5月上旬に販売をひかえたTARO MONEYは、
現在、制作工場でプレスが開始されたところです。
その、ほかほかのサンプルがひとつ、
「ほぼ日」に届きました。
このできたての一枚を手に、どうしても
巨大壁画『明日の神話』を
観ていただきたい方がいました。
それは、人類学者、中沢新一さんです。
まだほとんどの人が目にしたことのない
『明日の神話』を前に、
中沢さんはどんなことを言い出すのでしょうか?
糸井重里は、中沢さんとともに、
愛媛の修復現場へ向かいました。



中沢 うーーーーーん。
これはそうとうすごいですね。
すごく過激だと思う。
だけど、岡本さんの絵って、
どこかかわいらしさがあって、
受け入れやすいんですよ。
糸井 動物とか、はしばしに
描かれていますからね。
中沢 だから、根本的な思想を
そんなには表に出さなくても
人に伝えられるようになっているんですね、
岡本さんの絵は。
ほぼ日 まがまがしい力に負けずに誇り高く燃えあがる
人間の持つ力と美しさが描かれている、というふうに
敏子さんからは聞いたのですが。
中沢 たしかに、そういう面もありますが、
それだけではない考え方が
ここにはひそんでいると思います。
すべてを肯定しているんですよ。
しかし、それをうまく表現したり
理解させるのが至難の業であることは、
岡本さんは、よく知っているわけです。
糸井 そうか。まるめこまれちゃう部分があるのを、
太郎さんは知っていますね。
中沢 いやあ、よく知ってる、知ってる。
知ってて、描いてる。
これは、もう、観ればわかります。
戦後の民主主義で、
こういう絵がストレートに
受け入れられるはずがないわけで。
これは、お祭りなんです。
いろんなものを燃やしちまえ、って、
言ってるんです。
糸井 踊ってるもんね。
中沢 いちばん近い思想のものを挙げるとすると、
そうだな、
ティム・バートンの映画
「コープスブライド」が近いかな。
いまの社会って、死を受け入れにくい、
受け入れたくない社会でしょう。
これは、その部分に対して、
全面的につきつけているところがあると思う。
この絵が描かれたのは、
日本ではなくて、メキシコです。
ですから、メキシコの神話的な考え方が
ここには入っている。
メキシコでは、骸骨のお祭りがあるもんね。
糸井 骸骨のおかしとか。
中沢 インドにも、こういう絵はたくさんありますし、
曼荼羅はだいたいこういう思想です。
この絵は、曼荼羅の、
ある部分を拡大してるとも言える。
ほぼ日 岡本太郎さんの絵って、
あんまりシンメトリーなものはないんです。
だけどどうして『明日の神話』だけが、と
思っていたんですけれども。
中沢 うん。これは、歓喜の曼荼羅だよね。
『太陽の塔』もじつは、曼荼羅。
『太陽の塔』は生命の力を伝え、
これは、死を伝えている。
糸井 表裏になっているんだ。
中沢 両方あわせると破壊と創造になります。
「破壊を怖がる必要はないんだよ」
ということを、岡本さんは言いたいんでしょう。
描いてる本人は、ある意味で、
こりゃ、怒ってますからね。
糸井 あれは、踊りでありもだえであり、なんですね。
中沢 つまりは、死者のきずな、なんです。
日本でも古くからいきづいている、
伝統的な死の哲学というものを
岡本さんは、この絵で
かなり過激にぶっ飛ばしたんだよ。
バタイユ的なやつをね。
これは、ふつうの美術家には
できないものかもしれません。
「ただの反社会」「子どもである」というだけでは、
岡本さんみたいな、こんなこと、ないんだよね。

(中沢さんの『明日の神話』についてのお話は
 明日につづきます)

2006-04-26 WED

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