その5

なにがしあわせ?

糸井
「ほぼ日ってどういう会社ですか」
って言われたとき、
「いい時間を売る会社です」って
ぼくは言おうと思ってるんです。
時間を取り引きしているんだと思うんですよ。
モノの価値を労働時間で表現するというのが
いちばん乱暴なマルクス主義の考え方なんだけど、
それは違うって言ってたくせに、
どこかで時間がかかってることについての
「思いの継続」みたいなものを
みんなが感じ取るようになって。

手編みのセーターを
みんなが嫌がった時代がありましたよね。
なんで嫌がったかっていうと、
「おまえが編んだその時間が俺に覆い被ってくる」。
いまは「その時間をくれたんだ、ありがとう」とか、
「そんな大事なものを俺が着てもいいのかな?」
という、晴れがましさが加わると思うんです。
マッサージも3分でやめられるよりは、
「もういいよ、いいよ」っていうとこまでやってもらうと、
ありがとう感が増えるじゃないですか。
そういうことにも近いですね。
芝崎
「手仕事」という言葉に
価値がある時代かなと思うんです。
ラグジュアリーブランドも、いまって、
「ここのところは手で全部やってるんですよ」
みたいなところにすごく価値を置きます。
それを訴えることでやっぱり欲しくなる。
みんながそういうところに気づいてきたし、
そういうもののほうが嬉しい、たのしい、
ということがビジネスより前にあるというのは
すごく健全だと思います。
糸井
手仕事のものを使う、着るっていうのは、多分、
「大事にしてくれるんだったら、
あなたには着る資格がありますよ」って
認められることとつながるんだと思います。
それはお金で買えるんですけれど、
その認められ方というのは
自己肯定感につながるんですよ。
「俺で、いいんだよね」って。
そういうものを周りに集めたくなる。

ラグジュアリーなものに限らず、
たとえばホカホカの熱いお米から
いま握ったおにぎりというのも、
それを食べる権利をもらったら、
自己肯定につながりますよね。
芝崎
そこに幸福感があって、
それを見つけたんでしょうね、みんなが。
糸井
そうですね。それはじつは大昔から
あんまり変わらないのに、
機械のほうが上手にできたり
速くできたりっていうところに、
一時的な信仰が行ったんじゃないですかね、
近代というのは。
ぼくだって手作りを拒否しましたもん。
少年、青年、壮年期には、
どこかで手作りは遠ざけたいという
長い時間があったと思いますよ。
芝崎
機械で作られたもののほうが精密だと
思った時代があったんですよね。
手作りは人間が作ってるものだから、何かちょっと‥‥
糸井
危ないとかね。
芝崎
でも、いまって、人間が作ってるもののほうが
いいんじゃないかって思われています。
糸井
欲しいものの種類も、
自動車とか電気製品とか、
人が作れないものを欲しいと思っている
時代が長かった。
そのときに「手作りの冷蔵庫あげるよ」
って言われても困っちゃうわけです。
トップまで行っちゃった人は欲しがるかもしれないけど、
俺は普通に精密な工業製品がいいよって。
だって自分だって、ドイツ車がいいって
言ってたんですよ、ずっと。
芝崎
いつからかそれが、
壊れても味があるやつがいい、みたいに(笑)。
糸井
そう、言いだした(笑)!
芝崎
いまって3Dプリンターですぐモノが作れちゃう。
そういうことへの反動なのかなとも感じるんです。
糸井
3Dプリンターの側が寄ってきてるんじゃないですか?
本当にいいもののほうに。
芝崎
なるほど。あれもあれでひとつずつ作れるという、
大量生産とちょっと違う方向かもしれないですね。
糸井
そうですね。そう思いますね。ぼくらも、
ロゴタイプの立体化とか、見本を作るとき、
3Dプリンターをもっと使おうと思っています。
ビジュアルをモックにするっていうのは、
ものすごく大変なことでしたから、
共感するための具体化の手伝いを
機械がやってくれるんだったら、
「機械よ、ありがとう」って。
芝崎
コンピュータでできちゃうものに抵抗感があったのに、
そっちが人間らしさに寄り添ってきている‥‥。
糸井
多分、本当のアーティストからしたら、
ぼくらってすごく商業的で生半可な、
ふやけた野郎どもなんでしょうね(笑)。
芝崎
糸井さんは、そう自分でおっしゃってて
気持ちがいいわけですよね(笑)。
糸井
「たのしい」んだもの。
ぼくはずーっとそういう批判を受けてきたし、
どっちがたのしいかは、
喜んでくれる人が決めることだからって、
案外その根性は据わってますね。
芝崎
糸井さんの中では「たのしむこと」が
いちばんのプライオリティ。
そして、その展覧会をやるわけですね。
糸井
そうですね。
そうは言っても、例えばぼく、
伊藤まさこさんよりたのしんでないと思うんですよ。
芝崎
糸井さんはいま、伊藤さんの境地まで行きたくて、
発展途上なんでしょうか。
糸井
うーん。ぼくは多分、死ぬまで、
本当にああいうたのしそうな人のところに
たどり着かないんじゃないでしょうか。
ある時間の中で「たのしかったな」とか、
そんなふうに分けられている、
まだら状態じゃないかなあ。
しょうがないです、それは。
宿命ですから。
芝崎
おそらく、ほとんどの人が、そうですよ。
糸井
そうですよね。

(つづきます)