YAMADA
天童荒太さんの見た光。
対話するように書いた物語。

13
感情を書けることが、うれしかった


※今回は、天童荒太さんのモノローグでおとどけします。
 二十代前半で、シナリオを書く生活に翻弄された……?
 現在までのライフストーリーを聞くインタビューです。
 どの年齢の話も、真剣に、語ってくれているんですよ!

 
ほぼ日 小説をはじめて書いてみたとき、
シナリオとの感触の差は、
どのようなものでしたか?
天童 シナリオは、計算なんです。

例えば、通常、映画は
一時間半から二時間弱です。

これは映画館側の要求もあって、
日本映画の場合、とくに厳守されます。

『タイタニック』みたいな
ハリウッド超大作は
例外として認められるんですけど。
大体は、観客の回転率とか、
従業員に残業代を払いたくないので
最終七時の回ではじめて
八時五十分に終わらせ、
従業員を九時に帰す、というのが、
館主側の希望として基本的にあるんですよ。

むろん観客の我慢しうる生理上の問題もあります。
つまり、限られた時間内に、
観客に、満足してもらわないといけない。

二時間弱って、
長いようで、あっという間なんです。

ですからあくまで原則論として話しますけど、
映画の脚本は、

「はじまり(出会い)」
「展開」
「クライシス」
「クライシスに立ち向かう
 主人公(たち)の行為→エンド」

という、起承転結の構成における
計算になっちゃうんです。

だから、
「この場面、ここの主人公の心情を
 もっとこまやかに書きたい」
と思っても、それは許されない。

主人公の感情や、内面の心理の揺れなどは、
物語の展開において、
伏線となるようなら許されますけど、
そうでないなら、
クライマックスに向けて
必要最低限のところにとどめて、
早々に切りあげて、
次のストーリーに必要とされる場面に
移らなければいけない、というのがシナリオでした。

全体としては、
「最後のクライマックスに向けて
 集約させていくように計算して書く」
という姿勢なのですが、
そこが息苦しいというか、
窮屈にも感じられるんですよ。

時間芸術とよく言われますけど、
二時間、ときに三時間強、
ひとつの空間に閉じこめて、
一気に観せて、納得させ、面白がらせる。

前へ前への推進力と、
多少つじつまの合わない部分も、
観る人を流れに乗せて、
ごまかすというと言葉が悪いけど、
ある種のトリックで夢を見させる
パワーが必要なんです。

ぼく自身が一番大きい差として感じているのは、
映像には感情は映らないってことです。
心理とか無意識とか、
心の内側は、目には見えませんからね。

感情も
「あいつを嫌いなフリをしてるけど、
 実はとても好きだよ」
っていう程度までしか書けないんです。

「あいつは好きだけど、心の底では、
 幼い頃から抱えていた母親への憎しみも、
 彼女に投影しているのだよ」

というところまでは、なかなかできない。
それを映像で表現するにしても、
観客に納得してもらうためには、
ものすごいシーンの積み重ねを
していかなきゃならないでしょう。

文章だと、極端に言えば、
それを三行でできちゃうんですよね。
それが、当時のぼくには、すごく新鮮でした。

これまでは、目に見えるものを相手にしてたでしょ。
感情も、目に見える
<かたち>に置きかえる必要があるんです。

当然、複雑なことはできない。
自分の表現欲求に
ブレーキをかけている状態だったのが──
手足を思いきり伸ばせる自由を感じたんです。

たとえば覚醒剤の
一万円パケっていう、小売り用の
小さな包みを作っている
一七歳の少年の鬱々した気分とか、

「なんで俺、こんなことやんだよ、
 このクソ家族のためによぉ!」

っていうことを書いてると、
どんどん、こう、心の中に入っていけました。

形式が自由だから、気持ちがよかったんです。
鬱屈した少年が、
同世代の女の子と出会ったときに、
サーッとこう視界が広がっていく感じも含めて、
すごく気持ちよく書けました。

自分にとっては、
「内面に入っていける自由」が、
すごく大事だったみたいですね。

小説において、当時、少なくとも
人物の心理・感情を追いかけてゆく点については、
書きにくいことは、一つもなかったんです。

ともかく、このときは自由を満喫して、
枚数の上限が、四〇〇百字詰原稿用紙で
一〇〇枚前後だったと思うけど、
「短かいなぁ。もっと書きたいことが
 いっぱいあったのに、まとめなきゃいけない」
そのへんで、調整が必要だったくらいでしたから。

ただ、さっきも言いましたけど、
小説家になれるなんて思ったことは
一度もないんです。

小説というジャンルがあるのは知ってても、
そこに自分が立つことなんて、
イメージしたこともないし、とにかく、
すごい高みにあるもんだと思っていましたからね。

だから、最初の小説は書けたものの、どの新人賞に
応募していいかもわかりませんでした。

とりあえず、本屋に行って、
文芸誌が並んでるみたいなところで、
立ち読みをしてみたんです。どこかに
新人賞の応募が載ってんだろうと思って。

※明日に、つづきます。
 天童さんの言葉への感想やメッセージなどは、
 postman@1101.com
 こちらまで、件名を「天童さん」としてお送りください!





←前の回へ 最新の回へ 次の回へ→



第1部
「幻世の祈り」
第2部
「遭難者の夢」
第3部
「贈られた手」
第4部
「巡礼者たち」
『家族狩り』は5月下旬まで刊行され続けている作品です。
天童さんの言葉への反応は、件名を「天童さん」と書いて、
postman@1101.com に、対話するようにお送りください!
インタビュアーは「ほぼ日」の木村俊介でおとどけします。

2004-05-13-THU

YAMADA
戻る