糸井 そのあたりの理解については
10~20年前から
変化しているのではないでしょうか。
近頃は「岡本太郎」への理解が
だいぶ深まってきたと思うんです。

さきほど観たドキュメンタリーフィルムの中で、
(このトークに先駆けて、会場では
 ドキュメンタリーの放映がありました)
岡本太郎さんがインタビューを受けている
場面がありました。

インタビュアーはおそらく
アナウンサーだったと思います。
岡本太郎さんが一所懸命
自分の思いを伝えようとしているのに、
「まるで禅問答ですね」と応えて
終わりにしていました。

それは、禅問答に対する無理解でもあるし、
岡本太郎への無理解でもありました。
ふたつの無理解が、
あたかも「わかったかのような声」として
岡本太郎にぶつけられていました。
あの視線や鑑賞力と
岡本太郎は戦ってきたわけです。

つまり、そこまで「わかられてない」と
いうことの中に、
岡本太郎の表現があったのです。
いまよりずっと苦労してたと思うんですよ。
平野 うん、うんうん。
糸井 ところが、いまの人たちは、
それをつかんでくれるんです。
たとえば、太郎が
「形でないものを、形としてつくってるんだ」
と言ったとすれば、いまの人たちは
もしかしたらわかるかもしれない、と
受け止めるでしょう。

しかし、わかられたときには、太郎は、
次のステップに踏み出したと思います。
「あ、いっけね、抜けださなきゃ!」と。

わかられちゃったら、価値が増えない。
その恐怖感と、ずーっと鬼ごっこしてた人です。
その人がいま生きていたとしたら
やっぱり「俺を拝むな」「忘れろ」と言うと思う。
平野 そのとおり、絶対言いますね。
糸井 そこで迎えたこの2011年、
岡本太郎が100歳の記念の年です。
平野さんともいろんなイベントができるね、という
話をしていました。

3月11日に震災があって、
「こういう冒険的な人がいました」という物語を
ふつうに伝えていくことが、
やりにくくなったということは確かです。
今年ならではのやりにくさが、絶対にあったはず。

でも、太郎に向く目が、
例えば、東北に向いてるとしたら。
ぼくは、太郎が
100歳の今年をそういうふうに
迎え入れたという気もするんです。
つまり、どういうことかというと‥‥
ぼくは「岡本太郎」という名前じゃない太郎たちを
いま、東北でいっぱい見ています。
平野 うん、うん。
糸井 太郎のことをひと言も言わない岡本太郎たちです。
漁師の格好をしている岡本太郎やら、
瓦礫の中に立ち上がっている岡本太郎です。
それを見て「やったね」という
気持ちにもなりました。

自分をまつるためのそういう1年を迎えた
岡本太郎の運命というのは、
最高にかっこいいなと思います。
平野 生誕100年をやろう、というのは
敏子との約束だったんですよ。

しかしふつう、生誕100年というと、
テーマは「顕彰」でしょう?
功績と業績を忘れずに、というような。

でも、そんなことをやったところで
太郎が喜ぶわけがない。
敏子とそう話していました。

生誕100年というのは、
これまでの100年から、これからの100年に
ブリッジをかける年ですよね?
言い換えれば、
岡本太郎の100年から、
「俺たち」の100年に、バトンが渡るということ。

岡本太郎の残したもの、芸術観、人生観、
美意識、哲学、思想、
そういうものを、もし引き継ぎたいと願うなら、
「願うおまえはこれから何をするんだ?」
そう自分自身に問いかける年に
したいと思ったんです。
糸井 はい。
平野 壁画『明日の神話』の再生プロジェクトのときに
糸井さんが考えてくださった
「Be TARO」というコピーがありました。
今年の生誕100年のテーマも、いくら考えても、
「Be TARO」以外になかった。
岡本太郎自身が
「法隆寺は焼けてけっこう、
 自分が法隆寺になればいいんだ」
と言ってたわけですからね。
糸井 うん、あの言葉はすごいね。
平野 太郎は焼けてけっこう、忘れてけっこうだ、
おまえが太郎になればいい、
「Be TARO」も、
そういうことだろうと思っています。
糸井 「Be TARO」という言葉をつくったとき
重要だったのは、
岡本太郎が「太郎」という平凡な名前だった、
ということです。

例えば「頼朝」という名前だったら、
「Be YORITOMO」になる。
そりゃ、すごく特殊な階段を登らなきゃならない。
だけど「太郎」は、いわば、
男の子、というだけの名前です。

岡本一平と岡本かの子
(岡本太郎の両親。漫画家と作家でした)
という夫妻が、どう生きたのかを
知っているわけではないんですが、
最初に子どもが生まれたときに、
「太郎」という名をつけた。
それは「なんでもない」という表現でもある。
意味を乗せないお皿なんですよ。

太郎という平凡な名前の上に乗せるのが
おまえの人生だ、
生きてきたこと自体が名前をつくっていくことだ、
という意味が、おそらく、
込められているんじゃないかと思います。

ああなってほしい、こうなってほしい、
という望みをなんにも言わずに、
「おまえがつくれ」という名前です。

その名が、あれだけの個性を持つ人間を
象徴したのはすごいな、と思いました。
しかし、その名前が象徴する平凡さは、
誰でもいい、誰にでもあるんだよ、
ということです。

だから、「Be TARO」は
「Beなんでもない男の子」。
平野 そうですよね。
ただね‥‥いま言ってることと
逆のことを言うようですけれど‥‥
ぼくはとても太郎にはなれない。

たしかに太郎はふつうの男だった。
だけど、
「岡本太郎になる覚悟のあるやつ、前に出ろ!」
と言われたら、
ぼくは迷わず逃げ出します。
糸井 ああ、わかる。
平野 太郎にはなれないし、
なりたくない。
糸井 それはダブルですよね。
「なりたくない」が入ってますね。
平野 入ってます。
ぼくはそこまで覚悟ない。

岡本太郎は生まれたときから
スーパーマンじゃなかった。
それはたしかです。
そうすると、いまを生きている
ぼくみたいな、弱っちぃやつも含めて、
太郎を受け継ぐ人たちに
「どう活かせるか」ということだと思うんです。

つまり、これからは
太郎を使う時代だと思います。
(つづきます)
2011-12-27-TUE
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