいにするんじゃなくて、
自分から進んで
自分を追いつめていく生活になる。

「何日で何ページを
 しあげないと間に合わない。
 そうなれば、一日では
 何ページ進めておかないと
 時間内に終わらない」


そういうことは、まあ誰だって、
計算できるじゃないですか。

一ページ見ることに一〇分かかるんだったら、
一〇ページ見るのには
一〇〇分かかることは明らかですから。

休みや集中力の問題を加えると、
二時間で一〇ページ。
一日十二時間、テンションを
最大に上げつづけてがんばっても六〇ページ。

でも通常のスケジュールは
もっときつ目なんです。
ぼくの場合、かなり考慮してもらって、
通常より多目にゲラを見る時間を
もらってるはずだけど、
それでもギリギリになってしまう。

最初のゲラでかなり筆を入れて、
また校閲から戻ってきた二回目のゲラも
まっ赤にしてしまう話はしましたよね。

でも、刊行時期も迫って、
ぼくに与えられた時間も減ってるから、
この再校と呼ばれる、
二度目のゲラ直しの時点から、

「全ページを
 しっかりゲラチェックするためには、
 睡眠時間を
 四時間半から三時間にしなきゃいけないなぁ。
 食事を取る時間を詰めて、
 食後一〇分間だけは消化のために休んで、
 あとの時間をわりふってゆこう……」

そういうことが決まってくる。

そうしないと、印刷製本の時間に、
物理的に間に合わなくなるわけですからね。
自然と、外に出かけることはまったくせず、
「作品だけに傾注してゆく状態を、
 自分のノーマルな生活だと
 思いこんで入りこんでゆく」

という生活になっていきました。

もちろん、予定をきちんと立てて
作品に当たっていきはじめても、
そのうちに
じっくり悩みたいところが出てきます。

もっといい表現があるのではないかと迷うし、
実際そうした表現が見つかっても、
作品になじむ形で書き加えるには
余裕が必要だし、見通すことだって要る。


「ここの一ページにかける時間は、
 一〇分のはずなのに、一時間かかっちゃった!」

「もう間に合わない。どうするんだ?」

作品の質が深まれば深まるほど、
次の場面ももっとよい表現にしなくちゃ
バランスが取れない。
流して進めることなんてできない。

当初の計算もどんどん狂ってしまって、
睡眠時間や食事の時間を減らしても、
どうにも足りない。

といって作品のほうを犠牲にすることは
絶対できないから、
編集に泣きついて、
「ごめん、あと一日だけ待って!
 いやあと三時間でもいいから!」
というやりとりが、
ずいぶん続いたわけですけど……(笑)。

※次回は、月曜日に更新いたしますね。
 生活設計について、野暮を承知で、
 かなり具体的に、話をうかがってゆきます。


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インタビュアーは「ほぼ日」の木村俊介でおとどけします。

2004-06-18-FRI

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